この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

仕事を、やめませんか

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、仕事を、やめませんか、

というテーマで書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約2400字)

 

 

 

仕事をやめませんか。

 

 

 

唐突になにを言い出すんだ((((;゚Д゚))))

 

と思われるかたも、多いかもしれません。

 

 

 

大人であれば、生きていくためには基本的には、

仕事をしないといけません。

 

 

 

当然です。

 

仕事をしないと、お金は入ってこないのですから。

 

 

 

なので、

最低限の仕事をすることは、もちろん必要なことです。

 

自分も、そう思います。

 

 

 

自分がここで言いたいのは、じつは、

その必要最低限、生活に必要な仕事のことではなくて、

 

 

 

なんだか現代社会では、

際限なく「仕事」が拡大しているような、

そんな気がしませんか?

 

 

 

ということなんです。

 

 

 

この世界では、非常にシンプルな法則があります。

 

 

 

それは、

 

ひとが快楽を得るとき、

ひとは、力を失うことが多い

 

ということと、

 

ひとが苦しみを経験するとき、

ひとは、力を手に入れることが多い

 

ということです٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

たとえば、

遊園地に行ってお金を使えば、

ひとは、楽しい経験ができますが、お金というパワーを失います。

 

 

 

反対に、

いやな上司に責められながら不快な仕事をこなせば、

いちおう、

お給料というお金、パワーが手に入ります。

 

 

 

これをもとにして「仕事」というものを考えてみると。

 

 

 

一般的に、生活の糧を得るために、

勤労して収入をえるような、いわゆる仕事のほかにも、

 

こちらがエネルギーとか、時間とか、コストとか、楽しみとか、

そういったものを犠牲にして(負担して)

かわりに、

お金とかのパワーを手に入れるような、

そんな作業はみな、

1つの「仕事」の性質を持っているような気がするんですね。

 

 

 

ここから天機は、

一見、仕事の形態をとっていないようなものでも、

じつは、仕事のような性質をもっている行為が、

日常にはいくつかあるのではないだろうか、と考えてみました。

 

 

 

たとえば。

 

 

 

主婦の方は、スーパーの特売日というのがあることを

ご存じだと思います。

 

 

 

そういうキャンペーンをやっている日にスーパーに行けば、

数円、数十円の、金銭的な利益を得ることができるでしょう。

 

 

 

そのかわり、

特定の日時の行動を、その特売に行くという行為で確定することを

余儀なくされます。

 

ほかに自分がしたかった、なんらかの行為は、

制約を受けるかもしれません。

 

 

 

また、人がいつもよりわんさか来ているスーパーで、

目当ての品物を獲得するために、

競争したりすることになるかもしれません。

 

 

 

としてみるならば、じつは、

特売日をねらってスーパーに行くという行為も、

数円、数十円という金銭的な利益、お金を手に入れるために、

自分の行動予定への拘束や、

不快な買い物環境といったものを甘んじて負担するという意味において、

1つの「仕事」のような性質を持つものではないか、

と、天機なんかは思うのですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

ほかにも、仕事のようには見えないけれど、

仕事の性質をもつものがあります。

 

 

 

グーグルアドセンスなんかは、どうでしょうか。

 

 

 

グーグルアドセンスに申請して、認められたら、

自分のブログとかに広告をはりつけて、

数円、数十円、数百円、数千円の、

収入を得ることができるかもしれません。

 

 

 

そのかわりに、

面倒な申請手続きに時間と手間と脳みそを使わないといけないほか、

自分のブログ記事に書く内容について、

(たとえばエッチなことは書けない、といったような)

制約を受けることになります。

 

 

 

そのように考えると、

グーグルアドセンスなんかも、

「お小遣い稼ぎ」の1つとしてやっているひとも多いと思いますが、

自分がコストを負担し、

自由になんでも書けるという選択肢を犠牲にして、

すこしのお金を手に入れる以上、

やはり、1つの「仕事」としての性質を持っているように、

天機には思えるのですね(´・ω・`)

 

 

 

お金が手に入ることは、

当然のことながら、人間にとって、おおきな魅力のあることです。

 

 

 

なので、少しでもお金がはいるとか、

金銭的に得するチャンスがあると、

ひとびとがわーっと集まる、それもわかります。

 

 

 

でも、よく考えてみたら、

お得だ、ということの背後には、知らず知らずのうちに、

こちらの「仕事」を要求するような、

そんなものがあるのではないかと、天機は思うんです((((;゚Д゚))))

 

 

 

そうやって、すこしでもお金を集めて、手に入れたら、

今度はひとはどうするか、というと。

 

 

 

「お金を使う楽しみ」で、時間を満たそうとするのです。

 

 

 

ここにおいて、人間の存在というものが、

二分されてしまっているような気が、天機はするのですね。

 

 

 

1つは、お金を稼ぐために労働する自分であり、

もう1つは、稼いだお金を使うという「レジャー」

をもとめる自分です。

 

 

 

もし。

 

 

 

最初の自分、つまり、お金をたくさん集めよう、稼ごう、

という自分から決別できれば。

 

 

 

そのとき、そのひとのもとには、

「時間」と「自由」がのこります。

 

 

 

その「時間」と「自由」があれば、

お金を使う「レジャー」ではないような、

そんな楽しみを見つけることができるかもしれません。

 

 

 

たとえば、

好きな絵を書いてpixivに発表し、みんなに見てもらうとか。

 

 

 

あるいは、

自然の景色を公園の中でゆったりと楽しむとか。

 

 

 

そんなことが、あるだろうと思うのですねლ(╹◡╹ლ) 

 

 

 

人間が生きていくうえで、生活していくうえで、

お金はもちろん大切なものです。

 

お金があれば、いろんな嫌な目にもあわずにすみますし、

自分に誇りをもつことも、

いろんな選択肢を持つこともできます。

 

 

 

ただ天機は、

知らず知らずのうちに、

「仕事」のような性質をもつものが、

自分たちの日常に野放図にひろがっていって、

なんだかいつも疲れているなあ、

よし、この疲れを解消するためにお金を使って楽しもう!

と考えるような現代社会の日常は、

考え直してみてもいいような気がしたんです。

 

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ