この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

寛容の相互性について考える。。。

この記事の字数は、約1200字です

 

 

最近は世界中でいろんな分断がすすんでいると

報じられたりもしていますよね

 

 

移民問題とか政治問題、物価高や戦争のことなど、

なにか怒っている人のほうが多くて、

楽しみを求める人は

数が減っているような、そんな印象さえ受けるんですよ

 

 

よく、書籍とかネットなんかでも

正しさよりも楽しさのほうが大切なんだよ、みんな

楽しさのほうを求めようよ、なんて

呼びかけている人がいますよね

 

 

たしかに言っていることには一理あるような気もするんですが、

最近の世界では

楽しさを求めるような人はだんだん減っていて、

反対に正しさを求めて怒っている人が増えているような、

そんな気もするんです

 

 

そんな世界だからこそ、

寛容であるということの価値は

いまいちど、注目されてもいいようにも思うんですよね

 

 

1人1人の人がお互いに相手にたいして寛容さを持つことで、

細かいことに目くじらをたてたりせずに

社会にあたたかい雰囲気が戻って来る。。。

 

 

そんなことも、もしかしたら

あるのかもしれませんね

 

 

でも、その寛容さ

 

 

自分は思うんですが、この寛容さを実現するときには、

「寛容の相互性」

というのが、非常に重要になってくるようにも思うんですよ

 

 

つまり、いっぽうだけが一方的に寛容であることを

求められるのではなくて、

「お互いに」寛容であるようにしようよ、

ということなんです

 

 

 

 

ここにAさんとBさんがいるとしますね

 

 

そこに誰かがやって来て、Aさんにこう言うんですよ

 

 

「AさんはもっとBさんにたいして寛容さを示すべきだ。

 寛容であるということは、社会にとって重要なことなんだよ」と

 

 

なるほど、と思いますよね

 

 

たしかに、社会が円滑に回っていくためには

寛容さは必要でしょう

 

 

ところがですね

 

 

この人は、Bさんに対しては

まったくそんなことは言わないんですね

 

 

Bさんに対しては

「Bさん、Aさんに対してもっと寛容になろうよ。

 寛容であることは、社会にとっては必要なことなんだよ」

なんてことは、いっさい言わないんです

 

 

寛容であることは社会にとって重要なこと、

みんなでもっと寛容な社会をつくろうよ

 

 

たしかに、一見いいことを言っているように聞こえますよね

 

 

ところが、このやってきた世間のひとは、

その寛容になろうという呼びかけを

Aさんだけにしかおこなわないんですよ

 

 

Aさんは仕方なく相手に寛容さを示します

 

 

ところが、BさんはAさんにたいして

びた一文も寛容さを示さないんですよ

 

 

これって、なんだかおかしくはないですかね?

 

 

寛容であることはたしかに社会を円滑にしていくには

必要なことかもしれませんが、

それも「お互いに」寛容であってこそ、でしょう?

 

 

いっぽうだけが一方的に寛容さを強要されるなんて、

いっぽうは相手の奴隷かなにかなんでしょうか

 

 

この「お互いに」という視点は

とても重要なものだと自分は思うんです

 

 

これがないがしろにされると、

ないがしろにされたほうに怒りを生じて、結局

社会の分断を招くと思うんですね

商店と、個人的な利益

この記事の字数は、約1100字です

 

 

世の中には、いろんな商店があります

 

 

家電量販店、飲食店、書店、スーパー、百貨店、

ガソリンスタンド、カラオケボックス、などなど。。

 

 

 

 

ひとは、商店で買い物をすれば

なんらかの利益が得られると思うからこそ、

その商店で買い物をすることを選択し、実行しますよね

 

 

そのときに、いろんな判断基準があると思うんですが、

商品やサービスの品質と、価格というのは

2つのおおきな判断基準になるかと思うんです

 

 

これは、前回のブログでも

すこし書いたことですよね

 

 

たいていの人は、

商品やサービスの品質がいいところで

買い物をしようと思いますし、また

同じくらいの品質であれば

価格のより安いほうを選好する傾向があります

 

 

ここで、この

「品質」と「価格」というのは

誰に対しても基本的には同じになる

判断基準だと思うんですよ

 

 

すごくえこひいきをするお店で、

誰誰さんにはすごく良い品質の商品を低価格で提供するけれど、

べつの誰誰さんには粗悪な商品を高値で提供する、

といったようなことは

通常はあまりないことですよね😅

 

 

グーグルマップで特定の商店を検索して、

そこに

ここのお店は値段が高いことが多い、という

コメントがついていれば、

その値段が高いという事実は基本的には

だれがそのお店に行っても値段が高い、

という現象となってあらわれます

 

 

つまり、品質とか価格とかいったものは

通常は人によって異なることは

あまりないんですね

 

 

でも、世の中には

個人個人でその商店にまつわる利害が異なるような

要素もあると思うんですよ

 

 

たとえば、その1つが

その商店から自分の自宅までの距離

です

 

 

品質や価格は誰に対しても同じであっても、通常は

それぞれの人の自宅からその商店までの距離というのは

人によって異なります

 

 

自宅から歩いて1分ほどでその商店に到着する、

といったような極端な地の利を持っているひとは、

その商店については

個人的に非常におおきな利益を持っているということになりますね

 

 

いっぽうで、

自動車を1時間も走らせないとその商店に到着できない

といったような事情を持っているひとは、

その商店については

移動に関する個人的な利益があまりない

ということになるかもしれません

 

 

ここでは、地の利と移動ということについて

例をあげてみましたが

 

 

世の中のグーグルマップについたコメントとか

ネット記事とかの情報というのは基本的には、

誰にとっても条件が同じような

そんな情報が多いと思うんですよ

 

 

でも、よくよく状況を精査してみると、

世の中の大半の人間にとってはさほど利益がないにも関わらず、

自分だけは、非常に特殊な個人的な利益を有している

ということが、

商店だけにはかぎらず、この世の中には

ときどきあったりするようにも思います

2つを同時に視界に入れて判断する。。。

今回の記事は、約700字くらいです

 

 

ヤフーニュースにこんな記事があがっていました

 

 

news.yahoo.co.jp

 

 

なんでも、最近の物価高の影響なのかどうかはわかりませんが、

演劇のチケット料金が上がっているそうなんですね

 

 

自分は個人的に演劇とかライブとかに全然行かないので

詳しい事情はあまりわかりません

 

 

最近の物価高というのは間違いなく

チケット料金の高騰には影響しているとは思いますが、

チケット料金の値上がりというのは

それ以前から続いていたトレンドだった、

という意見もあるみたいなんですね

 

 

 

 

多くの人というのは

商品とかサービスとかを購入するときに

どういう行動をとるでしょうか

 

 

品質さえよければ

値段なんかはいくら高くても自分はお金を払う、

っていう人は

そんなに多くはないような気がするんですよ

 

 

いっぽうで、

自分は値段の安さだけをとにかく重視するんだ、

値段さえ安ければ品質がどんなに落ちたってかまわない

なんていう人もそんなに多くはないでしょう( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

 

 

ほとんどの人はどうするかと言いますと、

サービスや商品の値段、それから

サービスや商品の品質、

その2つを両方とも自分の視界に入れて、

それら2つのあいだにバランスがとれているかどうかで

判断するんだと思います✌️

 

 

ですから、演劇のチケットなんかについても、

素晴らしい演劇を見れるのなら

いくらでもお金を払ったってかまわない、なんていう人も

もちろんなかにはいるでしょうが、

たいていの人は演劇のチケット料金が上がってくると、

それに見合った品質があるのかどうかを

よりシビアに検討するようになってくると思います