この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

数について考えてみた。。。

今回は、数について考えてみようと思います

 

 

この記事の総字数は、約10400字です

 

 

1+1=2などは

小学校で習う算数の計算として誰もが知っていますよね

 

 



 

 

自分は、この数や数の足し合わせというのが

単なる数字の計算という以上に、

なんらかのこの世界の原理に関係する

意味を持っているのではないか、なんて

変なことを思いついたんです

 

 

それを以下に書いていきますね

 

 

まずはじめに、天機がこのブログで

使うことの多い

「生の原理」と「理の原理」から

説明をはじめていきましょう

 

 

自分が生きるためなら他者を犠牲にしたってかまわない、

というのが生の原理で、

周囲の存在をつぎつぎと滅ぼしていくなら

最終的には自分しか残らないことになるので、

生の原理のあらわす数字は、1です

 

 

他方で、

自分と他者がともに存在することを認めて

他者のことも尊重しよう、というのが理の原理で、

ここでは自分と他者の両者が存在しますから、

理の原理のあらわす数字は、2になりますね

 

 

では、1+1=2から

考えてみましょう

 

 

1というのは、生の原理の数字ですから

とにかく自分が生きるんだ!という

主張をもった数字になります

 

 

1+1というのは、

そんな、自分が生きるんだ、という要望、主張を

持った存在が、

1つではなくて、2つ並び立っている状態なんですね

 

 

当然、両者の言い分をともに叶えることはできませんから

それぞれの要求を調整する原理が必要になります

 

 

それが、理の原理、つまり

自分とともに他者を尊重するという原理であり、

その数字は2なんですよ

 

 

ということは、1+1=2という式の左辺は

自分のエゴを持った存在が2つ並び立っている状態を

あらわしていて、

右辺の2というのは、その両者を調停するために

理という原理が誕生してきたことを

しめすんだ、と自分は考えました

 

 

1というのは

自分が生きるためなら相手を滅ぼしてもかまわない、という原理で、

2というのは

自分とともに相手のことをも大切にしましょう、

という原理なんですね

 

 

ということは、この2つの原理は相反するもので、

本来、並び立つはずはないんですよ

 

 

でも、1+2という数式の中では

その2つは並び立っていて、その合計は3になります

 

 

では、この3というのはいったい、なんなのか、

と考えたときに、自分は

生き物とか、命、生命体ではないかな

と思ったんです

 

 

生き物というのは人間だけではなくいろんな生き物で、

2つの目と1つの口を持っている生き物が

けっこういますよね

 

 

目と口だけではなくて

いろんな生き物において、

2つがセットになっている器官と、1つだけしかない器官の

その双方が、生き物の体の中には

あるような気がするんですよ

 

 

目というのは

外敵が迫っていないかなどを判断する器官であり

理に関係します

 

 

口というのは

自分の食べ物を食べる器官であり

生に関係します

 

 

つまり、生き物においては

2のあらわす理の原理も

1のあらわす生の原理も

両方とも並立しているということになり、

それで、1+2=3という式の

左辺は

生の原理と理の原理が並立している状態をあらわし、

右辺は、そのような存在というのは生命体であるということを

示していると考えたんですね

 

 

ちなみに自分は以前、

以下のような記事をエントリーしています

 

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

 

この記事のなかでは、

人間のからだにおける各器官と数字を結び付けて

考えたりしているのですが、

3という数字と結びつけたのが、女性器なんですよ

 

 

女性器というのは

命が誕生してくる場所であり、そして

3という数字は

今回のこの記事で述べてきましたように

生命体、命、生き物をあらわす数字です

 

 

人体魔方陣という観点から見ましても

3という数字と命には

関連があるということのようなんですね

 

 

つぎに、3+1=4については、

3が生き物をあらわし、

1は他者を犠牲にしてでも自分は生きるという原理を

あらわすので、

3+1というのは

自己中心的にふるまうある種の獣性をもった存在という

ことになり、

右辺の4は獣をあらわす、と考えました

 

 

実際に、人間以外の地上の獣は

四足歩行をするものも多く、また

四という漢字をすこし変形すると匹という漢字がうまれ、

これはある種の獣をかぞえる単位になります

 

 

2+2=4については、

2というのが理の原理、つまり論理をしめし、

もう1つの2もやはり論理を示すことになるので、

2+2というのは論理や理が並立している

状態をあらわすことになります

 

 

つまり、

「あんたは賢しらぶって、あたかも〇〇が正しいことである

 かのように言ってるけど、それはべつに

 正しいこととは言えないんじゃないの?」というように、

理にたいして、その理そのものを攻撃するために

べつの理を樹立するという、

獣側からの攻撃の一形態をなすものではないか、と

自分は考えました

 

 

ちなみに、この4というのは

獣性をもった生き物なんだ、とお話ししましたが、

人体魔方陣で4は

男性器と関連する数字になっています

 

 

つぎに3+2=5ですが、

3が生き物をしめし、

2というのは理の原理をしめしますので、

3+2というのは

理の原理を備えた生き物ということになり、

そのような存在は人間になると思いますので

右辺の5は人間をしめす数字になると考えます

 

 

人間は手の指も足の指もともに

5本ある生き物です

(もっとも、このこと自体は人間だけに見られる特徴

というわけでもありません😅)

 

 

また、九星気学においても

5という数字を冠した五黄土星というのは

人間そのものをあらわす

と考えられています

 

 

4+1=5という式について考えてみますと、

4というのは獣をあらわし、

1というのは他者を犠牲にしてでも自分は生きる、

というある種の自己中心性、獣性をしめす

数字だと考えられます

 

 

ということは、4+1だと

獣性が二重に存在するのか。。?とも

思われますよね

 

 

でもここで、1という数字について

べつの方面から考えてみますと、

他者を犠牲にしてでも自分は生きる、というのを

実現しようと思えば、

他者を凌駕し、他者の意思を制圧してでも

自分の意思を貫徹できるだけの

他者にたいする力、強権、支配権のようなものが

必要だし、それを持っているのではないか

というふうにも考えることができるかもしれません

 

 

そのように見てきますと、

4+1というのは

獣というのはたくさんいろんな種のものが存在するんだけど、

この4+1というのは

そんな獣のなかでも、他の獣にたいする優位性、

支配権をもった獣なんじゃないだろうか、

と考えてくることができそうですね

 

 

そして、そのような

獣のなかでも頭1つ抜けた存在というのが

とりもなおさず人間なのではないだろうか、というのが

4+1=5

なんだろうと思うんです

 

 

実際、聖書の創世記なんかにも

人間というのに、他の生き物を治めさせよう

という記述が登場したりしますね

 

 

つぎは、

3+2+1=6

について、見ていきましょう

 

 

これについては、すこし

旧約聖書の創世記にしめされている考え方を

参考にしてみました

 

 

3は生き物を、

2は理の原理を、

1は生の原理を、それぞれ示します

 

 

自分はこのうちの、

2のしめす理の原理というのは

聖書における知恵の樹と関連があり、

1のしめす生の原理というのは

聖書における生命の樹と関連があるのではないか、

と思ったんですよ

 

 

聖書において人間は、蛇にそそのかされて

知恵の実を食べ、知恵をもつことになります

 

 

つまり、

3(生き物)+2(理の原理、知恵の実)=5(人間)、で

ここまでで人間は成立しているんですね

 

 

ところがここで

神様は興味深いことを言います

 

 

聖書の記述なんですが、

「いまや人間には知恵の目が開かれた。さらに人間が

 生命の樹からも取って食べ、神のようになるのを

 防がなければいけない」と、

このように神様はおっしゃるんですよ😮

 

 

つまり

3(生き物)+2(理の原理、知恵の実)だと5(人間)なんですが、

それに追加して

3(生き物)+2(知恵の実)+1(生の原理、生命の実)=6になると、

それはつまりは神だ、と

神様はそのようにおっしゃっているんです

 

 

この聖書の記述をもとにして考えてみますと、

3+2+1=6の左辺は

理の原理と生の原理をともに兼ね備えた生き物

ということになり、右辺の6は

そのような存在というのは、つまりは神である、

ということを示しているのだと考えました

 

 

4+2=6という式につきましては

4が獣をあらわし、2が理性をあらわしますから

4+2というのは

獣でありながら理性をもった存在、ということになります

 

 

古代中国神話においては

伏羲と女媧という神様は

上半身は人間ですが、下半身は蛇で描かれます

 

 

また、古代エジプト神話でも

人間と犬とが合体したようなのが登場しますね

 

 

つまり、4+2というのは

ある種の半獣半人をしめしていて、その結果である

6というのは、

そのような存在もまた神なのである

ということを示しているんだと考えます

 

 

この6という数字は

人体魔方陣では頭脳、そして方位では

北西と関連があり、

日本の九星気学で北西は

神社仏閣と関連があるとされる方位ですから、

やはりここでも神様との関連がでてきます

 

 

3+3=6については

すこし神様とは離れた見方をしていくことになります

 

 

3は生き物をあらわしますから、

3+3というのは

生き物と生き物が合わさった状態、ということになります

 

 

解釈がむずかしいですね

 

 

以下のように考えてみてはどうでしょうか

 

 

唐突ですが

人間というのは、人間とセックスはしますが、

人間を食べません

 

 

他方で人間というのは、

人間以外の生き物とセックスはしませんが、

人間以外の生き物を食べます

 

 

人間にも、あるいはそれ以外の生き物にも

食欲と性欲というのがあるかもしれないのですが、

食欲というのは

自分と、自分とは異なる種の生き物のあいだに生じ、

性欲というのは

自分と、自分と同じ種の生き物のあいだに生じることが

わかるかと思うんですね

 

 

3、4、5という数字を振り返ってみますと、

3は生き物

4は獣

5は人間

を、それぞれあらわしています

 

 

おなじ種の生き物どうしの組み合わせを

この数字をもとにしてつくろうと思ったら、

4+4、あるいは5+5をつくればいい

 

 

4+4というのは獣どうし、

5+5というのは人間どうし、

の組み合わせになりますから

 

 

おなじ種の生き物どうしのあいだに成立するのが

性欲ですから、性欲は

4+4、あるいは5+5であらわせばいいとも

考えられますね

 

 

でも、これだと迂遠です

 

 

獣どうしのあいだでも、人間どうしのあいだでも

それぞれ性欲は成立するのに、

性欲のことについて言及する場合に

4+4と5+5の2通りのあらわし方に

言及する必要が生じてしまうんですよ

 

 

なので、獣であろうと、人間であろうと、

とにかく同じ生き物どうしなんだ、

同じ生き物どうしの組み合わせなんだ、ということを

簡単に示したければ、まとめて

3+3

にしてしまえばいいんです✌️

 

 

ここでの3は生き物全般ですが、

3+3においては

おなじ3が使用されているので、

3(同じ生き物)+3(同じ生き物)=6

ということになり、

同種の生き物どうしの間で生じるのが性欲ですから、

6という数字は

性欲や性的な事象に関連した数字

ということになります

 

 

これに関連することを述べますと、

数字の6は英語ではsixですが、

ラテン語ではsexになり、これは

英語の性交との関連が生じてきます

 

 

また、性交の「交」という漢字の中をよく見てみますと、

そこに「六」という字が含まれているのが

わかるかと思うんですね

 

 

この「交」という漢字は、

上の鍋のフタみたいな部分と、下の「父」という部分の

2つに分ける、という解釈も成り立ちそうですが、

「六」という構成部分が存在するとしたほうが、

「譲」という漢字の右半分を解釈するときに

整合性がとれます

 

 

以上のように、6を3+3であると考えますと

同じ生き物どうしの間に生じる性欲との関連が

でてきますから、

6は性欲や性的な事象との関連がある数字

ということになりそうですね

 

 

では他方で、

異なる生き物どうしのあいだに生じる食欲はどうか、

と言いますと

異なる生き物どうしの組み合わせは

5+4のようなかたちで示すこともできそうなんです

 

 

ここでは5は人間、4は獣ということですから、

5+4は人間と獣という組み合わせになりますね

 

 

人間は家禽を食肉として食べますし、

獣も野山で人間と遭遇しますと

人間を襲って食べることもあるかもしれません

 

 

というわけで、5+4=9の

左辺は、

人間と獣といったような異なる種の生き物の組み合わせを示し、

右辺の9は、食欲とか食べることに関連する数字

ということになると考えました

 

 

ちなみに、人体魔方陣で9という数字は

内臓消化器官に関連づけられていて、

たしかに食べることとの関連があらわれています✌️

 

 

また、食べることというのは

相手を消滅させることを通じて自分の

欲望や願いを実現する、という側面があり、

消滅させられるほうからすれば

自分を消されたという恨みも生じるでしょうから、

そういうわけで

仇という漢字に数字の9があらわれているのかな、

なんてことも考えたりしました

 

 

以上のように考えてきますと、

人間には食欲と性欲という2つのおおきな欲望がありますが、

食欲のほうは数字の9が関連し、

性欲のほうは数字の6が関連することが

わかるかと思います

 

 

ここで、1から9までのアラビア数字を

思い浮かべてみますと、そのうちの

6と9だけが、非常に対称的な形状をした

数字のかたちになっているかと思うんですね

 

 

ともに人間の欲望をあらわすこの2つの数字の形に

対称性が見られるのです

 

 

だけでなく、ここからさらに考えてみますと、

食欲というのは人間の口、つまり

首から上に関連しますが、

たしかにその食欲に関連する数字の9は

上の部分がまるくふくらんでいますね

 

 

他方で、性欲というのは

人間の生殖器、つまり下半身に関連しますが、

たしかにその性欲に関連する数字の6は

下の部分がまるくふくらんでいます😮

 

 

おもしろいですね

 

 

ではここから

7と8についても考えていきましょう

 

 

まずは7です

 

 

さきに、

数字の6というのは性欲に関連し、

数字の9というのは食欲に関連する、

というお話をしてきましたね

 

 

ということは、数字の並びのなかで

6と9のところにちょうど

人間の欲望の柱が2本

立っているような感じになります

 

 

では、この6と9という

人間の欲望を象徴する柱の位置から数えて、

7という数字はどのようにしたら

生成されるのか、と考えますと、

9から2を減じるか、あるいは

6に1を加えるか、という

そのいずれかの方法で7を生成できることに

気づきます

 

 

よろしいでしょうか

 

 

6と9のところには

人間の欲望があります

 

 

そこから2を減じる、つまり

他者を尊重する理の原理を削除してしまうか、あるいは

1を加える、つまり

自分勝手な生の原理を追加することによって

7が生まれる

ということなんですよ

 

 

ということは、どういうことかと言いますと

7という数字は

なんらかの自分の欲望を実現しようとするときに、

他者のことなどおもんぱからずに

ただ自分の好きなように好き勝手に

欲望をかなえてしまう、

そういう数字であることがわかります

 

 

このような欲望の実現のしかたというのは

欲望を満たすほうからすれば

ムフフというような感じで愉しいものですが、

欲望を向けられるほうからすれば

なんだかいじめられているようでもあり

たまったものではないでしょう

 

 

ですから、愉しみをあらわす

戯れの「戯」という漢字の中にも

虐待の「虐」という漢字の中にも

数字の「七」が入ることになったんだと思うんですね

 

 

4+3=7という式ですと

3というのは生き物ですから

相手が自分と同種の生き物なのか、それとも

異なる種の生き物なのかに応じて

それぞれ、性欲あるいは食欲を向けるわけですが、

向ける側のこちらの態度が4という、相手のことを考慮しない

獣になっていることがわかるかと思います

 

 

また、6+1=7ですと

6というのは神様ですから、

いろいろと人間に対して

これはしてはならない、なんて

禁止とか規制とかをしてくる、ある意味では

目の上のたんこぶみたいな存在でもあったのですが、

6+1というのは

そんな規制に対して、規制を凌駕して

規制にたいして支配権を及ぼし、それを超えていく、

道徳や規制を顧慮することなく

自己の願望を実現していく、

といったような意味合いも生じてくるのではないか、

なんて思ったりもします🤭

 

 

ではつぎに

数字の8について考えていきましょう

 

 

欲望をあらわす6と9の2つの柱の位置から

数えますと、8というのは

9から1を減じるか、あるいは

6に2を加えるかすれば

生成することができますね

 

 

つまり、7の生成のときとは非常に対照的なんですが、

欲望をあらわす数字をもとにして、

そこから

自分勝手さをしめす生の原理を除去するか、あるいは

他者を尊重することをしめす理の原理を増すかすれば、

8は成立する、ということになります

 

 

このことから、8という数字においては

欲望を実現するときに

他者性、というものが介在してくることが

読み取れるんですね

 

 

そのことを具体的に見ていきましょう

 

 

5+3=8という式においては

3という生き物が

自分とは異なる種の生き物であるか

それとも、自分と同じ種の生き物であるかに応じて

それにたいして

食欲を向けるか、性欲を向けるかが

異なってくるわけですが、

いずれの欲望を向けるにしても

自己の態度は5であり、

これは人間をあらわす数字ですが

理を兼ね備えた存在と見ることもできます

 

 

つまりこの場合は

自分の欲望を相手に向けるさいに

相手のことも考える理性をはたらかせるというかたちで

他者性が介在していることになりますね

 

 

他方、4+4=8という式では

自分勝手に自分の思い通りにしたいという

獣性を持った存在として

獣の自分がいるわけですが、

同じような志向をもつ他の獣が

並立して存在していることになります

 

 

つまり、猛り狂った2頭のライオン、あるいは

狼のような存在が

たがいに咆哮し合うようなものであって、

いずれも簡単には自己の欲望を実現することはできない

ということになってしまい、

自分の欲望を実現するうえで

それを邪魔してくる他の獣が存在するというかたちで

他者性が介在してくることになります

 

 

こうなってきますと

そこに顕在するのは

たがいに自分の欲望の実現だけを目指す者どうしの

争闘ということになり、分裂状態になりますから、

分裂の「分」の字のなかにも

数字の「八」が含まれているんだと

自分などは考えました

 

 

もっとも、これは悪い側面ばかりではなくて

7という数字は

あたかも一方的に強者が弱者をなぶるような

いじめのような形態でもあったわけですが、

そこから脱しよう、その状況にたいして

自己の影響力を回復しようと思うならば、

7+1=8というわけですから、

相手との闘争を辞さない姿勢を示せばよい

ということがわかります

 

 

たとえば、いじめられっ子がいじめっ子に対して

殴り返すといったようなことですね

 

 

さらに考察を進めましょう

 

 

8+1=9という式においては

お互いに血で血を洗うような争闘状態というのに

嫌気がさし、

そのような状況にたいして

支配権を確立しようとするならば、

相手を滅ぼし去ってしまえばいい、

ということになります

 

 

それが9であり、これは

相手を消滅させることで自己の欲望を満たすという

食欲に流れるメカニズムと

おなじメカニズムが底流に存在していることがわかりますね

 

 

つぎに、5+5=10について考えてみますと

この5というのは人間をあらわす数字ですが

5=3+2というわけですから

理性を兼ね備え、理の原理を尊重する姿勢をもつ存在

と見ることもできます

 

 

そうなりますと、

5+5というのは

互いに相手を尊重する姿勢をもった人間どうしが築きうる関係、

ということになり、

そのような関係として協力関係というのが

生じてくるわけですが、

なるほど、たしかに協力の「協」という漢字のなかには

「十」という字が存在していることに気づきます

 

 

この協という字のほかに、十が入っている漢字としましては

博愛の「博」という漢字もあり、

これは「広い」という意味を持ちますので

十という漢字が入っている「協」も「博」も

個人的なことを超えて

より広く、大きな目的へと向かって

手をたずさえて進んでいく、といったような

そんな感じもしてきますね😌

 

 

4+4+2=10という式を見てみますと、

4+4という争闘状態がたとえあったとしても、

両者が理(=2)を尊重する姿勢を持つならば

それは協力関係に転じうる可能性があるのだ

ということが示されます

 

 

また、9+1=10ですから、

気に入らない相手は消滅させてしまえばいいんだ、という

排除の原理を凌駕する原理というのが

協力という原理であることもわかりますね

 

 

では、検討する数字としましては最後の数字、

11について検討してみましょう

 

 

5+6=11であり、

5は人間、6は神様をあらわしています

 

 

ということは、5+6というのは

人間でありながら神様でもあるという存在

ということになり、

そのような存在というのは

「王」ではないか、と自分は思ったのですね

 

 

王様というのは

権力とか財力とかを持っていて

やたら威張っているだけの存在なんだ、と

思われるかもしれませんが、

古代中国などにおいては

王様に徳があれば作物なんかもよく実り、

王様から徳が失われれば天変地異なども起こる

といったように、

ただの人間ではなくて

自然現象にたいしても影響力をもつ

神のような性質も併せ持つという、

天人合一説という考え方がありました

 

 

ですから、5+6=11の11という数字は

王様をあらわすのではないか、と

自分は思うのですが、たしかに

王様の「王」という漢字を分解してみますと

「一十一」となって11が隠れていますし、

王様は英語ではkingですが、

kingの頭文字であるアルファベットのKは

11番目のアルファベットになります✌️

 

 

5+5+1=11という式について見てみますと、

5+5において人間どうしの協力関係が成立しているのですが、

そこに1が加わることで

強権や支配権が及びます

 

 

これはつまりは、

指揮監督のもとに人間どうしを協力させて

たとえば治水のための土木工事などをおこなわせるなど、

世を治めていく統治権をあらわしており、

それはつまりは王権のことなんだろうと

自分は思いました

 

 

以上で、数とその足し合わせについての

分析を終えます

 

 

最後に補論としまして、

太陽系の惑星との符合について

若干の補足をしますね

 

 

太陽系の惑星にかんしては

これまで国際天文学連合の決定によって

それまで惑星であったものが惑星でなくなったりしましたが、

西洋占星術においては

従来通りの星を占星術で使用するものとしており、

それぞれの惑星には固有の

占星術上の意味があります

 

 

占星術で使用する太陽系の惑星は9つで、

太陽に近い順から順に数字をふっていきますと、

1=水星

2=金星

3=地球

4=火星

5=木星

6=土星

7=天王星

8=海王星

9=冥王星

となります

 

 

この、それぞれの惑星がもっている西洋占星術上の意味と、

わたしが今回、この記事で

それぞれの数字に関連付けていった意味とのあいだには

興味深い符合があるんですよ😮

 

 

1=水星

水星は占星術では知性やコミュニケーション、商業などを

あらわしますが、

1と生の原理を関連付けたわたしの考察では

うまく符合しませんでした😅

 

 

2=金星

金星は占星術では愛情や金銭、美をあらわしますので、

相手のことを尊重するという

2=理の原理、との関連がすこしでてきます

 

 

3=地球

地球は太陽系の惑星のなかでは唯一、生命が存在しますので、

3=命、生き物、生命体と関連付けた

わたしの考察とすこし符合します

 

 

4=火星

火星は占星術では男性性や攻撃性、争い、戦争と関連しますので、

4=3+1で獣性をもった存在、という

わたしの考察とすこし符合します

 

 

5=木星

木星は占星術では幸運や発展と関連しますので、

5=3+2で人間、相手のことを尊重する存在と

関連づけたわたしの考察と

もしかしたら少し関連するかもしれません

 

 

6=土星

土星は占星術では道徳や規律、制限、不運と関連しますので、

6=神様と関連付けたわたしの考察は

神様という存在が人間にたいして

道徳による規律をもたらす存在であることも考えるなら

すこし関連するかもしれません

 

 

7=天王星

天王星は占星術では科学技術や突発的な変化、革新、

テクノロジーに関連する星であり、

西洋の近代市民革命が発生した時期に至って

ようやく発見された惑星です

 

 

7というのは欲望を自分勝手に満たすこととの

関連がある、とわたしは分析において指摘しましたが、

7=5+2であることを考えると、

もともと理性をもっていた人間の知性がさらに

おおきく開花した状態、と言えるかもしれません

 

 

まさにその状態というのが

中世の迷妄から脱却して近代合理主義精神、近代科学を

手にした人類ということになり、

その科学技術という武器によって人間は

いろんな欲望や快楽を実現することになっていきました

 

 

そのように考えてきますと

7という数字にわたしが関連づけた象意との

関連が、すこしはあると言えるかもしれません🫣

 

 

8=海王星

海王星は占星術においては

夢や理想、不透明な状態、隠れたもの、

といった意味合いを持ちます

 

 

8=4+4ということで

決着のつかない争闘状態とわたしは関連づけましたが、

明確にならない、混沌としている、というところで

もしかしたら少しは関連があるかもしれません😅

 

 

9=冥王星

冥王星は死と再生、究極の状態、根本的な変容

をあらわす星です

 

 

わたしは9=5+4ということで

食欲、あるいは

相手を消滅させることで自分の欲望や願いを実現する

という原理と関連づけて考察してきました

 

 

食べるということは

相手を消滅させる行為であると同時に、

その消滅した相手は

自己のなかでべつのかたちで新たな生を得る、

ということにもなりますから、

死と再生に関連しているということにもなり、

その意味で冥王星の象意との関連がでてくる

ようにも思います

 

 

長かったお話も、これで終わりです

 

 

お付き合いいただき、

ありがとうございました

 

 

この記事につけた画像を変更しようと思って

いったん下書きに戻したあとに

指定時刻で予約投稿とかいうのをしてみたら、

つけていただいたスターとか

ブックマークが消えてしまいました😭

申し訳ありません

嫌い?苦手?

むかし、わたしのうちには

反対語辞典というのがありました

 

 

ひまだった子供のころのわたしはときどき、

反対語辞典をめくっては

いろんな反対語の世界にふれたものです

 

 

ある言葉と、それにたいする反対語というのは

対になっていますよね

 

 

好き、にたいする反対語が、嫌い、です

 

 

得意、にたいする反対語が、苦手、なんですね

 

 

これが原則だと思うんですが、

この社会ではときに

この原則をくずして、対をくずして

対になっていないものを

対であるかのようにくっつけることが

あるかとも思うんですよ

 

 

 

 

たとえば、

好き、の反対語として、苦手

を持ってくるような例です

 

 

人ごみが好きだ、というのの反対として

人ごみが苦手だ、というのを

持ってくるような例は

みなさんもときどき、目にされることが

あるんじゃないでしょうか

 

 

これはとても小さなことのようにも

思えるんですが、

その背景にかくれている考え方というのを

注意深く観察してみると、

興味深いことがあるようにも思うんですね

 

 

分析してみましょう

 

 

好き、という感情は

自分にとってなんらかの好ましいこと、

プラスが存在するために

そちらの方向へと向かっていこうとする気持ちです

 

 

他方で、嫌い、という感情は

自分にとってなんらかの不快なこと、

マイナスが存在するために

それを避けよう、排除しようとする気持ちなんですね

 

 

また、苦手というのは

自分の能力不足かなにかの原因のために

本来はできたほうがいい、できたほうが望ましいにも

かかわらず、

特定のなんらかのことが自分にはできない、

という状況を指して使われる言葉です

 

 

ということは、ですよ

 

 

好き、の反対語として、嫌い、ではなく

苦手という言葉を使おうとする、その背景には、

なんらかの対象を嫌い、

マイナスのものを排除しようという感情は

望ましいものではなく、否定的に評価されるべきであり、

本当はみなが好きという感情はもっていい、

プラスを追い求めるということはしていいけれど

嫌いという感情、マイナスを排除したいという感情は

持ってはいけないものなんだ、というような

そんな思想のようなものが背景にありそうな気もしたんですが、

いかがでしょうか。。。🧐

 

 

自分は、人間には2つの願いがあると思っています

 

 

好きなもの、プラスのものを手に入れたいという願いと、

嫌いなもの、マイナスのものを排除したいという願いなんですね

 

 

この2つの願いは、

どちらも人間にとっては大切な願いです

 

 

どんなに泥沼のように争っていても絶対に離婚してはいけない、とか

どんなに酷暑でも絶対に冷房をつけてはいけない、とか

どんなに病苦を味わっていても治療を受けてはいけない、とか

もし、そんなことを言う人がいたら

非常に冷酷な人間だとは、思いませんか?

 

 

ですから

人間にとっては、

好きなものを追求したいという願いだけではなくて

嫌いなものを排除したいという願いも

根源的で大切な願いであり、

否定しないほうがいいように、わたしは思うんです

耳と鼻、目と口。。。

耳鼻咽喉科、なんていう診療科があるくらいですから、

耳と鼻というのは

なんらかの関連があるのかもしれませんね

 

 

目と口には

とくに関連があるようにも思えませんが😅

 

 

今回は、耳と鼻、目と口にかんして

共通点などを考えて

そこから考察をすすめていくことにしましょう

 

 

 

 

わたしは思ったんですが、

耳と鼻には

穴が開いている、という共通点がまずありますよね

 

 

でも、それだと

口も穴が開いているぞ?

ってことになります

 

 

耳と鼻に共通すること。。。

 

 

それは、

耳と鼻に開いている穴は

自分の自由意思では開閉することができない

ってことなんですよ🫵

 

 

耳と鼻に開いている穴を

思い浮かべてみてください

 

 

穴が開いているっきりで

自由に閉じたりはできませんよね

 

 

ここが、

耳と鼻、というグループが

目と口、というグループと

大きく異なるところなんですよ

 

 

耳と鼻に開いている穴は

人間の自由意思で開閉できる

フタのようなものがついていません

 

 

他方、目と口のほうはそれぞれ

人間の自由意思によって

自由に開閉することができますね😌

 

 

ここからさらに

考察をすすめていきましょう

 

 

じつは、この

人間の自由意志では開閉できない

耳と鼻のほうは、

人間にとって嫌なものをよく感知するわりに、

快楽にあんまりつながらない

という性質を持っているんですね

 

 

たとえば、隣人トラブルというのがあります

 

 

隣家からうるさい騒音が聞こえてくるとか、

隣家からたばこのニオイがやってきて嫌だとか

ありますよね

 

 

騒音というのは耳に関することで、

ニオイというのは鼻に関することです

 

 

これらは不快なくせに

けっこう、それを遮断するのが

難しかったりします😢

 

 

そういった不快なものがやってくる経路が

耳と鼻なんですよ

 

 

ところが、

目と口はちょっと違います

 

 

想像してみてください

 

 

目の前に不快なものがつぎつぎと現れて不快だ、とか

まずいものをつぎつぎと味わわせられて不快だ、とか

いったことは、

通常、あまりないことでしょう?

 

 

と言いますのも、

自分の視界に変なものが登場するなら

視線をそらすか、場所を移動すれば

それはすぐに排除できますよね

 

 

まずいものを誰かが強制的に口をこじあけて

ほうりこんでくる、といったようなホラーは

通常はまずなく、

まずいと思うなら

自分の意思でそれを食べるのをやめればいいだけです

 

 

その意味で、

目や口といった経路は、じつは

開閉を自由意思で制御できるというだけではなくて、

それになにを知覚させるのか、という選択についても

人間の自由意思を及ぼしやすいんですね

 

 

さらに

 

 

ここまでは、嫌なこと

についての考察を進めてきましたが

 

 

じつはそれとは反対の、

快いもの、気持ちいい快楽、にかんしても

耳と鼻、目と口の2つのグループには

おおきな差があります

 

 

端的に言って、

耳と鼻というグループが知覚するものは

おおきな快楽にはならないことが多いんですよね

 

 

それに対して

目と口というグループが知覚するものは

おおきな快楽につながることが多いように思うんです

 

 

人間には二大欲求として

食欲や性欲があるでしょう

 

 

口で美味しい食べ物、飲み物を味わえば

おおきな快楽になりますよね

 

 

でも、においが大好きだ、香りが大好きだ、ということで

よい芳香を追い求めて

香りをかげばすごく満足感を得られる人って、

美食家ほどには数は多くはないのではないでしょうか🤔

 

 

つまり、

美味しい食べ物、飲み物というのは

すごく快楽をもたらしてくれるんですが、

よい香りというのがもたらす快楽というのは

そこまでではない、ということになります

 

 

性欲についても

考えてみましょう

 

 

男性というのは一般的に

女性よりも強い性欲を持っていることが多いですが、

エッチな写真とかエッチな漫画、

エッチな動画を「見る」と

かなりの満足がそれだけであります

 

 

性欲というのは

おもに視覚から入ってくるんですね

 

 

それに対して、

たとえエッチな行為の最中の女性のあえぎ声とかを

収録したCDなんかを販売しても、たぶん

ほとんど売れないんじゃないかな、と思います

 

 

音声のみからは

ほとんど快楽は得られないからなんですね😅

 

 

以上、述べてきたことがらを

整理してみますと。。。

 

 

耳や鼻というのは

その開閉に自由意思を及ぼせないだけではなく、

なにを知覚するのかという選択についても

自由意思を及ぼしにくく、

騒音とかニオイとか

遮断しにくい嫌なものを運んでくることが多い割には

快楽にはあまりつながらない

 

 

他方で、目や口というのは

その開閉を人間の自由意思でおこなうことができるだけではなく、

なにを知覚するのか、その対象の選択にも

人間の自由意思を働かせやすく、

不快なものを知覚しそうになったら

すぐにそれを排除できるいっぽうで、

おおきな快楽とつながっていることが多い

 

 

そんなふうに言えるんではないかと

自分は思いました