この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

パン屋さんと売り買い

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、パン屋さんと売り買い、

というテーマで少し書いてみますね

字数は1900字くらいです

 

 

さて、わたしたちは日常

いろんなところで売買というものをしますが、

ここで、パン屋さんでのやりとりを例にして

考えてみましょう

 

 

パン屋さんでは、

パンを買いたい人がお金を払ってパンを受け取ります

 

 

反対に、パン屋さんは

お金を受け取ってパンを渡します

 

 

まあ、普通のことですよね

 

 

なんでこういうやり取りが成立するのかというと、じつは

パンを買いたい人とパンを売りたい人とでは

なにに価値を感じているのかが

微妙に違っているからなんですよ🤔

 

 

パンを売りたい人というのは

手元のパンよりも、得られるお金のほうに

価値を感じています

 

 

ですから、パンが売れてお金のほうが手に入ると

満足が大きくなるんですね

 

 

反対に、パンを買いたい人というのは

手元のお金よりも、パンが手に入るほうに

より大きな価値を感じています

 

 

ですので、お金を支払ったとしても

パンが手に入ることで

満足はより大きくなるんですね

 

 

この売買というやり取りをつうじて

パンを買いたい人も、パンを売りたい人も

それぞれが

自分の個人的な満足を増大させています

 

 

ここが、自由な経済取引というものの

いいところなんですね✌️

 

 

売買することで、

それぞれがハッピーになっているわけです

 

 

当然のことですが、売買というのは

自分がなにかを手に入れようと思ったら、

反対に、自分もまた相手に

なにかを差し出さないといけません

 

 

パンは渡さないけれどお金だけは要求する、とか

お金は渡さないけれどパンだけは要求する、とか

いったことは、

普通は認められないのですね

 

 

あたりまえのことです

 

 

売買というのは、

いっぽうだけを一方的に幸福にする、

といったようなものではないからですね

 

 

お互いが、それぞれ幸福になることを目指す

 

 

それが、売買

そしていろんな経済取引、ひいては

人間と人間のやり取りの目指すところなんです

 

 

ここで、こんな仮定を考えてみましょう

 

 

この売買をしたときに、突然パン屋さんのほうが

「わたしのパンが相手に奪われた。

 わたしのパンが搾取された」

と言い出したとします

 

 

 

 

この場合、どのように考えたらいいでしょうか🧐

 

 

もし、本当にこのパンが

泥棒かなにかによって奪われたのなら大問題で、

その場合はパン屋さんの言うことに一理ありますよね

 

 

それは当然のことです

 

 

でも、パンの買い手がきちんとお金を払って

パンを入手していて、

その価格も適正なものであり、

パン屋さんもその代金を受け取っているのに

なぜか、パン屋さんの目には

自分のパンの動きだけしか視界に入っておらず、

自分のパンが持っていかれた、これは搾取だ、

と言っているとしたら、どうでしょうか

 

 

この場合はすこし、

パン屋さんの言っていることはおかしいんじゃないの?

という疑問がわいてくるかもしれませんね

 

 

たしかに、パンの動きだけに注目するならば

パンは売り手から買い手へとたしかに

移転していますから、

パンが持っていかれた、というのは

正しいのです

 

 

でも、売買というのは普通、

売り手から買い手への商品の移動、とともに

買い手から売り手へのお金の移動、というのも

ともなっていますよね

 

 

つまり、

いっぽうから他方への矢印があるとすると、

それとは反対方向への矢印も

同時に伸びている、

ということになります

 

 

かりに、

パンが売り手から買い手へと移動したことが

パンが搾取されたことになるのであれば、

お金が買い手から売り手へと移動したことは

お金の搾取になるのではありませんか?🙄

 

 

なぜ、そのようなおかしな認識が生まれるのかといえば、

そもそも、

パンの動きだけ、という

1つのものしか視界に入れていなかったからなんですよ

 

 

売買というのは、

商品の動きと、お金の動きが

同時に並立して発生します

 

 

それが本当に搾取などの不当なものであるか、ないかは、

その2つの動きを同時に視界に入れる

ということで判断するものなんですね

 

 

パンの売買でいうならば、

パンの動きという1つだけを視界に入れると

たしかにパンだけが移動しているように見えて

搾取に思えてしまう

(あるいは、搾取と思ってしまう変な人間がいる😆)

かもしれませんが、

パンの動き、お金の動きという

2つを同時に視界に入れるならば、

それらは互いに関連しあう一連の

反対方向への動きとしてつり合いがとれているために、

搾取などには該当しないということが

容易にわかるのです

 

 

今回は、パン屋さんでの売買のお話を例にとりましたが、

理に合わない主張をする人間の

その非論理性を指摘するときには、

相手の主張していることに

並行して、なにかほかの異なる事象が生じてはいないか、

点検してみるのも、1つの手だと思います✌️

 

 

今回は、そんな感じのお話でした

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ

論理と非論理、2本の線。。。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、論理と非論理、2本の線。。。

というテーマで少し書いてみたいと思います

字数は2300字くらいになります

 

 

さて、最近アップした記事のなかで

旧約聖書の創世記にでてくる

カインとアベルのお話を少し書いたことがありましたね

 

 

どんなお話だったかと言いますと。。。

 

 

野を耕して作物をとっているお兄さんのカインと、

羊飼いをしている弟のアベルという

兄弟がいたんです

 

 

 

 

その2人が、あるときそろって

神様への贈り物をたずさえて

神様のもとへと行ったんですね

 

 

お兄さんのカインは野でとれた作物を、

弟のアベルは羊の初子を、

それぞれ神様への贈り物としてささげたんですよ

 

 

ところが、神様は

お兄さんのカインの贈り物は無視するいっぽうで

弟のアベルの贈り物だけは喜んだんです

 

 

なんでそんな不公平なことをするのか、

普通はさっぱりわかりませんよね

 

 

お兄さんのカインもわかりませんでした

 

 

そこでお兄さんのカインは怒ってしまい、

その怒りから弟のアベルを殺してしまうんですよ😱

 

 

そうなると、これは殺人ということになりますから

理由はどうあれ、

悪いのはお兄さんのカインということになってしまいます

 

 

おまえのせいで地は呪われたものとなった、とかなんとか

神様はお兄さんのカインに向かって言うわけなんですよ

 

 

もとはと言えば、

神様の不公平のせいだと

自分なんかは思うんですけどね😅

 

 

このお話、

神様の不公平な仕打ちというのは

理に合うものではありません

 

 

言ってみれば、スジが通っていなくて

非論理なんですね

 

 

ところが、この非論理というものに

直面すると人間というのは往々にして

怒りを抱くんですよね

 

 

そして怒った結果、

考えもなしに軽率な行為にでて

不利な立場に追いこまれることがあるんです

 

 

カインとアベルのお話でいうと

神様の理不尽な態度に怒った結果、

アベルを殺すという軽率な行為にでてしまい、結果

殺人をしたということで

カインが一方的に悪者になってしまいましたよね

 

 

怒り、の怒という漢字のなかには

奴隷の奴という漢字が入っています

 

 

怒るものは往々にして

結局は相手に支配されることに

なったりするんですね

 

 

ですから、古代中国の兵法なんかでも

怒りにもとづいて挙兵してはいけない、

なんていうふうに戒められていたりします

 

 

三国志なんかでも、曹操も、劉備も

怒りにもとづいて挙兵したために

大失敗したことがありましたよね

 

 

ここなんです

 

 

人間の心の中には感情があり、

その感情というのはもちろん、怒るということも

そのなかに含んでいるんですが、

この怒りというのを

非論理はうまく利用するんですね

 

 

人間のなかには感情があり、

怒りが発生すると、

軽率で失敗につながるような行動を発作的に

とってしまう

 

 

そういう経路といいますか、線のようなものが

人間のなかにはあります

 

 

その経路といいますか、線のようなものを

非論理はうまく利用し、

相手を支配しようとするんですね

 

 

では、そういった経路といいますか、

線のようなものを利用できるのは

非論理だけなのか、といいますと、じつは

それに対応するような

理のほうが利用できる経路というか、線のようなものも

存在するんですよ

 

 

たとえば、自然界に存在する科学的な法則のような

ものが、それですね

 

 

自然界に存在する物質とか物体とか生命体とかいったものは

好き勝手にふるまえるわけではなく、

一定の科学法則にしたがって動くことを

強制されています

 

 

科学法則を外れて挙動することは

できないんですね

 

 

そこで、そういった科学法則、

言ってみれば

物質とか物体、現象の背後に存在する

目には見えない細い経路、線のようなものを

科学者とかの人間は

注意深く、丹念に、時間をかけて

研究し、実験をかさね、観察することで

あぶり出し、

いったんそのような科学法則を発見したならば、

こんどはその法則をつかって

自然界のいろんな物質、物体、現象なんかを

人間のために利用、使役することが

できるわけなんですね✌️

 

 

つまり、

非論理にも論理にも、それぞれに

相手を支配するための

細い経路といいますか、線のようなものが

あるんですよ

 

 

非論理のばあいは、

相手のなかにある怒りとかの感情、そして

その感情と発作的な行動というつながり、経路を

利用します

 

 

相手に発作的に怒りによる軽率な行動を起こさせて

非論理の軍門に下らせるわけですね

 

 

論理のばあいは、

相手や対象の中にある、

相手や対象がどうしても従わないといけない

見えない科学法則なんかを発見し、

それを発見して利用することで

相手や対象を支配して

自分に都合よく挙動させるようにします

 

 

この、非論理と論理という2つがそれぞれ

細い経路というか線のようなものを利用するばあいにおいて、

まず、非論理が相手の怒りという感情経路を利用する場合は、通常、

相手が短兵急に直截的な行動に出ることによって

その目的を達します

 

 

もし相手が、辛抱強く怒りをおさえて

我に返って冷静に状況を分析しだしたりすると、

非論理が相手の怒りによって目的を達するというのは

失敗に帰する可能性が大きくなってしまいますね

 

 

つまり、非論理が相手の怒りを利用して目的を達する場合は、

時間軸が短期間であることを要するのです

 

 

いっぽうで、

論理が相手や対象の中にある隠れた目には見えない

科学法則なんかをあぶりだして利用する場合というのは、

通常は、そういった科学法則というのが簡単に

一朝一夕に発見できるというようなことは稀ですから、

じっくりと長期間をかけて

そういった法則性を見つけていくことになりますよね🧐

 

 

つまり、論理が相手や対象の中にある法則性を

利用しようという場合には、

時間軸というのは長期間になることになります

 

 

今回は、そんな感じのお話でした

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ

大から小へ。。。集まらなくなる世界

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、大から小へ。。。集まらなくなる世界、

というテーマで少し書いてみたいと思います

字数は3200字くらいです

 

 

さて、最近ヤフーニュースを見ていますと

つぎのような記事があったんですね

 

 

news.yahoo.co.jp

 

 

なんでも、みずほ銀行は

事務仕事に本格的にAIを導入するとかで、

事務仕事が大幅に効率化されるために

人間がそんなにいらなくなり、

今後10年間で5000人の事務員を削減する

方針なんだとか。。。

 

 

なかなかに衝撃的なニュースという感じもしますが、

まあ、そうなってくるよな。。

という感じもしますね

 

 

みなさんはどういう感想を持たれるでしょうか

 

 

AIの進化ってそこまで進んでるのか、とか

事務が効率化されるのはいいことだよね、とか

でも人間がいらないとなったら

失業率も増えていくことになるんじゃないの、とか

いろんな感想を持たれるかと思います

 

 

今回は銀行でのAI導入による人員削減というお話でしたが、

似たようなお話はこれから先、

いろんな業種で加速度的に進行してくるような、

そんな気もするんですよね🧐

 

 

これは、人間がこれまでやっていた仕事を

AIが代替してやってくれるということなので、

そのぶん、人間はいらない

ということになっていきます

 

 

それは一面では人間にとって

働ける分野、仕事がなくなっていくということなので

実際にこのAIの進化を問題視する向きも

非常に強くあるのですが、

べつの方面からみると

事業を運営していくのに、会社を経営していくのに

これまでのように

たくさんの人間が集合してやっていく、という必要性が

これからは低下していく可能性もある

ということなんですよ😉

 

 

思えば、資本主義というのが成立してから

もう何百年になるでしょうか

 

 

19世紀、20世紀と資本主義は発展していき、

そのなかでより多くの利潤をかきあつめるために

企業は株式を公開し、大量の資金をあつめて、

また多数の人間を集合させ、

そんな多数の人間がはたらく場所が必要ですから

都心の一等地におおきな本社ビルを建てて、

なんてことをやってきて、

そんな大規模なスケールのある大企業というのが

これまでの資本主義社会では花形だったのですね

 

 

 

 

でも、AIというのが進化して

業務のいろんなところで人間のかわりをするようになると、

そもそも人間をそんなに集めなくても

事業を遂行できるようになるかもしれません

 

 

そして、AIのほうがこれまでの業務遂行ソフトなんかよりも

安上がりだ、

いろんな業務分野で大幅にコスト削減できる、

というようなことになってくると、

そもそも資金すらも

そんなに集めなくても会社は経営していける

というようなことにもなってくるかもしれませんね😮

 

 

つまり、大量の資金と大量の人員をあつめて

大きなビルを建てて会社を運営していく、という

これまでの風景がもしかしたら、

激変していく可能性があるかもしれない

ということなんです

 

 

資金も少なくてすみ、人間の数も少人数で事足り、

特段、都心にビルなんか建てなくても

それで利益は非常に大きくなる、というような

そんなビジネスが実際

雨後の筍のようにニョキニョキと

あらわれてくる可能性があると思うんですよ🤭

 

 

そうなってくると

たとえば不動産を取り巻く状況なんかも

変わってくるかもしれませんね

 

 

都心でのおおきなオフィス需要というのが

もしかしたら減退していくかもしれない

 

 

でも、それは不動産は売れなくなる、

というようなことではなくて

べつの方面では不動産需要が増大していきます

 

 

たとえば、みんな実店舗ではなくて

通販やオンラインショッピングで購入するようになるので、

物流拠点のための不動産がいりますね

 

 

そして、インターネットはますます拡大し

AIとかの使用も増えてくるので、

データセンターのための不動産もいります

 

 

それは、あっちでは不動産の需要は減るけど

こっちでは不動産の需要が増える、ということなんですが、

風景が変わってくるんですよ

 

 

「これコピー、お願い」みたいなセリフが交わされる

テレビドラマにでてくるような

女性も多く働いている大規模オフィスというのは今後、

縮小していくかもしれません

 

 

そのいっぽうで、無機質な商品の束とかサーバーとかが

ずらりと並んだ倉庫みたいなところで

作業服を着た人が多く働いているようなところ、

というのは拡大していくかもしれないんですね

 

 

それが、

オフィスは減るけど物流拠点やデータセンターは増える、

ということによる、風景の変化になります

 

 

海外に目を移してみますと、ハリウッドなんかでも

AIの使用拡大をめぐって

労使間で対立が起きたりしていますね

 

 

たとえば、モブを表現するのにも

実際のエキストラを何百人も用意しなくても、

AIがそれらしい映像を生成できるようになります

 

 

そうすると、俳優たちの仕事が減ってしまいますから、

俳優にとっては死活問題ですよね((((;゚Д゚))))

 

 

壮大なスケールでドキドキするような特殊映像をつくるのも、

これまでだったらVFX専従のスタッフが

何百人も集まって

たくさんの費用をかけて作っていました

 

 

でも、AIだったらもっと少人数で

ほとんど費用もかけないで制作できますよね

 

 

つまり、日本でも世界でも

企業を取り巻く状況において

AIの拡大によってもたらされている変化というのは、

資金の量でも、人間の数でも、どんどんと

大きな規模は必要ではなくなり

小さなほうへ、小さなほうへと移行していく動きだと、

自分はそのようににらんでいるんです🧐

 

 

資金をたくさん集めて、人間もたくさん集めて、

巨大な組織をつくり、

そういった巨大な組織が制作したものをまた

大衆がこぞって同じ方向を向いて称賛する、

といったような光景はだんだんと変化していき、

小規模なものが世界のあちこちに

分散的に複数発生するようになっていく

 

 

そんな変化の方向性がもしかしたらあるのではないか🫵

なんて、思っているんですよ

 

 

かつて、古代中国の思想家であった老子は、

多くの人間が暮らしていて大きな力を持っている

大国というものに対して否定的な見方をし、

小さな国で人民の数も少ない

「小国寡民(しょうこくかみん)」というものを

理想的なありかただとして称賛しましたが、

その小国寡民のような現象が

世界において発生してくるかもしれないんですね

 

 

世界全体での資金の総量、世界全体での人間の総人口

というのは変化しなくても、

それらの資金があつまって結合して

おおきな資金になったり、

あちこちにいた人間があつまって結合して

多人数になったり、

そういったおおきな資金と多人数が結合して

巨大組織になったり、といったことが

もちろんこれからもある程度は続いていくかもしれませんが、

それが減退してくるようなシフトも

同時に起こってくる

 

 

つまり、大から小への移行というのは

見方を変えれば、

結合が弱くなって分散化していく

ということでもあるんだと思います

 

 

どんどん、どんどんと人間の集まりも小さくなっていった

その先の極致には

個人、という存在がありますね

 

 

実際、YouTubeなんかでは

ハリウッドでは数百人のVFX専従班がつくっていたような

ドキドキする映像を、

AIを使って個人が作り、動画をあげています

 

 

音楽をつくると言えばこれまでは

ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード

みたいな担当の人をそれぞれ募って

人間があつまってバンドを組んで作ったりしていましたが、

最近はsunoAIとかSynthesizer Vなんかを使って

たった1人でそれなりの音楽をつくれたりしますよね

 

 

ここでも、人間があつまる必要が

かならずしもない、ということになってきています

 

 

人間があつまらなくなることで

一抹の寂しさのようなものはありますが、いっぽうでは

人間をあつめることが難しかったような人でも

個人的な才能で勝負できる余地もでてきた、

ということでもあるような気がするんですね(∩´∀`)∩

 

 

今回は、そんな感じのお話でした

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ