この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

知識は宝の山。。。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、知識は宝の山、というテーマで

記事を書いてみたいと思います。

 

 

天機は、むかしは歴史が好きで、

よく歴史小説とかを読んだりしていました。

 

 

なかでも、高校時代に国語の先生に勧められて読み始め、

もうかれこれ、10回くらいは読んだかな、

と思うのが、

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」という本なんですね。

 

 

どんなお話かといいますと。。

 

 

いまからさかのぼること、2000年以上昔の、

紀元前の中国のお話。

 

 

秦という国がありました。

 

 

 

 

秦という国は、悪辣な政治をおこなったので、

秦の始皇帝の死後、

中国各地で反乱が起こり、

やがてそのなかから項羽と劉邦という2人の英雄があらわれ、

最初は秦を倒すのに協力していたんですが、

やがて2人は戦うことになり、

最終的に劉邦のほうが勝って

漢という国を打ち立てる、というお話なんです٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

で、今回の記事のテーマ、知識は宝の山、

にこの歴史がどう絡んでくるのか、

といいますと。。。

 

 

秦にたいして中国全土で反乱が起こっていたとき、

反乱の総大将みたいにして祭り上げられていたひとで

「懐王(かいおう)」というひとがいたんですね。

 

 

まあ、あやつり人形みたいな立ち位置のひとです。

 

 

秦という国の首都は、

関中(かんちゅう)という、周囲を要害にかこまれた

広大な盆地の中にありました。

 

 

その懐王というひとが、

「いちばん最初に関中に進入した者を

 関中王とするであろう」

という布告を出してしまうんですよ。

 

 

たぶん、いろんな武将を競わせて関中を攻めさせて、

はやく秦を倒そうと考えたのでしょうね。

 

 

項羽と劉邦のうち、

強大な軍を持っていたのは項羽のほうで、

劉邦は弱小な軍しか持っていませんでした。

 

 

懐王はなぜか、

その項羽の軍のほうに、難敵にあたるように命令をくだし、

劉邦の軍は別動隊のような立ち位置で

関中を目指すように命令を出すんですね。

 

 

でも、衆目の見るところ、

項羽は難敵とあたるとはいっても、

もともと強大な軍を持っているので、

関中に先に入るのは項羽のほうだろう、

なんて思っていたんですよね。

 

 

ところが蓋を開けてみると、

関中に先に進入することに成功したのは、

なんと、劉邦のほうだったんですよ。

 

 

で、ここからが、

知識は宝の山、という、今回の記事のテーマに

関わってくるお話なのですが。。。

 

 

先に関中に入ることに成功した劉邦軍。

 

 

秦の始皇帝とかがもともといた宮殿に

乱入するんですね。

 

 

劉邦は女好きだったので、

宮殿の女性たちがいる部屋へと向かいます。

 

 

劉邦配下の将軍たちは

財宝がたくさんある宝物庫とかへ向かって

財宝を取り合うんですね。

 

 

普通の人間からすれば、

まあ、そういうのが「お宝」に思えるだろうと

思います。

 

 

けれどここに、劉邦配下で

おもに民政を担当していた

蕭何(しょうか)という男がいたんですね。

 

 

彼はこの騒ぎの中で、

まっすぐに秦帝国の書庫のような

ところへ向かうんです。

 

 

そこには、秦帝国が全国を治めるにあたって

収集していた、

租税に関する資料とか、

各地の実情に関する資料とかが収められていました。

 

 

蕭何という男は、

財宝や美女に目がくらんでいる他の将軍たちとは違って、

この大量の書類や資料が

「宝の山」だ、と思ったんですね。

 

 

そこで彼は、その書類や資料を閲覧し、

その一切を差し押さえます。

 

 

のちに、難敵を倒した項羽が関中に乗り込んできて、

劉邦にその座を明け渡すように言ってきたとき、

劉邦軍は、財宝とか美女とかは

項羽に差し出したのですが、

蕭何の押さえた書類や資料はそのまま

劉邦軍が持ち去ったのですね。

 

 

そうすると、のちに項羽と劉邦が覇権をかけて

中国全土で戦うようになったとき、

蕭何の差し押さえたその書類とか資料とかは、

どこどこにはこういう地形がある、とか、

どこどこの人民はこんな要望を持っている、とかいった

情報がぎっしりつまった

兵要地誌の役割を果たすことになって、

項羽との戦いを有利にすすめるために戦略を立てるうえで

大きな力になってくれたのです。

 

 

財宝とかはきらびやかで、

見た目にもお宝とわかって、誰もが欲しがるものですよね。

 

 

それに対して、

情報の書かれた書類とか資料とかいうのは、

当時だったら竹簡でしょうか、

いかにもかび臭そうで、地味なものなんです。

 

 

でも実際には、

その情報がつまった竹簡のほうが

すごいお宝だったんですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

いかがでしょうか?

 

 

現代でも、面白そうな漫画とか映画、ドラマなどは

みんなお金を出してでも見たがりますが、

知識を教えてくれるなんらかの学問の本とかは

図書館でタダで読めたとしても

あまり人気がないものです(;´∀`)

 

 

でも、もしかしたら

そういうあんまり人が見向きもしないような

もののほうに、

じつは大きな価値が隠れているのかも

しれませんね!

 

 

今回はそんなお話でした。

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ

吉川三国志と、宮城谷三国志。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、三国志のお話でも書いてみましょう。

 

 

天機は若いころ、

三国志をぜんぜん知りませんでした。

 

 

同級生の男子とかは、

三国志とかをけっこう知っているのがいて、

話題になったりしていたのですが、

自分はぜんぜん知らなくて話題についていけず、

くやしい思いをしたりもしたものです(;´∀`)

 

 

それで、

大学3年のときに漫画喫茶の深夜パックというので

漫画喫茶にこもって、

横山光輝さんの三国志60巻をいっきょに読破した

ことがあったんですね。

 

 

ところが横山三国志というのは、

蒼天航路とかとは違って

基本的に登場人物はみな似たような顔をしていて、

ストーリーも単調なので

読破してもすぐに忘れてしまうんですよね( ノД`)

 

 

自分も横山三国志の内容がどんなだったか

いまでは全然おぼえていません。

 

 

それで最近になって、

もう1回三国志に取り組もうと思って、

最初に吉川英治さんの三国志を通読し、

そしてついに、宮城谷昌光さんの三国志も読破しました!

 

 

 

 

今回は、この2つの三国志について、

自分の印象を書いてみたいと思います。

 

 

※以下の記述に、

 この2つの本の内容についてのネタバレが含まれます。

 

 

まずは、吉川三国志について。

 

 

この三国志は、吉川文庫とかいうところで

8巻くらいあったと思います。

 

 

一巻あたりがけっこう分厚い本なので、

読み切るのはけっこうたいへんでした。。

 

 

この、吉川三国志のいいところは、

史実かどうかは怪しいけれど

ワクワクするような伝説のたぐいをほぼ

収録しているところなんですね。

 

 

たとえば、貂蝉(ちょうせん)が董卓呂布のあいだで

翻弄されるお話とか、

孫堅が死ぬ直前に不吉なことに旗竿が折れた話とか、

禰衡(ねいこう)が曹操を罵倒するお話とか、

孫策が于吉仙人によって呪殺されるお話とか、

曹操が大木を切り倒したために病に倒れるお話とか、

赤壁の前に孔明が祭壇をまつって風を起こしたお話とか、

孔明が自分の寿命を延ばすために祈祷していたところ

魏延に妨害されてしまうお話とか、

そういった、ほかの三国志本では

史実ではない、として切り捨てられてしまったような

ワクワクする伝説がたくさん収録されています。

 

 

そういった有名な伝説もふくめて

三国志らしい三国志の知識を知りたいかたは、

まずは吉川三国志から読んでみるのをオススメします!

 

 

これが、吉川三国志のいいところなのですが、

では反対に、吉川三国志のよくないところは

どんなところなのかと言いますと、

まず、執筆された時期が比較的古いこともあってか、

現代ではあまり聞いたことないような

時代がかった古めかしい文章表現がたくさんでてくるので

辞書を引かないで読むと

意味がとれない箇所がけっこうある、

というところなんですね。

 

 

自分は、いちいち辞書を引くのはめんどくさいので

そのまま読み飛ばしましたが、

そうするとやっぱり、わからない表現を

放置していくことになります。

 

 

あとは、吉川三国志は基本的に、

劉備の軍団を正義の師ととらえているようで、

正義対悪の関係として歴史を解釈するというか、

やや、勧善懲悪的なにおいのするところが

堅苦しいような感じもしました。。

 

 

以上が吉川三国志です。

 

 

ではつぎに、宮城谷三国志について見ていきましょう。

 

 

宮城谷三国志も、13巻か14巻くらい

あったような気がします。

 

 

読むのがけっこうたいへんな量です。

 

 

宮城谷三国志のいいところは、

たしか、三国志演義をもとにしていなくて、

正史三国志をもとにしているからか、

歴史的な事実に沿って書かれているところです。

 

 

また、多くの三国志本は、

劉備関羽張飛が出会ったあたりから

物語が始まっているのですが、

宮城谷三国志は、

末期症状を呈する後漢内部の情景から

お話が始まっていくんですね。

 

 

なので、梁冀(りょうき)とか、

普通の三国志本には出てこないような

とんでもない後漢の悪党のお話とかもでてきて

詳しく知ることができて面白いです。

 

 

とにかく、史実に沿って細かいところまで

知ることができる、

これが、宮城谷三国志のいいところなんですね。

 

 

では反対に、宮城谷三国志のよくないところは

どんなところか、というと、

細かいということの裏面ではあるのですが、

細かすぎて、登場人物とか役職の数がやたら多くて、

混乱するということです(;´∀`)

 

 

〇州刺史とかいった役職がすごく細かくて多く、

混乱するんですね。

 

 

簡単にいうと、

登場人物の数が多すぎるために、

太い幹のような三国志の理解は得られないのです( ノД`)

 

 

あとは、

吉川三国志では収載されていたような

ワクワクするような伝説はほぼすべて、

史実ではないということで

切り捨てられています。

 

 

それでも、

宮城谷昌光さんは非常に丹念に取材して

執筆されるかたなので、

吉川三国志とは違った意味で

面白いのですが。

 

 

以上が、天機が読んだ

吉川三国志と宮城谷三国志の感想です。

 

 

また機会があれば、

三国志にでてくる人物の中で

自分が好きな人物とかも

記事にしたいと思います。

 

 

今回はそんなお話でした。

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ

長期の時間の経過と、矛盾や苦しみ。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、長期の時間の経過と、矛盾や苦しみ、

というテーマで書いてみたいと思います。

 

 

この世界の不思議について、

天機理論をもとにして考えていく、という記事になります。

 

 

さて、天機理論ではこの世界の始まりについて、

以下のようなことを考えていました。

 

 

まず、この世界のはじめに「矛盾」というものがあり、

その「矛盾」から「理」が生まれます。

 

 

生まれた「理」は、遠く遠く離れていくのですが、

やがて、戻ってきます。

 

 

その戻ってきた「理」と、もともとあった「矛盾」が

出会うことで、「生」が生まれる。

 

 

そんな感じなのですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

矛盾→理→生、という順番です。

 

 

で、このそれぞれには、色がついていると

自分は考えているんです。

 

 

イラストにすると、こんな感じです。

 

 

 

 

こんな感じなんですね。

 

 

最初の黒い色のついている丸に、矛盾とか苦しみ

と書いてあるのがわかるかと思います。

 

 

で、自分はこの矛盾→理→生、という生成の順番と、

身近なものが符合している、

というように考えているんですね。

 

 

たとえば、人間の体を上から順に見ていくと、

髪の毛→頭→生殖器をふくむ胴体、

というふうに並んでいるわけなんですが、

自分はこれを、

髪の毛(矛盾)→頭(理)→胴体(生)

というような対応で見ているんです。

 

 

また、1日の空の変化を見てみますと、

夜の暗闇の黒→昼の光の白→夕焼けの赤、

という順番で変化していくように思うのですが、

これも自分は、

夜の暗闇の黒(矛盾)→昼の光の白(理)→夕焼けの赤(生)

というような対応を考えているんですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

そうすると、

その人体とか、空の変化とかのなかで、

矛盾とか苦しみに対応するのは

1つは髪の毛であり、もう1つは夜の暗闇の黒である

ことが分かるかと思います。

 

 

ここで、この髪の毛とか、夜の暗闇の黒とかの

性質について考えてみたいと思います。

 

 

髪の毛というのは、

ハサミで切っても切っても

何度でも生えてきては、伸びていきますよね。

 

 

ある意味で、すごく生命力が強くて

決して死なないお化けのような性質を持っている、

ということも言えそうなんです(;´∀`)

 

 

でも、そんな髪の毛でも完全な不死身なのかというと、

じつはそんなこともないんですよね。

 

 

ものすごく時間がたったとき、つまり、

人間が老年に入るようになると、

髪の毛は永久的に真っ白になったり、あるいは

抜け落ちてしまったりすることになります。

 

 

つまり、すごく時間がたつと、

さしもの髪の毛といえども

不可逆的な変化が生じてくるわけなんですよ。

 

 

髪の毛というのは、矛盾や苦しみに相当する部分だ

と先に述べましたが、

すごく時間がたつと、

その部分が滅びへと向かうわけなんですね。

 

 

夜の暗闇の黒、についてはどうでしょうか。

 

 

夕日が沈んで、あたりを漆黒の夜の暗闇が満たしたとき、

「暗闇よ、消え去れ!」なんていくら叫んでも

暗闇が消えてくれるわけではありませんし、

ライトとか明かりをつけても

空をおおった暗闇を消し去ることはできません。

 

 

つまり、空をおおった夜の暗闇の黒に対して、

なんらかの作為的な働きかけをおこなったとしても、

その状況を変化させることは、できないんですね。

 

 

でも、これも、

十分な時間がたって、やがて朝が訪れると、

東の空からのぼってきた太陽の光が

夜の暗闇を打ち払ってくれます。

 

 

夜の暗闇の黒というのは、矛盾とか苦しみに相当する部分

だと、先に述べましたが、

今回もやっぱり、髪の毛と同じように、

時間が十分にたつと、

その部分が滅びへと向かうことになるんですね。

 

 

髪の毛が生えてきたり、伸びてきたりしているときには

なにもできませんし、

夜の暗闇が空をおおっているときにも

なにもできないのですが、

十分な時間の経過という条件が満たされれば、

それらは滅びへと向かうことがあるんですよ。

 

 

そして、述べてきていますように、

髪の毛とか、夜の暗闇の黒、というのは、

矛盾とか苦しみに相当するものでした。

 

 

ここで、わたしたちの人生全般について

考えてみましょう。

 

 

生きていれば、いろいろと苦しいこととか

辛いことがやってきます。

 

 

その程度が軽いものであれば、まだいいのですが、

なかには重いものもありますよね( ノД`)

 

 

人によっては、

生まれたときから人並外れた苦しみの連続であるとか、

もう何十年も苦しみが続いている、とかいった

こともあるかもしれません。

 

 

そういうことがあると、

人は苦しみからなんとかして逃れようとして、

あんなことをやってみたり、こんなことをやってみたり、

いろいろと解決のための行動に出るかと思うんですね。

 

 

でも、先に述べてきたように

矛盾とか苦しみに相当する、髪の毛とか夜の暗闇の黒とかが、

最終的に滅びに向かったのは、

ただ、時間が経過したからだった、ということを考えると、

人生における非常につらい苦しみが解消に向かうのは、

もしかしたら、

時間が経過したあとなのかもしれません。

 

 

鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス

で有名な徳川家康は、

自分に運が向いてくるのを辛抱強く待ちました。

 

 

鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス

というように、

状況に対して作為的な改変を加えようとした豊臣秀吉は、

結局は徳川家康に負けてしまったんですね。

 

 

だから、

若いころに何十年も運が向いてこないで

苦しい時期を過ごしているひとも、

もしかしたら、

中年すぎくらいから運が向いてくることになる

かもしれないと思うんです。

 

 

やけを起こさないで、

ただ、時が経過するのを待っていれば、

髪の毛が抜け落ちて、

夜の暗闇の黒が朝日に打ち破られるように、

苦しみが滅びへと向かうときも

やってくるような気がします。

 

 

今回は、そんなお話でした。

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ