この世界の不思議

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一読了解型の文章を書く

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、一読了解(いちどくりょうかい)型の文章を書く

というテーマで書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約1700字)

 

 

 

世の中には、読みやすい文章を書くひとがいます。

 

そのいっぽうで、

なかなかわかりづらい文章を書くひともいます。

 

 

 

天機は大学時代に、司法試験を受けていました。

 

 

 

そのなかで、司法試験の考査委員のかたが

しばしば述べていたのが、

 

 

 

法律論とかそれ以前の話で、

そもそも日本語の文章として意味が通っていない

ような論文答案が、けっこうある

 

 

 

ということだったのです。

 

 

 

司法試験の受験界でも、

合格したかったら一読了解型の答案を書け、

ということはよく言われていました。

 

 

 

一読了解型の文章、というのは、その名の通り、

1回読んだだけですぐ理解できるような文章のことをいいます。

 

 

 

答案になにを書いてあるのか、

ということがすぐには理解できず、

何度も戻って読み返さないといけないような論文答案を

書けば、

それだけで不合格になる可能性は高まる、ということです。

 

 

 

これは、司法試験の論文答案の話でしたが。

 

 

 

ぼくたちの日常の生活でも、

また、ブログの文章なんかにおいても、

わかりやすい文章ならば、ストレスなく読んでいられます。

 

 

しかし、わかりにくい文章を読んでいると、

ストレスを感じたりすることもあるものですね(つд`)

 

 

 

ところで。

 

 

 

文章のわかりやすさ、わかりにくさ。

 

 

 

そういったものは、いったい、どこからくるのでしょうか。

 

 

 

まず、文章がわかりにくくなる原因の1つに、

 

 

 

なじみのない概念や用語について、

十分な説明がなく文章がすすんでいく

 

 

 

というものがあります。

 

 

 

たとえば、科学とかITとかの専門用語が、

そんなことは当然読者は知っているものとして

論がすすんでいくような文章。

 

 

 

あるいは、経済や法律、哲学とかいった分野にかんして、

なじみのない概念が、

とくに説明を加えられることなく

論がすすんでいくような文章。

 

 

 

そういった文章に接すると、

なかなか文章についていくことができないので、

ストレスになります。

 

 

 

いちいち、この用語はなに?

とか、この概念はなに?とか考えて、

読むのが中断されるからです。

 

 

 

つぎに、文章がわかりにくくなる原因の2番目にくるのが、

 

 

 

論理展開がおかしい

 

 

 

ものです。

 

 

 

たとえば、

 

 

 

昨日は雨が降っていたので、おうちでゆっくりしていた

 

 

 

という文章なら、とくに問題のない、ふつうの文章です。

 

 

 

ですが、

 

 

 

昨日は雨が降っていたので、とても楽しかった

 

 

 

という文章になると、

一般人からすれば、すこし説明が必要になります。

 

 

 

というのは、多くの一般人にとっては、

雨天というのはどちらかというと、晴天のときにくらべて

気分が沈みがちであるのがふつうで、

なのに楽しかった、となると、

なにか特別な事情(このひとは雨が好き)とかがあるのではないか、

と考えるからです。

 

 

 

つまり、

 

 

 

昨日は雨がふっていたけど、楽しかった

 

 

 

なら、わかるのです。

 

 

 

ですが、

 

 

 

昨日は雨が降っていたので、楽しかった

 

 

 

となると、

そこは「ので」では連結できないんじゃないかな、

ということになるのですね。

 

 

 

あまりそんなことはないように思えるかもしれませんが、

日本語の論理展開がおかしい文章は、ときどきあります。

 

 

 

ほかにも、

主語と述語がきちんと対応していなかったり、

主語と述語がとてもはなれているので、

その対応関係を見抜くのに苦労したり、

一文がとても長いので、理解するのに苦労したり、

といったことも、

論理展開がおかしい例です。

 

 

 

あと、文章を書く時には、

仮想の読者を想定して、

ありうる反論に備える必要があったりもします。

 

 

 

それが十分にできていないと、

筆者が論を展開しても、読者の中に、

 

 

 

ほんとうにそうかな?

 

 

 

という疑念を生じさせるのです。

 

 

 

これも、論理展開があやしいひとつの例です。

 

 

 

読みやすい文章を読んでいると気分がいいですし、

読みにくい文章を読んでいると、ストレスになります。

 

 

 

なので、とくになにか自分がむずかしいことを論じようと

するときなんかは、

子供でもわかるくらい丁寧に説明するとかしたほうが、

じつは、いいのかもしれないなあ。

 

 

 

天機は自戒を込めて、そう思いました。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ