みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و
今回は、最近、疑問に思う表現3つ、
について書いてみようと思います。
(この記事の字数は 約1500字)
最近、ニュースとか見ていると、
?
となるような表現に接することがあります。
順にみていきましょう。
① 「仮定の質問にはお答えできない」
よく、官房長官の記者会見とかで耳にする表現です。
たしかに、なんでもかんでも質問に答えていると、
なかには無意味な質問もあるでしょうから、
そういったものを切り捨てる必要があるのは、たしかにそうでしょう。
しかし、行政というのは本来、
来年台風が来たらこれこれの損害がでるな、と考えて、
それに対する対策を練ったり、あるいは、
今回のコロナのような疫病でも、
今後、地方都市でクラスターが発生したら、
これだけの病床がいるな、と考えて準備したりと、
仮定を考えて、それに備える
こととは、切っても切り離せないような気がするんですよ。
なので、
仮定だから、ということで、一律に排除してしまうのは、
それはちょっと違うんじゃないか、と、天機なんかは思います(*゚▽゚)ノ
② 「反対するなら対案をだせ」
これは、政党の党首や、地方公共団体のトップなんかが
言うことが多い気がします。
じつは、この発言の前提には、
現状を変更するということは、もう決まっている
という、隠れた前提があります。
たとえば、こんな例はどうでしょうか。
ある地方公共団体が運営する大学が、
すごく優れた学問的な業績をあげていて、企業とも連携し、
財務も健全であったとします。
ところが、そこの地方公共団体のトップが突然、
この大学は廃止して、その跡地にカジノを建設する
と言い出すのです。
その大学を存続する利益はおおきく、カジノを建設することには
リスクも大きそうです。
ところが、そのカジノ建設案に反対すると、そのトップは、
反対するなら対案をだせ
と言うわけです。
この地方公共団体のトップの頭の中では、
大学を廃止するということは、すでに既定路線なのです。
現状を変更することが既定路線なのです。
ところが、反対しているひとは、そもそも、
現状を変更する必要なんか、どこにもない
と言ってるわけなのですね。
反対するなら対案をだせ、という言葉は、
現状を変更するということについてはコンセンサスがある場合にのみ、
妥当する言葉だと思います。
そもそも現状を変更するのかどうか自体について、
依然として係争がある場合には、
反対するなら対案をだせ、という表現は、非常におかしなものだろうと、
天機は思います٩(ˊᗜˋ*)و
③ 「誤解を招いたことをお詫び申し上げます」
これは、企業がなんらかの不祥事をおこしたときとかに、
企業の担当者とかがよく言う表現です。
この言葉は、お詫びしているように一見、見えるのですが、
じつは、お詫びしているのは、
自分たちが不祥事を起こしたことそれじたいではなく、
誤解を招いたことなんですよね。
ありていに言えば、この発言の前提にあるのは、
誤解してるのはおまえらなんだよ
おまえらは、誤って解釈してるんだよ
という、じつに腹立たしい理解なのです( ゚Д゚)㌦ァ!!
この言葉は、謝罪の場面において、
ほとんど考えることなく常套句のように使われる傾向があり、
よくよく仔細をみてみると、
一般人の側はけっして誤解しているのでもなんでもなく、
ごくごく自然な解釈をしている、ということが多々あるのですね。
以上、天機が最近疑問に思うことのある、
へんな表現3つでした(*゚▽゚)ノ