みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و
みなさんは、
若いうちの苦労は買ってでもしろ、
なんていう言葉、聞いたことはありますか?٩( ๑╹ ꇴ╹)۶
最近はあんまり聞かなくなったかもしれませんが、
以前は、日本ではよく言われていました。
なんで、若いうちの苦労は、買ってでもしたほうがいいのだろう?
ふつうは、苦労なんて、
ひとはあんまりしたくないものです。
そのいっぽうで、苦労すると人は成長する、
なんてことも、あったりするのかもしれません。
でも、なんで若いうちの苦労は、
買ってでもしたほうがいいんだろう・・・・?
天機は、そんな疑問をもっていました。
それで天機は、自分なりに考えてみることにしました。
なんで若いうちの苦労は、買ってでもしたほうがいいのか。
1つには、若いうちに苦労することで、
ひとの痛みがわかるようになり、
人間的な成長がうながされる、ということがあるかもしれません。
また、苦労したり努力したりしてなにかに打ち込むことで、
具体的な成功につながったりするかもしれません。
たとえば、
野球の練習を朝早くから夜遅くまでつづけることで、
甲子園に行けたり。
あるいは、きらいな受験勉強をがんばることで、
志望校に合格できたり。
いろいろあります。
ですが天機は、どうもそれだけではないような気がするのです。
苦労すると成長したり成功できたりするというのは、
人生のいつの時点でもそうだろうと、天機は思うのです。
それをとくに、若いうちに限定して苦労をすすめているのは、
じつは、
運
が関係しているからでは・・・・?
と天機は思ったのですね。
これは、天機が運について個人的に考えていることなのですが。
天機は、運というものは、
なにか嫌な目にあったり、つらいことがあったりすると、
貯まっていくものだと考えています٩(ˊᗜˋ*)و
反対に、なにかうれしいことがあったり、
ラッキーな出来事を経験したりすると、そのぶん、
運は目減りしていくんだと、
天機はそういうふうに考えているのですね。
とすると、です。
若いうちに苦労知らずできて、
比較的楽しいことばかりの前半生をおくってしまうと、
運は、時間がたつにつれ、
どんどん、どんどん、減っていってしまうことになります。
そうすると、人生の中盤あたりで、
さあ、これからだ、というときに、
運がぜんぜん枯渇してしまって、
にっちもさっちもいかない、なんてことになってしまうかもしれません
(つд`)
なので、むかしのひとは、
そういった事態をふせぐために、
若いうちは苦労して、前半生のうちは、
こつこつと運を貯めるようにしなさいよ、
と、教えてくれているのではないでしょうか٩( ๑╹ ꇴ╹)۶
じゃあ、そこからさらにすすめて。
どんなふうに人生を送っていったらいいのだろう(´・ω・`)
とにかく、人生の最初のほうは苦労に苦労を重ねて、
ようやく晩年に至った時に、
その果実を味わうといいますか、幸福にひたる。
つまり、苦労→幸福
のような人生が、理想的なのか。
天機は、なんとなくそうではないような気がするのです(*゚▽゚)ノ
天機は、この世界の成り立ちについて、独自の考えを持っています。
その考えは、日常目にするごくごくあたりまえの物事を、
じっくり考えるところから生まれてきたりします٩(ˊᗜˋ*)و
たとえば。
1日の空の様子を眺めてみると、
最初、夜の暗闇の黒があって、
つぎに、朝日がのぼって昼の光の白があって、
最後に、夕方日が沈むときの、夕焼けの赤がありますね。
つまり、黒→白→赤、
の順番で推移していきます。
また、人間のからだを上から順番に眺めてみると、
まず、髪の毛があって、
つぎに頭があって、
最後に、生殖器をふくむ胴体があります。
天機は、この2つのごくごくあたりまえの物事を眺めるところから、
この世界のはじまりは、
矛盾→理→生
という順番で変化していったのではないか、と考えました。
つまり、
矛盾(夜の暗闇の黒、髪の毛)
理(昼の光の白、頭)
生(夕焼けの赤、生殖器をふくむ胴体)
というわけです。
もちろん、これは天機の独創です。
こんなことを書いてある文献は、少なくとも
天機が生きてきたなかでは、見たことがありません。
ただ、天機はよくこの推移の順番をもとにして、
いろんな物事を考えることがあります。
そして天機は、この順番をもとにして、
さらに次の図のようなことを考えました。
つまり、矛盾→理→生という世界のはじまりの推移について
さきにお話ししたのですが、
矛盾というのは苦労に対応し、
理というのは知恵に対応し、
生というのは喜びに対応する、と、いちおうそのように考えたのです。
すると、物事の変化というのは、
単純に苦労をすればそのつぎに喜びに至る、というのではなくて、
苦労のつぎには知恵を用いることが介在し、
そのうえで最後に喜びに至る、と、
そのようになっているのではなかろうか、と考えたのですね。
とすると、です。
ここから理想的な人生の推移のお話に話を戻しますと、
人生の最初、前半のほうではひたすら苦労をして、
苦労をして苦労をして、それが後半生や晩年の喜びに至る、のではなく。
人生の若い頃に、とくに目的もわからないまま、
とにかく苦労をして運を貯めることをしたならば、
人生の半ば頃、中年期には、
こんどは少し、頭を使ってみる。
単純に苦労を目指すのは、ちょっともうやめておいて、
けっこう狡猾に、と言いますか、ずる賢く、と言いますか、
頭を使って計算していく、というプロセスを入れてみる。
そうすると、
ごくごく若い頃のひたすらな苦労期、
そして、人生中盤での知恵をつかった計算の時期、を経て、
最後には、喜びを得られる晩年期に至るのではないか、と、
天機はそういうふうに考えています。
この順番というのは、じつは、
天下をとった徳川家康の人生行路にも似ているのですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶
若い頃は人質になったりして、
なんで俺がこんな目に、というような、
理不尽な苦労を強いられた家康は、
愚直である、という信望を周囲から得るようになりますが、
中年期にはうってかわって狡猾になり、
策謀のかぎりをつくして豊臣家をほろぼして、
そのうえで、晩年の安泰を得ました。
なので。
これは、人生の前半に理不尽な苦労を強いられたひとへの
応援歌でもあるのですが、
人生中盤にいたったら、
いままで理不尽な苦労をしてきたぶん、
運はたまっているはずですので、
ここからは、
知恵を使って狡猾に立ち回ることを考えてみてもいいのでは、なんて、
天機は考えたりもしました。
以上、天機でした(*゚▽゚)ノ