この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

【老子第二十五章】地は天に法(のっと)る。

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、老子(ろうし)について考えてみましょう。

 

この世界の不思議に関する記事になります٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

みなさんは、老子という書物をご存じでしょうか?

 

 

 

老子というのは、中国の古典で、

紀元前500年ごろにうまれたものと考えられています。

 

 

 

中国の古典といえば、論語(ろんご)が有名です。

論語というのは、孔子の言行録だと言われています。

 

 

 

論語については、中学校や高校の漢文の時間に、

教科書で読んだよ、というかたも多いかもしれません。

 

 

 

しかし、論語とはちがって、

老子が漢文の教科書にでてくることは、ほとんどないかと思います。

 

 

 

論語というのが、身なりもきちんとしていて人格も高潔な、

誰もが認めるような正統派の思想だとするならば、

老子というのは、外見風貌はあやしげな感じでありながら、

どこか不思議で、この世界の隠れた真理につうじていそうな、

そんな人物のような思想なのですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

天機は大学時代、この世界の隠れた原理について非常に関心をもち、

いろんな本を読んだりしました。

 

 

 

そのなかの1つには、河合隼雄先生の書かれたユング心理学

についての本などがあり、

また1つには、この老子という本があるわけです。

 

 

 

老子というのは難しい本なので、

一般のひとにもとっつきやすくするために、

やさしく解説しなおした本などがたくさんあります。

 

 

 

しかし、老子のもともとの原文というのは、

あきらかに常識を超越したようなトンデモ理論の宝庫なので、

興味を持たれたかたはぜひ、原文にあたってみることをおすすめします。

 

 

 

原文は、講談社学術文庫、あるいは、

いまならネット上でも読むことができます。

 

だいたい、漢文、書き下し文、日本語訳と解説、

という感じでまとまっています。

 

 

 

さて。

 

 

 

この老子の第二十五章に、

以下のような文章がのっています。

 

 

 

人は地に法(のっと)り、

地は天に法り、

天は道に法り、

道は自然に法る。

 

 

 

漢文にすると、以下のような感じになります。

 

 

 

人法地

地法天

天法道

道法自然

 

 

 

じつはこの4句は、関西将棋会館の御上段の間という対局室に、

掛け軸となってかけられています。

 

有名な対局のときとかには、

対局の模様をうつすテレビカメラの映像に、

この文句が書かれた掛け軸もうつることがあります٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

さて。

 

 

 

この言葉の意味なのですが。

 

 

 

これは、

 

人というのは地を模範としてみずからを形成し、

地というのは天を模範としてみずからを形成し、

天というのは道を模範としてみずからを形成し、

道はそのままのありのままの姿でいる。

 

という意味だと言われています。

 

 

 

さっそくながら、老子の深遠な、というか、

いくぶん意味不明な思想が展開していますね(^_^;) 

 

 

 

今回、自分が注目したいと思ったのは、

この句のなかの、

 

地法天

 

すなわち、

 

地は天に法る

 

つまり、

 

地というのは天をお手本にしてみずからを形作る

 

という部分です。

 

 

 

地が天をお手本にしている?

言い換えれば、

地というのは、天をまねして自分をつくっている??((((;゚Д゚))))

 

 

 

そんなバナナ。

 

 

 

というのが、ふつうのひとの感想ではないでしょうか。

 

 

 

これについても、おそらく、

古今いろんなひとが解釈してきたんだろうと思います。

 

 

 

ですが、ここでは天機はこの語句について、

自由に想像をふくらませてみようと思いました( *´艸`)

 

 

 

まず、地を見て。

そして、天を見て。

 

 

 

地はべつに、天をまねしているようには思えないかもしれません。

 

 

 

ですが。

 

 

 

天には、おおきな天空といいますか、大空といいますか、

宇宙空間といいますか、

そんな広大ななにかが広がっていまして、

そのなかに、

ぽつんと、燃え盛る火のかたまりである、

太陽が浮かんでおります。

 

 

 

これを、地がまねするとどうなるか、といいますと、

地、すなわち、大地、土ですね、

それがどこまでもぎっしりと充溢するその内部に、

火のかたまりである、マグマを中に抱く、

そんな姿となって、みずからを形成したのではないか、と、

このように考えるのであります(*゚▽゚)ノ

 

 

 

そして。

 

 

 

東洋思想というのは西洋思想とは根本的に異なるところがありまして、

それは、東洋思想では、

天地自然と人間のことを分けずに、一体として考えるのです。

 

 

 

では、ここでも、

この、地は天にのっとる、つまり、

地というのは天をまねして自分をつくっている、

という部分を、人間にも適用して考えるとどうなるのか、

ということなのですが。

 

 

 

天機は、つぎのように考えました。

 

 

 

人間における天というのは、首から上、つまり、頭です。

 

対して、

人間における地というのは、首から下、つまり、胴体です。

 

 

 

ということは、

地が天をまねしてみずからをつくった、ということを、

人間にあてはめると、

胴体は頭をまねしてみずからをつくった、ということになりそうです。

 

 

 

どうでしょうか。

 

 

 

なにか、胴体が頭をまねしているようなところが、あるでしょうか?

 

 

 

頭はまんまるです。

胴体は、あちこち出っ張ったりしています。

 

これだけ見ると、あんまりまねしているようには、思えません。

 

 

 

でも、天機は、つぎのようなことを、ふと考えました。

 

 

 

天に相当する人間の頭のなかには、

頭脳、つまり、脳みそがあります。

 

この脳みそからは、全身にむかって、

細い線である神経が走っております。

 

 

 

これを、地に相当する胴体がまねするとどうなるのか、というと、

天に相当する人間の頭、そのなかの頭脳、脳みそ、

というのをまねして、

胴体には、心臓、をおく。

 

そして、脳みそからは全身に神経という細い線が走っているのをまねして、

心臓からも、血管という細い線を全身に走らせる。

 

 

 

つまり、です。

 

 

 

人間にはあたりまえのことですが、

脳みそと、そこから全身に走る細い線である神経、

そして、

心臓と、そこから全身に走る細い線である血管、

というのがあるわけなのですが、

じつは、

この心臓と血管というのは、脳と神経というのをまねして

できたんじゃないかな、と、ふと思いまして。

 

 

 

そこからさらに思考をすすめて、

それは、天空の中の太陽と、

それをまねしてできた大地の中のマグマ、

というのと、対応関係にあるんじゃないかな、

と、そんなことを、例によってとりとめもなく考えておりました(´・ω・`)

 

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ