この世界の不思議

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ガンジーの、非暴力不服従について考える。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、インドの独立運動を指導したガンジーによる、

非暴力不服従の運動と哲学について、天機なりに考えてみようと思います。

(約 1600字)

 

 

 

インドはかつて、大英帝国によって植民地支配され、

苛酷な統治のもとにおかれていました。

 

その状態から脱却しようと、インドの独立をめざした指導者がガンジーであり、

かれがかかげた抵抗運動の方針が、

 

非暴力不服従

 

だったのです。

 

 

 

みなさんは、この言葉を、歴史の授業かなにかで聞いたとき、

どのような印象をもったでしょうか?

 

 

 

なんとなく、

「簡単にはあきらめないで、粘り強く抵抗していく、という方針なのだな」

くらいの印象を持たれたかもしれません。

 

 

 

しかし、この非暴力不服従という運動方針は、

天機のみるところ、

非常に特異な哲学のもとに構成されたものであろう、と思うのです。

 

それは、「非暴力」に「不服従」を組み合わせた点にあります。

 

 

 

ふつうのひとは、たぶん一般に、次のように考えると思うのです。

 

 

 

相手になにかプラスになることをしてあげて、マイナスになるようなことはしない、

それがいいことなのだ、と。

 

また、

相手にマイナスになるようなことをして、プラスになることはしない、

それが悪いことなのだ、と。

 

 

 

つまり、一般人の通常の認識においては、

 

「相手にプラスになることをする」と「相手にマイナスになることをしない」

というのは、分かちがたく結びついていて、

あわせて「善」を構成しているのです。

 

 

 

他方で、

「相手にマイナスになることをする」と「相手にプラスになることをしない」

というのも、同様に分かちがたく結びついていて、

あわせて「悪」を構成しているのです。

 

 

 

そして一般人というのは、ふつうは、

このような意味での「善」か「悪」かの、どちらかがあるだけだ、と考えていて、

その

 

 

 

あいだ

 

 

 

があるのだ、などとは、まず考えないのです。

 

 

 

では、ガンジーの、非暴力不服従の哲学は、どうでしょうか。

 

 

 

まず、非暴力というのは、相手に暴力をふるわない、ということですから、

つまりは、

 

「相手にマイナスになることをしない」

 

ということです。

 

 

 

ではつぎに、不服従というのは、どうでしょうか。

 

 

 

服従する、というのは、相手の言うことを聞いて、それに従い、協力する、

ということですから、

相手にプラスになることをする、ということです。

 

 

 

ということは、不服従というのは、そのような服従の反対になりますから、

つまりは、

 

「相手にプラスになることをしない」

 

ということになります。

 

 

 

以上をまとめると、ガンジーの非暴力不服従の思想というのは、

 

非暴力=相手にマイナスになることをしない

服従=相手にプラスになることをしない

 

が結合したものであることがわかります。

 

 

 

ここで、一般人が通常考えるところの「善」と「悪」、そして、

ガンジーの非暴力不服従について、

以下に整理してみましょう。

 

 

 

一般人が考える「善」

→「相手にプラスになることをする」+「相手にマイナスになることはしない」

 

一般人が考える「悪」

→「相手にマイナスになることをする」+「相手にプラスになることはしない」

 

 

 

ガンジーの非暴力不服従

→「相手にマイナスになることはしない」+「相手にプラスになることもしない」

 

 

 

どうですかね?

 

 

 

ガンジーの非暴力不服従の思想と哲学というのは、

一般人がそれだけしかない、と思い込んでいた「善」と「悪」の、

 

そのあいだに

 

第3の領域がある、と考えて、それを追求するものだったのです。

 

ちょうど、

「天」か「地」かの、どちらかしかない、と思っていた時に、

そのあいだの「地平線」が見いだされたように。

 

 

 

大英帝国の苛酷な植民地支配というのは、言ってみれば、「悪」でしょう。

 

では、それに対して粘り強く抵抗し、勝利を勝ち取ったガンジーの思想や哲学の、

拠って立ったところは「善」だったのか、というと、

そうではないのです。

 

 

 

「善」と「悪」のあいだには、あいだが存在する。

境界線のような、あいだが存在する。

 

 

 

そのように考えて、それを見出し、それを追求して、

はじめて、勝利を勝ち取ることができたのです。