この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

苦とバランス

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、苦とバランス

について書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約4300字)

 

 

 

天機はときどき、苦について考えることがあります。

 

 

 

世の中には、いろんな苦しみのかたちがあります。

 

病気、貧困、孤独、などなど。

 

 

 

世の中のひとをみていると、その一生のうちで、

最初はとても成功していて幸福だったのに、

人生の中盤あたりから暗転して、不幸になり、苦しむひとがいます。

 

 

 

その反対に、

人生のはじめのほう、若いうちにはとても苦労したけれど、

だんだんと運勢が昇り調子になって、

晩年には成功する人もいます。

 

 

 

あるいは、人生のはじめのほうと、終わりのほうで、

あまり変化することなく、

ずーっと幸福だったなあというひともいれば、

ずーっと不幸にみえるひともいるのですね。

 

 

 

そのような違いは、どういったところから生じてくるのでしょうか。

 

 

 

1つの考え方としては、

 

楽あれば苦あり、苦あれば楽あり

 

というものがあるかもしれません。

 

 

 

人生のはじめのほう、若いうちに、

楽ばっかりして全然苦労をしていないと、

実力も運もついていかないから、やがては苦労することになる。

 

それが、楽あれば苦あり、です。

 

 

 

反対に、人生のはじめのほう、若いうちに、

苦労を買って出たり、あるいは、いやな目にたくさん遭ったりしていると、

それが実力や運の蓄積に結びついて、

やがてはだんだんと、楽しいことや幸運がやってくる。

 

それが、苦あれば楽あり、です。

 

 

 

人間は、バランスをとる、という考え方を

すんなり受け入れる傾向があるので、

これは、わかりやすい考え方かもしれません。

 

 

 

ああ、楽があれば苦がやってくるんだな。

苦があれば楽がやってくるんだな。

 

 

 

といった具合です。

 

 

 

人生、いいことも悪いことも、そうそう長くはつづかないものだ。

 

 

 

そんなふうに言われることもあります。

 

つまり、1人の人間の中で、1人の人間の一生において、

幸運と不運、楽しみと苦しみは、バランスがとれている、

という考え方です。

 

 

 

これをかりに、楽しみと苦しみの

 

垂直バランス

 

というふうに命名しておきましょう(*゚▽゚)ノ

 

 

 

でも、ここで疑問が生じます。

 

 

 

先ほど述べたように、ひとには、

たしかに前半生と後半生で、幸運と不運のバランスがとれて、

帳尻があっているように見えるひともいるいっぽうで、

最初から最後まで幸運だとか、最初から最後まで不運だとか、

そういう風に見えるひとも、また存在するからです。

 

 

 

これはおかしいんじゃないか。

 

 

 

幸運と不運が1人の人間のなかでバランスがとれて、

最終的に幸運も不運もはんぶんこ、ということになるのが原則だとすれば、

最初から最後まで幸運とか、最初から最後まで不運とかいった

ひとたちは、

バランスがとれていないことになるのでは???

 

 

 

そういう疑問がわいてくるのですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

そこで、天機が導入したい考え方が、

幸運と不運、楽しみと苦しみの、

 

水平バランス

 

という考え方なのです。

 

 

 

つまり。

 

 

 

幸運と不運、楽しみと苦しみは、

1人の人間の内部で、垂直的に、縦方向で、

バランスをとって帳尻をあわせるだけではなくて、

 

異なる人間のあいだにおいて、

横方向で、

水平的なバランスをとっている

 

のではないだろうか?

 

ということなんですね。

 

 

 

具体的に言うと、

この世の中には、ずーっと幸運がつづくなど、

その生涯において、幸運の要素が強いひとと、

ずーっと不運がつづくなど、

その生涯において、不運の要素が強いひとがいます。

 

 

 

その、それぞれの人のなかだけでみると、

ずっと幸運だけとか、ずっと不運だけとかだったら、

バランス(垂直バランス)はとれていないわけなのですが、

ひろく世の中全体でみてみると、

幸福なひともいれば、不幸なひともいるといった感じで、

バランス(水平バランス)がとれているわけなのですね。

 

 

 

さて、このように考えてきたとしましょう。

 

これが、世の中をつかさどる秩序なのだとしましょう。

 

 

 

でも、この秩序、

すんなり受け入れることは、できるでしょうか…?

 

 

 

ずーっと幸運がつづくような人ならいいですよ。

自分にはずっと幸運がつづく。

そんな秩序が世の中の秩序なら、ばんばんざいですよね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

しかし。

 

 

 

ずーっと不運がつづくような人だったらどうでしょうか。

 

それが世の中の秩序だ、って言われたところで、

とうてい納得できるようなものではありませんよね。

 

ふざけんな、俺はそんなこと認めんぞ!

って、言いたくもなります。

 

 

 

天機は、この世の中の苦しみについて、

おおきなお団子のようなものを想定することがあります。

 

 

 

この世界をつかさどっている神様がいたとして、

その神様のもとに、おおきなお団子があるんです。

 

そのお団子は、苦のかたまりでできています。

 

 

 

さて。

 

神様は自分のてもとに、そんな苦のかたまりでできたおおきなお団子

があるとやっかいですから、

それを広く、世の中のひとみんなに、

ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、するわけです。

 

 

 

すると、たまたまそのお団子を投げつけられなかったひとには、

苦や不幸はあんまりやってこないことになります。

 

 

 

ところが、神様にどういうわけか、そのお団子を集中的に

投げつけられたひとは、

やたらと苦や不幸が集中してくることになるわけなのです((((;゚Д゚))))

 

 

 

と、このように述べてくると、

神様にそんなお団子を投げつけられるかどうかといったことも、

因果応報、陰徳陽報で、

これまでひとを助けたり、親切にしてきたり、

苦労してきたりしたひとには、

そういったお団子を投げつけられることはなく、

反対に、

これまでひとを傷つけてきたり、苦労をしてこなかったようなひとには、

そういったお団子がたくさん投げつけられることになるんじゃないか、

つまり、原因あってのことなんじゃないか、

と、考えるひともいるだろうと思うのです。

 

 

 

でも、この考え方というのは、さきにのべた、

垂直バランスからの思考なんですよね。

 

つまり、いいことをしたからいい運がくる、

わるいことをしたから悪い運がくる、

1人の人間の、人生を通しでみてみたら、帳尻があっている、

というのは、ずばり、垂直バランスの発想そのものなわけです。

 

 

 

しかしながら、言及してきたように、この世界には、

垂直バランスだけではなくて、水平バランスがあるわけなのですね。

 

 

 

神様というか、この世界をつかさどっているものにとっては、

垂直バランスであれ、水平バランスであれ、

基本的にはどちらでもよく、

ようはバランスがとれていればいいのかもしれない。

 

天機は、そんなふうに思います。

 

 

 

つまり、自分ばかりが苦難のお団子を集中的に投げつけられたとしても、

そこに、さしたる理由など、ないのかもしれないのです。

 

なんとも理不尽なことです。

 

 

 

じゃあ。

 

 

 

そういうとき、そんな集中的な苦しみに見舞われた人間には、

いったい、なにができるのでしょうか。

 

 

 

天機は、それは、

 

 

 

徹底的に苦を拒否しつづけること

 

 

 

だと思うんですね( ゚Д゚)㌦ァ!!

 

 

 

天機は以前、日本赤十字社に、自然災害が起こった時とかに、

寄付をしていたことがありました。

 

 

 

一回、寄付をすると、日本赤十字社のデータベースに

その情報が登録されるのでしょう。

 

天機の自宅には、その後、

たびたび日本赤十字社から寄付の依頼文書が届くようになりました。

 

 

 

それが度重なるにつれて、天機は思うようになりました。

 

 

 

なんでうちばっかりに寄付の依頼をするんだよ!?

 

世の中には、まだ、寄付なんかまったくしたこともない

ひとだっているだろうし、ほとんどしたことないひとだっているだろう。

 

自分は少なくとも、何回かはしたんだ。

 

なら、もう自分のところはよしとして、

今度はほかにあたるのがスジなんじゃないの???

 

 

 

と、このように思ったんですね(*゚▽゚)ノ

 

 

 

結局、日本赤十字社からの寄付の依頼は、その後も、

半年おきくらいごとにつづき、

自分ちが引っ越しして、日本赤十字社にあたらしい住居を

伝えることなく、

郵便局の引っ越しに伴う転送期間が終了することで、

ようやく止みました。

 

 

 

でも、これは考えてみれば、不思議なことではないのかもしれません。

 

日本赤十字社にとっては、

寄付してくれるかどうかわからない、というか、

寄付とか慈善事業にそもそも関心があるのかどうかもわからない、

新規のひとに寄付の依頼を送付するよりも、

一回でも寄付をした「実績」のあるひとに寄付の依頼を送付したほうが、

たぶん、「勝算」が上がりますよね。

 

 

 

そうなのです。

 

 

 

このことは、おそらく、

この世界の苦を引き受けるのか、拒絶するのかについても、

示唆するところのある話だと、天機は思うのです。

 

 

 

この世界の神様、この世界をつかさどっている者にとっては、

自分の手元に苦難のおおきなお団子をもっているのがやっかいなので、

なんとかして、それを投げつける相手がほしいのです。

 

べつに理由なんてないのです。

 

投げつけられればそれでいい。

 

 

 

そこで、その苦しみを投げつけられたひとが、

その苦しみを明確に拒絶しないと、

それは、そのひとには苦しみを投げつけることができた、という

「実績」になりますから、

神様は、ますますそのひとに苦しみを投げつけてくることになるでしょう。

 

わざわざ、苦しみを投げつける相手を「新規開拓」しなくても、

そのひとに投げつけ続ければいいのですから。

 

 

 

ですから。

 

 

 

なぜだか、この世界から集中的に苦しみを投げつけ続けられているなあ、

と感じる人がやるべきことは、1つです。

 

 

 

それは、

 

 

 

はっきりと苦を拒絶すること

 

 

 

それだけです。

 

 

 

苦しみを拒絶したら苦しみがいつかはやってくるよ?

いま、苦しくても苦しみを引き受けたら、

やがてきっといいことがあるんだ。

 

 

 

その考え方は、垂直バランスの考え方です。

 

 

 

心配する必要はないのです。

 

 

 

何回も何回もしつこく苦しみを拒絶しつづけたら、

やがて苦しみは、「よそ」をあたります

 

あたかも、日本赤十字社がついには、

自分のところには寄付の依頼を郵送できなくなったように。

 

 

 

そうすれば、自分のところには苦しみは来なくなり、

よそに苦しみは行くのだから、

それでバランス(水平バランス)はとれるのです。

 

 

 

ずいぶん勝手な考え方のようにも見えるかもしれません。

 

 

 

しかし、

この世界で、ほとんど苦しみを受けていなくて、

楽しい目ばっかりにあってるひとが、

それでも、自分のところに回ってきたほんの少しの苦しみさえ

よそにまわそうとするのなら、

そりゃ、自分勝手かもしれませんが、

生まれてこのかた、

つらい目ばっかりに遭い、苦難のおおきなお団子を集中的に

投げつけられてきたようなひとが、

すこしは肩代わりしてよ、と、

こんどはほかの人にすこし苦をまわしたとしても、

それは、必ずしも罰の当たるようなことではない、と、天機は考えます。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ