この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

この世界で価値あるものと、あちらの世界で価値あるもの。

こんにちわ。天機です。

(この記事の字数 約1500字)

 

 

 

前回のブログ記事で、

こちらの世界と、裏の世界とでは、

苦となるものと、快楽となるものとが、

ちょうど「逆」になっているのではないだろうか、というお話を書きました。

 

 

 

今回は、それに関連するお話として、

こちらの世界と、あちらの世界とでは、

価値があると考えられているものも、

ちょうど逆になっているのではないだろうか、というお話を

書きたいと思います。

 

 

 

この世界に1本の線をひくと、世界は、

天と地にわかれます。

 

めっちゃざっくりしてますけど。

 

 

 

人間その他の生き物たちは、この大地の上に存在して生きていて、

大気の中で空気を吸ったりしています。

 

 

 

けど、その足元の下には、

黄泉の国とも冥府とも言えそうな、

大地の下がずっしりと存在しているんですよね。

 

 

 

さて、人間について考えてみると、人間は、

いろんな食べ物を食べて、うんこを出します。

 

 

 

この世界の人間にあっては、

人間が食べることのできる、多種多様な食べ物たちは、

「価値あるもの」です。

 

反対に、

人間がそのお尻から出すうんこは、

「価値のないもの」と、一般的にはみなされています。

 

これが、この世界です。

 

 

 

でも、その食べ物がやってくるところと、

うんこの向かう先を考えてみたら、どうでしょうか。

 

 

 

食べ物の多くは、大地の恵みとして生み出されます。

いわば、大地が吐き出すわけです。

 

逆に、人間その他のうんこたちは、

大地が受け入れます。

 

 

 

最近ではあまり見かけなくなりましたが、

むかしの日本の農業現場では、

糞尿は肥料となって大地に還されていたのです。

 

 

 

とすると、つぎのような見方をとることも、

できるのではないでしょうか。

 

 

 

つまり、

この大地の上にあっては、

多種多様な食べ物たちは「価値あるもの」として人間たちが欲し、

うんこたちは「価値のないもの」として人間たちが忌み嫌う。

 

 

 

逆に、この大地の下にあっては、

多種多様な食べ物たちは「価値のないもの」として大地はそれを吐き出し、

うんこたちは「価値あるもの」として大地はそれを受け入れる。

 

 

 

というように。

 

 

 

つまり、大地の上と大地の下、

こちらの世界とあちらの世界とでは、

価値のあるものと、価値のないものとが、

ちょうど反対になっている、と見ることもできるのかもしれません。

 

 

 

ところで、古今東西の神話や伝説には、

この世界の真実のかけらのようなものが秘められているのかもしれないなあ、

と、天機などは考えることがあるのですが、

いま、述べてきたようなことに関連するかもしれないことが、

日本神話の記述の中にもあるのです。

 

 

 

高天原を追放されたスサノオは、空腹をおぼえて、

オオゲツヒメに、食べ物をあたえてくれるように頼みました。

 

オオゲツヒメは、その要望にこたえて、

いろんな食べ物をスサノオに与えたのですが、

スサノオは、オオゲツヒメがどんなふうにして、

それらの食べ物を作り出しているのか知りたくなって、

陰からのぞき見をしたのです。

 

するとオオゲツヒメは、なんと、

鼻や口、お尻から、それらの食べものをうみだして、

それでスサノオにあたえていたのですね。

 

スサノオは、おのれ、

そんな汚いものを自分に食わせていたのか、と怒って、

オオゲツヒメを斬り殺してしまいました。

 

すると、オオゲツヒメの死体の各部分からは、

大豆や麦などの五穀が誕生した、ということです。

 

 

 

スサノオにとって、食べ物というのは、価値のあるものだったでしょう。

 

ところが、もしかしたらあちらの世界の住人なのかもしれない、

オオゲツヒメにとっては、

それは、お尻から出すようなもの、つまりは、

もしかしたら、価値のないもの、だったのかもしれません。

 

 

 

きょうは、そんなお話でした。