この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

人間の体の、2つある器官と、1つしかない器官。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、この世界の不思議について考えてみようと思います。

 

 

今回考えてみるのは、

人間の体の、器官の数、です。

(この記事の字数 約7200字)

 

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じつは、これについてはかなり前に、

こんな記事をあげていたのですが

 

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

 

今回は、その記事のリメイク版になります٩(ˊᗜˋ*)و

 

以前につくった記事は、各器官ごとにたくさんの記事が

できてしまって、

若干、読みにくいかもしれないので、

今回は、1つの記事でいろんな器官について

述べてみたいと思います♬(ノ゜∇゜)ノ♩

 

 

さて。

 

 

世の中には、いろんなことに疑問をもつ人がいるみたいで、

たとえば、ヤフーの知恵袋なんかでも、

「どうしておっぱいは2つあるんだろう?」とか、

「なんで鼻の穴は2つなんだろう?」とか、

素朴な疑問を投げかけるひとが、ちらほらいます。

 

 

考えてみれば不思議なもので、

人間のからだには、

2つでセットになっている器官と、

1つしかない器官があります。

 

 

2つでセットになっている器官としては、たとえば、

目、耳、肺、腎臓、のようなものがあります。

 

 

1つしかない器官としては、たとえば、

心臓、口、胃、のようなものがありますね。

 

 

もっとも、人間のからだの中には、

指のように5本で1セットになるものがあったり、

髪の毛のように無数に存在するようなものもあるのですが、

今回は、

2つある器官と、1つしかない器官に注目して

記事を書いていきたいと思います。

 

 

さて。

 

 

ヤフー知恵袋のようなところで、

上記のような質問がなされると、

それに対して逐一、回答がなされるわけなのですが。

 

 

たとえば、

心臓が1つしかないのは○○というわけで、とか、

肺が2つあるのは××という理由があって、とか。

 

 

天機はそこで思ったのです。

 

 

その、それぞれの器官が1つであったり、2つであったり

するのには、

ヤフー知恵袋の回答者が示しているような、

科学的に納得できる理由があるんだろうけど、

人間のからだに2つある器官、そのすべてについて、

それが2つであるような統一的な理由とか、

人間のからだに1つしかない器官、そのすべてについて、

それが1つであるような統一的な理由とか、

そういったものは、ないんだろうか?

 

 

天機はふと、そんな変なことが気になったのですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

それで天機は、天機がふだんから用いている、

この世界についての天機理論をもとにして、

この問題について考えてみることにしました。

 

 

天機理論のはじまりの1つに、

理の原理と生の原理についての考え方があります。

 

 

この世界には、理の原理と、生の原理という、2つの原理がある。

 

理の原理というのは、

自分とは異なる他者が存在することを認めて、

その他者を尊重する原理。

 

理の原理においては、

そんな自分と他者の2者が存在することになるので、

理の原理をあらわす数字は、2。

 

 

いっぽう、生の原理というのは、

自分が生きるためであれば他者を滅ぼしてしまってもかまわない、

とする原理。

 

生の原理においては、

最終的には周囲をみんなやっつけて、

自分だけが生存することを目指すことにもなるので、

そんな生の原理をあらわす数字は、1。

 

 

これが、天機理論における、

理の原理と生の原理にかんする基本的な考え方の1つです。

 

 

この、理の原理と生の原理にかんする天機の考え方をもとに、

天機は、

つぎのようなことを考えました。

 

 

つまり、

人間のからだにおいて、2つでセットになっている器官のなかには、

理の原理と関係がある器官があるのではないか?

 

だって、理の原理のあらわす数字は、2だから。

 

 

そして、人間のからだにおいて、1つしかない器官のなかには、

生の原理と関係がある器官があるのではないか?

 

だって、生の原理のあらわす数字は、1だから。

 

 

そんなことを、思ったのです。

 

 

では、これから実際に、

人間のからだにおける各器官が、予想通り

理の原理や生の原理と関係しているのかどうか、

個々に見ていきましょう٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

まず、目と耳です。

 

目や耳というのは、そこから入ってきた情報をもとに

頭で判断する、ということと関わりがあるので、

理の原理に関係します。

 

また、目や耳で見たり、聞いたりしたからといって、

だれかを滅ぼしたり、犠牲にしたりすることは通常ないので、

生の原理とは関係が薄いです。

 

なので、目や耳の数は、理の原理の数である、2になるのだと

思います。

 

 

つぎは口です。

 

 

口は、言葉を発するのにも使うところですが、大きな役目は、

食べ物を取り込むことです。

 

食べ物を取り込むとき、

自分の外に存在していた命を、自分が生きるために

犠牲にすることになるので、

この器官は、生の原理との関わりが濃厚です。

 

なので、口の数は、生の原理の数である、1になるのだと

思います。

 

 

次は、鼻の穴です。

 

 

鼻の穴の重要な役割は、外気を取り込むことです。

 

空気というのは人間が生きていくうえで必要不可欠なものですから、

この点は、生の原理と関わりがあるようにも思えます。

 

ただ、空気というのは、食べ物とは異なって、

それを取り込んだからといって、

他の生き物の命を犠牲にすることがありません。

 

つまり、「他の生き物の命を犠牲にしたうえで」自己の生存を図る、

という生の原理の定義には合致しないので、

鼻の穴は、生の原理の数である1にはなりません。

 

よって、鼻の穴の数は、2になるのだと思います。

 

 

つぎは、肺です。

 

肺というのは、呼吸システムの統括的な器官であり、

呼吸というのは、外気を取り込んで自己の生命維持に役立てる

という働きをするものですが、

先に述べたように、

呼吸をしたからといって、通常、他の生き物の命が

犠牲にされることは、ありません。

 

なので、肺も

自己の生存のために「他の命を犠牲にする」、という意味をもつ

生の原理の数である1とは相いれないので、

肺の数は2になるのだと思います。

 

 

つぎは乳首です。

 

男性の乳首からはその意味が失われてしまっているようにも

思われますが、

乳首の本来的な役割は、乳児への授乳だと思います。

 

つまり、乳首というのは、

乳児という、自分以外の他者が存在することを認めて、

その他者をはぐくむために存在する器官であり、

その意味で、

他者が存在することを認めてその他者を尊重する、という

理の原理の本来的な意味合いと合致するので、

乳首の数は、理の原理の数である、2になるのだと思います。

 

 

つぎは、おへそです。

 

おへそというのは、自分がまだ母親の胎内にいたときに、

母親から栄養分を受け取っていたことの

なごりを示す器官です。

 

つまり、おへそというのは、

自分が生きていくための器官であるので、

その意味において生の原理と関わりがあります。

 

また、母親からへその緒を介して栄養分を受け取ったとしても、

それだけでは通常、母親が亡くなったりはしませんが、

母親は、自分で使えたはずの栄養分をわが子に

与えないといけないので、その限度において

母親に一定の犠牲を強いている、と考えることもできます。

 

つまり、おへそというのは、

自分が生きるために他者に一定の犠牲を強いる、ということと

関係があるので、

生の原理と関わりがあり、それゆえその数は、

生の原理の数である、1になるのだと思います。

 

 

つぎは、心臓と脾臓です。

 

心臓は全身に血液を循環させるための器官であり、

脾臓は、その血液の生産にかかわる器官です。

 

つまり、両者ともに血液と濃厚な関係がある器官、

ということになります。

 

ここで血液というのは、単なる水とは異なって、

それを作り出すためには、

外界の生物を食事によって体内に取り込んで、

その食べものを消化吸収し、

そこから血液成分となるものを化学的に合成して

作り出す必要があるものです。

 

つまり、血液の存在とその利用には、背景に

外界の生き物を自分の生存のために犠牲にしている、

という事情があり、

そのために生の原理と関わりが深い、と言えそうです。

 

なので、血液と深い関係にある心臓と脾臓は、

その数がいずれも、

生の原理の数である、1になるのだと思います。

 

もっと言うと、

体内に赤い血が流れている生き物というのは、

緑色の葉緑素を持っている植物とは異なり、

自己が生存していくために

他の生き物をその意に反して捕食する、という

特徴を持っているようにも思うのですね。

 

植物だったら、自己が生存していくためには、

水、空気、そして日光でしょうか、

そんなものが必要になってきますが、

水も空気も日光も、とりこんだところで

外界の他の生き物を犠牲にすることがありません。

 

ところが、赤い血液が流れている生き物というのは、

往々にして、

他の生き物を自己の生存のために犠牲にするように

思うのです。

 

なので、

赤い血というものは、

他の生き物を犠牲にして自己の生存をはかる、という

生の原理と関係が深いものなのかもしれず、

そんな血液の生産と循環にかかわる臓器の数は、それゆえ

生の原理の数である、1になるのかもしれません。

 

 

つぎは、消化器官です。

 

消化するための器官、消化液を出す器官というのは、

舌、食道、胃、肝臓、すい臓、胆のう、十二指腸、小腸、大腸、など

いろいろとありますが、共通しているのは、

外界から取り込んだ食べ物を消化するための器官だ、

ということです。

 

つまり、消化器官が働いて消化がなされているということは、

すなわち、

自分の生存のために、外界の生き物を、

自己の食べ物にするというかたちで犠牲にした、

ということが前提事情として存在するわけです。

 

この意味において、すべての消化器官は、

自分の生存のためには他者を犠牲にする、という

生の原理と深い関係があるので、

消化器官の数は決して、理の原理の数である2にはならず、

そのすべてが、

生の原理の数である1になるのだ

と思います。

 

 

つぎは腎臓です。

 

腎臓というのは主に、体内の老廃物や毒素を尿というかたちで

体外に排出するために

尿をつくりだす器官です。

 

言い方をかえると、

老廃物とか毒素は、そのままのかたちでは人体に有害なので、

それを、尿素という比較的害の少ない物質に

改変するのが、腎臓の役割である、とも言えそうです。

 

ここで、生の原理というのは、先に述べてきたように、

自己の生存のために他者を犠牲にする、という性質をもつ

原理で、

たとえば自分が生きるために他の生き物を食事というかたちで

体内に取り込むことなんかが、それに該当しました。

 

この点、腎臓は、消化器官ではないのです。

 

自分が生きたいから自分にプラスをよこせ、

おまえらは俺のために犠牲になれ、という器官では、ないのです。

 

腎臓が働いても、他の命が自身のために犠牲にされることはなく、

たんに腎臓は、

自分の中にある毒素、つまり、マイナスの要素があるのは嫌だから、

それをどっかにやってしまいたい、

というにすぎません。

 

その意味で腎臓は、

自己の生存のために他の生き物を犠牲にする、という

生の原理と関わりが薄く、

生の原理の数である1にはなれません。

 

なので腎臓の数は、理の原理の数である2になる

のだと思います。

 

 

ちなみに、おしっこをつくる腎臓は

このように生の原理との関わりがうすくて

その数は2になってしまうのですが、

じゃあ、うんこをつくる器官はどうなのか、と言うと、

うんこを形成する大腸などは、

同時に水分その他のものを吸収する消化器官でもあり、

その意味で、

自己の生存のために他者を利用する、という生の原理との

関わりがあるので、

先ほど消化器官のところで述べたように、

その数は1になります。

 

ここが、

おしっこをつくる器官と、うんこをつくる器官の

違いになります٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

つぎは、精巣と卵巣です。

 

精巣は精子をつくるところであり、

卵巣は卵子をつくるところです。

 

精子卵子が出会うことで、新しい命が誕生する

ことを考えれば、

精巣も卵巣も命の誕生に関わっているとみることができ、

その意味では生の原理との関係がありそうなのですが、

そうは単純にはいきません。

 

というのも、

精巣で精子が作られること、卵巣で卵子が作られることは

新しい命が誕生するうえでの必要条件にはなっているのですが、

それが十分条件にまでなっているかというと、

怪しいものがあるからです。

 

考えてみてほしいのですが、

精巣で精子がつくられ、卵巣で卵子がつくられた場合、

あたらしい命が誕生することになる蓋然性(がいぜんせい)は、

はたして、高いものでしょうか?

 

自分は、

高くはないんではないか、と思います。

 

というのも、

精巣でつくられた精子は、通常、ティッシュにくるまれて

捨てられる蓋然性が極めて高く、また、

卵巣でつくられた卵子は、通常、生理用品にくるまれて

捨てられる蓋然性が極めて高いからです。

 

つまり、普通の場合は、

精巣で精子がつくられ、卵巣で卵子がつくられたとしても、

あたらしい命が誕生しない可能性のほうが高いのです。

 

この意味で、

精巣と卵巣はそれだけでは、命の誕生に直結しているという

には不十分で、それゆえ、

生の原理との関わりが薄いと言えるかもしれません。

 

ここで読者のみなさんは、

生の原理について天機は

自己が生存するために他者を犠牲にする原理だ、という

定義をしていたはずなのに、

ここでだけ、命の誕生とかいったあいまいなものと

関連付けていて、論理矛盾しているんじゃないか?

と思われるかもしれません。

 

ただ、

あたらしい命が誕生することになれば、

そのあらたに生まれた命が、今度は、自己の生存のために

他者を犠牲にするという活動を未来において

なすであろうから、その意味で

命の誕生は生の原理と関わりがあると言えるんじゃないだろうか、

と、天機は考えたのですね( ̄∀ ̄)

 

ともあれ、

精巣と卵巣は、それだけでは

生の原理との関係が十分にあるとは言えないので、

生の原理の数である1にはなれず、

その数は理の原理の数である2になるのだ、と思います。

 

 

つぎは、陰茎(男根)と、膣(女陰)です。

 

もし、精巣でつくられた精子と、卵巣でつくられた卵子が、

とくに目的もなく体外に排出されるだけのものなら、

その排出口は、

単に体に小さな穴が開いているだけでもいいはずです。

 

ところが実際には、そうはなっていません。

 

陰茎は独特の突起構造を持ち、膣は独特の内部を持っています。

 

なんでそのようになるかというと、おそらくは、

性交を前提にした器官だからです。

 

性交がうまくおこなわれるように、

陰茎も膣も、そのような形状になっているのです。

 

ということは、

陰茎と膣が、その本来の用法にしたがって使用された場合には、

性交がおこなわれている蓋然性が高い、ということになります。

 

これは、

精巣でつくられた精子が通常、ティッシュにくるまれて

捨てられることが多かったり、

卵巣でつくられた卵子が通常、生理用品にくるまれて

捨てられることが多かったり、という事情とは、

根本的に異なるかもしれません。

 

精子卵子が捨てられる場合には、

あらたな命が誕生しない可能性のほうが高いですが、

性交がおこなわれるとなると、

(太古の昔にはコンドームなんてものはなかったでしょうから)

あらたな命が誕生する可能性がそれなりに高くなります。

 

つまり、

陰茎と膣が、本来的な用法にしたがって使用された場合には

あらたな命が誕生する可能性がそれなりに高い、

ということになるので、

これらの器官は生の原理との関わりが深い、と考えることができ、

それゆえ陰茎と膣の数は、それぞれ

生の原理の数である1になるんだろうと

思います。

 

 

つぎは子宮です。

 

子宮は女性のからだに存在し、胎児が生まれ育つ場所です。

 

つまり、子宮が本来的な役目にそって使用されるときというのは、

あらたな命が育まれているときであり、

その意味で、生の原理と関係があると思われます。

 

なので、子宮の数は、

生の原理の数である1になるのだと思います。

 

 

最後に、肛門と尿道口です。

 

言うまでもなく、肛門はそこからうんこが出てくる穴であり、

尿道口はそこからおしっこがでてくる穴です。

 

うんこなどは、

昔の日本では田畑に肥料として撒くこともあったそうですから、

大地や植物にとっては

場合によっては好ましいものかもしれませんが、

通常は、それが体外にでてくることは

周囲の存在にとっては迷惑なことでしょう。

 

ということは、

うんこが出てくる肛門、おしっこが出てくる尿道口というのは、

周囲に対してある種の「加害」をする器官だと

言えることになります。

 

この点、乳首からも同様に外部へと噴出物がでてきますが、

乳首からでてくる乳は、

乳児をはぐくむものであり、

外界に対して加害をおこなうものではありません。

 

また、腎臓においては、

将来外部に放出された際には加害となる尿が生成されますが、

生成されただけの段階では

いまだ外界に対して具体的な加害がなされたと見ることは

難しいと思います。

 

これに対して、

肛門と尿道口が使用された場合には、

体外にうんこやおしっこが放出されたということになり、

外界にたいして具体的な「加害」がなされています。

 

この点が、

自己が生存するために「他者を犠牲にする」に該当するので、

肛門や尿道口は生の原理と関わりがある、

ということになり、

それゆえ、肛門と尿道口の数は、

それぞれ1になるのではないでしょうか。

 

 

以上、ながながと人間の体の器官の数についての

独自説にお付き合いいただき、

ありがとうございました٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

人間のからだのいろんな器官を個別に見ていくと、

この器官が1つであるのはこういう理由で、とか、

この器官が2つあるのはこういう理由があって、とか、

それぞれ、合理的な生物学的理由があると思います。

 

 

でも、

人間のからだ全体を通して見たときに、

1つである器官の多くに共通する、それが1つである理由、とか、

2つである器官の多くに共通する、それが2つである理由、とか

があるんじゃないかと想像して、

そこに生の原理、理の原理という考え方をプラスしてみると、

面白い世界がひらけてくるのかもしれませんლ(╹◡╹ლ)

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ