この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

キラキラネームと姓名判断

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

(約2800字)

 

 

世の中には、キラキラネームっていうのがありますよね。

 

 

このキラキラネームが最初にでてきたころは、

DQN(どきゅん)ネームなんて呼ばれて

揶揄されたこともあったのですが、

その後、だんだんとこのキラキラネームをつける

親が増えて、

マスメディアなんかでもキラキラネームとして

紹介されることが多くなっていくなかで、

だんだんとキラキラネームという呼び方のほうが

市民権を得ていったように思います(;´∀`)

 

 

 

 

天機はこのキラキラネームが誕生した当初から、

あんまりいい印象は持っていなかったんですよ。

 

 

それは天機がどちらかというと、

保守的な考えの持ち主であることとも関係しています。

 

 

どうせ最近のミーハーな若い親たちが

つけた名前なんだろう、ってね。

 

 

あと、キラキラネームなんかつけられて、

将来その子が、その名前のことで

からかわれたり、いじめに遭ったりしたら

どうするんだろう。。。って。

 

 

こっちのほうの懸念は、

すこし現実化していたりもするみたいですね( ノД`)

 

 

それから、キラキラネームっていうのは、

漢字に、その家族にしかわからないような

特殊な読み方をあてたりするので、

なんだか暗号みたいだな、

先生とかは、生徒のキラキラネームの読み方

おぼえるの、たいへんだろうな。。。とか。

 

 

そんなことをいろいろ思って、

キラキラネームに否定的な思いをもつように

なっていったんですね。

 

 

そして、自分は趣味でいろんな占いをやっているんですが、

そのなかに姓名判断というのもあるんです。

 

 

そして、じつはこのキラキラネームというのは、

日本における姓名判断とは

けっこう相性が悪いんじゃないかな?

なんて思うのですね。

 

 

みなさんは、姓名判断はご存じでしょうか?

 

 

もしかしたら、本とか、あるいはネットとかで、

自分の名前で占ってみた!

なんてかたも、おられるかもしれませんね。

 

 

姓名判断で占うときには、いろんな要素を考えますが、

いちばん重要なのはなんといっても、

やっぱり「画数」なんです。

 

 

自分の名前をつくっている漢字、その画数をもとにして、

総格、人格、地格、外格はそれぞれ何画か?

なんてことを見ていくんですね。

 

 

名前だけの画数をよくすればいい、とか、

名字+名前の全部の合計の画数をよくすればいい、とかなら、

話は簡単なんですが、

実際の姓名判断はそれほど単純でもなくて、

たとえば、人格の画数をよくすると地格の画数がわるくなってしまう、

なんていうことがざらにあるために、

本当に姓名判断でこれはオッケー!という名前を

つけようと思ったら、

数字のパズルを解くようなことをしないと

いけなくなるんです((((;゚Д゚))))

 

 

なので、

この名前は音の響きがいいから、とか、

この漢字を使いたいな、とかいった

単純な名前の決め方をすると、

ほとんどの場合で姓名判断的には

マズい名前になってしまうんですね( ノД`)

 

 

それほどまでに、姓名判断というのは、

画数と、画数の組み合わせからできる吉凶を

異様なまでに重視します。

 

 

なので、姓名判断的にいい名前をつけようと思ったら、

自分が使いたいと思った漢字をそのまま使おう、

なんていう考えは捨てないといけなくて、

まずはとにかく画数だけ考えて、

あとはその画数の漢字のなかから選んでいく、

という名前の決め方になりますね。

 

 

ということは、

自分の使いたい漢字をそのまま使おう、という

考え方でできているキラキラネームというのは、

たぶん、ほとんどの場合で

姓名判断からはダメ出しされる名前になってしまいます。

 

 

これが、

キラキラネームと姓名判断は、たぶん相性が悪い、

と自分が考える理由なんですね。

 

 

そこで、キラキラネームをつけようと思っている親が、

姓名判断のことも知ったとき、

とりうる選択肢としては2つあると思います。

 

 

1つは、キラキラネームをつけることをあきらめて、

姓名判断の軍門に下ること。

 

 

もう1つは、

姓名判断を無視してキラキラネームを強行し、

姓名判断なんかには意味はないんだ、

と考える人間の1人になること。

 

 

この2つだと思うんですね。

 

 

姓名判断なんかには意味はないんだ、みたいなことを言うと、

姓名判断を信じているひと、

姓名判断を職業にしているひとからは

怒られるかもしれませんが(;´∀`)

 

 

でも、自分でも姓名判断をするなかで、

ほんとうに姓名判断って正しいんだろうか?

なんて、思うこともあるんですよね。

 

 

たとえば、姓名判断で23画というのは、

隆々たる発展運、富貴繁栄の大吉数ということで、

人気の高い画数の1つなんですね。

 

 

いっぽうで、22画というのは、

中途挫折の凶数ということで、

あんまりオススメされてない画数になるんですよ。

 

 

それだけ見ると、ああ、

23画はよくて22画はよくないんだな、と

思ってしまいそうですが、

それがそう単純ではないのですね。

 

 

23画はいい画数とされているんですが、

じつは、人生が中盤を過ぎるまでは

苦難の連続になる運命が暗示されてたりするんですね((((;゚Д゚))))

 

 

そのいっぽうで、

22画というのは中途挫折の凶数とはいいますが、

人生半ばまでは成功、発展することが多いんです٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

実際、たとえばダウンタウン松本人志さんなんかは、

姓名判断で総格が22画になりますね。

 

 

なので、人生前半と人生後半を合算して考えるなら、

プラスマイナスの合計点は

23画でも22画でもそんなに変わらないんじゃないだろうか?

なんていうことも考えられるんですよね。

 

 

これにかぎらず、

姓名判断でよくないとされている画数のひとが成功していたり、

よいとされている画数のひとが事故にあったり、

といったことは、

ニュースを見ていると、よく遭遇するんですね。

 

 

そういうときに姓名判断ではどう反論するか、というと、

三才がどうの、とか、複合殺がどうの、とか、

斜同格がどうの、とか、

べつな理論によって整合性を保とうとするんですよ(;´∀`)

 

 

そうなってくると、

なんかほとんどこじつけやん♬(ノ゜∇゜)ノ♩

なんて思ってしまうこともありますね。

 

 

というわけで、自分は姓名判断もやっているんですけれど、

姓名判断の判断の信ぴょう性については、

すこし疑問を持っていたりもするんです。

 

 

それに、若いお父さん、お母さんが、

子供の名前をつけようと考えているときに、

姓名判断ではどうだから、といった理由で干渉してくるのは、

たぶん、義両親とか、実の両親とか、

親世代が多いんじゃないかな、とも思うんですね。

 

 

親世代は悪い、という考え方は

自分は支持しませんけれども、

やっぱり、若い夫婦にとっては、そういう姓名判断みたいな

よくわからない理論をもとに

自分たちの子供の名づけに干渉されるのは

嫌なことなんじゃないかな?とも

思ったりするんです。

 

 

なので、もしかしたら、

キラキラネームというのは、

姓名判断なんかにはとらわれずに、もっと自由に

自分たちの子供の名前をつけていこうという、

ある種の革命みたいなものかもしれないなあ、なんて、

そんなことも思ったりしました!

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ