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【紫微斗数】財帛宮と官禄宮について~第2回~

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

では、前回にひきつづき、

紫微斗数という占いでの、財帛宮と官禄宮について見ていく

ことにしましょう。

 

 

 

前回は、財帛宮について考察をすすめていくなかで、

紫微斗数における財帛宮、その財帛宮のあらわす財というのは、

官禄宮における禄とは異なって、

いながらにして転がり込んでくる財産のことを、

基本的には示唆するものなのだ、というお話をしました。

 

そして、そのように言うと、ふつうのひとは、

いながらにしてお金が転がり込んでくるなんてありえない、

ふつうは働いてはじめてお給料をもらえるものなんだ、

と反駁するであろうというお話もしました。

 

 

 

今回は、そこからのつづきです。 

 

 

 

当然の反論でしょう。

 

 

 

ですが、ここで紫微斗数という占いが生まれたときを

考えてみてください。

 

 

 

この占いは、中国がはるか昔、宋という国だった時代に、

陳希夷(ちんきい)というひとによって創始された占いなのです。

 

当然、その時代の特徴というのも、

現代のそれとは異なっています。

 

 

 

いまでこそ、この世界には、

王もいませんし、皇帝もいませんし、貴族なんかもいません。

 

みな、18世紀以降の近代市民革命によってもたらされた

近代社会の中では、消え去ってしまったのですね。

 

 

 

でも。

 

 

 

いまからそんなに遠くない昔には、この世界には、

王も皇帝も貴族も存在していたのです。

 

 

 

となると、王や皇帝や貴族たちと、

その下の一般民衆とでは、

その暮らしぶりも、さらには運命すらも、

大きく異なっていたとしても、自然なことではないでしょうか。

 

 

 

じつは。

 

 

 

このような身分制社会という時代背景をもとに生まれてきた紫微斗数には、

その時代背景を濃厚にあらわしている特徴が、

いくつかあります。

 

 

 

たとえば紫微斗数には、奴僕宮(ぬぼくきゅう)という部屋があります。

 

これは、奴婢(ぬひ)、言葉をかえると、奴隷、使用人にかんする

自分の運命をみる部屋なのですね。

 

 

 

むかしは身分制社会であったので、

王や皇帝がいて、その下に貴族がいて、その下に一般民衆がいて、

そのいちばん下のところに奴婢がいたのです。

 

王や皇帝、貴族だけではなくて、

ほどほどの自作農であっても、耕作のために奴婢を使用している

家はけっこうありました。

 

 

 

そのような時代背景があったので、

紫微斗数にも、奴婢を使用した場合に、その奴婢から自分は利益を

得られるのかどうか、といったことなどを見る必要があって、

それで奴僕宮なんて部屋があるのですね。

 

 

 

もっとも、現代社会においては奴婢なんてものは存在しないので、

現代社会に当時の紫微斗数の見方をそのままあてはめると、

うまくいかないことにもなります。

 

そのため、奴僕宮は現在では交友宮とよばれて、

友人運なんかを見る部屋になっています。

 

 

 

しかし、紫微斗数が成立してきた経緯からすると、

ここは奴僕宮であったわけです。

 

これを交友宮として友人運を見るように現代風に改変した場合、

きちんとその象意があらわれてくれるのかどうか。

 

検討の余地はありそうです。

 

 

 

ともあれ、王や皇帝や貴族を序列の上位とする身分制社会という

時代背景は、紫微斗数に投影されて、

1つには、奴僕宮の存在となって、あらわれてきたわけです。

 

 

 

今回は、紫微斗数というのは、

王も皇帝も貴族も一般民衆も奴婢もいるような、

身分制社会という時代背景のもとに生まれてきた占術なのだ、

ということと、

そのことが、紫微斗数における奴僕宮の存在にも

あらわれているのだ、というお話でした。

 

 

 

次回につづきます( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

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