この世界の不思議

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救護義務について考える

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、救護義務について考えてみようと思います。

(この記事の字数は 約3500字)

 

 

 

さて、最近、こんな事件がありました。

 

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

 

非常に奇怪な事件なのですが、

歩道橋の上から女性が転落しました。

 

自殺を図ったものとみられています。

 

ところがその女性のからだは、下を走行していたトラックの

荷台の上に転落したのですね((((;゚Д゚))))

 

トラックの運転手はそのことに気づかず、

そのまま数キロ走行を続けたのですが、

しばらくして後続のタクシー運転手からクラクションを鳴らされて

気づき、女性を発見しました。

 

ところが、トラック運転手は、

その女性は人形だ、と言って、道路に置き去りにして

走り去ったというものです。

 

警察は、トラックの運転手を特定し、任意で事情を聴いているとか。

 

 

 

この事件に関して、ヤフーコメントなどでは、

トラック運転手が罪をおかした、とか、

救護義務に違反した、とかいったコメントをしているのを見かけます。

 

 

 

ですが、注意しなければいけないのは、

罪をおかしたと言いうるためには、

このトラック運転手が、罪刑をさだめたなんらかの刑罰法規に

違反したことが必要である、ということであり、

救護義務に違反した、というためには、

そもそもこのトラック運転手に、

救護する義務が存在した、と言えることが必要なのだ、

ということです。

 

 

 

罪をおかした、と主張する人も、おそらくは

救護義務違反のことを言っているだろうので、

ここでのポイントは、救護義務の存否になります。

 

 

 

はたして、このトラック運転手には、

救護義務が存在したのでしょうか。

 

 

 

これについて考えてみましょう(*゚▽゚)ノ

 

 

 

日本の刑法では、こういった、

だれかを保護したり、救護したりする必要性がある場面で、

だれかにその保護の責任があるんだ、

救護する義務があるんだ、というふうに保護責任、救護義務

を課するときには、

ほんとうにそのひとにその責任があるんだろうか、

その義務があるんだろうか、ということを、

きちんと確定します。

 

 

 

たとえば、海に親子で泳ぎに行って、

子供が海でおぼれた場合、親がその子を助けないで

見殺しにしたりすると、親は、救護義務違反の罪に問われます。

 

というのも、親には、その子を保護監督しなければいけない

という、身分上の関係が存在するからです。

 

この身分上の関係が、親が救護にあたらなければいけないという

作為義務の根拠になります。

 

 

 

また、交通事故を起こしてだれかを跳ね飛ばし、負傷させたとすれば、

その交通事故の加害者には、

その被害者を救護する義務が生じます。

 

この義務を果たさずにその場を離れたりすれば、

ひき逃げなどとして、刑事責任を問われるのが通常です。

 

これは、その被害者が負傷した、という状況を作り出した(作出した)

ことに、加害者の責任がみとめられるからです。

 

つまり、加害者がその車両で跳ね飛ばすという行為がなかったならば、

被害者が負傷するなどという状況は生じていなかったはずなので、

そこに加害者の責任を認めて、救護義務を負わせるわけです。

 

 

 

このように、

あるひとに、あなたには救護義務がある、あなたには保護責任がある、

と言いうるためには、合理的な理由が必要なのです。

 

もし、この理由がないのに、

ただ救護の必要性があるから、保護の必要性があるから、

ということで、無制限にこの救護義務、保護責任を課することが

できるものとすれば、

ぜんぜん関係のないようなひとが理由のない義務や責任を課されることになり、

却って、当事者間の公平性を損なうことにもなるでしょう。

 

 

 

そのため、たとえば、

北海道の札幌市のビルの屋上から女性がいまにも飛び降りようと

しているときに、

大阪の自宅のリビングでテレビをみてくつろいでいた男性が、

すぐに飛行機に乗って救助に向かわなければいけない、

といった義務は、発生しないのです。

 

 

 

また、海岸をたまたま散歩していたら、

海の沖のほうでだれかが溺れていて助けを求めていたとしても、

そのだれかとの間に、親子関係などの身分上の関係があるとか、

そのだれかが溺れている原因が実は自分にあるとか、

そういった事情のないかぎり、

救護義務は発生しないのが原則です。

 

 

 

たとえ、その海岸を散歩していたひとが、

肉体的にも強健であり、水泳が得意であったとしても、

それは作為(救護行為)が可能であったか、容易であったか、

の判断材料にはなりますが、

作為義務の発生を根拠づける事情ではありません。

 

 

 

そして、作為義務がないのなら、救護しなくてもそもそも

罪には問われないのが原則なのです。

 

 

 

付言しておくと、常識的にも道義的にも、

海でおぼれていた人がいた場合に、

助けたほうがいいのは当然のことです。

 

自分自身がたとえ、海中に入らなかったとしても、

警察に通報したり、応援を求めたりすることくらいは

容易なことでもあり、

それすらしなかったのであれば、

ひとから非難されたとしても仕方のないことかもしれません。

 

 

 

しかしながら、法律においては、ときどき、

ひとの自然な感情には反するものであっても、

厳密な解釈が優先されることがあります。

 

それは、つねに一方当事者の利益だけを考えたらいいとか、

一方当事者の必要性だけを満たせばいいとか、

そのように考えているからではなく、

利害を異にする対立当事者がいるんじゃないか、

その両当事者の利害を公平性をそこなわずに解決するには

どうすればいいのか、

ということを、法律では常に考えて、問題にするからです。

 

 

 

なので、繰り返しになりますが、

作為義務の存在が認められなければ、

救護義務の存在は否定されます。

 

道義的、常識的にそのひとをいかに非難できたとしても、

その場合には、

そのひとに法的な意味での責任をかぶせることは、

できないのです。

 

 

 

では、この記事の冒頭でのべたトラック運転手と

歩道橋からトラックの荷台に転落した女性の場合。

 

 

 

このトラック運転手に、この女性の救護をおこなう救護義務は、

はたして存在するのでしょうか。

 

 

 

道路交通法では、交通事故などを起こしたばあい、

加害者はすみやかに被害者の救護をおこない、

また、通報するといったことをしなければいけないという、

救護義務を課せられています。

 

そのことが念頭にあると、

今回のトラック運転手にもとうぜん、

救護義務があるようにも思えます。

 

 

 

しかし。

 

よく考えてみてください。

 

 

 

今回のトラック運転手は、今回のこの事件に関して、

 

 

 

加害者

 

 

 

なのでしょうか…??

 

 

 

女性が転落したこと、その女性が負傷していることに関して、

このトラック運転手は、

なにか、その原因となるような

 

 

 

加害行為

 

 

 

をしたでしょうか。

 

 

 

自分は、たぶん、していないような気がするんですよね。

 

 

 

もちろん、

この転落した女性が、転落した段階ではまだ十分に息があって、

そのまま病院に搬送されていれば助かる見込みが大きかったのに、

トラック運転手が乱暴に路上に投げ捨てたため、

後続車に跳ね飛ばされて女性は死亡した、

などといった、特殊な事情があるのなら、

トラック運転手にも責任があるでしょう。

 

 

 

ですが、

歩道橋上から女性が転落したことによって女性がすでに死亡しており、

トラック運転手はたんに自分の車からそれを排除したにすぎないのなら、

なんら、トラック運転手には責任がないようにも思えるのですよね。

 

 

 

そもそも、

女性がそのように負傷し、瀕死の状態になるにいたった

原因を作出したのは、

女性自身の行為にその原因があるのであって

トラック運転手には責任がなく、

というよりもむしろ、トラック運転手は、

ふつうに路上を走行していたら上からわけのわからないものが

降ってきて荷台を汚された被害者のようにも思えます。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ

 

 

 

※ この記事を書いたあとに、ブックマークコメントを読んで

考えてみました。

 

たしかに、この女性を救護する義務はなく、

救護の労をとる必要はなかったとしても、

警察に通報することくらいは容易なことであり、

可能なことであったと思います。

 

それで警察から事情の説明を求められたとしても、

きちんと事情を説明すれば、

まさか、おまえが殺したんだろうとは言われないでしょう。

 

たぶん、このトラック運転手が人形だと言い張ったのは、

厄介ごとにかかわりたくない、という気持ちが非常に

強く表面に出てきたからだと思います。

 

なので、適切な判断としては、

すみやかに通報することで、結局はよりおおきな

混乱や疑念を避けることができたものと思います。