この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

国家の福と、個人の福と

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、国家の福と、個人の福と、について書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約2200字)

 

 

 

前回、以下のような記事をアップしました。

 

 

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

 

 

この記事の中で、インドや中国といった国では、日本とはことなって、

占術が高度に発達しており、

個人の幸福というのを執拗なまでに実現しようとする

国民性があるのではないだろうか、というお話をしました。

 

今回は、それに関連するお話をすこし。

 

 

 

たとえば、お金に関することでいえば、

漫然と宝くじを買って当選を夢見ていても、あまり成果はなかったりしますよね。

 

そのいっぽうで、株式投資を専門的に研究しているひとのなかには、

何十億も稼いでいるひとがいます。

 

もし、株式投資が宝くじのように、完全に運否天賦の勝負なら、

何十億も勝ち続けるのは不可能でしょうから、

株式投資は水物のように見えても、

そこにじつは、なんらかの法則性が存在するのではないか、

ということがうかがえます。

 

 

 

占いにお話を戻すと。

 

 

 

日本で人気のある、出生時間を問わないなんちゃって四柱推命とか、

すべてのひとを9種類にざっくり分類する九星気学とか、

あるいは動物占い、血液型占いなんかも日本では人気ですが、

そういった占いは、楽しくはあるけれども、

個人の幸福を実現するといううえでは、あまり成果がなかったりします。

 

 

 

その反面で、

インドや中国のように、徹底的に理論を考え抜いてつくられた占術なんかは、

ちょうど、

法則性などなさそうなところに法則性を見出して稼いでいる株式投資のように、

個人の幸福を実現するうえで、おおきな力があるのかもしれません。

 

 

 

そこで、じゃあ、インドや中国のように、

個人の幸福を実現する力の大きい占術のほうが素晴らしくて、

ひとびとはみな、そちらのほうをやったほうがいいのか。

 

 

 

というと、たぶん、

 

それがそうでもない

 

のだと、天機は思うのです。

 

 

 

というのは、

インドや中国のように、「個人の」幸福を徹底的に実現しようという

執拗な占いを国民みながやっているような国というのは、

どういうわけか、

貧困に悩まされていたり、社会問題をかかえていたりする傾向があるように、

天機には思えるからなんですね。

 

 

 

ちょっと占いからはそれて、文化や社会の話にうつりますと、

インドや中国というのは、個人や徒党を重視する傾向からか、

 

小勢力が乱立しやすい

 

社会でもあるのです。

 

 

 

たとえば、インドでは、大英帝国東インド会社をつくって

過酷な帝国主義支配をおこないましたが、あれなんかも、

ムガール帝国崩壊後にインド国内で小勢力が乱立する状態になり、 

統制がとれなくなったところを、イギリスにつけこまれた、

という側面があったりします。

 

 

 

中国もそうです。

 

第二次大戦前の十五年戦争のとき、日本の軍国主義勢力の侵入に

中国は悩まされましたが、あれなんかも、

中国国内で軍閥が乱立していたために、

統一的に日本に対して抵抗ができなかったからです。

 

 

 

日本はその点、逆です。

 

明治維新がはじまるまえ、イギリスの勢力は薩長側に、

フランスの勢力は幕府側に、それぞれ加担してあらそっていました。

 

諸外国ではその当時、実際に、

そうしてイギリス、フランスの後押しを得た勢力がたがいにあらそって、

国がめちゃくちゃになってしまったところもいくつかあったのです。

 

 

 

しかし、日本では、明治新政府と旧幕府が戦争をはじめようとしたときに、

なぜだか幕府側の総大将である徳川慶喜は大阪から撤退し、

なぜだか勝海舟江戸城無血開城するなどして、

日本国内が泥沼の内乱におちいり、諸外国の草刈り場になることを防いだのです。

 

それなんかは、

自分の側の勢力が勝つこと、利益を得ることよりも、

日本国全体の利益に視点が向いていたからこそ、できたことなんだろうと

天機は思っています。

 

 

 

このように、

インドや中国では、自分個人、自分の家族、自分の徒党、自分の小勢力の

利益を優先するために、結果、

国家全体の利益はそこなわれて、おおくの人民が塗炭の苦しみにあえぐことが

よくあります。

 

日本は逆で、

個人の利益がある程度おさえられていたり(所得税最高税率なんかも高い)、

国民皆保険制度なんかも整備したりして、

日本型社会主義なんかと揶揄されながらも、

国家全体、国民全体の利益に意識が向くことが多い社会なのかもしれません。

 

 

 

で、ここで占いや占術に話を戻すと。

 

 

 

もしかしたら、

この世界にある福運というのは、その総量が決まっているのではないか。

 

国家にある国家の福運というのも、その総量が決まっているのではないか。

 

天機は、そんなふうにも考えるのです。

 

 

 

国家の福運というのは、いうなれば、1つの巨大なおまんじゅうみたいなもので、

個人が、たとえばインドや中国のように、

高度な占術を発達させて、国民がこぞってその占術を使用することで、

その福運を自分個人の幸福のために

 

かすめとって

 

いくと、結果として、国家の福運はそのぶんやせ細っていき、

そのために国家や社会の全体の利益は、

だんだんと損なわれていくんじゃないだろうか。

 

日本の指導層は、なぜだかそのからくりを知っていたので、

あえて、

日本においてはそういう高度な占術が広まることのないように

努めたのではないだろうか。

 

 

 

天機は、そんなふうなことを考えました。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ