この世界の不思議

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日本ではなぜ、高度な占術が発達しないのか

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、

日本ではなぜ、高度な占術が発達しないのか

というテーマについて書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約4600字)

 

 

 

占いにはいろんな種類があります。

 

街中の占い店をのぞいても、いろんな占い師のかたが、

いろんな手法で占っているのを目にすることができます。

 

 

 

天機はいまから20年ほど前、大学生だったころに

占いの世界にはまるようになり、

それから20年間、占いとつきあってきました。

 

 

 

そんななかで思うことなのですが、

 

日本には本格的な占いがなかなか定着しないなあ

 

と思うのです。

 

 

 

たとえば、日本で独自の発達をとげた占いに、

 

九星気学

 

というものがあります。

 

 

 

これは、人間がどの年にうまれたかによって、

すべての人間を9種類にざっくりと分類し、

そのひとの運勢から、吉方位凶方位までを見てしまうという、

なんともざっくりとした占いなのですが、

日本ではなぜか人気があり、これを専門にする占い師さんも多いです。

 

みなさんももしかしたら、五黄土星とか、九紫火星とかいった言葉を

聞いたことがあるかもしれません。

 

あれが九星気学です。

 

 

 

東洋占術、たとえば、紫微斗数四柱推命では、

基本的には、2時間単位での出生時間がわからないと占えませんし、

インド占星術や西洋占星術でも、きちんと占おうと思えば、

出生時間が必要です。

 

 

 

しかし、日本の九星気学、そして、日本で独自に簡略化された四柱推命では、

出生時間を見ずに占ってしまいます。

 

そして、そういった占いの人気は、日本では高いです。

 

 

 

海外、とくに中国やインドの占いと、日本の占いを比べた時に思うのは、

 

インドや中国では、

運命学を真剣に研究すれば、

真実に到達できると考えている。

 

対して日本では、占いというものを、

どうもうさんくさくとらえているフシがあって

そこまで究めようとはしない。

 

そんな違いがあるのではないだろうか、と思うのです。

 

 

 

人間が幸運を手に入れる秘術、技法のようなものがあるのではないか、

という考え方と、

その幸運を手に入れるために、なかば執念のようなものをもって

運命学や占術を研究する、といった姿勢は、

中国やインドにおいては、ことのほか強いです。

 

 

 

たとえば中国では、奇門遁甲という方位学があります。

 

これは、日本の九星気学による方位学なんかとは、

比べ物にならないくらい、精緻に方位の吉凶を見極めようとする術です。

 

 

 

また、風水というのも、中国発祥のものとして有名ですよね。

 

地形や、居宅の形状が、人間の吉凶に影響するというのを、

徹底的に究めた術です。

 

 

 

また、これはインドのお話なんですが、

ジョーティシュ占星術というのでは、開運のための方法として、

宝石を使用します。

 

ルビーやサファイヤといった、貴重な宝石をおおく産出するインド

ならでは、といった感じなのですが、

生年月日と生まれた時間から、インド占星術での盤をつくり、

そのひとが身に着けたら幸運になるであろう宝石を割り出すわけです。

 

 

 

なぜ、これらの国々においては、そこまで真剣に運命学や占術を究めよう

とするのか。

 

そしてなぜ、日本においては、そうではないのか。

 

 

 

天機は、その理由として、2つのことが考えられると思っています。

 

 

 

まず1点目は、

日本においては、占いや運命学は、やはり少しうさんくさいと思われていて、

学問的に執念をもって綿密に研究するような対象ではない、

と思われているだろうな、ということです。

 

 

 

日本でも、頭をつかったり、学問研究をしたりすることは、さかんです。

 

しかし、その努力の方向性としては、

経済学や商学などのいわば実学の方向へと向かうか、

あるいは、物理学や医学といった科学研究の方向へと向かうのです。

 

簡単に言うと、

人間の福利を向上するような実用的な学問には、

頭脳や努力を傾注しようとするのですが、

うらないのような「うさんくさい」ものにそこまで努力を傾注しても、

見返りは少ないだろう、と日本人はなんとなく思っているふしがあるのです。

 

 

 

それに対して、インドや中国というのは、

よくわからない運命のようなものにも、じつはその背景に法則性のようなものが

あるんじゃないか。

研究してそれを究めれば、労せずして幸運を手に入れることができるんじゃないか。

 

そのように考えているふしがあるんですよね。

 

 

 

天機は思うんですが、このインドや中国の考え方や姿勢というのは、

たとえていうなら、

馬券でシステマティックに利益をあげようと研究する人間の姿勢につうじる

ものがあるように思うんですよ。

 

 

 

たまに日本でも、コンピュータのプログラムを組んで馬券的中ソフトをつくり、

高額な儲けを得ているのに税金の申告をせず、

国税に摘発されるひとのニュースがあがることがありますよね。

 

 

 

ふつうのひとは思うと思うんです。

 

ギャンブルなんかどうやったってギャンブルなんだから、

一生懸命研究するなんて、馬鹿のやることだ。

 

それよりは、まじめに勉強していい会社にはいって、

たくさんお給料をもらうのが、堅実でかしこいやりかただ、と。

 

 

 

じじつ、日本国民のおおくのひとは、

まじめにそのような堅実な人生方針を選択します。

これは、日本人の堅実な国民性にも通底するものかもしれません。

 

 

 

しかし、ときとして、馬券的中プログラムで大儲けをするひとのように、

一見したところ、法則性など見つけられなさそうなところに、

法則性を見つけてしまうひとがあらわれることがあります。

 

運命学や占術に過度に傾注するインドや中国というのは、

そういった、濡れ手に粟、のようなものについて、

それをただ漫然と待つのではなく、

異様なまでの執念で手に入れようとする国民性を持っているのかもしれず、

他方で日本人には一般的に、そのような性質はみられない、

ということになるのかもしれません。

 

 

 

べつの言い方をすれば、日本という国、そして、日本人という人間は、

労せずして利益や幸運を手に入れることを、

なにか悪いことででもあるかのように、

心の底で思っているのかもしれません。

 

幸福や利益というのは、苦労するからこそ手に入れることができるのだ、

と、日本人はどこかでぼんやりと信じているのかもしれない。

 

 

 

つまり、苦労の美徳というものを、日本人は重視しているのかもしれず、

それが、濡れ手で粟を目指すようなたぐいの占いや運命学とは、

相性が悪いのかもしれません。

 

 

 

2点目なんですが、日本という国ではえてして、

 

知性や頭脳を、我欲と結び付けてはいけない

 

といったような思想や考え方があるのではないか、と思う時があるのです。

 

 

 

たとえば。

 

明治期の、日本がまだ開国したばかりだたったころ。

 

日本の指導層は、先進的な欧米の文明を取り入れて、

いちはやく文明国家化するために、

お雇い外国人というものを大量に採用して、

彼らに高給を支払うことにしました。

 

 

 

これなんかを見ると、知識と、金銭的な利潤が、

一見むすびついているように見えます。

 

 

 

しかし、このような破格の待遇を受けたのは、おもに、

そとからやってきた外国人だったりします。

 

それに対して、純粋な日本人は、たとえば、森鴎外だったり、

あるいは野口英世だったりとか、

そういった日本人は、日本をいちはやく文明国家化させるという、

国家の重責をになって、猛勉強したわけですが、

かならずしも、金銭的にいちじるしく報われたわけでもないように

思うのですね。

 

 

 

こんにちだって、そうではないでしょうか。

 

 

 

たとえば、日本人でノーベル賞を受賞したひとというのは、

日本という国の名声を高めたわけでもあるので、

日本の人々からすごく称賛されますよね。

 

しかし、その発明の対価をめぐって訴訟に関係するようになった、

たとえば、青色発光ダイオードの中村さんとか、

あるいは、小野薬品とオプジーボの権利をめぐってあらそっているひと

なんかには、

少なくない日本人は、眉をひそめる傾向があるのです。

 

 

 

こういった例は、知恵や知識と、金銭的な利益が結合することに、

日本という国、あるいは、日本人は、

特殊な拒否反応をしめすのではないか、と思われる例です。

 

 

 

念のため付言しておくと、

金銭的な利益を求めること、経済的に成功すること、それ自体を、

日本人は拒絶するわけではないのです。

 

 

 

たとえば、ユニクロ柳井正さんとか、ホンダの本田宗一郎とか、

そういった立志伝中の人物を、日本人は好む傾向があります。

 

 

 

しかし、そういった成功者というのは、概して、

多くの人間を組織して、その組織(企業)の力で成功を手に入れたような

ひとばかりなのです。

 

飲食店を起こして成功したひと、芸能界で成功した人などもそうですが、

みな、多くの人間を喜ばせたひとが、この国では支持される傾向があるのです。

 

 

 

ところがその反面、

頭脳や知識、知恵といったものは、

それが無償で多くの人の幸福に寄与するかぎりにおいて、

この国においては支持、評価されるのですが、

その頭脳や知識、知恵といったものが、金銭的な利益などの

力、と結合するのを、

この国はどういうわけか、非常に嫌がるのです。

 

 

 

整理すると、以下のようになります。

 

 

 

日本において支持されるもの→

 

〇 頭脳や知恵、知識が、無償に近い形でひとびとに寄与する場合

〇 多くの人を巻き込んで、あるいは、多くの人を喜ばせて、

  個人が成功する場合

  あるいは、苦労の末にひとが成功する場合

 

日本において支持されないもの→

 

〇 頭脳や知恵、知識が、個人の力や利益に直接結合する場合

 

 

 

なので、日本においては、

名探偵コナン金田一少年一休さんなどは、

いちおう、知能をみんなのために使ってくれるので支持されますが、

デスノート夜神月なんかは、いくら知能があっても、

そのままでは日本人の支持を得にくいのです。

 

 

 

同様に、

湯川秀樹朝永振一郎といった学者、あるいは、池上彰さんなんかは、

知能をみんなの幸福のために使ったり、

その頭脳でもってみんなにわかりやすく解説してくれたりするので

支持されますが、

権利をめぐって争うことになったノーベル賞受賞者中村修二さんとか、

あるいは、

東大を卒業していながらも投資で違法なことをやった

村上世彰さんなんかは、やはり支持されないわけです。

 

 

 

そして、占いについて話を戻すと、

日本において流行っている九星気学なんかは、どちらかというと、

あんまり頭を使わない占いなんです。

 

理論なんかも、精緻なわけでもない。

 

 

 

ところが、中国の紫微斗数四柱推命、風水とか、

宝石を使用するインド占星術なんかは、

理論がすごく精緻です。頭を使う。

 

そして、頭をつかって人間の幸福を執拗なまでに実現しようとするのです。

 

 

 

頭をつかって、科学や文明を発展させて、結果として人間も幸福になる、

というのではなくて、

頭をつかって、通常はあきらかでないようなこの世界の隠れた法則性に

アクセスし、

それを個人の幸福や利益、吉祥に直接、結合させようとするのです。

 

 

 

というわけなので、こういった占いは、

頭を使うことが人間の個人的な欲望に直結する傾向があるので、

日本においては、嫌われるのかもしれないと、個人的には思います。

 

占いというのは多かれ少なかれ、人間の個人的な幸福を追求するものであり、

そのことは日本でも同様なのですが、

日本においては、個人的な幸福や利益を追求することと、

頭脳を使うことが結合するのを嫌がるので、

日本の占いは、そのほとんどが、あまり頭を使わない占いになっています。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ