この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

「分断」は、本当に悪いことなのだろうか?

みなさんこんばんわ。天機です。

(約 1900字)

 

 

最近、世界中で、分断と対立が数多く発生していると言われています。

 

 

そして、主要メディアの多くは、そのことを否定的に報じています。

 

 

ローマ教皇なんかも、折に触れて、分断ではなく協調を、

なんて呼び掛けていますね。

 

 

このような報道に接していると、

ああ、分断ってよくないものなんだなあ、

みんなもっと和合すればいいのに、

なんて思う人も、いるかもしれません。

 

 

でも、本当に分断や対立って、よくないことなのでしょうか?

 

 

そもそも、なぜ最近の世界では、分断や対立が

 

目立つ

 

ようになってきたのでしょうか。

 

 

じつは、人間の歴史においては、

分断や対立は、けっしてめずらしいものではありませんでした。

 

 

分断や対立こそが常態であった、といっても過言ではないのです。

 

 

日本にも、戦国時代がありました。

 

 

文明の誕生以来の世界史は、帝国どうしの戦争で満ち溢れています。

 

 

列強の植民地争いのあとには、二度にわたる世界大戦があって、

それが終わると東西冷戦構造です。

 

 

こうしてみてくると、人類の歴史は、

分断や対立に色濃く染められていることがわかると思います。

 

 

ところが、いまから30年ほど前に、東西冷戦構造が終結し、

事実上の勝者となったアメリカによって、

一極支配の構造が世界に現出しました。

 

 

それまでは、ソ連を中心とする東側陣営と、

アメリカを中心とする西側陣営の、

あわせて2つの陣営によって世界は分断されていて、

いわば、

この地球上に数字の2が刻印されているようなものだったのですが、

東側陣営が崩壊し、アメリカが単独で覇権を握るようになって、

地球に刻印される数字は、数字の1へと変貌したのです。

 

 

そのころからこの地球上で勢力を増したのが、

経済社会にかんする側面でいえば、

グローバリゼーションです。

 

 

これは、世界が経済社会的に一体化すればするほど、

巨大企業の計上する利益も莫大なものになっていくので、

和合こそがよしとされたのです。

 

 

でも、それはほんとうに和合だったのでしょうか?

 

 

たとえば、みながみな和合しあい、100%仲良くなって、

仲間外れに泣くような者が誰一人としていないのならば、

それは真の和合といってもいいと思います。

 

 

しかし、現実の世界では、そんなことは稀です。

 

 

たいていは、

99対1とか、9対1とか、あるいはそこまでいかなくても、

8対2とかでもって、

主流派の見解に反対するような者の意見が封殺されて、

残った8割の者、

あるいは9割の者の意見がスムーズに通ることをもって、

あたかも、全体での和合がなされているかのように、

擬態していただけではないでしょうか。

 

 

つまり、1990年ごろから現在までの、

アメリカ一極支配のもとで

グローバリゼーションが繁栄した時代というのは、

ほんとうの意味での和合などは、じつは存在していなくて、

主流派がなぜか容易に8割、9割の多数をとることができ、

それでもって、2割、1割の反対派を圧殺することでもって、

見せかけの和合を演出していただけのように、天機には見えるのです。

 

 

では、なぜ最近になって、

その和合が成立しにくくなったのか、といえば、

主流派が、意見の対立するさまざまな論点について、

かつてのように容易に圧倒的多数を確保することが、

むずかしくなってきたからです。

 

 

それがあらわれているのが、たとえば、

国民投票や国政選挙での投票結果です。

 

 

イギリスのEU離脱国民投票でも、

トランプを選出したアメリカ大統領選挙でも、

その勝敗は、僅差によって決定されました。

 

 

そして、最近になって、この

 

僅差で決着がつく

 

という事象が、世界中で非常に増えているのです。

 

 

僅差ということは、どういうことかといえば、

これまで8割、9割の多数を確保できていた主流派の力に陰りが生じ、

反対に、

これまでは2割、1割の境涯に甘んじていたアンチ主流派の勢いが

増している、ということにほかなりません。

 

 

つまり、これまでというのは、99対1とか、9対1とかだったので、

そもそも、戦いにすらならなかった。

 

 

だからこそ、和合のように見えたのです。

 

 

ところがそれが、最近になって6対4とか、5対5とかになってきたので、

一方が他方を簡単に

 

蹂躙

 

することができなくなってきたのです。

 

 

だからこそ、まるで和合が消え失せてしまい、

分断と対立が頭をもたげてきたかのように映るのだと、天機は思います。

 

 

分断と対立はよくない、協調と和合が大切だ、というときには、

えてしてその和合には、

簡単に封殺され、蹂躙された少数派への観点がないがしろになっています。

 

 

天機は、たとえ表面上は分断と対立があるようにみえても、

簡単に相手に屈することなく、

戦いに立ち上がった少数者の存在する、

分断と対立もまたいいものだと思っています。