この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

食いぶちのある子。

こんにちわ。天機です。

(この記事 約1300字)

 

 

 

天機はよく、母親から、

「あんたは、ほんまに食いぶちのある子やなあ」

と言われて、感心されます。

 

 

 

食いぶちがある。

 

いったい、どういうことなのでしょうか。

 

 

 

この言葉は、あまりなじみのある言葉ではないので、

はじめて聞く人も多いかもしれません。

 

天機自身も、母親がそういうふうに言うので、

はじめてこの言葉を知ったのです。

 

知った、といっても、もしかしたら、

この言葉は、母親しか使わないんじゃないか?

とも思えてきます。

 

というのも、検索しても出てこなかったからです。

 

 

 

食いぶちがある。

 

漢字で書くと、「食い扶持がある」でしょうか。

 

 

 

どういうことかというと、

 

「天機以外の家族が、天機が留守のときに、自宅で食事をとろうとしていて、

 さあ、まさに食べようか、というタイミングで(まだ、箸をつけてはいない)

 天機がグッドタイミングで帰宅して、

 天機もその食事にありつく」

 

というものなのです。

 

 

 

母親が言うには、天機は、そのことが非常に高い頻度で起こるらしくて、

それで天機のことを、

「食いぶちのある子だ」と表現しているのです。

 

 

 

たしかに、天機は小さいころから、

飲食に関する運がとてもよかったような気がします。

 

小さいころから、美味しいものをよく食べていました。

 

友人のうちに遊びに行ったとき、

そのうちのおばさんから、その友人と一緒に食事を提供されることも

何度かありました。

 

さらには、

弁当屋チェーンの「ほっかほっか亭」に、

浪人時代、よく行って弁当を買っていたのですが、

あるとき、

自分が注文した弁当を持って帰って、家で開けてみると、

注文したおかず以外に、サービスで別のおかずがいっぱい入っていたことも

ありました。

 

 

 

まあ、飲食に関する運がいいのは、うれしいことではあるのですが、

運勢全体に多大な影響をもたらすものでもなさそうですよね。

 

 

 

ところが、母親が言うには、世の中には、

「食いぶちのないひと」もいるらしいのです。

 

母親の知り合いには、その、食いぶちのないひとが、1人いたそうです。

 

そのひとは、

外出先から帰ってくると、ほかの家族がすでに食事を終えた直後で、

自分は食事にありつけない、

ということが、頻繁に起こっていたそうです。

 

 

 

だったら、待っていてあげようよ!

と、僕なんかは思うのですが。

どうなんでしょうかね。

 

 

 

みなさんはどうでしょうか。

 

食いぶちはありますか?ないですか?

それとも、そんなこと、あまり考えたこともないですか?

 

「食いぶちがある」という、表現かどうかは、わかりません。

表現はどのようなものかはわかりませんが、

上に述べたような現象が、ご自身にはありますか?

 

つまり、

自分が外出をしていて、帰宅したら、家族がちょうど食事をとる直前だった、

といったことがよくある、とか、

逆に、

自分が外出をしていて、帰宅したら、家族がちょうど食事をとった直後だった、

といったことがよくある、とかです。

 

※ いま、あらためてネットで検索してみると、

  「食いぶちがある」という言葉は、通常は、「稼ぐ力がある」

  という意味で使われることが多いようです。

  なので、うちの母は、かなり特殊な使い方をしているのかもしれません。