この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

自分の意見も受け入れてもらうには。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、「自分の意見も受け入れてもらうには、どうしたらいいんだろう?」

というテーマで、書いてみようと思います。

(この記事の字数 約2100字)

 

 

 

人間、生きていると、いろんな「自分の意見」というものを持つことが

あると思います。

 

そういった自分の意見をひとに言ったときに、

賛同してもらえることもあれば、反対されることもあると思います。

 

人間、自分の意見に賛同してもらえれば、なんだか嬉しくもなりますし、

反対されれば、悲しくなることだって、ありますよね。

 

 

 

だいたい、どういうときには賛同され、どういうときには反対されるのか、

というと、

ごくごくおおまかにいえば、

自分の利益や主張ではなく、他のひとやみんなの利益や主張を伝えるときには

賛同されることが多くて、

自分の利益や主張を一方的に伝えるときには反対されることが多い、

ような気がします。

 

 

 

たとえば。

 

「困っている人のために自分はボランティアをします」

と自分が言ったとしたら、たぶん、多くの人から歓迎されるでしょう。

およそ、反対されることなど、ないかもしれません。

 

それは、その意見が、みんなの利益にかなっているからです。

 

 

 

いっぽうで、

「自分は旅行に行きたいので、ぼくに10万円ください」

と自分が言ったとしたら、おそらく、否定的な反応がかえってくることのほうが、

多いかもしれません。

 

それは、その意見が、自分だけを一方的に利するものだからです。

 

 

 

みんなの利益にかなう意見は受け入れられやすく、

自分を一方的に利する意見は排斥されやすいのです。

 

 

 

では、この世の中に生きている人間の選択肢としては、

「みんなの利益にかなうような意見ばっかり言ってみんなから歓迎される人生」

か、

「自分の利益ばかり主張してみんなから排斥され、孤立して頑固になる人生」

か、

その2つに1つしかないのでしょうか。

 

 

 

そうではない、と、天機は考えます。

 

 

 

天機は以前、「7つの習慣」という自己啓発本を読んだことがあるのですが、

上に挙げた2つの生き方というのは、

前者がLOSE-WINの関係、後者がWINーLOSEの関係をあらわしているようです。

 

自分ばかり敗者になって相手ばかり勝者になるのも、

自分ばかり勝者になって相手ばかり敗者になるのも、

どちらも不完全なのだ、と、その本では述べられていました。

 

 

 

自分も、その通りだと思います。

 

全面的に相手の利益ばかりを考えるのか、それとも、

全面的に自分の利益ばかりを考えるのか。

 

世の中は、その2つの選択肢しかないわけでは、ないはずです。

 

 

 

自分がなんらかの主張をして、それが受け入れられないのならば、

相手に対して全面的に折れるのでもなく、

受け入れられない自分の意見や利益に固執して、

世の中に背を向けるのでもなく、

受け入れられやすいように、「微調整」をしていけばいいと思うんです。

 

 

 

熟しすぎて消費期限が近づいたいちごでも、

きれいに包装して「完熟いちご」として売り出せば、

買ってくれる人がいるかもしれませんし、

ジャムにつくりかえれば、やはり買ってくれる人がでてくるかもしれません。

 

古い仏像で、錆だらけになって朽ち果てているようなものでも、

綺麗に磨きなおして錆をおとせば、ぴかぴかの金色の仏像になって、

高値の骨董品として取引されるようになるかもしれません。

 

自分のもっている、なんらかの意見が、

そのままではどうも、ひとびとに受け入れられそうにないな、と思ったら、

ひとつは、

その意見の「パッケージング」を変えてみるのも、手です。

 

 

 

あるいは、スーパーにならんでいる商品で、

「栗」とか「ウニ」がならんでいることもありますよね。

 

栗にもウニにも、イガイガやトゲトゲが、もともとはあるのですが、

販売する側は、それをそのまま売ったりはしませんよね。

 

たいていのひとは、栗の中身や、ウニの中身は好きですが、

外側のイガイガやトゲトゲは嫌いなのです。

 

だから販売する側は、たいてい、

イガイガやトゲトゲは、あらかじめ取り除いてから販売しますよね。

 

 

 

自分の意見の中にも、もしかしたら、

他人の神経に触るような、イガイガやトゲトゲにあたるような、

先鋭的な部分があるのかもしれません。

 

そういうときは、そういったカドの部分を、

あらかじめ少し丸くしておいてから、

自分の意見を提示するのも、ひとつの手だと思います。

 

 

 

さらには、こういうことも考えられるでしょう。

 

みんなの利益ばかりを考えるというのは、単純化していえば、

みんなは笑って自分は泣く、ということです。

 

自分の利益ばかりを考えるというのは、単純化していえば、

自分は笑ってみんなは泣く、ということです。

 

そういう両極端ばかりではなくて、

「みんなが笑って自分も笑う」

「みんなと自分がともに楽しめる」

そういった意見を提示してみるのも、いいのではないでしょうか。

 

そして、そういった意見を提示するためには、もしかしたら、

「みんなか、自分か、どちらかは犠牲にならなければいけないのだ」

という、自分の中に潜んでいる、

この世界についてのパラダイムを、転換する必要があるのかもしれません。