この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

運は創るもの~似鳥昭雄さんの自伝を読んで。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、天機が最近読んで印象にのこった本の

お話をしてみようかな、と思います。

 

 

その本とは、

運は創るもの 日本経済新聞出版社 似鳥昭雄 著

という本なんですね。

 

 

似鳥昭雄さんというかたは、

おねだん以上、ニトリ

で有名な、生活雑貨のニトリホールディングスを

一代で築き上げた実業家です。

 

 

 

 

じつは、家の近所にもニトリがありまして、

あるときそのお店に行ったら、

なんと店頭でこの本も販売してたんですね(;´∀`)

 

 

さすがは商魂たくましいですよね。

 

 

で、そのときはその本は買わなかったんですが、

最近、その本のことを思い出しまして、

自分が利用している図書館に置いてないかなあ、

と思って調べたらありましたので、

借りて読んでみた次第です。

 

 

似鳥昭雄さんといえば、

テレビにもときどき登場することがありますね。

 

 

自分がそういったテレビ番組を見て、

彼に持っていた印象というのは、

「とんちを働かせる人だなあ」

というものでした。

 

 

彼の幼少時代、勉強ができなかったので、

学校の通信簿は1とか2ばっかり並んでいました。

 

 

そこで彼はとんちを働かせて、

通信簿では1がいちばん偉くて、5がいちばんダメなんだよ、

とお母さんに言っていたらしいです( ´艸`)

 

 

また、初めての自分の家具の店舗をオープンしたときには、

◯◯店、

とわざわざ書いておいたらしいんですね。

 

 

本当はその1店舗しかまだなかったんですが、

そう書いておくと、

いかにもどこかに本店がありそうでしょう?

 

 

そんなとんちを似鳥さんは働かせるんですね。

 

 

そういう逸話をテレビで知っていたので、天機は、

似鳥昭雄さんというかたは、

がむしゃらに努力するかたではなくて

とんちを働かせて成功されてきた人なんだな、

と思っていたんですよ。

 

 

天機は、努力するよりも、

とんちを働かせてラクをする、ということを

非常に好む人間なので、

似鳥昭雄さんが書かれた自伝の

運は創るもの、という本を

楽しみにしていたんですね。

 

 

ところが。

 

 

実際に読んでみると。

 

 

似鳥昭雄さん、

めちゃくちゃ苦労されてるんですよ。

 

 

だけでなく、めっちゃ武闘派なんですよね((((;゚Д゚))))

 

 

ここから少し、この本のネタバレが入ります。

 

 

まず、似鳥昭雄さんは幼少期、

家がめっちゃ貧乏でした。

 

 

そのためご両親は、まだ子供の似鳥さんを、

労働力としてこき使っていたんですね。

 

 

あるときは、北海道の猛吹雪のなかを

生命の危険もはらみながら配達につきあわされ、

あるときは、配達する米を泥の中に落としたら

それを拾ってこい!と親に言われて、

売り物にならないその米を晩御飯として食べさせられたり。

 

 

学生時代には、度重なるいじめに遭い、

川に突き落とされたことも。

 

 

そして、似鳥昭雄さんの人生には、

よく、悪人が登場するんですよ。

 

 

似鳥さんの家具にいちゃもんをつけてくる

コワモテのお兄さん。

 

 

不正や横領をおこなって、

社長の似鳥さんから権力を奪おうとしてくる

とんでもない社員たち。

 

 

青龍刀とか機関銃を持って

「皆殺しにしてやる!」と息巻く

海外現地法人の現地社員。

 

 

いやいや、いくら経営者だからって、

ふつう、こんな人生歩むかな。。。。?

と思うくらい、修羅場がつぎつぎとおとずれて

悪人たちと戦っていくんですね。

 

 

平和で快適なニトリの店内の雰囲気からは

想像できないような、

壮絶なニトリ誕生物語がそこにはありました。

 

 

自分はこの本を読む前に、

とんちを働かすだけでラクしてホイホイ成功した物語

を期待していましたので、

彼の人生を知り、

こんな人生は絶対に歩みたくない!

と、強く思いました(;´∀`)

 

 

でも、ふつうの人は、

彼のような人生を歩むことは

あんまりないと思います。

 

 

2023年現在、似鳥昭雄さんの総資産は

4000億円を超えているらしいです。

 

 

ということは、ふつうの一般人がふつうの人生をおくって、

4000万円くらいの資産を築こうと思ったら、

似鳥昭雄さんの経験した苦労の

1万分の1くらいの苦労を経験すれば十分だ、と、

自分はそのように計算したりもしたのでした。。

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ

新聞、読まないなあ。。。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、新聞のお話をしてみようと思います。

 

 

 

 

皆さんは、新聞を読むでしょうか?

 

 

皆さんのご家庭では、新聞をとっていらっしゃる

でしょうか?

 

 

天機が子どもの頃、家では新聞をとっていました。

 

 

天機は子どもでしたが、小学生新聞とか中学生新聞とか、

子どもが読むような新聞ではなく

大人が読む普通の新聞を早くから読んでいました。

 

 

そのため、国語とか社会が得意でした٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

でもその後、天機の家が相変わらず貧乏だったこともあり、

新聞をとらなくなりました。。

 

 

現在でも天機の家では新聞をとってなくて、

たまーにコンビニでバラ売りの新聞を買ってきて

読むくらいなんですね。

 

 

さて、世の中ではだんだんと

新聞を購読するひとが減っている、なんていう

ニュースを見かけたりします。

 

 

原因はいろいろとあると思うんですが、やっぱり、

お金がかかる(;´∀`)ということと、

ネットに比べて速報性に劣る、ということが

あろうかと思います。

 

 

それ以外にも、新聞が敬遠される理由はあると、

天機なんかは思うんですね。

 

 

たとえば読売新聞なんかは、「情報偏食」なんていう

キャンペーンをやっていまして、

ネットの情報ばっかりで新聞を読まないと

偏った情報ばっかりに接することになるから

みんな、ちゃんと新聞を読むんだぞ?

なんていうキャンペーンをやっていたりするんですよ。

 

 

でも、天機なんかは思うんですが、

最近は新聞のほうがどちらかというと

偏った情報を載せているようにも思うんですよね。

 

 

新聞が、多様な視点からの公平中立な情報を

発信してくれるならいいのですが、

どうも、そのようにも思えないんです。

 

 

たとえば、

コロナワクチンに関する情報でも、

ロシアとウクライナの戦争に関する情報でも、

SDGsや気候変動に関する情報でも、

アメリカのトランプ政権に関する情報でも、

コオロギ食に関する情報でも、

新聞は、いろんな多種多様な見解を紹介して

くれるでしょうか?

 

 

自分には、どうもそうは思えないんですよね。

 

 

これらの論点にかんして多くの新聞は、

じつに横並びな、一方的な視点だけを発信している

ように思うんです。

 

 

そんな新聞よりかは、ツイッターのほうがよっぽど

いろんな意見に触れることができそうな

気がするんですよね。

 

 

ツイッターで発信しているひと、いいねをたくさん

集めているひとというのは、

実名をオープンにして活動しているひとばっかりじゃ

ないですから、

誰かに忖度して自分の意見を曲げる必要がないんですよ。

 

 

だから、尖った意見、あまり賛同は集めないけど

面白い意見、というのが

いっぱいあるんですね。

 

 

ブログなんかも、そうだと思います。

 

 

メジャーで有力なブログでなくても、

面白い、尖った意見を書いているブログというのは

いっぱいありますよね。

 

 

あと、新聞を読みたくないなあ、と思ってしまう

意外な点としては、

あの新聞紙の大きさが多少不愉快だ、

というのがあります。

 

 

図書館に行くと、新聞コーナーというのが

あることがあって、

そこでは、少し斜めになった新聞を読む台みたいなのが

あって、快適に新聞を読めます。

 

 

でも、自宅で新聞を読もうとすると、

あの大きさの新聞紙を目の前に広げるために

大きく両腕を伸ばさないといけないんですね。

 

 

すると、しばらくしたら

上腕部が痛くなってくるんですよ( ノД`)

 

 

自分の体力がないだけかもしれませんが(;´∀`)

 

 

これが、パソコンとかスマホでネットニュースを見るだけなら

腕が痛くなるようなこともなくて

ラクチンだ、ということはありますね。

 

 

というわけで、最近は以前とくらべて

天機もだんだんと、新聞から遠ざかっています。。。

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ

もとに戻るもの、戻らないもの。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、もとに戻るもの、戻らないもの、

というテーマで記事を書いてみたいと思います。

 

 

今回の記事は、この世界の不思議系のお話になりますので、

いつも恒例の、天機理論の復習から

始めてみたいと思います(;´∀`)

 

 

さて天機は、

この世界には2つの異なる原理がある、

というふうに考えています。

 

 

1つは理の原理、といわれるもので、

他者が存在することを認めて、その他者を尊重しようよ、

という原理。

 

なにが正しくてなにが間違っているのか、

という判断にかかわるのも理の原理で、

論理とか知識にかかわる

原理でもあるのですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

もう1つは、生の原理といわれる原理で、

自分が生きていくためだったら他者を犠牲にしてもかまわない、

とする原理。

 

簡単にいうと、生きていく、ということに関わる原理で、

理の原理を正しさに関係する原理とするならば、

生の原理はどちらかというと、

悪の要素を帯びる原理にもなります((((;゚Д゚))))

 

 

さて、それをふまえたうえで、

今回のブログ記事のテーマである

もとに戻るもの、戻らないもの、

ということについてお話ししていきたいのですが、

天機はどうも、

生の原理に関係するものはもとに戻りたがるのに対して、

理の原理に関係するものは、あまりもとには戻りたがらないなあ、

なんてことを思ったんですよ。

 

 

これだけでは何を言っているのかよくわからないと思いますので、

具体的に見ていきましょう。

 

 

たとえば、自分1人がこの世で生きていくためには、

食べる、ってことが必要ですが。

 

 

この、食べる。

 

 

今朝、朝食を食べたらそれで終わり、とかじゃなくて、

お昼になるとやっぱりおんなじように

昼食を食べる。

 

そして夜になったら、晩御飯を食べる。

 

 

そんなふうになってますよね?

 

 

1回なにかを食べたらそれで終わり、ってことじゃなくて、

おんなじように何回も何回も食べるってことを繰り返す。

 

 

そしてその食べる動作っていうのは、おんなじ動作なんですね。

 

 

それに、食べるってこともよく見ていくと、

和食を食べたらもうそれに飽きちゃって

こんどはアフリカ料理を、そのつぎは南米料理を食べたくなる、

なんてことはあんまりなく、

おんなじものをしばらくしたら、また食べたくなる。

 

きつねうどんとか、ラーメン、お寿司に焼肉、

カレーライス、ハンバーグなど、

何度となく食べたくなりますよね( ´艸`)

 

 

 

 

つまり、食べるって動作についても、その食べる内容についても、

おんなじところに繰り返し、「戻ってくる」んですよね。

 

 

ついでにいうと、この食べるってことは、

積み重ねがきかない、ことでもあるんです。

 

 

つまり、1週間分の食事をまとめてとっておいて、

つぎの1週間は何も食べなくても過ごせる、なんてことは

ふつうはあまりない。

 

 

以上を整理すると、

食べるってことは、

この世で自分1人が生きていくうえで必要なことで

その意味で生の原理にかかわるのですが、

それは、

①おんなじ食べるって動作が周期的に必要で、

 その食べる内容も繰り返し同じものを食べたくなる

 という意味で、おなじところに戻ってくるし、

②1週間まとめて食べておく、といったような

 積み重ねがきかない

という性質を持っているように思ったんです。

 

 

これは人間の食べる、ってことに関することなんですが、

よく言われるように、人間には二大欲求というのがあって、

食欲以外にも性欲というのがありますよね。

 

 

そして、食べることというのは

自分1人がこの世に生存するために必要なことで

その意味で生の原理にかかわるというお話をしましたが、

エッチなことというのも、

自分が死んだあとでさえも自分の遺伝子を残すということですから、

つまりは時を超えて自分が生き続けるということに

かかわるものであり、その意味でやっぱり

生の原理にかかわっている、というふうに

自分なんかは思うのですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

じつは、このエッチなことというのも、

①もとに戻ってくる、という性質と、

②積み重ねがあまりきかない、という性質を

持っているように自分は思うんですよ。

 

 

人間のエッチなこと、男女の性交なんていうのは

毎回やることは同じで、たいして変わり映えもしない。

 

 

その変わり映えもしないことを、繰り返ししたがるのですから、

やっぱりエッチなことというのも

同じところに戻ってくるようなものだと思うんですね。

 

 

そしてエッチなことというのもやっぱり、

積み重ねがききにくいものだとも思うんです。

 

 

1ヶ月連続でエッチなことをたくさんやっておいたら

つぎの1ヶ月は性欲なんて全然感じない、

なんていうふうには、なかなかならない。

 

 

1回性欲を満足させたら、それでその場はおさまりますが、

何日かたってくるとふたたび生じてくる。

 

 

そんなふうになっているので、エッチなことというのも

やっぱり積み重ねとはどうも、相性がよろしくない。

 

 

そんなふうに思うんですよね。

 

 

以上見てきたように、

生の原理、生きることにかかわる原理というのは

食べることとエッチなことがその代表みたいなものなんですが、

いずれも

①おなじところに戻ってきたがる

②積み重ねがきかない

という性質を持っているように思うんですね。

 

 

というふうに言ってみると、じゃあ反対に

①おなじところにはあんまり戻ってきたがらなくて

②積み重ねがきく

ようなものって、なにかある?って聞かれるかもしれないんですが、

それはずばり、理の原理にかかわることなんだ

と自分は思うのですね。

 

 

1人の人間個人における理の原理というと、

考えることや知識を高めることがそのあらわれだと思うんですが、

それらは

①もとに戻ってきたがらなくて、

②積み重ねもききやすい

という性質を持っているように思うんですよね。

 

 

たとえば、僕たちは小学校で算数を習い

足し算とか引き算、かけ算とか割り算のやり方を覚えます。

 

 

それをもとに、中学校では式の計算をならい

1次方程式、2次方程式と学んでいきますよね。

 

 

さらにそれをもとにして高校では

高次方程式とか、微分積分を学習していくわけです。

 

 

 

 

そのときに、

2次方程式を学んでいる中学生がもういちど

かけ算とか割り算とかのやり方を練習し直すことって、

ふつうはあんまりないでしょう?

 

 

微分積分を学んでいる高校生が

ふたたび中学校の1次方程式をやってみる、

なんてこともあんまりないですよね。

 

 

つまり、もとには戻らないんですよ。

 

 

学ぶということは理の原理に属することだと思うんですが、

そこでは、1回学んだことはすでに前提となって

先へ進んでいくので、

何回も何回もおんなじ箇所に戻るってことは、

ふつうはあんまりないんですよね。

 

 

そして、1回学んだことは前提知識となって

自分の中で蓄積されていくので、

学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、

自分の中に知の体系がつくられていきます。

 

 

その意味で、学ぶこととか考えること、知識というのは

積み重ねがききやすいものだと思うんですね。

 

 

これは1人の人間が知識を深めていくプロセスですが、

人間の集合が文明を築き上げていくときにも

同じようなことが言えると思うんです。

 

 

たとえば、

夜寝ているときに蚊にさされるのがいやだなあ、

ということで

日本では蚊帳(かや)とか、蚊取り線香なんかが発明されて

使われていた時代がありました。

 

 

それも1つの文明の産物なんですね。

 

 

でも、時代が進んで

蚊取りのベープマットとか殺虫剤とかが発明されて

使われるようになると、

昔使われていた蚊取り線香とか蚊帳とかをふたたび使おう

ってことには、もうならないでしょう?

 

 

つまり、もとには戻らない。

 

 

ほかにも、昔は移動手段として馬車が使われていた時代があり

それもその時代の文明の産物だったのですが、

時代が進んで鉄道とか、自動車とかが

実用化されるようになると、

もう一度馬車を使ってみよう、なんてことには

まずならない。

 

 

つまり、やっぱりもとには戻らないんですね。

 

 

いっぽうで、物理学とか化学とかいった科学については

大学とか企業とかの研究機関で

なんらかの新しい発見とか発明とかがあったりすると、

それが公表されて共有されることで

こんどはその知見を前提にして、そこをスタート地点にして、

さらなる研究をすすめていくことができるんですね。

 

 

つまり、積み重ねがききやすいんです。

 

 

ずいぶんと長いお話になってしまいましたが(;´∀`)

最後にまとめると、

生の原理にかかわることでは

①もとに戻ってきやすくて

②積み重ねはきかないことが多い

のに対して、

理の原理にかかわることでは

①もとに戻りにくくて

②積み重ねがききやすい

ということが言えるんじゃないか、なんて

そんなことを思ったりもしました。

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ