この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

もとに戻るもの、戻らないもの。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、もとに戻るもの、戻らないもの、

というテーマで記事を書いてみたいと思います。

 

 

今回の記事は、この世界の不思議系のお話になりますので、

いつも恒例の、天機理論の復習から

始めてみたいと思います(;´∀`)

 

 

さて天機は、

この世界には2つの異なる原理がある、

というふうに考えています。

 

 

1つは理の原理、といわれるもので、

他者が存在することを認めて、その他者を尊重しようよ、

という原理。

 

なにが正しくてなにが間違っているのか、

という判断にかかわるのも理の原理で、

論理とか知識にかかわる

原理でもあるのですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

もう1つは、生の原理といわれる原理で、

自分が生きていくためだったら他者を犠牲にしてもかまわない、

とする原理。

 

簡単にいうと、生きていく、ということに関わる原理で、

理の原理を正しさに関係する原理とするならば、

生の原理はどちらかというと、

悪の要素を帯びる原理にもなります((((;゚Д゚))))

 

 

さて、それをふまえたうえで、

今回のブログ記事のテーマである

もとに戻るもの、戻らないもの、

ということについてお話ししていきたいのですが、

天機はどうも、

生の原理に関係するものはもとに戻りたがるのに対して、

理の原理に関係するものは、あまりもとには戻りたがらないなあ、

なんてことを思ったんですよ。

 

 

これだけでは何を言っているのかよくわからないと思いますので、

具体的に見ていきましょう。

 

 

たとえば、自分1人がこの世で生きていくためには、

食べる、ってことが必要ですが。

 

 

この、食べる。

 

 

今朝、朝食を食べたらそれで終わり、とかじゃなくて、

お昼になるとやっぱりおんなじように

昼食を食べる。

 

そして夜になったら、晩御飯を食べる。

 

 

そんなふうになってますよね?

 

 

1回なにかを食べたらそれで終わり、ってことじゃなくて、

おんなじように何回も何回も食べるってことを繰り返す。

 

 

そしてその食べる動作っていうのは、おんなじ動作なんですね。

 

 

それに、食べるってこともよく見ていくと、

和食を食べたらもうそれに飽きちゃって

こんどはアフリカ料理を、そのつぎは南米料理を食べたくなる、

なんてことはあんまりなく、

おんなじものをしばらくしたら、また食べたくなる。

 

きつねうどんとか、ラーメン、お寿司に焼肉、

カレーライス、ハンバーグなど、

何度となく食べたくなりますよね( ´艸`)

 

 

 

 

つまり、食べるって動作についても、その食べる内容についても、

おんなじところに繰り返し、「戻ってくる」んですよね。

 

 

ついでにいうと、この食べるってことは、

積み重ねがきかない、ことでもあるんです。

 

 

つまり、1週間分の食事をまとめてとっておいて、

つぎの1週間は何も食べなくても過ごせる、なんてことは

ふつうはあまりない。

 

 

以上を整理すると、

食べるってことは、

この世で自分1人が生きていくうえで必要なことで

その意味で生の原理にかかわるのですが、

それは、

①おんなじ食べるって動作が周期的に必要で、

 その食べる内容も繰り返し同じものを食べたくなる

 という意味で、おなじところに戻ってくるし、

②1週間まとめて食べておく、といったような

 積み重ねがきかない

という性質を持っているように思ったんです。

 

 

これは人間の食べる、ってことに関することなんですが、

よく言われるように、人間には二大欲求というのがあって、

食欲以外にも性欲というのがありますよね。

 

 

そして、食べることというのは

自分1人がこの世に生存するために必要なことで

その意味で生の原理にかかわるというお話をしましたが、

エッチなことというのも、

自分が死んだあとでさえも自分の遺伝子を残すということですから、

つまりは時を超えて自分が生き続けるということに

かかわるものであり、その意味でやっぱり

生の原理にかかわっている、というふうに

自分なんかは思うのですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

じつは、このエッチなことというのも、

①もとに戻ってくる、という性質と、

②積み重ねがあまりきかない、という性質を

持っているように自分は思うんですよ。

 

 

人間のエッチなこと、男女の性交なんていうのは

毎回やることは同じで、たいして変わり映えもしない。

 

 

その変わり映えもしないことを、繰り返ししたがるのですから、

やっぱりエッチなことというのも

同じところに戻ってくるようなものだと思うんですね。

 

 

そしてエッチなことというのもやっぱり、

積み重ねがききにくいものだとも思うんです。

 

 

1ヶ月連続でエッチなことをたくさんやっておいたら

つぎの1ヶ月は性欲なんて全然感じない、

なんていうふうには、なかなかならない。

 

 

1回性欲を満足させたら、それでその場はおさまりますが、

何日かたってくるとふたたび生じてくる。

 

 

そんなふうになっているので、エッチなことというのも

やっぱり積み重ねとはどうも、相性がよろしくない。

 

 

そんなふうに思うんですよね。

 

 

以上見てきたように、

生の原理、生きることにかかわる原理というのは

食べることとエッチなことがその代表みたいなものなんですが、

いずれも

①おなじところに戻ってきたがる

②積み重ねがきかない

という性質を持っているように思うんですね。

 

 

というふうに言ってみると、じゃあ反対に

①おなじところにはあんまり戻ってきたがらなくて

②積み重ねがきく

ようなものって、なにかある?って聞かれるかもしれないんですが、

それはずばり、理の原理にかかわることなんだ

と自分は思うのですね。

 

 

1人の人間個人における理の原理というと、

考えることや知識を高めることがそのあらわれだと思うんですが、

それらは

①もとに戻ってきたがらなくて、

②積み重ねもききやすい

という性質を持っているように思うんですよね。

 

 

たとえば、僕たちは小学校で算数を習い

足し算とか引き算、かけ算とか割り算のやり方を覚えます。

 

 

それをもとに、中学校では式の計算をならい

1次方程式、2次方程式と学んでいきますよね。

 

 

さらにそれをもとにして高校では

高次方程式とか、微分積分を学習していくわけです。

 

 

 

 

そのときに、

2次方程式を学んでいる中学生がもういちど

かけ算とか割り算とかのやり方を練習し直すことって、

ふつうはあんまりないでしょう?

 

 

微分積分を学んでいる高校生が

ふたたび中学校の1次方程式をやってみる、

なんてこともあんまりないですよね。

 

 

つまり、もとには戻らないんですよ。

 

 

学ぶということは理の原理に属することだと思うんですが、

そこでは、1回学んだことはすでに前提となって

先へ進んでいくので、

何回も何回もおんなじ箇所に戻るってことは、

ふつうはあんまりないんですよね。

 

 

そして、1回学んだことは前提知識となって

自分の中で蓄積されていくので、

学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、

自分の中に知の体系がつくられていきます。

 

 

その意味で、学ぶこととか考えること、知識というのは

積み重ねがききやすいものだと思うんですね。

 

 

これは1人の人間が知識を深めていくプロセスですが、

人間の集合が文明を築き上げていくときにも

同じようなことが言えると思うんです。

 

 

たとえば、

夜寝ているときに蚊にさされるのがいやだなあ、

ということで

日本では蚊帳(かや)とか、蚊取り線香なんかが発明されて

使われていた時代がありました。

 

 

それも1つの文明の産物なんですね。

 

 

でも、時代が進んで

蚊取りのベープマットとか殺虫剤とかが発明されて

使われるようになると、

昔使われていた蚊取り線香とか蚊帳とかをふたたび使おう

ってことには、もうならないでしょう?

 

 

つまり、もとには戻らない。

 

 

ほかにも、昔は移動手段として馬車が使われていた時代があり

それもその時代の文明の産物だったのですが、

時代が進んで鉄道とか、自動車とかが

実用化されるようになると、

もう一度馬車を使ってみよう、なんてことには

まずならない。

 

 

つまり、やっぱりもとには戻らないんですね。

 

 

いっぽうで、物理学とか化学とかいった科学については

大学とか企業とかの研究機関で

なんらかの新しい発見とか発明とかがあったりすると、

それが公表されて共有されることで

こんどはその知見を前提にして、そこをスタート地点にして、

さらなる研究をすすめていくことができるんですね。

 

 

つまり、積み重ねがききやすいんです。

 

 

ずいぶんと長いお話になってしまいましたが(;´∀`)

最後にまとめると、

生の原理にかかわることでは

①もとに戻ってきやすくて

②積み重ねはきかないことが多い

のに対して、

理の原理にかかわることでは

①もとに戻りにくくて

②積み重ねがききやすい

ということが言えるんじゃないか、なんて

そんなことを思ったりもしました。

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ