この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

将棋のこと。 3

こんばんわ。天機です。

 

 

 

私がいつも読んでいる、長井さんのブログの中で、

私の記事に言及していただきました。

 

nagaisan00.hatenablog.com

 

長井さんもまた、小さいころに将棋に熱中した経歴をお持ちで、

ネット将棋での面白い体験なども話されています。

 

 

 

将棋というのは、戦争の一種です。

 

そんなことをいうと、いやいや、あれは娯楽、気晴らしでしょ?

と言われるかもしれませんが、

わたくし、天機は、将棋というのは、

まごうことなき戦争の一種である、と考えています。

 

 

 

戦争の一種なので、将棋には、

そのひとが戦いというものをどういうふうに進めていくのか、という、

一種の「戦争哲学」みたいなものが反映されることがあります。

 

 

 

戦争のかたちには、いろいろあります。

 

たとえば、米国や英国というのは、自分の印象では、

陸戦というのをあんまりやっている印象がなくて、

海軍や空軍が強く、

物量にものをいわせてあざやかにすっきり勝つ、

という印象です。

 

 

 

ところが、戦争というのは、そういった戦争ばかりではない。

 

ロシアというのは、陸戦が得意で、

ナポレオンの侵略も、ヒトラーの侵略も、

ともに跳ね返した国です。

 

ロシアの戦略は、自国に侵攻してきた敵軍に対して、

自国深くに撤退していき、敵軍を自国領内に深く引き入れていきます。

そうして、占領地域で敵軍が資源を利用できないように、

いわゆる「焦土戦術」をおこないます。

 

そうして、補給線が伸びきった敵軍に対して、

冬将軍の助けも得ながら、反撃していくのです。

 

 

 

第二次世界大戦中に、中国が日本軍に対してとった戦略にも、

似たようなところがあります。

 

毛沢東の「持久戦論」という著作の中で、その基本思想がくわしく展開されて

いますが、

つぎつぎと首都を中国内地の奥深くに移動させながら、

日本軍を中国内地におびき寄せ、

補給線がのびきったところで反撃していく。

そのプロセスで、ゲリラ戦などもおこなっていくわけです。

 

 

 

ベトナム戦争で、社会主義北ベトナムが、大国の米国に対してとった戦略も、

正規戦を避けて、ゲリラ戦を展開する、というものでした。

それで結局、米軍は敗退しています。

 

 

 

戦争ではありませんが、大英帝国からの独立をめざした、

インドのガンジーがとった戦略も、

「非暴力、不服従」というものでした。

強国であるイギリスに対して、真正面からの武装闘争には利がない、

と考えたのです。

 

 

 

物量にものをいわせてさわやかに勝つ、米英。

 

それにたいして、いまみてきたような、

ロシア、中国、ベトナム、インドの戦い方というのは、

弱者の戦略であり、弱者が、長い時を経たのちに徐々に優位に立っていく

持久戦略であり、忍耐の性質を有し、ひねくれていて、ねじけていて、

どちらかというと根暗で、現代風にいうと「陰キャ」の戦略で、と、

こういう印象をわたくし天機は持ちます。

 

 

 

ところで、この地球上には、水がたくさん集まってできた海洋と、

土がたくさん集まってできた陸地があります。

 

その陸地の中でも、とくに土の力が水の力よりも強いところが大陸に

なるのですが、

その大陸の中でも、最大のものが、ユーラシア大陸なんですね。

 

つまり、ユーラシア大陸というところは、水の力に対抗する、

土の力が、きわめて強いところなんですね。

 

 

 

上で見たような、ロシア、中国、ベトナム、インドといった、

どちらかといえば「根暗」な持久戦を展開する国々というのは、

どういうわけか、みな、

そのユーラシア大陸の国々なんですね。

おもしろいところです。

 

 

 

さて、そういうふうに、戦争のかたちにもいろいろとあるわけなんですが、

わたくし天機は、はっきりと、

米英のような戦争のかたちではなく、

どちらかといえば、

ロシア、中国、ベトナム、インドが見せたような、

根暗で陰険な戦いを好むタイプの人間です。

 

そして、その「戦争哲学」が、

わたくし天機の、将棋の指し方にもあらわれることになります。

 

 

 

将棋をやっていると、強いひとというのがいます。

 

そういうひとは、強くて、序盤戦略にも通じていますから、

ポンポンポンポンと、指し手もはやかったりします。

 

こちらがうんうん考え込んでいると、不機嫌そうに、

「はやく指せよ?」とか言ってくるひとなんですね。

 

将棋におけるこういったひとというのは、

実生活でいうところの、いわゆる「リア充」の性質を持っています。

 

そして、ぼくはこの、リア充というのが、

はなはだ嫌いなんですよね。

 

 

 

そういうわけで、自分の将棋というのは、

劣勢の中でねばりながら、徐々に反撃をしていく、というものになります。

 

具体的に、どんな勝負になるのか、というと、

たとえば、ケータイで激指をやっていたときの勝負で覚えているのは。

 

はじめ、自分がやたら攻撃されていて、

自陣に相手の飛車が成りこんできました。

すごいピンチだったのですが、

自分は、自陣の駒でその竜を閉じ込めて、捕獲してしまったのです。

 

さらに、つぎには、自陣に相手の角が成りこんできました。

ところが、その馬も閉じ込めて、捕獲してしまいました。

 

そうして、自分の玉は、相手陣への入玉を目指しにかかりました。

そのときのケータイの激指には、「トライルール」というのがあって、

対局開始時に相手玉がいた地点に自玉が到達すれば、

それだけで勝ちになる、というルールがあったのです。

 

相手側は、天機の玉がそこに到達するのを阻止しにかかってきましたが、

天機の、相手の歩の前に天機の金をただ捨てする、という妙手で、

勝つことができました。

 

すごい長手数の将棋だったと思います。

 

 

 

竜もつくって、馬もつくって、もう相手は戦意喪失で降参するだろう、

と思っていたら、

竜も捕獲し、馬も捕獲し、そこから逆転を図ってくるというのは、

いやな相手だったろうと思います。

 

 

 

こういう「しつこい」将棋を指していると、

対戦相手からは非常に嫌われ、友達をなくすことがありえます。

 

が、コンピュータ相手なら、その心配もありません。

そういうわけで、天機は、コンピュータと対戦するほうが好きです。

 

 

※ 将棋のこと、の、前の記事は、こちら

 

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将棋のこと。 2

こんにちわ。天機です。

 

 

 

今回は、前回書いた将棋の記事の、続きを書いてみようと思います。

 

 

 

そんなこんなで、おじいちゃんに教わった将棋なのですが、

将棋をおぼえたことで、

いろんなひととの出会いがありました。

 

 

 

まず、小学校、中学校、高校、大学と、

学生時代には、どこでも、

将棋を通じて楽しい時をすごせた、知人、友人ができました。

 

 

 

中学校のころは、学校に将棋を持っていけないので、

ノートにボールペンで将棋盤を書き、

そこに、鉛筆と消しゴムで、駒を書いたり消したりして、

友人と将棋をしました。

 

 

 

大学生のころは、自分は、学生寮にはいっていました。

 

その寮には、外国から来た留学生が一定数いて、自分は、

中国から来た留学生と、日本の将棋を指していました。

 

その、中国人留学生は、日本語がある程度話せました。

それだけでなく、どういうわけか、

日本の将棋が指せて、しかも、僕より強いか、僕と匹敵するくらいの

強さだったのです。

 

その中国人留学生は、ぼくと将棋をするなかで、

いろんなことを言ってくれました。

 

そのなかで、覚えている言葉が、

 

「天機さん、攻撃しないと、勝てないよ?」

というのと、

 

「天機さんは、外向的な性格ですね。」

というものです。

 

自分の将棋は、相手が勝とうと思っても、もはや勝てなくなるように、

相手の攻撃手段を少しずつ奪っていくのをよく基本にしているのですが、

それだと、よく負けてしまうんですよね。

そこを言われたんだと思います。

 

また、自分は自分のことを、とても内向的な性格だと思っていたし、

いまも思っているんですが、

外向的な性格と言われたことは意外でしたし、

将棋を指す中で、いったいどうやって、天機の中に、

外向的な性格、を見出したのか、興味があります。

 

とはいっても、その中国人留学生とは、

その後、音信不通になってしまいましたが。

 

 

 

また、学生時代以外でも、たとえば、

病院に入院してるときなんかも、

ほかの患者さんと将棋を指したことがありますね。

 

 

 

 

 

このように、将棋は、ひととの縁をもたらしてくれたのですが、

自分1人で将棋を指していたこと、指すことも、けっこうありました。

 

 

 

自分は子供のころ、ちょうど初代のファミコンが発売されて間もない

ころだったのですが、

親の方針で、家にはファミコンがありませんでした。

 

だけでなく、マンガも1冊もなく、ドラえもんの単行本すらありませんでした。

 

おかげで、1人でいるときは、ずいぶんと面白くない子供時代をすごしていました。

 

将棋盤と駒はあったので(100円で買った)、

自分1人で将棋盤に駒をならべて、

相手側と自分側を、自分1人で担当して、1人将棋を指したりもしたんですが、

まあ、面白くなかったですね。面白いわけがない。

 

 

 

中学生になったとき、お金持ちのクラスメイトが、自分に、

ゲームボーイタイプのゲーム機(ゲームボーイではなかったような気がする)と、

将棋のソフトを、無料でレンタルしてくれました。

 

それは、歩がスライムで、桂馬がカエルで、飛車が鷲かなんかで、

まあ、面白いのなんの。

コンピュータ相手に対戦するのって、

こんなに面白いものか、と思いましたね。

 

もっとも、親は、そのゲーム機を家で充電すると、

電気代がかかる、とかなんか言ってきましたが。

 

とにかく、楽しみ、というものを、抑圧してくるタイプの親でした。

 

 

 

大学に入って、一人暮らしをするようになり、

はじめて自分で買ったゲーム機が、初代のプレステでした。

 

このプレステのソフトには、値段の安いものもあり、

自分は、その、値段の安い将棋のゲームソフトを買って、

1人で遊んでいました。

 

もっとも、値段が安いので、

その将棋のゲームソフトの棋力が、そんなに高くないんです。

 

ある程度やりこむと、パターン化してきて、

相手は同じパターンの手ばっかり指してくるようになり、

自分がかならず勝つようになりました。

 

にもかかわらず、自分は、そのゲームをやり続け、

相手陣にと金王国をつくったり、全駒にして相手玉をいじめたりしていました。

 

いま思うと、壮大な時間の無駄です。

 

 

 

いまから10年ほど前には、

ケータイのゲームで、「激指」というのをやっていました。

 

それなりに楽しめたと思いますが、

月額300円ほどしました。

 

これなら、長い年月ののちには、割高になるのではないか、

と思って、パソコンの将棋ソフトをはじめて買いました。

 

それが、10000円ほどで買った、

「激指 定跡道場 2」とかいうやつだったと思います。

 

ここに至ってはじめて、

簡単には勝てないような相手とプレーすることができるようになりました。

 

 

 

そして現在は、「きのあ将棋」で指しています。

ネット上の無料将棋サイトで、対人対戦でもないのですが、

すごく強いです。

 

将棋AIの進歩には、驚かされますね。

 

 

 

※ 将棋のこと、の、前の記事はこちら

 

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将棋のこと、の次の記事は、こちら

 

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将棋のこと。 1

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、将棋のことについて、書こうと思います。

 

 

 

天機は、将棋が大好きです。

 

 

 

天機と、将棋の出会いは、小学校高学年くらいにさかのぼります。

 

 

 

天機は、おばあちゃん子でした。

 

小学校の時、天機はおばあちゃんと、はさみ将棋を指していました。

 

 

 

あるとき、おばあちゃんは、おじいちゃんに、

 

「この子に、本将棋を教えてあげて。」

 

と言いました。

 

おじいちゃんは、それで僕に、本将棋を教えてくれたのです。

 

 

 

が、おじいちゃんは、あまり乗り気ではなかったのかもしれません。

 

 

 

 

 

囲碁には、井山裕太7冠とか、将棋には、羽生善治永世7冠とか、

いますよね。

 

かれらの共通点は、小さいころに、

すぐれた周囲の大人にめぐまれたことです。

 

たとえば、井山7冠なら、おじいちゃんが、

羽生永世7冠なら、地元の将棋教室の師範が、それぞれ、

たとえば将棋でいえば、駒落ちから指導してくれるなどして、

徐々に力をのばしてあげたんです。

 

 

 

うちのおじいちゃんは、僕に将棋を教えることに乗り気でなかったためか、

そういう配慮は、まったくありませんでした。

 

駒の動かし方を覚えたばかりの僕に、

いきなり棒銀で攻撃してきて何度も負かし、

ハンディをつけてくれることも、手加減することもありませんでした。

 

 

 

 

ぼくは、最初は将棋が弱かったのですが、

小学校の図書館で将棋の本を借りたり、将棋の本を買って読んだりして、

自分で勉強して、徐々に強くなっていきました。

 

 

 

相当強くなってから、おじいちゃんとふたたび対戦しました。

 

 

 

僕が、おじいちゃんの王様と飛車に、僕の角で王手飛車取りをかけました。

 

おじいちゃんは、自分の飛車を、自分の王様と僕の角の間にスライドさせて、

 

「飛車と角の交換やな。」

 

と言いました。

 

 

 

ところが、実際には、飛車と角の交換には、ならないのです。

 

これは、将棋の本を読んで、手筋を勉強していれば、でてくる筋です。

 

ぼくは、おじいちゃんがスライドさせた飛車の頭を、

さらに歩でたたきました。

 

結局、おじいちゃんの飛車は、僕の角との交換にはならず、

僕の歩でとられてしまいました。

 

 

 

おじいちゃんもまた、だれかに将棋を習ったのでしょうが、

自分で将棋の本を読んでさらに研究する、というひとではありませんでした。

 

なので、将棋をおぼえたての僕では歯が立ちませんでしたが、

僕がすこし将棋を勉強すると、おじいちゃんの実力を上回るようになったのです。

 

 

 

 

 

ぼくは、将棋を教わってから、ずっといままで将棋を指しています。

 

棋力は、だいたい、町の道場でアマチュア4級くらいでしょうか。

 

この棋力は、ぼくが将棋をおぼえた小学校高学年のころから、

たぶん、ほとんど変わっていないと思います。

 

 

 

小学校高学年から、40近くになる現在まで、

いろんな将棋の本にふれてきました。

 

ですが、きちんと読破した本は、じつは、少なかったりするのです。

 

ですので、とくに将棋の序盤戦術については、あまり知りません。

 

そのため、僕が将棋で負けるときというのは、たいてい、

序盤の早い段階で、すでに形勢を損じて負かされることが多いです。

 

つまり、負けるときは、短期戦で負けてしまうのです。

 

 

 

 

 

それに対して、自分が将棋で勝つときというのは、

長期戦になったあとのことが多いです。

 

しかも、自分が勝つ将棋というのは、よく、

200手、300手といった、非常な長期戦になることが多いのです。

 

 

 

どうしてそうなるのか、といえば、

自分が、入玉を目指すからです。

 

将棋に限らず、自分の考えにおいては、

戦い、戦争というものは、すべからく「長期戦」なのです。

 

自分にとって、戦争とは、「長期戦」を意味します。

 

序盤に相手からの攻撃を受けて、劣勢で、追い込まれているように見えながらも、

からくも、相手陣への入玉をこころみ、はたします。

 

すると自分は、その相手陣に入玉した自玉の周囲を、

「と金」でがちがちに固めていきます。

 

相手にとっては、癌細胞が自陣にできたようなものです。

 

 

 

それで、相手玉もこちらに入玉したとなると、相手は、

「引き分けやな。」

と言います。

 

 

 

ところが、そうではない。

 

自分にとっての「戦争」は、ここから始まるのです。

 

相手陣において、続々とと金を「生産」し、

相手陣をあたかも「と金」の生産工場のようにしたうえで、

今度は、そうやって生産した「と金」部隊が、

こちらの自分の陣に入玉している相手玉をめがけて、

「南下」していくのです。

 

かりに、こちらのと金部隊の物量がまさっていれば、

相手が抵抗したとしても、

こちらの自陣に築いた相手玉の「城」は、

やがては崩壊することになります。

 

ですので、決して「引き分け」などではないのです。

 

 

 

自分にとっての「戦争」とは、基本的に、

このくらいに至るまでの「長期戦」が視野に入っています。

 

 

※ 将棋のこと、の、つぎの記事は、こちら

 

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