この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

将棋のこと。 1

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、将棋のことについて、書こうと思います。

 

 

 

天機は、将棋が大好きです。

 

 

 

天機と、将棋の出会いは、小学校高学年くらいにさかのぼります。

 

 

 

天機は、おばあちゃん子でした。

 

小学校の時、天機はおばあちゃんと、はさみ将棋を指していました。

 

 

 

あるとき、おばあちゃんは、おじいちゃんに、

 

「この子に、本将棋を教えてあげて。」

 

と言いました。

 

おじいちゃんは、それで僕に、本将棋を教えてくれたのです。

 

 

 

が、おじいちゃんは、あまり乗り気ではなかったのかもしれません。

 

 

 

 

 

囲碁には、井山裕太7冠とか、将棋には、羽生善治永世7冠とか、

いますよね。

 

かれらの共通点は、小さいころに、

すぐれた周囲の大人にめぐまれたことです。

 

たとえば、井山7冠なら、おじいちゃんが、

羽生永世7冠なら、地元の将棋教室の師範が、それぞれ、

たとえば将棋でいえば、駒落ちから指導してくれるなどして、

徐々に力をのばしてあげたんです。

 

 

 

うちのおじいちゃんは、僕に将棋を教えることに乗り気でなかったためか、

そういう配慮は、まったくありませんでした。

 

駒の動かし方を覚えたばかりの僕に、

いきなり棒銀で攻撃してきて何度も負かし、

ハンディをつけてくれることも、手加減することもありませんでした。

 

 

 

 

ぼくは、最初は将棋が弱かったのですが、

小学校の図書館で将棋の本を借りたり、将棋の本を買って読んだりして、

自分で勉強して、徐々に強くなっていきました。

 

 

 

相当強くなってから、おじいちゃんとふたたび対戦しました。

 

 

 

僕が、おじいちゃんの王様と飛車に、僕の角で王手飛車取りをかけました。

 

おじいちゃんは、自分の飛車を、自分の王様と僕の角の間にスライドさせて、

 

「飛車と角の交換やな。」

 

と言いました。

 

 

 

ところが、実際には、飛車と角の交換には、ならないのです。

 

これは、将棋の本を読んで、手筋を勉強していれば、でてくる筋です。

 

ぼくは、おじいちゃんがスライドさせた飛車の頭を、

さらに歩でたたきました。

 

結局、おじいちゃんの飛車は、僕の角との交換にはならず、

僕の歩でとられてしまいました。

 

 

 

おじいちゃんもまた、だれかに将棋を習ったのでしょうが、

自分で将棋の本を読んでさらに研究する、というひとではありませんでした。

 

なので、将棋をおぼえたての僕では歯が立ちませんでしたが、

僕がすこし将棋を勉強すると、おじいちゃんの実力を上回るようになったのです。

 

 

 

 

 

ぼくは、将棋を教わってから、ずっといままで将棋を指しています。

 

棋力は、だいたい、町の道場でアマチュア4級くらいでしょうか。

 

この棋力は、ぼくが将棋をおぼえた小学校高学年のころから、

たぶん、ほとんど変わっていないと思います。

 

 

 

小学校高学年から、40近くになる現在まで、

いろんな将棋の本にふれてきました。

 

ですが、きちんと読破した本は、じつは、少なかったりするのです。

 

ですので、とくに将棋の序盤戦術については、あまり知りません。

 

そのため、僕が将棋で負けるときというのは、たいてい、

序盤の早い段階で、すでに形勢を損じて負かされることが多いです。

 

つまり、負けるときは、短期戦で負けてしまうのです。

 

 

 

 

 

それに対して、自分が将棋で勝つときというのは、

長期戦になったあとのことが多いです。

 

しかも、自分が勝つ将棋というのは、よく、

200手、300手といった、非常な長期戦になることが多いのです。

 

 

 

どうしてそうなるのか、といえば、

自分が、入玉を目指すからです。

 

将棋に限らず、自分の考えにおいては、

戦い、戦争というものは、すべからく「長期戦」なのです。

 

自分にとって、戦争とは、「長期戦」を意味します。

 

序盤に相手からの攻撃を受けて、劣勢で、追い込まれているように見えながらも、

からくも、相手陣への入玉をこころみ、はたします。

 

すると自分は、その相手陣に入玉した自玉の周囲を、

「と金」でがちがちに固めていきます。

 

相手にとっては、癌細胞が自陣にできたようなものです。

 

 

 

それで、相手玉もこちらに入玉したとなると、相手は、

「引き分けやな。」

と言います。

 

 

 

ところが、そうではない。

 

自分にとっての「戦争」は、ここから始まるのです。

 

相手陣において、続々とと金を「生産」し、

相手陣をあたかも「と金」の生産工場のようにしたうえで、

今度は、そうやって生産した「と金」部隊が、

こちらの自分の陣に入玉している相手玉をめがけて、

「南下」していくのです。

 

かりに、こちらのと金部隊の物量がまさっていれば、

相手が抵抗したとしても、

こちらの自陣に築いた相手玉の「城」は、

やがては崩壊することになります。

 

ですので、決して「引き分け」などではないのです。

 

 

 

自分にとっての「戦争」とは、基本的に、

このくらいに至るまでの「長期戦」が視野に入っています。

 

 

※ 将棋のこと、の、つぎの記事は、こちら

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

reasongomainstream.hatenablog.com