この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

寄り道には幸運がある、かも。

こんにちわ!天機です。

(この記事 約3900字)

 

 

 

人生というのは、さまざまな生き方があります。

 

小さいころから、あるいは、学生時代から、

自分は将来、これを目指すんだ、という目標をしっかりとさだめて、

わきめもふらずにそれを目指して邁進し、努力して、

その目標を実現し、成功して、

引退した後は悠々自適で余生を送る…

 

そんな生き方も、たしかに、理想の成功例の1つではあるでしょう。

 

 

 

ところが、人生というものは、ときに、

思いもよらない意外な展開をみせることがあるものです。

 

自分の将来に、当初は予想していなかったような、

あらたな道、べつの道、

言ってみれば、ひとつの「寄り道」のような進路がひらけてくることも、

あると思うんです。

 

 

 

そんなとき、ひとの選ぶ生き方には、いろいろあります。

 

「いやいや、そんな寄り道が目の前にあらわれたとはいっても、

 自分の本来の目標とは違うんだから、

 自分はこれまで通り、自分の当初からの目標の達成を目指して、

 努力し続けるんだ。」

 

というひともいるでしょう。

 

 

 

他方で、

 

「おっ?こんな寄り道が人生にあらわれたのか。

 自分の当初の予定とは違うけれど、こっちの寄り道も面白そうだな。

 よし、ここはひとつ、この寄り道にのってみるか。」

 

と思って、進路をわずかに変える人も、いるかもしれませんね。

 

 

 

きょうのお話は、

「人生においてあらわれた、あらたな道、寄り道、

 そういった進路のほうを選んでみると、

 意外と、幸運にめぐまれたりすることも、あるんじゃないかな」

というお話なんです。

 

では、自分がこれまでに見聞してきた、

寄り道をえらんだことで、幸運にめぐまれることになったひとびとの、

例をみていきましょう。

 

 

 

ビルゲイツというひとは、マイクロソフトを創業したひとで、

世界の長者番付にも常連で登場してくるひとです。

 

彼の家系は裕福で、法律家が親族にも多かったことから、

彼もおそらく、法律家を目指そうとして、大学では法学を専攻したそうです。

(諸説あり、応用数学を専攻した、としているサイトもある)

 

ところが、法律の勉強にはどうも身が入らず、

ポーカーゲームやプログラミングといった、「寄り道」にばかり

熱中するようになり、

その熱中が高じて、やがては大学を中退し、

その「寄り道」のほうに進路をとった結果、

コンピュータの世界で大成功して、大富豪になったのです。

 

 

 

マークザッカーバーグというひとは、

フェイスブックの創業者として、やはり大富豪として有名なひとです。

 

彼の興した会社は、コンピュータに関連する会社であり、

彼は大学では、計算機科学を専攻したとされていますから、

大学での専攻と、その後の成功に、まったく関連がなかったわけではありません。

 

が、かれに大成功をもたらしたのは、

本業の、大学での専攻や、その授業、勉強では、なかったのです。

 

かれはハッキングに熱心で、

おなじ大学の女の子の、だれが可愛いかというのをランク付けするサイトを

つくることに熱中していました。

 

この行為は、大学からはひどく目の敵にされ、彼はその結果、

大学を中退するにいたるのですが、

このランク付けサイトが、のちにフェイスブックとして花開くことになるのです。

 

ザッカーバーグもまた、

本業の大学での学業ではなく、「寄り道」のほうを人生の進路として

えらんだために、大成功がやってきたのです。

 

 

 

日本では、有名な個人投資家に、BNFというひとがいます。

ジェイコム男、という呼称で、ニュースでもとりあげられたひとです。

 

かれは、ネット上の情報では、日本大学の法学部に在籍していた、

といわれていますから、おそらくは、

法律家になるか、あるいは、

とくに考えはなくて、つぶしがきくから、といった単純な理由で法学部をえらび、

将来は、ふつうに就職するか、

そんなふうなことを考えていたのかもしれません。

 

ところが、かれは大学在学中に、バイトで貯めた160万円ほどを元手にして、

当時、まだ黎明期だった、ネットでの株取引に乗り出します。

 

するとその結果、あれよあれよという間に資産を増やして、

数百億の資産を持つに至りました。

 

大学での勉強、そして就職、という道が「本道」とするならば、

ネットで株取引をはじめる、などというのは、あきらかに「寄り道」

であったはずです。

ところが、その「寄り道」のほうを進路にさだめたことで、

彼の運命がひらけることになったのです。

 

 

 

おにゃんこクラブやAKB48など、数々のアイドルグループをヒットに

導き、また、多数の楽曲の作詞を手掛けていることでも知られる、

総合プロデューサーの秋元康さん。

 

彼はもともと、東大をでて官僚になることを夢見ていて、

開成中学を受験するも失敗、中央大学の付属高校に進学しますが、

高校2年生だった時に、そろそろ受験勉強を本格化しないと

東大には行けないな、と思いつつも、本腰が入らない、

という日々をおくっていました。

 

そんななか、たまたまラジオのニッポン放送の深夜番組を聴いていたときに、

その番組に関連するシナリオを思い付き、

それを原稿用紙20枚にわたって書き上げ、

べつにニッポン放送は、シナリオの募集なんか全然していなかったにも

かかわらず、

その書き上げたシナリオをニッポン放送に送ったところ、

ニッポン放送のお偉いさんの目に留まり、

これからは遊びに来るように、と言われて、

そこから、放送作家、作詞家へと、運命がひらけていったのです。

 

受験勉強をして、東大に入り、官僚になる、というのが、

当初の目標であったとするならば、

受験勉強中にシナリオを思いついて放送局に送る、なんていうのは、

まったくの「寄り道」だったわけです。

 

が、かれにとっての幸運は、その「寄り道」に眠っていたんですね。

 

 

 

「欽ちゃんの仮装大賞」で有名な、萩本欽一さん。

 

彼はかつて、大ヒット番組の司会を何本もこなし、

「視聴率100%男」の異名もとるほどの、売れっ子タレントでした。

 

そんな欽ちゃんが、まだ無名だったころ。

 

中学卒業後、お笑い芸人の道に進むことを心に決めた欽ちゃんは、

当時、浅草を代表する喜劇役者だった大宮敏充さんのもとへ弟子入り

することを目指して、弟子入りを志願しますが、

「せめて高校を出てからおいで」と言われます。

 

それで高校卒業後に、浅草にあった東洋劇場のつてをたどって、

浅草松竹演芸場で活動していた大宮さんに、再度、入門をこころみるのですが、

そのときに、東洋劇場のあるひとに、こう言われます。

 

「大宮さんは売れっ子で、いま忙しいから、たぶん、会ってくれないよ。

 もし、大宮さんに断られたら、うちにおいで。

 うちで面倒みてあげるから」と。

 

その言葉を聞いて、欽ちゃんは、大宮さんに弟子入りを目指す、

という、当初の方針を変更して、大宮さんには会いに行かずに、

東洋劇場に入門することを決めます。

 

大スターだった大宮さんに入門、弟子入りするというのが「本道」だったなら、

その途中で出会った東洋劇場というのは、いわば「寄り道」だったのですが、

この「寄り道」をえらんだことで、

のちの欽ちゃんの、スターになる道へとつづく、

さまざまな出会いが用意されることになったのです。

 

 

 

最後の例を。

 

中国古代に、漢帝国という帝国がありました。

帝国を興したのは、劉邦(りゅうほう)という男です。

 

その劉邦の覇業を輔佐し、のちに「帷幕(いばく)の謀臣」とよばれることに

なった男が、張良(ちょうりょう)でした。

 

張良はもともと、韓という国の貴族の出自で、

秦帝国の軍隊が故国を蹂躙するのを目の当たりにして激しく憤り、

秦の始皇帝の暗殺をくわだてたこともある男です。

 

秦の末期、中国全土で反乱の烽火が上がるなか、

張良も、郷党の子弟100人ほどを率いて、身を寄せるべき首領を探していました。

 

そんななか、張良が「参軍いたしたく思います」と、当初、

その配下に加えてくれるよう頼む書面を送った相手は、

景駒(けいく)という男でした。

 

そして、その景駒に会いに行くべく、張良が旅を続けていたときに、

留(りゅう)という町を通過しました。

 

そのとき、留には、劉邦の軍隊の一団がいました。

 

張良は、劉邦の名前を聞いて知っていたこともあり、

とりあえず劉邦にも面会を求めてみました。

 

すると、劉邦は、気分よくあっさりと面会してくれたばかりか、

張良の説くところをじっくりと聴き、

さらには張良に、みずからの配下になってくれないか、と頼んだのです。

 

張良は、その劉邦の大度量にほれこみ、

配下になることを承諾してから、すこし狼狽しました。

 

というのも、すでに景駒のもとに、その傘下に入ると、書状を送っていたからです。

 

漢(おとこ)には二言はないもの、と言われますが、

張良はここで、本来の相手であった景駒から、眼前の劉邦へと、

「寄り道」することを、みずからの進路としてえらびました。

 

その後、張良の仕えた劉邦は、数多くの幸運にもめぐまれて、

中国皇帝にまでのぼり、

張良は、「謀(はかりごと)を帷幕のうちにめぐらして、勝利を千里の外

に決する男だ」という、名軍師の評判が、後世にまで伝わることになりました。

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

天機の数少ない人生経験の中で見聞した例にすぎませんが、

「寄り道」を選択すると、どういうわけか、

幸運の女神が微笑んでくれることもあるよ、という例を、

見ていただけたかと思います。

 

 

 

自分が小さいころから、心に決めた目標、

その目標をめざして努力を積み重ねてきたひとならば、なおのこと、

「寄り道」を選択することは、

あたかも、人生における「挫折」や「敗北」のようにも、

見えてしまうかもしれません。

 

ですが、そこには、案外、

べつなチャンスが広がっていることも、あると思うんです。

 

きょうは、そんなお話でした。