この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

咳という漢字の字源と、亥と、垓下と、四面楚歌。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

今日はひさしぶりに、漢字についての分析記事を書いてみようと思います。

(約8200字)

 

 

 

今回分析するのは、

 

 

という漢字です。

 

 

 

咳という漢字は、口に亥と書いてできます。

 

なぜ、口に亥と書くと、咳になるのでしょうか。

 

咳という漢字に亥がふくまれているのは、なぜなんでしょうか?

 

 

 

まずはネットで、咳という漢字の字源について、

一般的な説を調べてみましょう。

 

 

 

ウィクショナリーという漢字についてのサイトでは、

こう書いてあります。

 

つまり、

亥という漢字の部分は、豚の骨組みをあらわしており、

豚が病んで痩せて、咳を出している様子をあらわしているのだ、と。

 

 

 

また、知恵袋など、そのほかのサイトでは、

つぎのような分析をしているひともいました。

 

つまり、亥という部分は音(おん)を借りてきた部分で、

つまりは、咳をした時のゴホン!という音をあらわしているのが

亥という漢字なのだと。

 

 

 

天機は例によって、

一般的な漢字学説をことごとく無視して、独自説をたててみたいと思います。

 

 

 

天機が注目したのは、

咳という漢字のなかに含まれている亥という文字は、

十二支の1つだということです。

 

 

 

十二支を順にならべてみると、

 

子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥、

 

で、十二支の12番目に来るのが、亥なんですね。

 

 

 

ここから天機は、次のようなへんなことを考えました。

 

 

 

つまり、

 

咳という漢字の中に亥がふくまれているのは、

咳という生理現象と、

亥があらわす十二支の第12原理とのあいだに、

なんらかの関連があるからなのではないか?

 

なんてことを考えたのですね。

 

 

 

では、この自分の考えを説明していくために、

まずは、咳という生理現象について考えてみましょう。

 

 

 

咳って、どういうときにでるでしょうか。

 

 

 

思いつくのは、風邪をひいたり、なんらかの肺の病気にかかったりしたときには、

咳がでるでしょう。

 

また、食べ物や飲み物がむせたりしたときにも、

ゴホゴホと、咳が出てしまうものだと思います。

 

 

 

これらのことの背景に共通してあるのは、おそらく、

 

異物が肺に入ろうとしたときに、それを防ぐため咳が出る

 

ということだろうと思うのですね。

 

 

 

でも、このことを、もっと深く考えてみたいと、

天機は思うんです。

 

 

 

この、咳によって、肺に入ろうとすることを防ぐところの、

 

異物の大きさ

 

って、どれくらいのものだと、みなさんは思いますか?

 

 

 

ジャガイモくらい?

サイコロステーキくらい?

お刺身くらい?

わらびもちくらい?

お豆さんくらい?

ラムネくらい?

ごまくらい?

砂糖の粒くらい?

 

 

 

すこし、言葉をかえてみましょうか。

 

 

 

咳というのは、わらびもちくらいの異物が肺に入ろうとしただけでは出なくて、

異物がサイコロステーキくらいの大きさになって、はじめて出る、

そういったものなのですかね?

 

 

 

あるいは、咳というのは、

異物が砂糖の粒くらいの大きさの時にはまだ出なくて、

お豆さんくらいの大きさの異物が肺に入ろうとした段になって

はじめて出る、

そういったものなのですかね?

 

 

 

…いずれもたぶん、違いますよね。

 

 

 

咳というのは、その異物がかなり微細なものであっても、

たとえば、ほんのわずかな食べ物のかすとか、ツバのかすかな一部とか、

蒸気みたいな水滴の一部であっても、

 

おおよそ空気でないものが、

本来、空気のみが通過することを許可されているところの

肺や気管に侵入しようとしたときには、

それがかなり微細なレベルにあって、

十分な大きさをそなえてはいなかったとしても、

咳でもってその侵入をはばむ

 

ものだろうと思うんですよね。

 

 

 

肺や気管というのは、おもに空気の通り道です。

 

その肺や気管に侵入しようとして、咳でもってその侵入をはばまれるのは、

おもに、たとえば水滴であったり、食べ物のカスであったりです。

 

 

 

ここで、

 

空気=実体のないもの

水滴や食べ物のカスなど=実体のあるもの

 

と、ものすごくザックリと2つにわけて対比してみると、

咳というのは、

 

実体のないものが存在すべき「場」が、

実体のあるものによって占有されようとしたときに、

逆方向へと爆発的にそれを押し返す

 

という性質をもつものであることがわかります。

 

 

 

そして咳というのは、先にみたように、

その異物がかなり微細なものであっても発生するのです。

 

というよりはむしろ、異物が微細な段階であるときに処理するからこそ、

咳というのは異物排除の用をなすのであって、

異物がある程度大きくなるまで咳が発生しないようなら、

異物排除の役には立たないような気もするんですよね。

 

 

 

ここで、この咳によって排除される異物が、

微細なものであっても排除されるというところから、

「微細」ということについて考えてみましょう。

 

 

 

数の世界において、数をどんどん、どんどん、小さくしていくと、

いずれは、0(ゼロ)になります。

 

そして、数の理論と数学においては、

限りなく、限りなく小さな「数」である

0.00000000000000…1のようなものは、

これを0(ゼロ)と同視します。

 

0.00000000000000…1を0と同視するということは、

数の理論と数学が成立するうえでの根幹、大前提になっているのです。

 

 

 

ただ、数の理論や数学の世界では、

そのように、0.000000000000…1を0と同視するのですが、

天機の考え方、および天機理論では、

そのようには考えません。

 

 

 

天機は、

なにかがどんどん、どんどん、小さくなって小さくなって、

限りなく小さくなっていくときには、

それが完全なゼロ、つまり、「無」になってしまう、

ちょうどその直前の段階に、

「無」とすごくよく似ているけれど「無」とはかすかに違い、

なにかがあるという状態がある、と考えていて、

その「無」の超直前の段階を「寸」と呼んで区別しています。

 

「闘」という漢字は、「門」のなかに「豆」と「寸」がはいってますよね?

「寸」はその「寸」です。

 

 

 

つまり、天機理論においては、

「寸」というのは、ひとつのごくごく微細な最小単位なのです。

 

 

 

この、天機理論において、

「無」という段階の超直前に「寸」という、微細な最小単位があるということ。

 

咳というのは、排除しようとする異物が微細なものであっても、

それを排除しようとする、ということ。

 

咳は、空気という、いわば「実体のないもの」が本来占めるべき「場」を、

水滴や食べ物のカスといった、いわば「実体のある」ものが占めようとしたときに、

それを逆方向へと爆発的に押し返す現象である、ということ。

 

そして、その咳という漢字のなかに、亥という文字が含まれているのは、

咳という生理現象と、十二支の第12原理である「亥」に、

なんらかの関連があるのではないか、ということ。

 

 

 

これらのことを総合して、自分は以下のように考えました。

 

 

 

十二支の第12番目の亥のあらわす原理というのは、

「寸」であらわされるような最小単位領域が、

実体のないなにかではなく、

実体のあるなにかによって占められようとした

まさにその瞬間に、

爆発的に逆方向へと押し返すことによって、

その、実体のあるなにかを排除しようとする原理、

その原理こそが十二支の第12原理である「亥」であって、

人間の咳の発生機序は、

この十二支の第12原理が、

人体における生理現象として具体化したものであるので、

咳という漢字には亥がふくまれる。

 

 

 

とまあ、こんなふうな非常に理屈っぽいことを考えたんですよね(๑◔‿◔๑)

 

 

 

なんで、十二支の第12番目の「亥」の原理というのは、

こんなふうになっているのか。

 

それを考えるには、十二支というものがそもそも、

どうしてできてきたのか、ということについて考える必要があります。

 

 

 

天機の考えでは、十二支というのは、

この世界がどのようにしてできてきたのか、また、

どのように変化していくのか、という、

生成、変化、流転の順序をあらわすものだと思っているんですね。

 

そして、十二支の第12番目である「亥」というのも、

この、世界生成の1つの段階をあらわしているのです。

 

 

 

天機は、こんなふうに想像してみました。

 

この世界のはじまりに、無だろうか、なんだろうか、

何かがありました。

 

それが、世界のはじまりとともに、

それがもともといた中心となるところから、周囲へとむかって、

ぱーーーっと、広がっていくんですね。

 

そして、それが限界まで広がっていったところで、

今度はそれが、もとの中心へ向かって帰ってきます。

 

 

 

どうたとえればいいですかね。

 

たとえば、ミカンの皮をむくときに似ているかもしれません。

 

ミカンをひっくりかえして、底の部分に指をつっこんで、

ミカンの皮をむきはじめますよね。

 

それが、世界のはじまりで、中心から周囲へ向かってわーーっと

向かっていくスタートのところです。

 

で、ミカンの皮を途中で切れたりせずにうまくむけたら、

底とは反対側のぽちっとしたところまでむけますよね?

 

その、ぽちっとしたところにたどりつくのが、

わーっと広がっていったものがもともとの中心へ帰ってきた、

というところです。

 

 

 

ミカンだったら、

スタート地点は底のところで、帰ってくるところはぽちっとしたところなので、

スタート地点≠ゴール地点ですね。

 

なので、たとえとしては、うまくなかったかもしれません。

 

 

 

むむむ。

 

 

 

天機が、十二支の第12原理である「亥」の原理を、

いちばんわかりやすく説明できると思うのは、

新世紀エヴァンゲリオン」というテレビアニメでの一場面かもしれません。

 

 

 

地上波テレビ放送で「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ本放送がはじまったのは、

たしか1995年のことで、

天機はまだ高校生でした。

 

テレビ版新世紀エヴァンゲリオンは、たぶん、全部で26話くらいあったと思う

のですが、そのなかに、

使徒、侵入」というのがあります。

 

 

 

マイクロサイズの使徒である第11使徒の「イロウル」が、

ネルフ本部のコンピュータ指令システムであるMAGIシステムに侵入するのです。

 

MAGIシステムは、

メルキオール、バルタザール、カスパーという3つの部分からなるのですが、

その第11使徒イロウル」によって、

メルキオール、バルタザールはすべて侵食されてしまい、

最後に残ったカスパーも、

そのなかの最小単位を残すだけになって、残りはすべて

イロウル」に制圧されてしまいます。

 

そして「イロウル」が、

MAGIシステムを完全に制圧しようとして、

最後に残ったカスパーの最小単位をやっつけようと攻撃すると、

そこの最小単位は、まるで戦っているかのように少し点滅した後、

なんと、

制圧しようとしていた攻撃側の使徒イロウル」が、

さーーーっと、MAGIシステムから一掃されてしまうのですね。

 

これはリツコ博士が逆ハッキングプログラムを送り込んだからなのですが、

あんまり、文字で説明してみても、

よくわかんないかもしれません。

 

どっかに転がってる動画を探してみてもらえれば、よくわかると思います。

 

 

 

これがたぶん、

十二支の第12原理である「亥」の原理を、

とてもよくあらわしている映像になるかと思うんです。

 

 

 

でも、いまここに、その映像はないので、

あくまで自分の言葉で説明すると。

 

 

 

世界のはじまりに、無かなにかがあって、

それが中心からぱーーーっと周囲へむかって広がっていく。

 

それが限界まで広がっていったら、今度は、もとの中心へ向かって

それが帰ってくる。

 

 

 

その、ぱーっと広がっていって、またもとへと帰ってくる「そいつ」

が動いた移動範囲には、

「色がぬられる」とかりに想像してください。

 

もとの中心からそいつが周囲へ向かってぱーっと広がっていくとき、

「色が塗られた」範囲、領域も、どんどん、大きくなっていきます。

 

そいつが限界まで遠く離れて、また、もとの中心へと向かって折り返すとき、

おおよそ、「世界」の半分くらいに色がぬられた状態でしょうか。

 

そいつが、もとの中心へむかってさーーと戻ってきて、

もとの中心へ近づけば近づくほど、

色をぬられた領域はどんどんと広がっていき、

色がまだぬられていない領域というのは、どんどんと小さくなっていきます。

 

 

 

その、色をぬられていない領域がどんどん、どんどん小さくなって、

ついに、「寸」くらいの大きさになって、

「そいつ」が、とうとうその最後に残った最小単位をも自分の「色」

でぬりつくそうとした、まさにその瞬間に、

その最小単位領域から爆発的に「逆進」が発生するのです。

 

 

 

最小単位をつぶそうとした瞬間に反撃を喰らう

 

ひと言で言うと、これが、

十二支の第12原理である「亥」のあらわす原理なのです。

 

 

 

天機が非常に理屈っぽい人間なので、

ながながと理屈っぽいお話に付き合わせてしまい、申し訳ありません。

 

ですが、このお話には、

あとすこし、続きがあるのですლ(╹◡╹ლ✿)

 

 

 

ところで皆さんは、

司馬遼太郎という小説家の書いた、「項羽と劉邦」という作品を

ご存知でしょうか?

 

 

 

いまから2200年ほど前、紀元前200年ごろの古代中国には、

国史上初めて全土にわたって、

中央集権制の官僚国家をうちたてた「秦」王朝というのがありました。

 

その秦が暴政をしいたため、

秦の始皇帝の死後、各地で燎原の火のように反乱がひろがり、

その反乱の中から、

項羽と劉邦という、2大英雄が現われて、覇を競うことになるのです。

 

 

 

先にあげた「項羽と劉邦」という司馬遼太郎の作品は、

この史実に取材したものですが、

もしかしたら、この作品のことは知らなくても、

項羽と劉邦のことは知っている方も、いらっしゃるかもしれませんね。

 

 

 

勇猛無比で向かうところ敵なしだった項羽に対して、

当初、劉邦軍は弱かったのです。

 

ですが、劉邦のもとには、きら星のように才能のある将領があつまり、

多士済済でした。

 

 

 

劉邦は、そんな有能の士のアドバイスをよく容れ、

智恵を使うことで項羽と戦い、だんだんと互角にもっていきます。

 

そしてついには、

広武山というところで1年にわたって両軍が対峙できるほどのところまで

もっていき、

項羽軍がやや衰微したところで、両軍は和約を結びます。

 

 

 

ところが、この和約を、劉邦軍が破って、

退却していく項羽軍の後背を襲うのです。

 

 

 

項羽は怒って野戦で劉邦軍を破り、劉邦は奔って固陵城に逃げ込みます。

 

固陵城はなんということもない平凡な城だったのですが、

項羽軍は補給の難もあってこのころには衰微しており、

攻城戦をやっている余裕がなく、

やがて項羽は、固陵城の囲みを解いて、撤退をはじめます。

 

 

 

このときになって、

劉邦の同盟軍であった韓信の軍30万や、彭越の軍、

周殷の軍などが、

劉邦の説得によって、項羽を討つべく、劉邦軍のもとに参集をはじめます。

 

弱者としての劉邦の戦略的な布石が、ようやく生き始めたのです。

 

 

 

項羽は本来なら、故郷の楚へ帰還して再起を図るべきだったのですが、

ここで項羽は、おかしな行動をとります。

 

「このあたりによい地形はないか?」と、

近侍の者に探索させて、発見した場所で項羽は、

なんと、野戦築城をはじめたのです。

 

その場所というのが、

 

垓下(がいか)

 

というところなのです。

 

 

 

天機という人間が、いったい、なんの話をしようとしているか、

想像はつきますか?

 

まあ、聞いてください。

 

 

 

垓下の地で野戦築城をした項羽は、

そこに急造した城に自分の軍を入れ、そこで籠城戦にはいります。

 

このころには、

劉邦の軍(漢軍といいます)のもとには、

韓信の軍や、彭越の軍、周殷の軍など、

各地の軍が集まりました。

 

その軍は日増しに増え、野に満ち、この大陸始まって以来の大軍になりました。

その大軍は、項羽の所在する城を、幾重にも厳重に包囲しました。

 

 

 

大軍に兵法なし、といいます。

劉邦は、ただ、攻撃命令を下すだけでよかったのです。

 

集結した劉邦軍は、項羽軍の城の城門めがけて殺到しました。

 

項羽軍はそれに対して逼塞してはいませんでした。

 

城門を八の字にひらいて、項羽軍(楚軍といいます)の兵は

逆襲にでました。

 

項羽軍の兵は城門からまっすぐに劉邦軍の中を突き進み、

劉邦のいる本営までもが動揺しましたが、

左右から劉邦軍の別動隊に包み込まれて殲滅されました。

 

夕方頃には、あたりを馳駆しているのは、

ほとんどが劉邦軍の兵ばかりになってしまったのです。

 

項羽は、いよいよ最後の時が来たようだ、と悟ったといいます。

 

 

 

ところが夜半になって、事態はまたおかしな方向へと動きます。

 

真夜中になったころでしょうか。

 

劉邦軍(漢軍)のほうからなんと、歌声が聞こえるのです。

 

それも、漢の歌ではなく、項羽の故郷である楚の歌でした。

 

しかも、四面ことごとく楚歌でした。

 

 

 

有名な

 

四面楚歌

 

です。

 

 

 

古来、この歌はだれが歌っていたのかとか、

だれが歌わせたのかとかについて、いろんな説があります。

 

項羽と劉邦」を書いた司馬遼太郎氏などは、

歌は漢軍中の楚の出身の者によって自然にわきおこったのだろう、

という見解をとっています。

 

そのいっぽうで、

漢軍の総司令官であり、背水の陣など、

奇策をもちいた韓信の指示によって歌は発生したのだ、

という説もあります。

 

 

 

いずれにせよ、

この漢軍陣営で発生した楚歌は、項羽の内心に影響します。

 

項羽は、ここでぽっきりと心が折れたのか、

籠城戦をかなぐりすてて、単騎、陣を抜け出して疾風のように遁走するのです。

後にしたがうのは、項羽軍の騎兵数百騎のみとなってしまいました。

 

 

 

驚いたのは劉邦です。

 

項羽が生きている限り、天下は定まらない。」と、

項羽の首に法外な懸賞金をかけるとともに、

5000騎という、この時代ではまれにみる規模の騎兵団を組織して、

項羽に対する特別捜索軍を編成して、項羽を追撃させるのです。

 

 

 

でも、ここで、天機は思ったんですよね。

 

なんか変じゃないかな?と。

 

 

 

劉邦が特別捜索軍まで編成して項羽のあとを追撃させたということからわかるのは、

劉邦にとって、

絶対に項羽を生かしておくわけにはいかない、ということです。

 

項羽が生きているということは、

劉邦にとって、めちゃくちゃまずいことなんです。

 

 

 

であるならば、考えてもみてください。

 

垓下で籠城戦にはいった項羽というのは、

まさに、籠の中の鳥、まな板の上の鯉じゃないですか?

 

どうしても項羽を仕留めたいのなら、

ここで徹底的に項羽の退路を絶って、厳重の上にも厳重に包囲をかさねて、

逃げ道を封じて、そのうえで一挙に総攻撃をかけて

項羽を殲滅してしまえばよかったんじゃないですか?

 

 

 

四面楚歌というのの発生については、その原因に関していろんな説がたしかに

ありますが、

もし、韓信の指揮下におこなわれた「作戦」であったとすると、

なぜ、項羽本人の遁走にもつながりかねないような、

そんな作戦を志向する必要があったんですかね?

 

なにより、

項羽が自身と、自身に従う数百騎のみなのに、

漢軍の重囲を突破して遁走に成功したというのも不自然です。

 

 

 

天機は、そこで思ったんです。

 

 

 

漢軍は、劉邦軍は、そして韓信は、

項羽を取り逃がしたんじゃ、ないのではないか?

 

総攻撃をかけなかったんじゃなくて、

 

下という場所で総攻撃をかけるわけには

いかなかったんじゃないか?

 

と思ったんです。

 

 

 

垓下。

 

 

項羽が起死回生の必殺の一撃を放とうとしたのか、

えらんだその垓下という地の、

垓の字のなかには、

 

 

がはいっていますよね。

 

 

 

十二支の第12原理の「亥」の原理のあらわすものを一言でいうと、

 

最小単位をつぶそうとした瞬間に反撃を喰らう

 

というものでした。

 

 

 

つまり、こういうことなんです。

 

亥という文字がふくまれた、この垓下という地、垓下という場所、

そのものに、

亥があらわす十二支の第12原理の性質が刻み込まれており、

追い詰められて追い詰められてついには「最小単位」にまでなってしまった

項羽は、

その垓下という土地の性質を知っていたからこそ、

この地で起死回生の反撃を目指そうとして野戦築城をしたかもしれず、

また、漢軍は漢軍で、同様にこの垓下という地のもつ

そのような影の意味を知っていたからこそ、

安易に最終攻撃をかけると最終攻撃をかけた側が逆襲されるという、

十二支の第12原理である「亥」の性質を警戒して、

あえて最終攻撃はかけずに、四面楚歌作戦を発動させたのではないですかね?

 

 

 

きょうは、そんなお話でした。