この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

終身雇用制度の崩壊が帰結するもの

みなさん天機です。

 

 

 

きょうは、労働者と経営者ということで、素人の視点から述べてみたいと思います。

 

 

 

最近、経団連は、

日本的な終身雇用を柱とする雇用慣行は、今後は維持できなくなるだろう、

とかいった見解を示しました。

 

 

 

労働者の側には、経営者側に言いたいことがあるだろうし、

経営者の側も、労働者側に言いたいことがあるだろうと思います。

 

 

 

日本経団連という組織は、日本の大企業の経営者側の集まりだと思うので、

日本的な雇用慣行を維持できないというのは、

経営者側から労働者側への意思表明なのでしょう。

 

 

 

そもそも、なぜ日本においては、

終身雇用を柱とする特異な雇用慣行が続いてきたのでしょうか。

 

 

 

一言でいえば、それは、

戦後日本の高度成長の時代に、その高度成長をけん引するのに、

とてもいいやり方だったから、ということが言えそうです。

 

 

 

戦後の日本においては、大蔵省が許認可権などをつうじて

大企業ににらみを利かし、

その大企業に下請けとなる中小企業がずらずらずらーとつながっていく

護送船団方式を採用することで、

いわば、

一枚岩のような「日本株式会社」になることで、

日本全体が繁栄していくという構図でやってきたのです。

 

 

 

終身雇用を柱とする日本的な雇用慣行は、そのなかで、

従業員に手厚い保護をあたえることで、

従業員からは忠誠と全人格的な献身を引き出すという、

いってみれば、

御恩と奉公のようなシステムとして機能してきたと言えるでしょう。

 

 

 

経団連は、今回、

そのような雇用慣行は、今後は維持できない、と明言しました。

 

 

 

ということは、どういうことかと言えば、

つまり、

御恩と奉公システムの、御恩の部分は、今後は提供しないと、

そう言ったということになります。

 

 

 

これは、今後の日本社会において、

労使間の関係だけではなくて、

日本社会がどうなっていくのかにも、おおきな影響をあたえることになるでしょう。

 

 

 

思い起こしてみれば、かつて鎌倉幕府の時代に、

元寇というのがありました。

 

モンゴル帝国の一部であって、中国を支配していた元という国が、

日本に攻め寄せてきたんですよね。

 

 

 

当時の日本の鎌倉幕府は、御家人とよばれた武士団とのあいだで、

御恩と奉公を基礎とする封建的な主従関係を結んでいました。

 

 

 

その関係にもとづいて、鎌倉幕府は、

そら、元が攻めてきたぞ、御家人たちよ、戦って元を撃退するのだ!

と命じたわけです。

 

 

 

で、都合よく暴風雨が発生したりもして、元の撃退に成功しました。

 

 

 

成功はしたのですが、元というのは、外敵ですから、

元を撃退したとしても、日本の領土が増えるわけではない。

 

ということは、どういうことかというと、

御家人たちは元を撃退するという軍功を立てているんだけれども、

鎌倉幕府としては、それに報いるために恩賞としてあたえる土地がなかった

わけです。

 

 

 

このことが結果的に御家人たちの不満を高めて、

彼らの鎌倉幕府からの離反をまねき、結果、鎌倉幕府崩壊へとつながってしまう

のです。

 

 

 

今回、日本経団連は、終身雇用制度のようなものは、

今後は維持できなくなりそうだ、と言いました。

 

その背景には、おそらく、

バブル崩壊以降の厳しい長期的な不況の中で、日本企業の体力が削がれていった

ということや、

グローバリズムの進展のなかで、海外との競争も激しくなって、

端的に余裕がなくなってきた、ということもあるのでしょう。

 

 

 

ともあれ、そういった背景のもとで、日本経団連は、

鎌倉幕府風に言うならば、

 

「おまえらにやる土地はもうないんだ。御恩は削減する!」と宣告したのです。

 

 

 

ただ、注意しなければならないのは、

鎌倉幕府においても、戦後日本の企業社会においても、

御恩は奉公とセットになることで機能してきた、ということです。

 

 

 

御恩が削減されれば、おそらくは、奉公をこれまでどおり提供する

意欲は、減少することになるでしょう。

 

御恩と奉公がセットになることで、

日本株式会社のようなものを運営してきたのが戦後日本の経済成長の源泉

であったかもしれないのですが、

今後は、

日本全体の繁栄や発展を、自分個人の繁栄や発展とは、

切り離して考えるひとも増えてくるのではないでしょうか。

 

 

 

日本の政治家や企業家のなかには、

日本国という国家的な一体性のもとに国民を強く統合していこう

という強い動機を持つ層がいるように見えます。

 

その層は、概して、日本経団連とも良好な関係を保っているように思われますが、

日本経団連の発した、御恩はもうやらない、というメッセージは、

彼らの意図に反して、

日本社会におおきな遠心力となってはたらくような気が、

天機はします。

司法制度の構築が社会にもたらす影響

みなさん天機です。

 

 

 

今回は、司法制度について、すこし書いてみようと思います。

 

 

 

みなさんは、法律、と聞いて、どのような印象をお持ちになるでしょうか?

 

 

 

なんだか堅苦しそうだな、とか、難しそうだな、とか、

テレビで活躍している弁護士もいるなあ、とか、

裁判のニュースも日々目にするなあ、とか、

まあ、いろいろだろうと思います。

 

 

 

天機は大学で法律を学んだこともあり、

法律はけっこう身近に感じているのですが、一般の方にとっては、

法律問題なんかには、できれば一生まきこまれたくはないものかもしれませんね。

 

実際、生きていればお医者さんのお世話になることはよくありますが、

弁護士のお世話になることは、そうはないような気もします。

 

つまり、なんらかの法律トラブルがあって、はじめて関わりがでてくるのが

法律や弁護士、裁判所である、

というのが、一般的な感覚なのかもしれません。

 

 

 

しかし。

 

じつは、どのような法体系を構築するのか、といったことや、

法制度や裁判制度がきちんと整っているのか、といったことは、

その国家や社会に、非常におおきな影響をあたえるのです。

 

 

 

たとえば、経済1つをとってみてもそうです。

 

 

 

こんにち世界には、欧米諸国のような非常に発展している経済的に豊かな国もあれば、

多くのアフリカ諸国のような、経済的にはあまり恵まれてはいない国もあります。

 

 

 

そういった違いをうみだしている原因は、いろいろ考えることができます。

 

 

 

社会的な富が十分に蓄積されているのか、どうか。

 

インフラが整っているのか、どうか。

 

労働力となる国民の教育水準は、どうか。

 

 

 

いろいろです。

 

 

 

そして、じつはそのなかに、

司法制度や裁判制度がきちんとととのっているのかどうか

ということも、じつは、からんでくるのです。

 

 

 

経済的に豊かな先進国においては、おおくは私有財産が、

法制度によって保障されています。

 

 

 

なんらかの発明や発見をしたならば、その権利は特許関連の法によって守られます。

 

自分の私有財産が侵害されたときには、裁判所へ訴えることができます。

 

政治家や官僚、国の機関が、賄賂によって左右されないように

法制度が目を光らせています。

 

 

 

このような、かずかずの法制度や裁判制度がととのえられているおかげで、

おおくの先進国においては、

自分の私有財産が理不尽に奪われることを心配することなく、

自由に経済活動に励むことができ、それが経済発展につながっているのです。

 

 

 

ところが、おおくのアフリカ諸国のような、経済的な後進地域においては、

そのような法制度や裁判制度によって、私有財産制度がしっかりと

保障されてはおらず、

政府機関が贈収賄によって動いたり、権力者の意向によって

自分の私有財産が理不尽に召し上げられたりします。

 

そういったところでは、ひとびとは安心して経済活動に励むことはできないので、

それが、経済的な停滞につながったりするのです。

 

 

 

このように、たとえ自分自身が法的なトラブルに関係していないとしても、

どのような法制度や裁判制度が構築されているかということは、

その国や社会がどのようなものになるか、ということに関して、

おおきな影響をもつことになります。

 

 

 

このことは、経済的な側面に限った話ではありません。

 

 

 

日本は、経済活動に関しては、おおむね、私有財産制度がひろく保障されている

ようですが、

結婚や離婚に関する法制度に関しては、どうでしょうか。

 

 

 

さきに見てきたように、公平公正でない法制度、裁判制度のあるところには、

かならず、国や社会に歪みが生じてきます。

 

このことは、結婚や離婚にかんする法制度、裁判制度にかんしても、

おなじことがいえます。

 

 

 

結婚や離婚は、男性当事者と女性当事者がおこないます。

 

もとめられる法制度や裁判制度というのは、当然のことながら、

その両者にたいして、公平公正に目配りしたものであるはずです。

 

 

 

ところがもし、司法制度や裁判制度が、

その両者のうちの、片方にばかり肩入れしたようなシステムでもって

構築されていたら、どうでしょうか。

 

 

 

そのような不公平不公正な司法制度、裁判制度も、

なんらかの必要性をみたす目的がたぶんあって、

当座はその目的を達成できるかもしれません。

 

が、しかし、長い期間が経過してくると

そのような不公平不公正な法制度、裁判制度に嫌気がさした一方当事者は、

結婚そのものから退場していくことになって、そのことが、

非婚化や少子化のさらなる加速化につながっていくかもしれないのです。

 

 

 

ことほどさように、

公平公正な法制度、裁判制度が構築されているのかどうかということは、

国家や社会のありかた、その行く末に、

非常に大きな影響をもたらすものだと、

天機は考えます。

1行日記は意外とつづく

みなさん天機です。

 

 

 

さて、みなさんは、日記をつける習慣があるでしょうか?

 

天機には、あります。

 

 

 

天機は生まれてからずーっと、つい数年前まで、

いろんなことがあまり続かない人間でした。

 

大学受験のときも、まいにち規則的に勉強を淡々と続けることができずに、

浪人をかさねてしまったのです。

 

 

 

ところが、そんな天機が、2014年ごろにはじめた

日記をつけるという習慣は、かれこれ6年ほどつづいています。

 

 

 

継続のきっかけになったのは、

 

1行日記にする

 

ということ、ただそれだけでした。

 

 

 

では、どうして1行日記だと継続しやすくなるのか、

天機が具体的に工夫している点をあげながら、解説していきたいと思います。

 

 

 

① 市販のノートをつかう

 

天機は日記をかくにあたって、いわゆる日記帳のたぐいを購入しません。

以前、購入して書き始めたこともあったのですが、

すぐに挫折しました。

 

というのも、市販の日記帳は概して、たくさん書けるようになっており、

つられて毎日たくさん書いていると、だんだんしんどくなってやめてしまうのです。

 

ということで、自分は、市販のノートを買ってきて、

それをカスタマイズして自分専用の日記帳につくりかえるのです。

 

 

 

② ノートに日付をうつ

 

30sheetと記載のあるノートを買います。

すると、60ページ分、なかにあることになります。

 

このノートの1ページ分を、1か月分として使用します。

 

1ページには、だいたい、30行ほどあります。

各行の左端あたりに、1から31までの数字をふっておきます。

各ページのタイトルのところには、「2020.1」のように、

年月を記載しておきます。

 

これで、1日の出来事を1行に書いていけば、

1か月で1ページを使用することになります。

このペースでいけば、ノートには60ページありますから、

ノート1冊で60か月分、つまり、5年分の記録ができることになります。

 

 

 

③ かさばらない!

 

市販の日記帳だと、どうしても装丁などの関係で、

厚みがあることがあります。

 

しかし。ノートを使用すれば、その心配がありません。

 

ノート1冊は、4ミリほどの厚さしかありません。

そして、ノート1冊には、5年分の記録が書けます。

 

とすると、かりに50年ノート日記を書き続けたとしても、

厚みは合計で4センチほどにしかならないのです。

 

場所をとらないのです!

 

 

 

④ 書かない日があってもいい

 

1行日記には、なにか重要なことがあったとき、あるいは、

世の中的にビッグニュースがあったときなどに、1行で記載していきます。

 

ということは、なにもとくになかったとき、たとえば、

その日は1日中家でゴロゴロしていた、なんて日は、

とくになにも書かなくていいわけです。

 

書かない日があってもいい、ということで、心理的ラクになり、

結果、続けやすくなります。

 

 

 

いかがでしたでしょうか?

 

日記なんかべつに意味ない、つける必要なんてない、

と思われる方も、もちろんいらっしゃるでしょう。

 

ですが天機は、過去の記録をつけていたことで、

助かったこと、役立ったことが、何回かありました。

 

 

 

もし日記をつけるのならば、最大の障害は、

続けられるのかどうか、というところにあると思います。

 

そしてそんなときには、続きやすい日記の形式として、

1行日記のことも思い出していただければ、と思います。