こんにちわ。天機です。
きょうは、知恵と年齢について、考えてみようと思います。
世の中には、若いうちにはじめたほうがいい、とか、
若い人のほうがすぐれている、若い人のほうが強い、
といわれている「分野」があります。
たとえば、サッカーでも、野球でも、
基本的に、肉体を使うスポーツの分野では、
若いうちにピークをむかえ、年齢がいくとともに衰えがくるのが普通です。
だいたい、30代後半から40代にもなると、
以前のようなパフォーマンスを維持することは、むずかしくなるでしょう。
学問の分野でいえば、
数学や物理学といった分野では、
のちに有名になるようなすぐれた才能というのは、基本的に、
わかいうちにすでにその才能が顕れていることが多いです。
頭脳ゲームでいえば、日本の将棋という分野においても、
のちにタイトルを争うような名棋士というのは、たいてい、
幼いころから非常に強いものです。
こういった例をみてくると、ああ、才能というのは、
若いうちに発揮されていればこそ、才能ある人なんだな、
と思うかもしれませんね。
でも、自分は、必ずしもそうではないのではないか、と思っています。
上に挙げたような、プロスポーツの世界、数学や物理学の世界、
将棋の世界、というのは、
広い広いこの世界の中の、ひとつの「分野」にすぎないのです。
プロスポーツの世界、数学や物理学の世界、将棋の世界、
そういったもの「だけが」この世界のすべてを代表しているわけでは、
ないんですね。
ぼくは、東洋思想、東洋哲学が好きなんですが、
東洋には、「仙人」がでてくることがありますよね。
仙人は、白い衣をまとって、杖かなにかを持ち、
白くて長いひげをたくわえたりして、頭がすごく長かったりして、
雲に乗っていたり、深山幽谷に暮らしていたりしますよね。
あの仙人が、あのような風貌でえがかれるのは、おそらく、
「年齢が非常に高い」からなんだと思います。
実際、仙人って、何百歳だったりすることも、ありますよね。
そして、仙人の仙人たるゆえんは、その、
人並み外れた、森羅万象の背後にかくれた原理に通じるような、
尋常ならざる「知恵」にあります。
そして、その仙人は、年齢が非常に高い姿でえがかれています。
つまり、です。
数学や物理学、将棋といった、頭脳を使う分野においては、
そのすぐれた才能は、若いうちにあらわれます。
しかし、この世界には、そういった知恵や知識、頭脳活動とは、
「別の種類、別の系統の」知恵や知識、頭脳活動があって、
そっちは、非常に長い時間をかけて、
才能があらわれてくるんじゃないですかね?
たとえば、こんなことを考えたりするんです。
ここに、半径1メートルの球があったとします。
その球の、左のはじから右のはじまで移動しようとすれば、
すぐにてっぺんまで至って、そのあとまたすぐに下降することになるでしょう。
でも、この球が、地球くらいの大きさがあったとしたら、どうでしょう。
てっぺんに至るだけでも、相当長い時間がかかるでしょうし、また、
容易には下降もしないでしょう。
この世界の知恵には、その扱う対象の「大きさ」によって、
異なる種類の「知恵」があるんじゃないかな?
ふと、そんなことを考えたりしました。