この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

長期の時間の経過と、矛盾や苦しみ。

みなさん天機です٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

今回は、長期の時間の経過と、矛盾や苦しみ、

というテーマで書いてみたいと思います。

 

 

この世界の不思議について、

天機理論をもとにして考えていく、という記事になります。

 

 

さて、天機理論ではこの世界の始まりについて、

以下のようなことを考えていました。

 

 

まず、この世界のはじめに「矛盾」というものがあり、

その「矛盾」から「理」が生まれます。

 

 

生まれた「理」は、遠く遠く離れていくのですが、

やがて、戻ってきます。

 

 

その戻ってきた「理」と、もともとあった「矛盾」が

出会うことで、「生」が生まれる。

 

 

そんな感じなのですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

矛盾→理→生、という順番です。

 

 

で、このそれぞれには、色がついていると

自分は考えているんです。

 

 

イラストにすると、こんな感じです。

 

 

 

 

こんな感じなんですね。

 

 

最初の黒い色のついている丸に、矛盾とか苦しみ

と書いてあるのがわかるかと思います。

 

 

で、自分はこの矛盾→理→生、という生成の順番と、

身近なものが符合している、

というように考えているんですね。

 

 

たとえば、人間の体を上から順に見ていくと、

髪の毛→頭→生殖器をふくむ胴体、

というふうに並んでいるわけなんですが、

自分はこれを、

髪の毛(矛盾)→頭(理)→胴体(生)

というような対応で見ているんです。

 

 

また、1日の空の変化を見てみますと、

夜の暗闇の黒→昼の光の白→夕焼けの赤、

という順番で変化していくように思うのですが、

これも自分は、

夜の暗闇の黒(矛盾)→昼の光の白(理)→夕焼けの赤(生)

というような対応を考えているんですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

そうすると、

その人体とか、空の変化とかのなかで、

矛盾とか苦しみに対応するのは

1つは髪の毛であり、もう1つは夜の暗闇の黒である

ことが分かるかと思います。

 

 

ここで、この髪の毛とか、夜の暗闇の黒とかの

性質について考えてみたいと思います。

 

 

髪の毛というのは、

ハサミで切っても切っても

何度でも生えてきては、伸びていきますよね。

 

 

ある意味で、すごく生命力が強くて

決して死なないお化けのような性質を持っている、

ということも言えそうなんです(;´∀`)

 

 

でも、そんな髪の毛でも完全な不死身なのかというと、

じつはそんなこともないんですよね。

 

 

ものすごく時間がたったとき、つまり、

人間が老年に入るようになると、

髪の毛は永久的に真っ白になったり、あるいは

抜け落ちてしまったりすることになります。

 

 

つまり、すごく時間がたつと、

さしもの髪の毛といえども

不可逆的な変化が生じてくるわけなんですよ。

 

 

髪の毛というのは、矛盾や苦しみに相当する部分だ

と先に述べましたが、

すごく時間がたつと、

その部分が滅びへと向かうわけなんですね。

 

 

夜の暗闇の黒、についてはどうでしょうか。

 

 

夕日が沈んで、あたりを漆黒の夜の暗闇が満たしたとき、

「暗闇よ、消え去れ!」なんていくら叫んでも

暗闇が消えてくれるわけではありませんし、

ライトとか明かりをつけても

空をおおった暗闇を消し去ることはできません。

 

 

つまり、空をおおった夜の暗闇の黒に対して、

なんらかの作為的な働きかけをおこなったとしても、

その状況を変化させることは、できないんですね。

 

 

でも、これも、

十分な時間がたって、やがて朝が訪れると、

東の空からのぼってきた太陽の光が

夜の暗闇を打ち払ってくれます。

 

 

夜の暗闇の黒というのは、矛盾とか苦しみに相当する部分

だと、先に述べましたが、

今回もやっぱり、髪の毛と同じように、

時間が十分にたつと、

その部分が滅びへと向かうことになるんですね。

 

 

髪の毛が生えてきたり、伸びてきたりしているときには

なにもできませんし、

夜の暗闇が空をおおっているときにも

なにもできないのですが、

十分な時間の経過という条件が満たされれば、

それらは滅びへと向かうことがあるんですよ。

 

 

そして、述べてきていますように、

髪の毛とか、夜の暗闇の黒、というのは、

矛盾とか苦しみに相当するものでした。

 

 

ここで、わたしたちの人生全般について

考えてみましょう。

 

 

生きていれば、いろいろと苦しいこととか

辛いことがやってきます。

 

 

その程度が軽いものであれば、まだいいのですが、

なかには重いものもありますよね( ノД`)

 

 

人によっては、

生まれたときから人並外れた苦しみの連続であるとか、

もう何十年も苦しみが続いている、とかいった

こともあるかもしれません。

 

 

そういうことがあると、

人は苦しみからなんとかして逃れようとして、

あんなことをやってみたり、こんなことをやってみたり、

いろいろと解決のための行動に出るかと思うんですね。

 

 

でも、先に述べてきたように

矛盾とか苦しみに相当する、髪の毛とか夜の暗闇の黒とかが、

最終的に滅びに向かったのは、

ただ、時間が経過したからだった、ということを考えると、

人生における非常につらい苦しみが解消に向かうのは、

もしかしたら、

時間が経過したあとなのかもしれません。

 

 

鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス

で有名な徳川家康は、

自分に運が向いてくるのを辛抱強く待ちました。

 

 

鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス

というように、

状況に対して作為的な改変を加えようとした豊臣秀吉は、

結局は徳川家康に負けてしまったんですね。

 

 

だから、

若いころに何十年も運が向いてこないで

苦しい時期を過ごしているひとも、

もしかしたら、

中年すぎくらいから運が向いてくることになる

かもしれないと思うんです。

 

 

やけを起こさないで、

ただ、時が経過するのを待っていれば、

髪の毛が抜け落ちて、

夜の暗闇の黒が朝日に打ち破られるように、

苦しみが滅びへと向かうときも

やってくるような気がします。

 

 

今回は、そんなお話でした。

 

 

以上、天機でした( ´ ▽ ` )ノ

冥土のみやげは渡さない。

今回は、冥土のみやげは渡さない、

というテーマで書いてみたいと思います。

 

 

誰でも、自分の親は大切にしてあげたい、

と思うものだと思うんですが、

よかれと思って親にしてあげたことが

どういうわけか、「冥土のみやげ」になってしまう

ということがあるんじゃないか、という

変なお話です。

 

 

では、お話をはじめていきましょう。。

 

 

「将棋の子」という小説があります。

 

 

将棋のプロ棋士になるためには、まず、

奨励会というところに所属して切磋琢磨していく

ことになるのですが、

夢破れて脱落していくひともたくさんいる

ところなんですね。

 

 

 

 

将棋の子、という作品は、

そういう将棋のプロ棋士の、卵たちの日常に

焦点をあてた作品なんです。

 

 

さて、その作品に

「成田英二」という青年がでてきます。

 

 

プロ棋士になろうと思って一生懸命がんばるのですが、

やがて夢破れて

奨励会を退会することになってしまうんですね。

 

 

そんなときに、

普段苦労をかけている母親をいたわってあげようと

母親を温泉旅行に連れ出すんです。

 

 

温泉で、母と子水入らずの旅を楽しむのですが、

なんとその直後に

その最愛の母親が亡くなってしまうんですね。

 

 

成田英二は、父親は早くに亡くしていました。

 

 

なので、母親しかいなかったのですが、

その母親も温泉旅行の直後になくしてしまい、

彼は両親ともいなくなってしまいます。

 

 

そこからすごい苦難の人生が始まることになるのですね。

 

 

これが、将棋の子という小説にでてきた

成田英二という青年と、そのお母さんのお話です。

 

 

で、じつは自分も振り返ってみると、

自分ちにも同じようなことがあったんですね。

 

 

うちには、おばあちゃんがいました。

 

 

そのとき、もう80代も後半になっていたんですね。

 

 

僕から見て、母方のおばあちゃんです。

 

 

そのおばあちゃんには、

子供が2人いました。

 

 

僕の母親と、その僕の母親の弟、

つまり、僕から見るとおじさんにあたる人です。

 

 

うちの地元は大阪で、

毎年桜の季節になると、

造幣局桜の通り抜け、という催しが開催されます。

 

 

あるとき、そのおじさんが、

おばあちゃんを造幣局桜の通り抜け

連れてってあげよう、と言い出しました。

 

 

普段、ぜんぜんそんなことをしたことは

なかったんです。

 

 

普段、おばあちゃん孝行を全然できていなかったので、

たまにはそういうことをしてあげようと

思ったのかもしれません。

 

 

おばあちゃんは、どういうわけか

造幣局桜の通り抜けに行こうという提案に

乗り気ではありませんでした。

 

 

それでも半ば強引に連れ出して、

おばあちゃん、おじさん、僕の母、僕、の4人で

桜並木を見て回ったんですね。

 

 

すると。

 

 

それから間もなくして、

おばあちゃんは亡くなってしまったんですよ。

 

 

将棋の子という作品で、成田英二という青年が

お母さんを温泉に連れて行ってあげようと思ったのは、

普段から苦労をかけている母親をいたわってあげよう

と思ったからでした。

 

 

うちのおばあちゃんを桜見物に連れて行ってあげようと

思ったのも、

たまにはおばあちゃん孝行をしてあげようと

思ったからかもしれません。

 

 

ところが、いずれの場合も

孝行されたひとはその直後になぜか

亡くなってしまったのです。

 

 

たった2つの事例なので、

たぶん偶然だろうとは思うし、

世の中にそんなことが頻発しているとも思えませんが、

自分にはどうも、

「なにか普段とは違うことをしてしまったために、

 それが当人にとっては冥土のみやげになってしまった」

ような気がするんですよね。。

 

 

それで思い出したのが、

芸能人のクロちゃんです。

 

 

スキンヘッドの芸能人で、甲高い声で

「クロちゃんです!」と叫ぶのがお決まりのお笑い芸人。

 

 

もともとは安田大サーカスの一員で、

その後、水曜日のダウンタウンとかにも

よく出ていたと思います。

 

 

そのクロちゃんなんですが、

クロちゃん自身はもういいおっさんになっているのに、

いまだに両親から仕送りをもらっているとか公表して

バッシングを浴びたりしていました。

 

 

なんでそんなことをいまだにしているのか、というと、

クロちゃん自身の言によれば、

両親に元気でいてほしいからだ、

ということらしいんですね。

 

 

両親のことを思うなら、

ふつうは両親を温泉旅行とかに連れて行ったり

すると思うんですが、

クロちゃんはなぜか、そういうことはしない。

 

 

むしろ、

両親にいまだに仕送りをさせたりして

両親をこき使っている。

 

 

そのほうが両親を大切にすることになる、と

どういうわけかクロちゃんは思っているんですね。

 

 

この世の中に流れている隠れた法則というのは、

パッと見た感じでは

なかなか、わからないものなのかもしれません。

 

 

大切なひとには、

なにか特別なことをしてあげたい、と思うのが

普通の人情だと思います。

 

 

でも、大切なひとだからこそ、

あえて特別なこととかはなにもしないで、

一見したところ、粗末にすら思えるような

扱いをすることで、

かえってそのひとが命を永く保てるようなことも

あるんじゃないか。

 

 

そんなことを、ふと考えていました。。。

潜在意識が行動の邪魔をする?

潜在意識について考えることがあります。

 

 

といっても、潜在意識について書かれた

ちまたのいろんな本を読んだりするわけでもないんですが。

 

 

関連するものとしては、

人間の意識の下には、無意識という領域が広がっているんだよ、

ということを説明した

深層心理学者のユングさんの本を読んだくらいですね。

 

 

あとは、自分でときどき考えたりするくらいです。

 

 

潜在意識というのは、潜在、というくらいだから、

自分では明瞭に意識できていない

自分の意識なんだろうと思うんですね。

 

 

意識が陸地だとすると、

広大に広がる海洋のようなもの、

それが潜在意識だと思うんです。

 

 

それで自分は思うのですが、

この、自分では明瞭に意識できていないということ、

つまり、自分の意識によって拘束できていない

ということのために、

自分では気づいていないその潜在意識が

自分の行動に大きな影響を与えているような

気がするんですよね。

 

 

昔、おばあちゃんに

「火っていうのは、人のいないところでは大きくなるものだから、

 火から離れるときは、気を付けるんだよ」

というようなことを言われた記憶があります。

 

 

それが本当かどうかはわかりませんが(;´∀`)

人間の無意識というのも、

人の意識による監督が十分はたらいていないために、

けっこう大きな影響をもつような気もするんですね。

 

 

それが、いい方向への影響ならいいのですが、

なかには、

自分の行動を邪魔するような、

そんな潜在意識もあるように思うんです。

 

 

たとえば。

 

 

ふつうはみんな、お金持ちになりたい、

って言いますよね。

 

 

お金持ちになりたいと思っている、

お金持ちになりたくないなんて、思うわけがない。

 

 

そう、当然のこととして

思っているように思うんですよ。

 

 

でも、もし潜在意識の中で

「もし、何億円とかいう大金持ちになってしまったら、

 家に強盗とか入って殺されてしまうんじゃないか」

という気持ちを持っていたら、どうでしょうか。

 

 

 

 

そのひとは、

自分はお金持ちになりたいと思っている、と

当然のように顕在意識では思っているのですが、

じつは潜在意識ではお金を恐怖、拒否しているので、

お金持ちになるような行動をとるのを

みずから避けてしまっているかもしれません。

 

 

彼女が欲しいなあ、と思っている男性も、

潜在意識で

「もし本当に彼女ができて、デートしている最中に、

 不良にからまれて厄介なことになったらどうしよう」

とか思っていると、

彼女ができるような行動を避けてしまうかもしれませんし、

結婚したいなあ、と思っているひとも、

潜在意識で

「もし結婚が決まって、結婚式をしている最中に

 うんこ行きたくなったらどうしよう」

とか思っていると、

結婚を遠ざけるような行動を

無意識にとってしまうかもしれないですよね。

 

 

つまり、どういうことかというと、

自分は当然それを願っているはずなのに、

なぜだかそれがなかなか実現しないなあ、

というような状況にあるときは、じつは、

潜在意識が、なんらかの「いやな事態」を想定していて、

それに対する恐怖感とか、拒否感から、

それが実現するのを先延ばしにしている可能性がある、

というふうに自分は思ったんですね。

 

 

これは、

お金持ちになるとか、彼女ができるとか、結婚するとか

いった遠い未来に関係することだけじゃなくて、

たとえば、

役所に提出する書類をそろえる、

なんてときにも生じてくる現象だと思うんです。

 

 

しなければならないタスクになかなか取り掛かれないのを

「先延ばし癖」と呼んで、

いまそれが問題視されています。

 

 

が、もしかしたら役所に提出する書類の事例でも、

潜在意識が、

その書類を作成するためにデータを集めることとか、

コンビニまでそれをコピーしに行く労力とかを想定して、

それを「いやなこと、しんどいこと」と

認識しているために、

自分がそのための行動に移るのを

潜在意識が妨害してきているかもしれないんですね((((;゚Д゚))))

 

 

じゃあ、どうすればいいのか、というと、

潜在意識は「潜在」だから大きな力を

持つことになっているので、

それを「潜在」ではなく「顕在意識」のもとに

置いてしまえばいい、ということになります٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

つまり、

自分がなかなか一歩を踏み出せないとか、

取り掛かれないことがあったときには、

潜在意識が妨害している可能性を考えて、

自分はそれが実現することで、

いったいどんな嫌なことがある、と恐れているのか、

と自問してみるんです。

 

 

そして、自分はこんなことを恐れている、嫌がっている

可能性があるなあ、と、

それを日の光の意識のもとに置いてみるんですね。

 

 

なにも、その嫌なこと、恐れていることが

完全に解決してしまう必要なんかはなくて、

自分が恐れている内容を意識下に置いてみるだけでも

意味があると思うんですよ。

 

 

あと、ほかには、

それが実現することで自分は嫌なことがあると考えているけど、

それが実現することでこんないいこともあるんじゃないか、

ということを想像して、

そのいいことを心の中で味わってみることですね。

 

 

そんなふうにすると、

潜在意識が行動の邪魔をしてくるのを

すこし改善できるんじゃないか、

なんてことを思いました。