この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

「子」という漢字の字源について。

「子」という漢字がある。子供の、子だ。

たぶん、この漢字についても、漢字学者たちがなんらかの字源を解説

していることだろうと思う。

が、ここでは、例によって、自分自身のあたまで考えた独自説を

たてようと思う。

 

人間をふくめた生き物は、基本的に、食べ物を食べて生きている。

生まれて、食べ物を食べたり、排せつしたり、寝たり、起きたりして、

何十年か、そんなことを繰り返すと、寿命がきて、やがて死ぬ。

これが、1人の人間の、一生のサイクルだ。

 

この人間の一生のサイクルは、なにもしなければ、ここで終わりをむかえる。

生まれて、生きて、死んで、それで終わりだ。

終了するということ、なんらかのサイクルが完了するということ、

その、終了、完了という言葉の中には、いずれも、

「了」という文字がはいっている。

この文字はおそらく、なんらかの終結や完結とかかわりのある文字だ。

 

ただ、人間は、伴侶をみつけ、セックスし、子孫をのこすことで、

いったんは終了、完了する自分の生命のプロセスを、

自己の遺伝子という形で、終わらせずに次代にひきついでいくことができる。

つまり、「子」というのは、終「了」、完「了」を阻止するものなのだ。

 

その意味で、終了、完了のなかにある「了」の文字に、

横線を1本くわえて、その意味を否定したものが、

「子」という文字になっているのではないか。

「子」という漢字の字源について。

「子」という漢字がある。子供の、子だ。

たぶん、この漢字についても、漢字学者たちがなんらかの字源を解説

していることだろうと思う。

が、ここでは、例によって、自分自身のあたまで考えた独自説を

たてようと思う。

 

人間をふくめた生き物は、基本的に、食べ物を食べて生きている。

生まれて、食べ物を食べたり、排せつしたり、寝たり、起きたりして、

何十年か、そんなことを繰り返すと、寿命がきて、やがて死ぬ。

これが、1人の人間の、一生のサイクルだ。

 

この人間の一生のサイクルは、なにもしなければ、ここで終わりをむかえる。

生まれて、生きて、死んで、それで終わりだ。

終了するということ、なんらかのサイクルが完了するということ、

その、終了、完了という言葉の中には、いずれも、

「了」という文字がはいっている。

この文字はおそらく、なんらかの終結や完結とかかわりのある文字だ。

 

ただ、人間は、伴侶をみつけ、セックスし、子孫をのこすことで、

いったんは終了、完了する自分の生命のプロセスを、

自己の遺伝子という形で、終わらせずに次代にひきついでいくことができる。

つまり、「子」というのは、終「了」、完「了」を阻止するものなのだ。

 

その意味で、終了、完了のなかにある「了」の文字に、

横線を1本くわえて、その意味を否定したものが、

「子」という文字になっているのではないか。

 

 

 

漢字についての、その他の記事は、こちらから↓

 

reasongomainstream.hatenablog.com

太公望と、まっすぐな針。

太公望については、いろんな伝説がある。

そのひとつが、まっすぐな針で釣りをしていた、というものだ。

 

ふつう、釣りをするときには、かえしのある針をつかう。

でなければ、魚がえさに食いついても、逃げられてしまうからだ。

でも、太公望の釣りは、独特だった。

その釣り針には、かえしがなく、まっすぐ。

なおかつ、その釣り針は、水中にはいっておらず、

水面まですこしのところの空中にたれていた。

 

これを、どう解釈したらいいだろう。

ああ、太公望ってバカだねー。釣りの仕方もわからないんだね。

そんなふうに感じるひともいるだろう。

 

自分は、こんなふうに考えてみた。

釣りというのは、ふつう、魚をとらえるためにおこなう。

魚をとらえるというのは、自分が利益をえる、プラスを手に入れる、

ということだ。

太公望のまっすぐな針では、それができない。

つまり、太公望の行為は、利益をえることをねらったものではなく、

利益をえるという目的からは、距離を置いていることがわかる。

ふつう、人間は、利益をえたいものだ。

利益をえるために行動することが多いのである。

しかし、太公望は、利益なんかいらないよ、という姿勢を、

はっきりとしめしているのだ。

太公望のまっすぐな針は、魚をねらったものではない。

では、その針は、いったいなにをねらっているのだろう。

 

まっすぐな針は、なにを突き刺そうとしているのだろうか。

 

それは、水そのものだ。

太公望は、水を攻撃しようとしているのである。

水なんか、どうやって攻撃するの。

水なんか攻撃して、意味あるの。

ふつうは、そう思うだろう。

が、たぶん、太公望の目には、実際に存在する水という物質の背後に、

水が象徴するなにかの原理が見えていたのだ。

そして太公望は、その、水が象徴する原理は邪悪だとかんがえた。

だから、まっすぐな針で、水を威圧しているのである。

 

では、なぜ、針を水中に入れないのであろう。

 

それはたぶん、ON(接触)というのを警戒しているからだ。

自分のブログのべつの記事で、こんなことを書いた。

人間の三大欲求には、すべて、ON(接触)が関係している、と。

また、女性という英単語は、MANにWOをつけることで成り立ち、

現在の世界でファイブアイズと言われている5か国の首都の名前の

ほとんどに、W、O、ONがはいっている、と。

この世界には、ON、つまり、接触し接触させることで力をえる原理がある。

太公望の原理は、それとは異なる原理なんだ。

だからあえて接触を避け、

針を水中には入れていないのではないだろうか。