この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

電子はなぜ、陽子と中性子のまわりをまわっているのか。

この世界に存在するものはすべて、原子からなると言われている。

原子は、中心に陽子と中性子があって、

そのまわりをぐるぐると、電子がまわっているそうな。

なんで、そんな構造になっているんだろう。

そんなことを考えた。

 

世界のはじまりに、矛盾というはじまりの女性がいた。

その女性において矛盾が形成されたとき、

その世界にはもはや存在することのできなくなった理が、

外部世界へと放出される。

これが、はじまりの女性である矛盾による、

第一子となる息子、理の出産である。

放出された理は、遠くへ遠くへと旅立っていく。

そして、それが究極的に遠くなったとき、

はじまりの母のもとへと帰ってくる。

はるかかなたから帰ってきた理は、

原初の母へとつっこんでいく。

つまり、母へむかって落ちていく。

 

地球のまわりを月が回っているのは、

地球の重力に引かれて、月が「落ち続けている」からだそうな。

はじまりの母へ向かって落下していった理は、

ちょうどそのように、

はじまりの母のまわりを周回運動するようになる。

つまり、はじまりの母と、はるかかなたから帰ってきた理の、

2人の「重なり」は、

母のまわりを周回運動する理、というかたちをとる。

ここにおいて、はじめて「存在」がうまれる。

だから存在はすべて、

陽子と中性子のまわりを電子が周回するという形態をとる。

このことから、

自然界における電子には、理と相通じる性質があることがわかる

(たぶん、精子にも)。

水と火。

ここに、1本のろうそくがあって、火がついているとする。

ろうそくにともった火なんかは、

大きさとしてはとても小さなものだ。

でも、もしそこに赤ちゃんが近づいたら、

お母さんはあわてて止めようとするだろう。

火には、やけどその他の危険がある。

そして、火に特徴的なのは、火は、

自らが危ない存在だ、甘く見てはいけないよ、

ということを、

どんなに小さな火であっても、外界に対してはっきりと

しめしている、ということなのだ。

 

対して、水はどうだろう。

ここに、おちょこ1杯の水があったとする。

大きさとしては、ろうそくの火よりは、大きいかもしれない。

そこに赤ちゃんが近づいたら、どうだろう。

お母さんははたして、さっきのろうそくの火のときと

同じような危機感をもって、赤ちゃんを制止するだろうか。

 

もちろん、制止はするかもしれない。

しかし、赤ちゃんに迫った危険は、火ほどではない、

というような認識が、どこかにあるのではないだろうか。

 

と、このように述べてくると、あたかも、

火は危険だけれど、水はそれほど危険でもない、

ということが言えそうな気もするよね。

でも、果たしてそうだろうか。

 

火も、水も、大きくなれば、

人とその生活に、とてつもない災禍をもたらす危険性をもつようになる。

火は大きくなれば、大火となって街をのみこむ。

江戸の町は、しばしば大火に見舞われたことで知られる。

 

しかし、大火よりももっとおおきな規模で害をもたらすのは、

水害だ。

東日本大震災のニュース映像を見たことのあるひとならば、

迫りくる津波がどれほどの損害をまちにあたえたか、

記憶にあたらしいところだろう。

津波にかぎったことではない。

人類は、古代エジプトの昔から、河川の氾濫にはなやまされてきた。

大雨や嵐の害も大きい。

そういったもろもろの水害が発生すれば、

火災などとは比べ物にならないほどの被害を広範囲にもたらす。

 

では、そんな危険性をもつ水は、

自分が危険だということを、外界に対してはっきりとしめすだろうか。

 

これが、しめさないのである。

水は、平素は、あたかも楽しい友達であるかのようにふるまう。

コップ1杯の冷たい水は、夏場の喉の渇きをいやしてくれる。

お風呂につかれば芯からあったまるし、

プールや海で泳ぐのは、とても楽しいひとときだ。

ああ、水っていいよね、楽しいよね。

そう、思っていたら、水は時としてひとに牙をむき、

溺れさせたり、街を破壊したりする。

水のやっかいなところは、自分が危険だということを、

ふだんの小さな水の時は、まず、さとらせないところなのだ。

 

いつもニコニコ笑っていて、ああ、女の子って可愛いな、

なんて思っていたら、

心の中では、とてもおそろしいたくらみをめぐらしていたりする。

水というのは、

たくらみを秘めた女性の心に似ている。

連続する現金強奪事件。情報はどこから漏れたのか。

昨日、福岡で3億円以上の現金が強奪される事件があったばかりだが、

今日も、銀座で数千万円が強奪される事件があったと報道されている。

 

ふつうのひとは、道を歩いているそのひとが、

多額の現金を持っているかどうかなんて、知りようがない。

だが今回、被害にあった男性は、多額の現金を持ち歩いているところを、

ドンぴしゃで狙われた。

 

多額の現金を動かすことのある会社の動向が、まえまえからマークされていたのか。

現金を引き出す、と連絡した、銀行の通信回線が盗聴されていたのか。

真相はさだかではないが、

情報がどこから漏れたのかということを徹底的にあきらかにしないと、

今後も類似の事件が続発するのを防げないような気がする。