この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

西洋占星術で、凶星とされる星。

こんばんわ。天機です。

 

 

 

きょうは、占いと昔話のお話を書いてみようと思います。

(この記事の字数 約2600字)

 

 

 

天機がはじめて西洋占星術に出会ったのは、大学生のころでした。

 

はじめて手に取った西洋占星術の本は、

ルル・ラブアさんという女性の書いた本だったと記憶しています。

 

 

 

西洋占星術で使用する星は10個です。

 

ルル・ラブアさんの本では、その10個の星を、

ざっくりと吉星と凶星に分けていました。

 

 

 

ここで、西洋占星術で使用する星について、

吉星には〇を、凶星には✕をつけると、以下のようになります。

 

 

 

太陽 〇

月 〇

水星 〇

金星 〇

火星 ✕

木星 〇

土星 ✕

天王星 ✕

海王星 ✕

冥王星 ✕

 

 

 

どうでしょうか。

 

 

 

非常にざっくりと言って、

 

 

 

地球に近い星はだいたい吉星が多くて、

地球から遠い星はだいたい凶星が多いなあ

 

 

 

というふうに自分は思ったのですが、いかがでしょうか。

 

 

 

じつは、西洋占星術において、地球に近い星、

たとえば、太陽や月、そして、土星までの惑星というのは、

西洋占星術においては、古くから使用されていた星たちなのです。

 

つまり、早くからその存在を知られていた、ということですね。

 

 

 

それに対して、地球から遠い星、とくに、

天王星海王星冥王星の3つを、

西洋占星術では「トランスサタニアン」と呼ぶのですが、

これらの星は、近代市民革命期以降になってはじめて発見されてきた

星たちなんですね。

 

つまり、あまりまだなじみのない星たち、ということなんです。

 

 

 

では、どうして西洋占星術では、おおざっぱに言って、

 

なじみのある、よく知っている星には吉星が多くて、

なじみのない、あまりよく知らない星には凶星が多いのでしょうか。

 

 

 

天機はここで、こんなことを考えました。

 

 

 

相手を、対象を、よく知っていれば、

その対象は、自分に対して、利益をもたらしてくれる。

しかし、

相手を、対象を、よく知らなければ、

その対象は、自分に対して、害をなしてくる。

 

 

 

と。

 

 

 

ほんとにそんなことって、あるのだろうか?

 

そんなふうに思われるのは、無理のないことだろうと思います。

 

 

 

ですが、じつは、

古くからの昔話や伝説の中には、

このことに言及しているものが、いくつかあるのですね。

 

その例をみていきましょう。

 

 

 

たとえば、古今のエンターテインメント作品の中では、

ときどき、

「相手の真の名を知ることができれば、相手を支配できる。

 逆に、相手に真の名を知られると、その相手に支配されてしまう。」

というテーマがでてくることがあります。

 

 

 

よく知られている作品では、千と千尋の神隠しなんかも、

このテーマが登場しています。

 

湯婆婆に名前を取り上げられてしまったために、

ハクは支配されてしまっていましたね。

 

 

 

これなんかは、「知る」ということによって自分が利益を得ることができる、

ということの、1つの例かと思います。

 

 

 

また、古代エジプトの、伝説に出てくるスフィンクスなんかも、

そんな例かもしれません。

 

 

 

スフィンクスは、自分の近くを通りかかる旅人になぞなぞを出し、

答えることができなければ、その旅人を食い殺していた、とされています。

 

 

 

これはつまりは、

「知ることができない場合には」「自分に害が及ぶ」ということですよね。

 

 

 

日本にも、このようなテーマでの昔話があります。

 

「大工と鬼六」というのがそうです。

 

 

 

あるところに、とても流れのはやい川があって、

大雨のたびに氾濫するので、ひとびとは困っていました。

 

そこでひとびとは、その川に橋をかけてくれるよう、

名工と言われていた大工に頼みます。

 

しかし、さすがの難工事なので、大工もほとほと困り果てていました。

 

 

 

そこへ、鬼が現れます。

 

鬼は、「おまえの目玉をくれるなら、わしが鬼の橋をかけてやろう。」

と、大工に条件を出します。

 

大工は、橋はかけてほしいが、目玉をとられるのは嫌なので、悩みました。

 

 

 

ところが、次の日に大工が川の所に行ってみると、

もう鬼の橋は半分できあがっていました。

 

驚いた大工。でも、目玉はとられたくない。

 

 

 

悩んでいる大工を見て、鬼が言いました。

 

「おまえも人の子、目玉をとられるのは嫌だろう。

 よし、俺の名前を言い当てることができたら、目玉は勘弁してやろう。」と。

 

 

 

大工は困りました。

 

鬼の名前なんか、簡単にわかるわけありません。

 

 

 

家で悩んでいると、隣で奥さんが、子供をあやす子守唄を歌っていました。

 

「ねんねこや ねんねこや 鬼にも名前はある

 鬼六 目玉をもってくるかな」

 

とかなんとか。

 

 

 

次の日、大工は川の所に行きました。

 

鬼は言いました。

 

「どうだ。わしの名前はわかったか?わからないなら、おまえの目玉をもらうぞ?」

 

 

 

大工はちょっとじらすように言いました。

 

「わかった。鬼平だろう!」

 

「違う!」

 

「ふむむ。じゃあ、鬼助か?」

 

「違う違う!どうせわしの名前なんか、だれも分からないんだ…。

 おまえの目玉をもらう!!」

 

「わかった、わかった!ちょっと待て。おまえは、鬼六だ!」

 

 

 

その瞬間、鬼の姿は川の中へと消えていきました。

 

 

 

日本のこの「大工と鬼六」の話は、

知ると利益が得られるけれど、知らなければ害が及ぶ、

ということが、非常にはっきりとあらわれている例ですね。

 

 

 

と、以上見てきたように、

相手を知る、対象を知ることで利益を得ることができる反面、

相手を知らない、対象を知らないことで自分に害がおよぶ、といったことが、

この世界では、あるのかもしれません。

 

 

 

そのために、西洋占星術では、

よく知っているだろう近くの星はおおむね吉星であり、

まだあまり知らないであろう遠くの星は、おおむね凶星なのかもしれませんね。

 

 

 

そして、このことを応用すれば。

 

 

 

たとえば、わたしたちの日常生活において、家族とか、

非常に険悪な関係にある相手方がいて、

その相手方によってとても迷惑をこうむっているとします。

 

 

 

そんな場合に、そのような相手方からの害をすこしでも少なくする、

その方策は、

もしかしたら、「相手をよく知る」ことなのかもしれません。

 

 

 

その「相手をよく知る」ための方法の1つは、手前みそになりますが、

たとえば、

占星術で相手のことを分析してみるのでもいいでしょうし、

あるいは、

相手のこれまでの言動を思い出してみて、

相手はどういう人間なのか、どういう哲学を持っているのか、

体系立てて考えてみるのでもいいでしょう。

 

 

 

知れば、利益をもたらす。

 

知らなければ、害がくる。

 

 

 

今回は、そんなお話でした。