この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

【矛盾】盾と矛、どちらが勝つのだろう?ーその1。

つじつまがあわないこと、道理にあわないことをさして、

矛盾、という。

 

この矛盾という言葉は、中国の故事からきている。

話の概要は、以下のようになる。

 

昔、楚の国の人で、盾と矛を売る人がいた。

そのひとが、盾をさして言うのには、

「この盾はとても頑丈だから、どんな矛でも、これを突き通すことはできない」

と言う。

いっぽうで、矛をさして言うのには、

「この矛はとても鋭いから、この矛で突き通せない盾なんかない」

と言う。

それを聞いていた見物人のひとりが、

「では、その矛でその盾を突いたら、いったい、どうなるのだ?」

と聞いたところ、その商人は、答えることができなくなってしまった、という。

 

この話は、中国の古典である「韓非子」の「難」という編にでてくる話だ。

であるから、この話は、韓非のまったくの創作である、

というように考えることもできる。

 

ただ、まったくなにもないところから、このような話をいちから作り上げた、

というよりかは、自分は、

もともと民間の寓話、口伝として伝承されていた内容をもとにしたのではないか、

という気がする。

 

この、矛盾の故事になった話は、とてもシンプルで短い。

韓非子という古典作品のなかには、ほかにもたくさんの内容がふくまれているのに、

この「矛盾」の故事だけは、現代にいたるまで、つとに有名だ。

 

自分は、なんらかの文学作品や芸術作品、神話や伝説、伝承、故事成語

といったものが、

長い時の試練にも耐えて現代まで色あせることなく伝わっているとすれば、

それは、そのなかに、なんらかの、一見したところでは分からないような、

この世界の真理のようなものがひそんでいるからではないか、

と勝手に考えている。

 

矛盾の故事は、おそらく、韓非がその著作の中に採録する以前から、

中国古代の民衆の間では、知られた話だったのではないか。

 

 

では、この盾と矛、もし、このような盾と矛の戦いが、実際にあったとしたら、

果たして、勝つのはどちらなのだろう。

 

 

 

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reasongomainstream.hatenablog.com

ブログのアクセス数と、メダルゲームのメダル。

ブログを純粋な趣味でやっていると、

ブログのアクセス数が増えても、収入には結びつかない。

 

そんなブログのアクセス数は、

ゲーセンのメダルゲームのメダルに似ている。

 

スロット店のメダルゲームであれば、

メダルはお金につながる。

 

が、ゲーセンのメダルゲームは、そうではない。

ゲーセンのメダルゲームでメダルが増えても、

実際の収入とは全然関係がない。

 

そういう意味で、趣味でやっているブログのアクセス数が増える喜びは、

ゲーセンのメダルゲームでメダルが増える喜びに似ている。

寿命1年を1000万円で買い取ってもらえるなら。

こんなことを考えることがある。

自分の寿命1年分を、1000万円のお金で買い取ってくれるサービスがあったなら、

自分ははたして、どれくらい売却するだろうか、と。

 

これは、そのときの自分の年齢によって、そして、

残された寿命によって、おおきくかわってくるかもしれない。

 

自分がいま20代の若さで、残された寿命がわずか5年だったとする。

もしそうなら、自分はたぶん、寿命をまったく売却しないだろう。

残された時間を精一杯、生きることだろうと思う。

 

自分がいま何歳であるかにかかわらず、

自分が100歳まで生きることがわかっているなら、

90歳から100歳までの10年間の寿命を売却して、1億円を手に入れる

かもしれない。

というのも、90歳から100歳までの間なんて、

どうせよぼよぼで、生きていてもそれほど楽しくはないだろうから。

 

このように考えてくると、おかれた状況によって、

寿命の価値がずいぶんちがっていることがわかる。

 

20代で余命5年の人とかは、むしろ、

1年1000万円ほどであれば、寿命を買いたい側の人間であるかもしれない。

 

反対に、身寄りもなく孤独で、慢性病をかかえている老人などは、

1年100万円ほどであっても、残りの寿命を売り払って人生を清算したい、

と思うかもしれない。

 

ここに、寿命売買業者というのが存在したとする。

おそらくその業者は、安い値段で寿命を買い付けて、

高い値段でそれを売りつけることで利益をえるだろう。

 

学校卒業後ニート、ひきこもりの状態が長く続いていて、

人生に何の希望も持てず、

大量殺人事件でも引き起こして人生を終わらせよう、などと考えている

若者に近づいていって、寿命売買業者は、こうささやくのである。

「あなたの寿命を1年50万円で買い取りますよ?」と。

 

その若者が短絡的であれば、残りの寿命を全部売り払うだろう。

そうすれば、寿命売買業者は、破格の値段で寿命を獲得できる。

若者は、そのお金を使って、きれいなネーチャンのいるお店で遊んだりできる。

そして、起こるはずだった大量殺人事件は、起こらない。

いいことづくめではないだろうか。

 

そして今度は、寿命売買業者は、高い値段ででもいいから寿命がほしい、

と思っているひとのところへ、その寿命を売りに行くのだ。

 

美貌も、名声も、家族も、学歴も、職業も、なにもかも恵まれている女性がいて、

ただ、病気のために、30代にもかかわらず余命があとわずかだとする。

その女性の夫は、とても裕福だ。

さらには、その女性は国民的な人気があるために、

その女性の命を救うためならば、多額の寄付金が集まるかもしれない、

という状況であったとする。

 

そういう女性のところへ、寿命売買業者は近づいて行って、こうささやくのだ。

「1年1億円で、寿命をお買い上げになりませんか?」と。

 

そうすれば、その女性は、10年分、20年分くらいなら、寿命を買うかもしれない。

そうすれば、自分に幼い子がいたとして、

その子が立派に成人するくらいまでは、見届けることができるかもしれない。