この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

劉暁波氏、コール元首相の死去に思う。

中国の民主活動家、劉暁波氏が亡くなった。

先ごろには、ドイツのコール元首相も亡くなった。

 

劉暁波氏が民主化運動の前面に登場したのは、

1989年の、のちの天安門事件につながる、中国での民主化運動

のときのことだった。

 

コール元首相が歴史にその名を刻んだのは、ドイツ統一を実現したことによる。

そのドイツ統一は、

1989年に連鎖的に発生した東欧での民主化革命の流れのなかの、

そのひとつに位置づけられるベルリンの壁崩壊がきっかけになったものだ。

 

劉暁波氏と、コール元首相。

2人はいずれも、1989年の世界的な民主主義拡大のうねりとともに

登場し、

それから30年近くが経過した2017年の今年、あいついで亡くなった。

 

2人の死去は、1989年ごろから始まった、30年ほどにわたる、

「ある一つの時代」の終焉を示唆しているように思われてならない。

 

なにかの終焉があると、きまって「ひとつの時代が終わった」などとコメント

する輩が存在することは事実だが、

それでも、あとからふりかえったときに、その出来事が、

たしかに、一つの時代の終焉を象徴するかのような、

エポックメイキングな事象だったなあ、ということは、実際あるものだ。

 

今年は、将棋の藤井聡太四段が、30年ぶりに連勝記録を塗り替えた年でもある。

1990年前後からはじまった平成という時代も、

今上天皇生前退位とともに、あとすこしで終わりをむかえる。

また、その平成という時代とともに活躍を続けてきた国民的アイドルグループの

SMAPという団体も、

2017年の今年からは、もういない。

 

ここ30年ほどのあいだ続いてきた、あるひとつの時代の空気感というものは、

これから先、確実に変化していくことになるだろう、という予感がある。

世界史でみる、北東鬼門方位の脅威。

風水というのは中国が発祥だが、

日本にも方位学というのは存在する。

移動するときの方位や、家を建築する際の方位などを、

それでみるわけだ。

 

日本の方位学において、とくに恐れられている方位に、

北東の鬼門方位というのがある。

どうせただの迷信だろう、なんて思うかもしれないが、

世界史上の出来事をしらべてみると、

かならずしも、そうとは言い切れないのだ。

 

ある国からみてある国がどの方位にあるのか。

それを調べたければ、正距方位図法で描かれた地図が必要になる。

が、インターネット上のサイトを使えば、もっと簡便だ。

どこでも方位図法

たとえば、うえのようなサイト。

 

これで、いろんな国をみてみると、どんなことがわかるだろうか。

 

日本は太平洋戦争で米国と戦い、敗れ、はじめて他国に占領されることになった。

日本から見て米国は、北東鬼門方位にある。

 

アメリカの大地にはもともと、インディアンが住んでいた。

ところが、イギリスから移住してきたやつらによって、彼らは虐殺され、

住むところを追われた。

アメリカから見てイギリスは、北東鬼門方位にある。

 

イギリスにはもともと、いろんな民族がいたが、

11世紀にノルマン人がノルマン朝という征服王朝をたてた。

ノルマン人はもともと、スカンジナビアバルト海周辺が原住地である。

イギリスから見て、スカンジナビアバルト海周辺は、

北東鬼門方位にあたる。

 

ヨーロッパにおいてフランスは、普仏戦争以降、

自力でドイツの侵略を跳ね返せていない。

フランスからみてドイツは、北東鬼門方位にある。

 

ドイツは第二次大戦でソ連に敗れ、とくにその首都であるベルリンは、

ソ連の統治下におかれた。

ドイツから見てソ連は、北東鬼門方位にある。

 

南米にはインカ帝国アステカ帝国が栄えていたが、

スペインからやってきたピサロやコルテスといった侵略者によって滅ぼされた。

インカ帝国などがあった地域から見てスペインは、

北東鬼門方位にある。

 

中国ではいまなお、南京大虐殺でおおくの犠牲がでたことに関して

日本を非難しているが、

南京のある場所から見て日本は、北東鬼門方位にある。

 

などなど。

 

北東にいるやつらは、自分に害をなしてくる可能性がある。

 

ちなみに、日本の中心と言えば、言わずと知れた首都東京である。

東京都民に電力を供給するのは東京電力だが、

その東京電力の本社があるのも、首都東京だ。

日本と、東京電力に大打撃をあたえた惨事と言えば、

東日本大震災と、それにつづく福島第一原発事故だが、

その福島第一原発は、首都東京から見て、北東鬼門方位にある。

スタンダール「赤と黒」。

スタンダールの小説に、「赤と黒」という作品がある。

古典文学の一つだ。

 

この作品についてウィキペディアで調べると、

どうして「赤と黒」という作品名になったかについて、

いろいろな説があげられている。

が、ここでは、自分で独自に考えてみることにしよう。

 

このブログではしばしば述べていることだが、自分は、この世界は、

矛盾→理→生、という順番で出来上がった、と勝手に考えている。

人間の体でいえば、髪の毛→頭→胴体、の順番。

1日でいえば、夜の闇→昼の光→夕方の夕焼け、の順番。

色でいえば、黒→白→赤、の順番。

 

そして、矛盾→理→生という生成がどのようにして起こったのかというと、

まずはじめに、矛盾という母なる女性がいた。色でいえば、黒だ。

その女性が、はじめてとなる自分の子を産んだ。

この第一子が男の子で、理だ。色でいえば、白になる。

そして、その理を産んだ母なる矛盾と、うまれた子である理がまじわって、

第二子である生がうまれた。女の子だ。色でいえば、赤になる。

 

この世界生成の原理の中で、女性は2人登場する。

1人は、矛盾という母なる女性で、母であるから、年齢は比較的高い女性である。

その色は、黒。

もう1人は、生という女性で、これは女の子だから、年齢は比較的若い女性である。

その色は、赤。

 

つまり、世界生成の原理をふまえて考えれば、

赤は、年齢の若い女性を、黒は、年齢の高い女性を、

それぞれあらわしていることになる。

 

もしスタンダールが、この世界生成の原理を知ったうえで、

赤と黒」という作品名にしたのだとしたら、

おそらくその作品の中では、

年齢の若い女性と年齢の高い女性が、主要な登場人物として

あらわれてくるのではないだろうか。