この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

神社に行くと、運が悪くなる?

こんにちわ。天機です。

(約1900字)

 

 

 

きょうは、神社仏閣について、自分の思ったことを書いてみようと思います。

 

 

 

個人的な話なのですが、天機は、2003年ごろから2005年ごろにかけて、

人生の中でも、とびきり運のわるい時期がありました。

 

じつはこの時期には、開運のこととかを考えて、

神社仏閣に足しげく参拝していたのです。

 

つまり、簡単に言うと、

神社仏閣によく参拝していた時期と、自分の運が非常に悪かった時期は、

自分の中では、重なっていたんですね。

 

 

 

 そこで、その時期のことを最近、思い返すなかで、天機は、

 

もしかしたら、神社仏閣というのは、

ひとに悪い影響をもたらすことも

あるんじゃないか。

そこまでは言えないにしても、

神社仏閣から、

あまり恩恵を受けられないような

タイプの人もいるんじゃないか

 

というような、いくぶん罰当たりなことを、考え付いたのです。

 

そして、じつは、ネットで検索してみると、

神社に行くとかえってよくないことが起こった、

というひとが、自分以外にも、ちらほら存在することがわかったんですね。

 

 

 

 この現象を、どう考えたらいいのでしょうか。

 

 

 

お正月には、多くの人が初詣に行くと思いますが、

それはふつう、神社というものがなんらかのご利益をもたらしてくれる、

と、考えているからだと思います。

 

そうなんです。

ふつうは、神社仏閣というのは、ご利益をもたらしこそすれ、

害をもたらすはずはない。

そう考えるのが、普通なのです。

 

なので、神社仏閣に参拝して、かえって悪いことが起こった、となると、

それは、

神社の境内とかに存在する低級霊に憑かれたからなんじゃないか?

という意見をいうひともいるわけです。

 

あくまで、神社そのものは悪くない、という前提に立った意見ですね。

 

 

 

この考え方というのは、簡単にまとめると、つぎのようになります。

 

つまり、神社仏閣というのがどのように機能しているか、というその原理は、

参拝してくれた人に対してご利益をもたらす

 

利益付与システム

 

というのが、その基本原理になっているのだ、と。

 

これはおそらく、ほとんどのひとが神社仏閣に対して、

なんとなく感じている、自然な印象にも合致する考え方だろうと思います。

 

 

 

でも、天機は変わり者なので、つぎのように考えてみました。

 

つまり、神社仏閣がどのように機能しているか、ということについて、

その拠って立つ基本原理というのは、じつは、

 

国家社会的見地からの利益移転システム

 

なのではないだろうか、と。

 

 

 

天機がこのように考えたのには、理由があります。

 

その理由とは、

多くの参拝者が神社仏閣をおとずれるなかで、

参拝者それぞれが実現したいそれぞれの願い事が、

相互に対立、矛盾することがあるのではないか、ということです。

 

つまり、一言で言えば、

願い事相互間で利益相反状態が発生しうる、

ということですね。

 

 

 

具体的にみてみましょう。

 

 

 

たとえば、太郎君は花子さんと恋人関係をつづけたがっているのに対し、

花子さんは太郎君との恋人関係を終わらせたいと思っているとします。

 

そのような2人が、神社に行ってそれぞれの願い事を願ったら、

相互に矛盾する関係にある、その2つの願い事をまえにして、

神様はいったい、どのように裁定をくだすのでしょうか?

 

 

 

また、絵馬をかざってある神社もあると思いますが、

Aさんも、Bさんも、Cさんも、〇〇大学絶対合格!と絵馬に書いたとしても、

〇〇大学には定員がある以上、

だれかの合格はだれかの不合格を意味することになるかもしれません。

 

そんなとき、神様はいったいどんな基準で、

合格を後押しするひとを選ぶのでしょうか。

 

 

 

と、このように、

だれかの願い事をかなえることは、だれかの願い事をかなえない、

ということを意味することがありえるわけです。

 

経済学やゲーム理論で言うところの、

ゼロサムゲーム」のような状態が、場合によっては、

願い事相互の間でも発生することがありえるわけですね。

 

 

 

そこで神様は、そういった状況が発生したときには、

一段高い大所高所から判断して、

「国家的には、あるいは、社会的には、あるいは、世の中的には、

あるいは公共の見地からは、

今回はAさんの願い事をかなえてあげて、Bさんには泣いてもらおう」

といったような判断、裁定をおこなう可能性があるわけです。

 

それが結果として、事実上の、

BさんからAさんへのご利益の移転効果をもたらし、

Bさんとしては、

「神社へ行ったら、かえって運が悪くなったぞ?」

というような印象をうみだしているのではないでしょうか。

 

 

 

今回もまた、こんなとりとめのないことを考えていました。