みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و
今回は、神様には本当に慈悲はあるのか、
について書いてみようと思います。
(この記事の字数は 約1500字)
新型コロナウイルスの感染拡大がつづいています(つд`)
これまでにも、人間の社会をさまざまな災厄が襲ってきましたが、
そのたびに人間は、
そういった災厄がおさまるように神に祈ったり、
こんな災厄があるなんて神も仏もないのだろうか、と
憤ったりしてきました。
神様がほんとうに慈悲深い存在ならば、
なんで人間をそんなに苦しめるようなことをするのだろう?
それっておかしくない?
そう考えたひとは、多いかもしれません。
実際、キリスト教では、そのことが大問題になってきました。
キリスト教で想定されている神様は、
全知全能の善なる唯一神です。
全知全能であって、しかも善なる神なんだから、
人間に災厄をもたらすはずはない。
なのに、実際にはこの世界には、いろんな苦しみや災厄が存在する。
矛盾するではないか。
というわけで、
中世の神学なんかでも、大論争になってきたのです。
中東のほうだったかな、ゾロアスター教かなんかでは、
このことについて、ちがった解釈をしているようです。
つまり、じつはこの世界というのは、
全知全能の善なる唯一神だけが支配しているのではなくて、
善なる神様と悪なる神様が、せめぎあっている。
ときには悪なる神様のほうが力が強くなることもあるので、
それで、この世界には災厄が存在するんだ、と。
天機もこの問題について、考えてみました。
神様が慈悲深くて、善なる存在だと考えるのは、
キリスト教にかぎった話ではないと思います。
ここ日本でも、日本人はお正月には
初詣に行ったりすると思いますが、あれなんかは、
神様が人間に良い影響を与えてくれるという前提のもとに、
そのご利益をもらいに行くものではないでしょうか。
つまり、全世界的に、おおくのひとは、
神様というのは善なる存在で、慈悲深くて、
人間に無条件に利益をもたらしてくれるのだ、と、
なんとなく思っているのです。
ですが天機は(いつものことですが)、
違った風に考えてみました٩( ๑╹ ꇴ╹)۶
神様がそもそも神様であるゆえんは、
全知全能で人間に幸福をもたらしてくれるから
神様なんではなくて、
なんらかの特殊な力を持っている、
そのこと自体だけが、
神様の神様たる源泉みたいなものなのでは?
つまり、
たくさんのひとが考える神様というのは、
人間に利益や幸福をもたらしてくれるという意味で
プラスの存在なのですが、
実際には神様はそうではなくて、
あくまで中性な存在なのではないでしょうか。
そして、ひとびとが神社仏閣や教会に祈りに行ったり
お願いをしに行ったりするのも、本来は、
ねえ、神様、あなたは全知全能で善なる存在なんでしょ?
その善なる力で人間、わたしに、幸福をさずけてくださいな💛
という祈りの仕方は「誤り」で、じつは、
ねえ、神様、あなたは特別なすごい力を持っているんですよね?
その力を神様がどう使うかは、わからない。
人間の幸福のために使ってくれるかもしれないし、
もしかしたら、人間をいじめるために使うことだって
できちゃうかもしれない。
でも、もし人間の幸福のためにその力を使ってくれるんなら、
すごくうれしいんだけどなー??
みたいな、すごい控えめな祈りの仕方が、
じつは本来の祈りなんじゃないかって、
そんなふうに天機はふと、思いました。
そこには、
手を合わせたり、お賽銭を入れたりしたら、
自動的にご利益がでてくるATM的な神様観ではなく、
畏れをふくんだ神様観があるような気もします。
以上、天機でした(*゚▽゚)ノ