この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

蚊を退治してスッキリした話。

こんばんわ。天機です。

 

最近は過ごしやすい気温になってきて、

だんだん秋になってきたなあ、なんて思っていたんですが、

昨夜、蚊があらわれました。

 

うちにあらわれた蚊は、どういうわけか、

昼間、僕らが起きて活動しているときには、

まったく姿を見せないのです。

夜、消灯して、さあ寝ようか、と布団に横になると、

耳元でぶーん、と来ます。

 

それで、立ち上がって電気をつけて、

さあ、どこだ、やっつけてやるぞ、なんて思ってあたりを見回すと、

蚊の姿はまったく見えません。

 

この蚊は知能でも持っているんだろうか?

 

ふと、そんな疑問すら脳裏をよぎります。

 

うちには、蚊対策として、ベープを用意しています。

すこし大きめの卵みたいなかたちをしたやつです。

それをつけました。

 

 

でも、効きません。

蚊はあいかわらず、耳元でぶーんといいやがります。

薬の効能が寿命なのかもしれません。

 

 

しかたがないので、蚊を待ち伏せしてやることにしました。

わざと天井の電気を消して横になり、

すぐに点灯できるように、天井の電気のリモコンは手にもったまま。

しばらく待ちました。

 

すると、ぶーん。

 

来ました、蚊が耳元に。

すかさずリモコンのスイッチを入れ、電気をつけ、

立ち上がって布団の上を見渡しました。

 

いました。布団の上に。

蚊もまさか、僕がこんなに素早く臨戦態勢を整えるとは、

思っていなかったのでしょう。

布団のうえ、10センチほどの低空を、

おたおたしながら飛んでいます。

 

この機を逃すはずがありませんでした。

瞬時にして、両手で撃墜。

ようやく、安眠の時をむかえることができました。

 

めでたし、めでたし。

【紫微斗数】殺破狼の影響とは。

紫微斗数には、殺破狼、とよばれているものがあります。

 

凶星とされる甲級主星のなかの、

七殺、破軍、貪狼、

この3つを総称して、そうよんでいます。

 

行運において、大限や小限が、この殺破狼のうちのどれかが存在する宮に

かさなると、変動運がおとずれます。

 

 

殺破狼は、たがいに、つねに三方加会しているので、

たとえば、小限で殺破狼にかさなるのは、

4年に1度めぐってくる、ということになります。

 

殺破狼がめぐってきたときに、なにが起きるのか、

ということですが、

その年になにかおおきなイベントが単発でおきることも、

もちろんありますが、

それよりも、

それまでの人生の流れをおおきく転換するような、

転換点となるようなイベントが起きやすいです。

【矛盾】盾と矛、どちらが勝つのだろう?-その3。

盾の強みは、その面の広さにあった。

矛の強みは、その力のかかる部分の小ささにあった。

 

では、そんな盾と矛が戦ったら、いったい、

どちらが勝つのだろうか。

 

具体的な人間同士、兵士同士の戦いを思い浮かべるならば、それは、

相対する2人の人間が、それぞれ、盾と矛をもち、

盾で自分の身を防御しながら、矛で相手を突こうとする、

そんな戦闘場面があらわれる。

 

が、ここでは、そういった個々の具体的な戦闘場面からは離れて、

いわば、盾なるもの、矛なるもの、

言葉をかえれば、

盾の原理、矛の原理、

そういったものが相対して戦えばどうなるのか、ということを考えてみたい。

 

 

ここに、盾の原理と、矛の原理が相対して戦闘に臨んでいるとする。

両者のちょうど中間には、

そこにおいて両者の戦闘が発生する、

戦闘領域面がひろがっている。

 

最初、盾の原理と矛の原理は、それぞれ、

この戦闘領域面の各半分に対して、支配力を行使していたとしよう。

 

さて、戦闘がはじまって、それがすすんでいけば、

どういうことがおこるだろうか。

 

盾の強みというのは、その面の広さにあった。

だから、戦闘において、防御面が広がれば広がるほど、

防御力が高まると考えた盾の原理は、

戦闘領域面に占めるみずからの防御面の面積を、

できるだけ拡大していこう、とするだろう。

 

いっぽうで、矛の強みというのは、

その力のかかる部分の小ささにあった。

力のかかる部分の面積が小さくなればなるほど、

そこでの圧力が増大し、結果、矛の攻撃力は増すことになるからである。

だから、戦闘において、攻撃面が小さくなればなるほど、

攻撃力が高まると考えた矛の原理は、

戦闘領域面に占めるみずからの攻撃面の面積を、

できるだけ縮小していこう、とするだろう。

 

ここにおいて、盾の原理、矛の原理、両者の思惑は、

奇妙に合致する。

盾の原理は防御面をできるだけ拡大しようとし、

矛の原理は攻撃面をできるだけ縮小しようとするのだから、

戦闘領域面においては、

盾の原理の防御面がどんどん拡大するいっぽうで、

矛の原理の攻撃面はどんどん縮小していくことになるだろう。

 

 

 

では、この流れの行き着くところって、なんだろう。

 

盾の原理の防御面がどんどん拡大するいっぽうで、

矛の原理の攻撃面がどんどん縮小するのならば、

やがては、

戦闘領域面のすべてを盾の原理の防御面がおおいつくし、

戦闘領域面からは、矛の原理の攻撃面は消え去ってしまうのではないか。

 

ふつうは、そう考えるだろう。

 

もし、その考えが正しいのならば、それは、

盾の原理の完全勝利を意味する。

 

戦闘領域面のすべてを盾の原理の防御面が覆い尽くしたということは、

もはや、盾によって防御されないところは存在しない、ということだ。

盾の原理による、絶対防御の完成である。

 

いっぽうで、矛の原理の身上は、そのかかる部分の面積の小ささだ。

かかる部分の面積が小さければ小さいほど、

圧力が大きくなって、攻撃力がたかまる。

 

が、そのかかる部分の面積は、小さくてもよいが、

ゼロになってはいけない。

ゼロになってしまえば、もはや、力が作用する面そのものが失われてしまい、

圧力をかけられないことになるからだ。

 

とするならば、

戦闘領域面のすべてを盾の原理の防御面がおおいつくして絶対防御が完成し、

矛の原理が攻撃面をすべてうしなったために、

圧力をかけることがそもそも不可能になった、という事態は、

盾の原理の完全勝利、とみなしても、

なんら問題ないようにも思える。

 

 

 

しかし、ここに重大な、盾の原理にとっては致命的な、罠が存在する。

 

 

 

とても小さいもの、とても小さな世界、

そういったものをどうみなすのか、ということについては、

古来、さまざまに議論されてきた。

 

たとえば、数の論理や数学の世界では、

かぎりなく小さいものをゼロ、とみなしてしまう傾向がある。

 

1/3=0.333333333333…

という数における等式の両辺をそれぞれ3倍すると、

1=0.99999999999…となる。

ここで、1=1という等式を考えて、先の等式とあわせて辺々を引くと、

0=0.00000…00000001

となる。

 

つまり、数の論理においては、

かぎりなく小さくてゼロ(無)とほとんどかわらないようななにか、は、

まさしく、ゼロ(無)そのものとして扱われるのである。

 

大学で数学を学んだようなひと、あるいは、数学に造詣が深いようなひとは、

往々にして、この論理を頭から信じ込んでいて、

それに対する反論をはなから否定する傾向がある。

 

が、上に述べたような数の論理が示していることはなにか、といえば、

それは、

「かぎりなく小さいなにか、というのは、まさしくゼロ(無)なのだ、

 というのが、この世界の真実である」

ということではなくて、

「数の論理、数学の論理というのは、

 かぎりなく小さいなにか、というのを、ゼロ(無)とみなす

 学問体系、論理体系だ」

ということなのである。

 

この世界には、数もあれば、言葉もある。

左手があれば、右手もある。

月の光は美しく輝いているかもしれないが、それは、

自分自身で光っているわけではなくて、太陽の光を借りたものだ。

寝ているときに夢で見る世界というのは、

それなりにまとまってはいるかもしれないが、やはり、

ところどころ、おかしなところがあるものである。

 

数の世界で、数の論理で、正義とされた事柄が、

数の世界以外のこの世界全体に適用できる、などとうぬぼれるのは、

重大な誤りである。

数、という漢字の中には、女、という漢字がはいっている。

数の論理というのは、

あたかも化粧によって自らを美しく見せる女のように、

その根本のところに虚偽をおいているからこそ、

あれだけ壮大な、「美しい」論理体系を築けているのではないか。

その重大な虚偽とはなにか、といえば、それは、

かぎりなく小さななにか、を、無、と同視している、という、犯罪行為だ。

 

 

 

ここで自分は、まったくなにもない、ゼロというものを「無」とし、

いっぽうで、「無」とほぼまったく同じようであり、

かぎりなく小さいけれども、「無」とはごくわずかだけ違うなにか、を指して、

それを「寸」と名付けたい。

 

 

 

話を、盾の原理と矛の原理の戦闘場面に戻そう。

 

盾の原理がその防御面を拡大し、矛の原理がその攻撃面を縮小していくと、

やがては、

戦闘領域面のすべてを盾の原理の防御面がおおいつくし、

盾の原理による絶対防御が完成して、盾の原理の完全勝利が帰結される、

というふうに普通は考えるだろう、という話をした。

 

が、ここに罠がある。

 

盾の原理の防御面が拡大していくということは、

矛の原理の攻撃面が縮小していく、ということなのだが、

その矛の原理の攻撃面が縮小して、縮小して、

ついには「無」にいたる、その寸前に、

その大きさは、一度、

「寸」になる。

 

これは当然のことだろう。

なにかが小さくなって、小さくなって、ついには、なくなってしまう、

という経過を考えるときには、

なにもないという「無」の前段階には、

なにもないように見えながらなにかがある、という「寸」が存在するのだから、

寸を経過して、はじめて無にいたることができるからだ。

 

盾の原理と矛の原理の戦闘においても、

どんどん小さくなっていった矛の原理の攻撃面は、

無となって完全消滅する、そのわずか直前に、

いちど、「寸」になる。

すると、なにがおこるだろうか。

 

矛のような刃物、鋭い利器がなにかを切り裂き、つらぬくのには、

その圧力が関係していた。

そして、圧力の計算式は、

かかる力を分子に、力のかかる部分の面積を分母に、

それぞれ配置した、分数の形であらわされる。

 

どんどん小さくなっていった矛の原理の攻撃面の大きさが

「寸」になった瞬間、

この圧力の計算式の分母のところに「寸」が入ることになる。

寸、というのは、無限小のようなものだ。

これが分母にはいると、

圧力全体の大きさは、無限大になる。

そして、無限大の大きさの圧力を防ぎきることは、

なにをもってしても不可能だから、

まさにこの瞬間に、

盾の原理の防御は破られることになるのだ。

 

 

 

盾の原理は、思っていただろう。

このまま矛の原理の攻撃面が小さくなって、小さくなって、

ついには無くなってしまえば、私の勝ちだ、と。

実際、盾の原理の勝利は、

手をのばせば届きそうなところにあったのだ。

が、勝利を手にするわずかその直前、

おそろしいことが起こるのである。

それが、寸のはたらきだ。

 

つづく

 

 

 

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