この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

宇宙預金をひきだすには。

とても重要なことなのだけれど、

宇宙預金は、引き出すには、その前提として、

十分に預け入れていなければいけない。

 

これまでの人生で、

他人に比べて、とても不幸なこと、不運なことが多かったひととか、

他人のため、世の中のために、

たとえば寄付をするなど、プラスになることをやってあげたひととかは、

長い年月がたつうちに、

たくさんの宇宙預金がたまっている可能性がある。

 

長い年月、というのも、ポイントのひとつだ。

宇宙預金も預金の一つであるから、複利によって増えていく性質をもつ。

そして、複利がその効果を十分に発揮するためには、

長い年月の経過が必要だ。

 

だから、宇宙預金に関しては、

預け入れた額も重要だが、それに加えて、

いつから預けはじめたか、ということも、非常に重要になってくる。

 

宇宙預金を貯めよう、と思って、貯めはじめたはいいけれど、

それが、人生の後半にさしかかってからスタートしたのならば、

もしかしたら、もう遅いかもしれない。

少なくとも、自分自身の存命中に、自分が貯めた宇宙預金を引き出して

使うのは、できないかもしれないのだ。

 

それに対して、十分に若いころ、たとえば、

高校生や大学生の時分から、十分に宇宙預金の積み立てをはじめたひとなんかは、

長い年月が経過し、人生の後半にさしかかるころには、

宇宙預金の苗木は、大木に育っているかもしれない。

そうすれば、そういったひとは、人生の後半にさしかかるにあたって、

これからは、宇宙預金を引き出しに転じます、

と意思表示をおこなうことによって、

後半の人生を、宇宙預金の果実を楽しみながら過ごすことができるのである。

 

これまでの人生がラッキー続きであったようなひと、あるいは、

他人のため、世の中のために、なにかをやってあげたというようなことが

少ない人は、

宇宙預金があまり貯まっていない可能性がある。

あるいは、宇宙預金を貯めはじめたはいいけれど、

貯めはじめてから、まだあまり日がたっていないようなひとも、

宇宙預金の苗木はまだ、十分に成長してはいないだろう。

 

宇宙預金があまり貯まっていないのに、それを引き出すなどというのは、

原理的に不可能なことだ。

貯まっているからこそ、引き出せるのである。

自分で適当に領収書のようなものを書いてみても、

貯まっていない宇宙預金を引き出せることは、絶対にない。

東日本大震災で10億円寄付した、柳井正さん。

ユニクロ柳井正さんは、東日本大震災が起きたときに、

復興のために10億円寄付した、といわれている。

 

すごいね。なかなかできないことだね。

そういった感想を持たれる方も、多いのではないだろうか。

 

しかし、寄付した額の大小を考える際には、

自分の持っている総資産との比率で考えなければ、

ほんとうのところは、よくわからないような気がする。

 

 

2017年9月現在で、

柳井正さんの持っている総資産は、145億USドルだといわれている。

1ドル107円とすると、

1兆5515億円にもなる。

 

他方で、東日本大震災で寄付した金額は、10億円だ。

ここで、10億円を1兆5515億円で割ってみると、

0.00064ほどになる。

つまり、寄付した金額10億円が、

総資産1兆5515億円に占める比率は、

0.064%ほどだということになる。

 

この同じ比率を、一般庶民に適用した場合にどうなるかを考えてみよう。

 

預貯金が銀行に1000万円ほどあり、それが総資産という人の場合は、

東日本大震災に6400円ほど寄付すれば、

寄付金額と総資産の比率は、ほぼ、柳井正さんと同じになる。

 

貧しいひとで、

預貯金が銀行に100万円ほどしかなく、それが総資産だという人の場合は、

東日本大震災に640円ほど寄付すれば、

柳井正さんと同じ比率だ。

 

中学生か高校生であって、

自分の貯めたおこづかいや、お年玉をもとにして、

貯金が20万円ほどあり、それが「総資産」だ、というような子は、

東日本大震災に128円ほど寄付すれば、

柳井正さんと同じ比率だ。

 

上にあげたような金額を寄付すれば、

柳井正さんとおなじような比率になるわけだが、

日本の税制でも、累進課税制度が採用されているように、

持てるものは、より大きな金額を、

持たないものは、より少ない金額を、それぞれ寄付したほうが、

公平、公正の原理にはかなう、といえるかもしれない。

であるならば、

総資産が少ない人なんかは、

上に述べたような金額よりももっと少ない金額を寄付したとしても、

柳井正さんとおなじような貢献をしている、

と言えないこともないのである。

 

実際には、東日本大震災のようなおおきな自然災害が起こったときには、

1000円、5000円といった金額を寄付したひとも、

それなりにいただろう。

 

だとするならば、

寄付金額と、自分の総資産の比率で考えるならば、

われわれ一般庶民もまた、

ユニクロ柳井正さんとくらべて、遜色ない金額を寄付している、

と言えるのだ。

宇宙預金をひきだそう。

子供のころに、こんな経験をしたひとも多いのではないだろうか。

 

お正月にお年玉を親戚の人からもらったときとかに、

両親が、

貯金しておいてあげるから、とかなんとか言って、

子供である自分には自由に使わせてくれなかった、という、あの経験だ。

 

それとはちがうが、

先の大戦中にも、日本で徴用されていた、

韓国や中国からきた労働者が、

自分の給料を、勤務先の日本企業に強制貯金させられていた、

なんていう事例もあったと耳にする。

 

 

貯金、預金というのは、基本的に、

のちのち自分が使いたいときに、自由に引き出して使うことができるからこそ、

意味のあるものなのである。

預けっぱなしで、使うことができないなら、

はなからそんな貯金など、しないほうがましである。

 

 

自己啓発分野での考え方に、「宇宙預金」という考え方がある。

いくぶん、スピリチュアルな感じもする概念だ。

 

他人に親切にしてあげたり、

他人のため、世の中のために、たとえば寄付をするなど、

いいことをしてあげたりすれば、

その善行は、

「宇宙銀行」というところに記録されていく。

そして、その宇宙銀行の利子は膨大なもので、

あとで、何倍にもなって自分にかえってくる、というものだ。

 

しかし、この「宇宙銀行」についても、注意が必要だ。

 

さきに、貯金や預金というのは、預けっぱなしでは意味がない、と書いた。

宇宙銀行や宇宙預金についても、当然、そのことは妥当する。

 

ATMに行った時のことを考えてみよう。

操作する画面の中には、「お引き出し」や「預け入れ」など、

いろんなボタンがならんでいる。

 

銀行に預け入れたいひとは、預け入れのボタンを、

銀行から引き出したいひとは、お引き出しのボタンを、

それぞれタッチするはずだ。

 

 

そうなのである。

自分の要求をかなえてもらおうと思ったら、

自分の意思をはっきりと表示することが必要なのだ。

そして、このことは、宇宙預金についても成り立つものなのである。

 

善行をおこなうというのは、

宇宙銀行については、「預け入れ」をあらわす行為になる。

善行をおこない続けるかぎり、宇宙銀行は、

ああ、このひとは「預け入れ」をおこないたいんだな、

「お引き出し」は、まだしたくないんだな、

と、判断してしまうのである。

 

そうやって、もしかりにそのひとが、

一生、善行をおこない続けたとする。

そうすると、お引き出しのチャンスは、ついに、

そのひとの存命中にはめぐってこないことになる。

引き出されなかった宇宙預金の引き出しは、

そのひとの来世に持ち越されるのだ。

 

それでもいい、そのほうがいい、というひとも、なかにはいるだろう。

しかし、そうではなくて、

自分は、自分の存命中に、宇宙預金を引き出して、

自分の幸福のために使いたい、というひとは、

そのことの意思表示を、はっきりとこの宇宙に対して示す必要がある。

そして、その意思表示になる行為というのが、

 

いちど、善行をすっぱりとやめてみる

 

ということなのだ。

 

そうすれば宇宙銀行は、

ああ、このひとは「預け入れ」から「お引き出し」に転じたんだな、

と判断して、

「わかりました。長い間の預け入れ、ありがとうございます」

と言って、払い戻しに応じてくれるのである。