この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

人間のからだにはこの世界の秘密がかくれている?

さいころは、なんにでも疑問をいだく。

あまりにもあたりまえすぎて、大人になったら考えもしなくなるような、

それでいて、はっきりとした答えがあるかと言われれば、

そうでもないような、

そんな疑問を質問して、お父さんやお母さんを閉口させたひとも、

いるかもしれない。

 

そんな疑問のひとつに、人体に関する疑問がある。

なんで、おっぱいは2つなんだろう。

なんで、女の人はおっぱいがふくらみ、男の人はおちんちんが

突き出ているんだろう。

なんで、人間のてっぺんには髪の毛があるんだろう。

なんで、髪の毛はあたまを守っているんだろう。

なんで髪の毛はつぎつぎ生えてきて、どんどんのびてくるんだろう。

なんで髪の毛は、年をとるとなくなったり、白くなったりするんだろう。

なんで、人間の体の中で、頭部と陰部には、集中して毛がはえ

いるんだろう。

なんで、目は2つ、耳は2つ、鼻は1つ、けど鼻の穴は2つ、

口は1つ、心臓は1つ、胃は1つ、けど肺は2つ、腎臓は2つ、

なんだろう。

って、どんどん疑問がわいてくる。

けど、こういった疑問は、大人になると、あまり考えなくなるのだ。

 

ネットで調べると、こういった疑問をもつひとは、それでも、

いるようで、質問サイトなどで質問しているひとがいる。

それに対する答えのほとんどは、生物学的な知見からの回答

になっている。

生物には、こういうはたらき、機能、目的があって、そのために

こういう構造になっているんですよ、みたいな。

 

でも、自分はちょっとへそまがりな考え方をするのが好きだ。

このブログも、世界への反逆、というタイトルがついている。

ほとんどのひとが考えるような考え方とは違う考え方でも、

大言壮語が許されるならば、

たとえ世界全体を敵にまわしても、自分は1人、違う道をいきたい、

と考える人間なのだ、このブログ主は。

 

上にあげたような、人間の体に関する1つ1つの疑問に、

生物学的な知見からは、それぞれに応じた回答が、逐一、なされる。

でも、自分は考えた。

人間の体にあるそういったさまざまな疑問を、統一的に解き明かす

ことのできるような、なにか深遠な原理が、その背後に存在する

のではないだろうか、と。

 

旧約聖書の冒頭に、創世記という部分がある。

神様が、どうやってこの世界と、人間その他の生き物をつくったか、

ということが書いてあるところだ。

その創世記の、人間をつくりだしたところは、こう書いてある。

1:26

神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。

1:27

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

 

この部分を読んでみて、僕は思った。

「やけにしつこいな」と。

なにがしつこいって?

 

「われわれのかたちに」「われわれにかたどって」

「自分のかたちに」「神のかたちに」

 

つまり、人間のかたちというのは、神に似せてつくられたのだ、

ということを、4回も言葉をかえて繰り返しているのだ。

この部分を、どう読んだらいいだろう。

 

人間が神に似せてつくられている、というのを読んだら、

ふつう、どういう想像をするだろうか。

たぶん、神様というのは、人間みたいなすがたをしていて、

たとえば長髪で、白いひげかなんか生やしていて、真っ白のローブ

とかまとって、杖かなんかついてる、みたいな想像をするんじゃ

ないだろうか。

 

でも、これはたぶんちがう。

これだと、「神様は人間に似ている」ということになってしまう。

ちがうよね。

旧約聖書の創世記が言っているのは、神様が人間に似ている、

ということではなく、

「人間の姿かたちは、神様に似ている」

って言ってるんだよね。

これをどう解釈したらいいだろう。

 

僕は考えた。

ここでいう神様というのは、なにか人格をもった主体としての存在

を言ってるんじゃなくて、

この世界がどのように形成されているかという、そのからくり、

真理、秘密、枢機、そういったものを、

神、という言葉で表現したのではないだろうか、と。

 

もしそうだとすると、

人間の体のかたちについてじっくりと考えぬいていけば。

子供のころに疑問に思って、大人になると忘れてしまうような、

そんな当たり前すぎることももういちど考え抜いていけば。

 

この世界の秘密、真理、枢機といったものを、

逆探知」できるのではないか?

そんなふうに考えた。

NHKラジオの語学講座をはじめる季節

春だ。

4月から、また新しく、NHKラジオの語学講座の、新年度の講座が

開講する。

 

例年、この季節になると、NHKラジオの語学講座を受講してみようかな、

と考える人が増えるらしい。

NHKラジオの語学講座のテキストは、1年のうちでこの季節が

いちばんよく売れるという。

 

しかし、5月、6月と月日がすすむにつれ、テキストの売り上げは

次第に減少していく。

講座の進行から脱落していくひとが増えてくるからだ。

 

NHKラジオの語学講座は、語学スクールに通うのにくらべると、

講座をつづける強制力の点ですこし弱いかもしれない。

自分でたんたんと聴きつづけていく必要がある。

 

そして、以前はもっとハードルが高かった。

というのも、ラジオの放送しかなかったからだ。

ラジオで講座が放送される時間にあわせてラジオの前に座ったり、

あるいは、あらかじめ予約録音しておいて、あとでそれを聴く、

という手間が必要だった。

手間がかかればかかるほど、習慣にするのはむずかしくなる。

面倒だな、と思う気持ちが、NHKラジオの語学講座挫折の一因

となってきた。

 

でも、最近、状況がすこしかわった。

講座によってはネット上で、過去1週間分の放送を、

ストリーミングで聴けるようになったのだ。

これはおおきい。

いつでも自分の好きな時に聴けるし、場合によっては、

スマホで聴くことによって、どこでも場所をえらばず聴けるように

なったからだ。

つまり、講座を聴くうえで便利になって、結果、すこし続けやすく

なったのだ。

 

いつでも聴けるっていうことでいえば、別売りCDもあるじゃん、

っていう意見もあるかもしれないが、

別売りCDは1500円ほどする。

テキストが500円弱しかしないのにくらべると、

やや高いという印象はぬぐえない。

 

語学の勉強をつづけていくうえでは、費用の問題も重要なポイントだ。

あまりお金がかかるようだと、長続きさせるのがむずかしくもなる。

NHKラジオ講座だと、テキストだけ買って、あとはネットの

ストリーミングで聴くようにすれば、月に500円弱で済む。

語学スクールだと、年に数十万円かかる場合もあることを思えば、

その差はおおきい。

 

語学スクールは、学習をつづける強制力の点でラジオ講座にまさる、

と書いたが、ラジオ講座にはない面倒な点もある。

語学スクールの校舎に通って授業を受けるのであれば、

まず服装をととのえて出かけ、主要ターミナルの近くにあることが多い

校舎まで出向き、きちんとよそゆきの対応を心がけながら授業を受け、

また帰ってこなければいけない。

授業のスケジュールは基本的には語学スクールの側で決められているし、

自分の好きな時間、好きな場所でいつでも学習できるわけではない。

こうなってくると、学習のつづけやすさ、習慣化のしやすさ、という点では、

語学スクールのほうが優れているとは、かならずしも言えなくなってくる。

 

2020年に東京オリンピックがひらかれることをきっかけに、

日本にもたくさんの外国人が訪れるかもしれない。

とすると、もしかしたら、自分が外国語をはなせることで、

世界がひろがるチャンスにめぐりあえるかもしれない。

語学をはじめようと思うきっかけはなんであれ、はじめるなら、

手軽に始められるほうがいい。

1冊500円のテキストというのは、昔に比べるとすこし価格が上がって

いるのだが、それでも、費用がそれだけで済むというのは魅力である。

ダメもとではじめてみても、もしかしたら、運よく外国語がすこしわかる

ようになるかもしれない。

なぜ火球が増加しているのか?

昨日も、関東から西日本にかけての広い範囲で、

火球が目撃されたとニュースがあった。

 

このてのニュースがあると、たいてい専門家と称されるひとたちは、

「あれは火球です」と、決まり文句のように言う。

が、現象にただ単に名前をつけたからといって、

その現象をほんとうに理解できたことの保証にはならないだろう。

 

問題は、こういった火球とよばれる物体が、これほど頻繁に目撃

されるような事態は、過去にはなかったということだ。

ここ数年において、あきらかに火球の目撃件数は急増している。

だからこそ、頻繁にニュースにもなるのだ。

 

「空の異変」はほかにもある。

いわゆる、「アポカリプティックサウンド」とよばれる現象で、

空から原因不明の奇妙な音がきこえてくるというものだ。

空から音、といったワードで検索すると、多数ヒットしてくるし、

Youtubeなどにも動画があがっている。

じっさいにこういった現象が存在しないのにあたかも存在するかのように

騒ぎ立てるなら、それはオカルトとよばれてもしかたないかもしれない。

しかし、火球はあきらかに存在するし、空から音がきこえるというのも

もし事実であるならば、

じゃあ、その原因はなに?

ってことになる。

 

ノストラダムスの大予言というのが、かつてブームになり、

現在では忘れ去られた感があるが、その予言の中に、

「キリスト再臨のまえに、空が前兆をしめす。」

というのがある。

オカルト好きのひとならば、火球や空からの音を、

こういった予言と結びつけて楽しむのかもしれない。