政府は、教育無償化を憲法改正の目玉に位置づけるなど、
政策としてすすめようとしている。
また、自民党は、こども保険という名前の制度をもうけて、
幼児教育の無償化などを実現しようとしているようだ。
自分は、そのいずれにも、反対だ。
教育無償化というのは、一見したところ、授業料などの費用がかからなくなって、
教育の機会均等にも資するし、いいことだなあ、と思うかもしれない。
しかし、それが「いいこと」であるのは、
現に学校へ通っている生徒、児童本人に対してか、あるいは、
そのような生徒、児童をかかえる家庭に対してだけである。
教育無償化を実現するには、財源が必要だ。
その財源としては、おそらく、税金がつかわれる。
税金は、みんなが納めたものだ。
教育無償化を実現すると、そのみんなが納めた税金が、
子供のいる家庭だけに配られることになる。
つまり、子供がすでにいなくなった家庭とか、
子供がいない家庭とか、単身世帯などにとっては、
税金をはらうだけで、自分にとってはまったくなんの利益もない制度、
ということになってしまう。
これでは、あまりにも不公平ではないだろうか。
たしかに、日本の未来にとっては、子供がいることは重要なことだ。
しかし、子供を産み、育てるというかたちばかりではなく、
この日本では、各人が各人の方法で、日本の国と社会の繁栄や発展のために
貢献しているのである。
なにも、子供を産み、育てるような国民だけが一等国民であって、
子供のいないような国民は二等国民である、というわけでもないのだ。
子供のいない国民の一方的な負担において、子供のいる国民を利することは、
公平、公正の原理から考えれば、おかしなことであろう。
それに、いまでこそ日本はそれなりに豊かであるが、
高度成長期以前の日本は、まだ貧しかったのである。
そんななかでも、ひとびとは、なにも教育無償化などといった制度がなくたって、
自分の力で立派に子供を育ててきたのだ。
現在、教育無償化という制度が必要である、と主張するひとたちは、
当時と比べて、状況的になにがどう変化したのか、あきらかにすべきだろう。
また、こども保険というのも、おかしな制度設計だ。
保険と名のつくものは、基本的に、受益者負担が原則である。
火災保険にはいっているひとは、万が一、火災が発生したさいには、
自分がその火災保険にはいっていることによって、利益をえられる。
地震保険にはいっているひとは、万が一、地震が発生したさいには、
自分がその地震保険にはいっていることによって、利益をえられる。
健康保険にはいっているひとは、万が一、自分が病気になったさいには、
自分がその健康保険にはいっていることによって、利益をえられる。
保険料をしはらうのは、みな、自分自身もその保険の恩恵にあずかることが
できるからこそ、保険料をしはらっているのである。
ひるがえって、こども保険はどうか。
こども保険の保険料は、みなが支払う。
ところが、それで利益を得るのは、実際にこどもがいる家庭だけだ。
保険料の負担者と受益者が、一致していないのである。
この世の中には、
子供がすでにいなくなった家庭、子供のいない家庭、単身世帯、
いろんなかたちの家庭が存在する。
そういった家庭の存在を無視して、一方的に子供がいる家庭だけをもてはやすのは、
なんともおかしなことだろう。
国民みなに影響するような制度を設計するさいには、なによりもまず、
その制度が公平、公正なものであるかどうか、ということに意を払うべきであって、
必要かどうか、利便性の観点からはどうか、
ということだけにとらわれてはならない、と思う。