この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

人の中にはいっていく。

こんにちわ。天機です。

 

 

きのうは、昼から夜遅くまで、人の集まりに出席していて、

ほぼほぼ1日、パソコンをさわることができませんでした。

 

そのため、ほかのひとのブログを訪れることもできませんでした。

きょうからまた、いろんなブログを訪れようと思っています。

 

 

天機は、どちらかというと、ひとが苦手です。

たとえば、立食パーティーがあったりすると、

だれにも話しかけられずにひとりぽつんと立っていたりするのが、天機です。

 

どうも、天機とほかの人の間には、水と油がお互いをはじきあうように、

バリアでもあるんじゃないか、と考えるときがあります。

 

これは、しかも、リアル世界だけの現象ではないのです。

天機は大学時代に、チャットをやっていた時期があるのですが、

しばらくチャットルームにいると、やがて、1人浮くのです。

 

 

ああ、人っていやだなあ。

人といても、楽しいことがないなあ。

 

そう思った天機は、できるだけ人を避け、人の多くいるところから

withdrawして、一人で過ごすことが多くなりました。

 

 

テレビとか見てても、たとえば、ダウンタウンの松ちゃんとかは、

ポイントでなにか気の利いたことを言って、

それで、その場にいる人がどっと笑ったりしますよね。

 

これは、芸能界にかぎったことではなく、

たとえば、学生時代だったり、社会人になってからも、パーティーとかで、

当意即妙な発言、飾らない素のままをだした発言で、

みんなを笑顔にして、場を盛り上げるひとって、いますよね。

 

天機は、そういうことができません。

天機は、いつも固いです。

表情や仕草が固いだけでなく、心の中も固いです。

写真を撮るときなんかは、さかんに、カメラマンに、

もっと笑って、と言われます。

しゃべるとぎこちなく、笑顔はひきつっていて、

たぶん、その様子をみたまわりのひとは、自分に嫌悪感を持ったろうな、

と解釈します。

 

 

そうすると、だんだん、華やかな場にいて、かっこよくて、可愛くて、

面白いことを言い、みんなを笑顔にし、みんなからも好感を持って迎えられる

ようなひとというのが、

なんだか、自分とは対極の世界にいるような気がして、

そういうひとのことを、心の中で憎むようになっていきました。

そうして、世の中からだんだんとwithdrawしていった自分は、

自分の頭の中に、理論を構築していくようになりました。

それは、たとえがあっているかどうかはわかりませんが、

映画の「アナと雪の女王」で、雪の女王が、人里離れたところに、

自分だけの宮殿をつくったような感じでした。

 

 

 

ところが、きのう出席した人の集まりというのは、

なんとも、ほのぼのとしたものでした。

 

自分はイケメンや、美人をみると、

ああ、このひとたちは、どうせブサイクな俺らのことなんか馬鹿にしていて、

かげではセックスでもやりまくってんだろうなあ、などと、

非常にひねくれた考えをするくせを持っているのですが、

昨日会ったイケメンや美人は、非常にフレンドリーで、

たあいもない冗談を言うようなひとでした。

 

自分は思ったのです。

イケメンや美人というのは、外見がかっこいいから、あるいは、可愛いから、

それでみんなに好かれていて、じつは、

外面=善、内面=悪、なんだろう、と思っていたのですが、

じつは、

イケメンや美人というひとも、自分たちと同じような、

喜びを喜び、悲しみを悲しみ、他愛もないことに笑ったりするような、

そんな面があるんじゃないだろうか。

それで、ひとをひきつけるようなひとというのは、

もちろん外見もそうだろうけれど、

その内面の中に、なにか、ひとをひきつけるようなものを持っているから、

ひとをひきつけているんじゃなかろうか、と。

そんなふうに思ったんですね。

 

自分の行動についても、考えることがありました。

みんなのまえで、なにかを言ったりしたりするとき、

自分は、こわばった心のまま、そのしぐさもかたくて、ぎこちないものに

なります。

そうなると、そういった、ひとのあつまる場というのは、

できるだけ避けるようになるのですが、

それを避けているから、いつまでたってもぎこちないままで、

果ては、ほかのひとと世界を憎むようになるんじゃないか。

たとえ、ぎこちなくても、そのぎこちないままで、

世界に飛び出していったらいいんじゃないか?

そんなことを、ふと、考えました。

 

 

 

でも、まあ、どうなるかはわかりません。

世界と他人からwithdrawして、自分の心と頭脳に築いた城に居をかまえて、

世界に対して復讐的な心をいだいて、人生を送っていくのか。

それとも、人の輪の中にはいっていくことで、

人生もまた、あらたな展開をみせるようになるのか。

 

自分がなにに価値をおくのか、ということと、

自分はどんな世界をもとめるのか、ということ、

そして、自分の人生での、それぞれのフェーズで、

どんな運が自分にめぐってくるのか、といったことも、

この先を決定する要因であるように感じます。

カツアゲの思い出。

こんばんわ。天機です。

 

 

きょうは、「カツアゲ」の思い出についてのお話です。

 

 

カツアゲというのは、恐喝してお金をまきあげること、あるいは、

恐喝されてお金をまきあげられることです。

目の前でカツを揚げて食べさせてくれるわけではありません。

 

 

天機は、これまでの人生で、2回ほど、カツアゲに遭ったことがあります。

 

1度目は、中学生の時でした。

友達と2人で地元を歩いていたら、その友達のほうが目つきが悪い、

と知らない兄ちゃん1人に言いがかりをつけられ、

友達も僕も、お金を巻き上げられました。

友達はけっこう取られましたが、自分は、小銭しか持っていませんでした。

 

2度目は、浪人生の時でした。

友人2人と予備校から自転車で帰る途中に、その友人の1人が、やはり、

メンチ切ったやろ?とかなんとか言ってからまれ、

その友人は、そいつらのスクーターに乗せられて連行されてしまいました。

 

これはたいへんだ、と思って、もう1人の友人とあとを追っかけていきました。

相手は2人組でした。

こちらは3人組でした。

細い路地裏のようなところでした。

 

相手は、「タイマンするか?」と言ってきました。

自分も、自分の友人も、有名大学を志望して浪人中でした。

こんなところで怪我でもしたらもったいない、と僕は思って、

しませんしません、と連呼しました。

僕は率先してお金をはらいました。僕は、小銭しか持っていませんでした。

 

あとから聞くと、スクーターで連行された友人は、

べつにタイマンしてもかまわなかったそうです。

ぼくはその友人に、もし相手がナイフでも持ってたらどうする、

こんなとこで人生を棒に振るなんて愚かだ、

自分たちは将来、もっと大物になるんだろ?と、説きました。

もっとも、タイマンしてもかまわない、と思っていた1人を除く、

ぼくを含めた残り2人は、いかにもひ弱で弱そうなやつらだったので、

まったく戦力にはならなかったと思います。

 

あれから20年ほどたちましたが、

自分は、まったく大物にはならず、冴えない人生をおくっています。

 

 

 

ところで、カツアゲする男って、だいたい、男を襲うよね。

あれはなんでだろ?

女だったら叫ばれると思ってるんだろうか。

そうか、女は女で、女の不良にカツアゲされてるんだろうか。

 

ふと気になりました。

【民法改正案】公平性を欠く、配偶者居住権。

こんにちわ。天機です。

 

 

きょうは、ヤフーニュースに、こんな記事があがっていました。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

たとえば、夫が亡くなって、妻と子供が残された場合、

遺産相続については、妻と子供がそれぞれ2分の1ずつをとるのが原則です。

 

夫と妻がそれまで暮らしていた不動産(評価額3000万円)と、金融資産

5000万円が、のこされた遺産のすべてであった場合、

3000万円と5000万円を足せば8000万円になり、その半分は4000万円ですから、

妻と子供が、それぞれ4000万円ずつとるのが原則になります。

 

そしてこの場合、もしかりに、妻が残された不動産に住み続け、

その所有権を獲得するのならば、

その時点で妻には、不動産の評価額3000万円に相当する遺産がわたったことに

なりますから、妻が金融資産について相続できる分は、1000万円ということに

なります。

つまり、妻は、不動産3000万円と金融資産1000万円で合計4000万円を、

子供は金融資産4000万円を、それぞれ相続するわけです。

じつにすっきりしていて、わかりやすい、公平な分け方だと思います。

 

 

 

ところが、今回の民法改正案では、きわめて公平、公正ではない改悪が

おこなわれることになりました。

 

のこされた妻が、そのまま不動産に住み続けることができるように、との

目論見のもとですすめられた今回の改正案では、

まず、妻には、不動産の所有権ではなく、居住権というものが付与されることに

なります。

 

その居住権というのは、妻の年齢なども加味して計算され、年齢が高ければ高いほど、

居住権の評価額は低いものとされます。

 

たとえば、さきほどの事例で、妻が1000万円の居住権を認められたとしましょう。

不動産の評価額は3000万円でしたから、差し引き2000万円の残りがでます。

この2000万円を不動産の所有権であるとして、子供のほうが相続したとします。

 

すると、不動産については、妻が1000万円を、子供が2000万円を相続したことに

なりますから、金融資産については、

妻がさらに3000万円を、子供が2000万円を相続したとしても、

おかしくはないことになります。

 

つまり、この場合には、

妻が不動産の居住権1000万円と金融資産3000万円の合計4000万円を、

子供が不動産の所有権2000万円と金融資産2000万円の合計4000万円を、

それぞれ相続することになるわけです。

 

 

 

でも、これって、あきらかにおかしなことではないでしょうか。

 

所有権というのは、排他的な物権です。

その所有物に関しては、使用、収益、処分について、所有者が自由におこなう

ことができます。

複数人で所有をおこなう場合、つまり、共有の場合にかんしては、

その持ち分の限度で、やはり、使用、収益、処分を自由におこなえるのが原則

なのです。

 

妻が1000万円の居住権をもち、子供が2000万円の所有権をもつような先の事例に

おいては、

その両者の関係は、一見、共有に類似しているかのようにも思えます。

 

が、そうではないのです。

この子供の側には、母の存命中は、母を退去させることはできない、

と定められているのです。

つまり、その限度において、子供の側の当該不動産に対する使用、収益、処分

にかんする権利は、著しく制限されていることになります。

簡単に言えば、評価額3000万円の不動産について、配偶者であった妻は、

1000万円の評価額でしかない居住権をもとに事実上、その住宅を排他的に支配している

いっぽうで、2000万円分もの所有権を有しているはずの子供の側は、その不動産に

ついて、なにもできない、何らの利益も得られない、という、

非常に不合理な事態が発生することがありうるわけです。

 

これに近い事例として、自分が思いつくのは、

地上権の負担がついた土地所有権です。

 

地上権というのは、その土地上に建物を建てたりすることのできる、

利用権を獲得することを目的として設定される物権です。

 

ふつう、土地の所有権があれば、その所有者は、自由に使用収益ができるはず

なのですが、地上権が設定されていると、土地の所有者は、そういったことが

いっさいできなくなります。

つまり、土地の利用に関して美味しい部分は、みな、地上権者がかっさらって

いってしまうのです。

 

そのため、地上権の負担のついた土地所有権の価値は、なんらの負担のない

通常の土地所有権にくらべて、大幅に落ちるのがふつうです。

だいたい、相場の2割くらいにまで落ちてしまいます。

逆に言えば、土地の価値の8割くらいは、地上権者が持って行ってしまった、

ということにほかなりません。

 

 

 

今回の民法改正案で、のこされた配偶者に居住権というのを認めることにかんしても、

これと同じにおいがします。

 

居住権の設定を不動産に受けた配偶者というのは、さきの地上権者とおなじ立場

にあります。

そこに住み続けることができるのですから、その不動産の価値の大部分は、

その配偶者が支配していることになります。

ところが、その居住権の評価額は、その不動産の価値への支配実態から遊離して、

いたずらに低く見積もられています。

そして、そのことが結果的に、金融資産に対して配偶者が遺産分割を多めに

要求する余力をうみだしているのです。

 

 

 

社会状況は、時代によって刻々と変化します。

旧態依然とした法制度であって、時代に合わない制度であれば、不都合の生じる

可能性もあるので、それらを変えていく「必要性」はあるでしょう。

 

が、「必要性」があれば、「公平性」や「公正性」の観点はすべて没却されてしまって

いいのかといえば、そういうことでもないはずです。

 

男性と女性、双方のあいだでの公平と公正。

配偶者と子供たち、双方のあいだでの公平と公正。

そういったものは、みな、たいせつなはずです。

 

 

今回の民法改正案では、のこされた配偶者が、夫の死後も住み続けることのできる

不動産を失うことがないように、という「必要性」の観点を過度に強調する

あまり、

配偶者と子供たちのあいだでの、公平な財産の帰属という法の趣旨がないがしろ

にされており、

配偶者と子供たちの間で2分の1ずつを相続するという法定相続分の規定を事実上

潜脱するものであって、

配偶者に不合理なほどの手厚い保護をあたえたもの、というほかありません。

 

不動産というのは、金融資産などとは異なり、そこに暮らす人にとっては、

大切な生活の基盤をなすものですから、

配偶者が住み慣れた住居を追い出されないために、その不動産に対する権利を

とくに確保してあげる必要は、たしかにあるのかもしれません。

しかし、かりにそうであったとしても、

その不動産についての財産的価値は正しく評価される必要があり、

そのことは、遺産分割全体の計算に織り込んで考慮すべきであって、

他方で子供たちの側の財産権が毀損されるべきではない、と天機は考えます。

居住権という概念を創造し、それを隠れ蓑とすることで、あらたな錬金術

ようなものを配偶者のみに与えることがあってはいけない。

天機は、そう考えます。

 

この世の中では、作用があれば、かならず、反作用や副作用が生じます。

作用だけがつらぬかれて、反作用や副作用はなくしてしまう、

というわけには、いかないのです。

ひとには、心があります。

ひとの心を無視して制度設計をおこなえば、かならずどこかに歪みが

生じるものです。

不公平、不公正な法制度をつくれば、不公平だ、不公正だと感じた側の、

反発や不満、憎しみをまねくことになります。

 

上の事例でいえば、高齢の妻に、住居に加えて金融資産までをも与えれば、

それでオッケーにも思えるでしょうが、

もしかりに、それで子供たちの側が不満を感じれば、

「無形の助力」を母親に与えることを、拒むようになるかもしれませんね。

困っていても助けない、相談にも応じない、実家にはまったく寄り付かない。

 

たとえそうであっても、資産さえあれば母親は幸せなんだ、

と法制度が考えるなら、それでやっていったらいいでしょう。

天機は、ひとの心を甘く見ないほうがいい、と思いますが。

ひとの心などといったものを重視して、法制度やその他の政策を実施したとしても、

その効果が定量的に観測できるわけでもありません。

ですが、ひとが暮らすこの社会を明るくするのも、暗くするのも、

つまるところは、ひとの心なんだと、天機は考えています。

メジャーアニメを見てみる。

こんばんわ。天機です。

 

 

天機は、アニメが好きです。

高校生くらいから、テレ東の夕方のアニメとかを見ていました。

 

 

しかし、天機の家は、変わった家でした。

 

天機が小学生のころは、

ドラゴンボールとか、北斗の拳とか、ドクタースランプあられちゃんとか、

いろいろ面白そうなアニメがやっていた時期なんですが、

天機が家で見せてもらえたのは、

まんが日本昔ばなしサザエさんドラえもん

だけだったように思います。

 

家には、マンガも1冊もありませんでした。

母親の教育方針は、やや、いびつなものでした。

 

 

天機が、大学受験のために浪人生活をおくり、そして、

大学に合格して上京し、一人暮らしをはじめたあたりから、天機は、

TSUTAYAに行って、自分の好きなアニメを借りてきてみるようになりました。

 

そのころに見たアニメには、

新世紀エヴァンゲリオン魔法騎士レイアース少女革命ウテナ

カードキャプターさくら、KEY THE METAL IDOL、AIKA

吸血姫美夕ふしぎ遊戯など、いろいろあります。

 

ただ、天機がみたアニメというのは、うえのような、

あまり一般人が見ることはなく、アニメ好きが見るようなアニメばかりでした。

基本的に、男が戦うようなアニメはきらいで、

可愛い女の子がでてくるアニメばかりみていました。

 

 

天機は、そのようなアニメが好きだったのですが、

基本的には、そういうアニメは、一般人との会話の中では、

話題にのぼりにくいのです。

 

対して、いままでの人生の中で、繰り返し、話題にのぼってきたアニメというのは、

誰もが知っているような、メジャーなアニメでした。

 

たとえば、ドラゴンボールとか、北斗の拳とか、キン肉マンとか、うる星やつらとか、

ガンダムとか、スラムダンクとか、幽遊白書とか、ワンピースとか。

 

ところが、そういったメジャーなアニメは、

先に述べたような幼少期の家庭の教育方針のために、

自分は、見たことがないのです。

 

 

そこで最近になって、自分は、

その失われた幼少期を取り返すべく、メジャーなアニメを少しずつ、

第一話から動画で見ています。

 

ドラゴンボールも、ワンピースも、それぞれが800話以上あって萎えますが、

少しずつ見てやろうと思っています。

80対20の法則と、うんこ。

こんにちわ。天機です。

 

 

きょうは、80対20の法則と、うんこの関係について、

考えてみたいと思います。

 

 

書店に行けば、自己啓発関連の本がならんでいることがありますが、

そのなかに、

「80対20の法則」について書かれた本があります。

 

だいたい、どういうことを言っている法則なのかというと、

影響力のある80%は、全体の20%が占めている、

ということなのです。

 

たとえば、

全世界の富の80%は、上位20%の金持ちが持っていたり。

 

あるいは、

会社の売り上げの80%は、20%の商品がたたき出していたりするので、

その20%の部分に注力すれば、もっと成果がでるよね、

ということを主張する法則なのです。

 

 

 

自分は、この法則は、トイレに入っている時間と、うんこの関係についても

成り立つのではないか?

と思いました。

 

自分が出すうんこの80%は、おそらく、

トイレにこもっている時間のうち、最初の20%の時間で出てしまうのでは

ないでしょうか。

 

だとするならば、

のこり20%のうんこを出そうとして、そのままトイレにこもり続けるのは、

いかにも非効率ではないだろうか?

 

 

きょうは、そんなことを考えました。

過去、現在、未来と、人間の体。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、過去、現在、未来について、考えてみましょう。

 

 

 

1日の流れ、というのは、

まず、夜明け前の真っ暗な闇の黒があって、

つぎに、日が昇ってくると、太陽の光の白があって、

最後に、夕方になると、夕焼けの赤があらわれます。

 

色でいうと、黒→白→赤の順番ですね。

 

時間軸でいうと、過去→現在→未来です。

 

 

 

そして天機は、この世界がどのようにして生まれてきたか、という、

その順番については、

 

矛盾→理→生

 

という順番でうまれてきた、というふうに考えています。

 

このそれぞれが、さきほどの、

黒→白→赤と、過去→現在→未来

に対応しているわけなんですね。

 

 

 

ところで天機は、この、矛盾、理、生には、それぞれ、

男女の性別がある、というふうにも考えています。

 

まずはじめに、

矛盾というお母さん、つまり女性がいて、

その女性が理という子供を産んだ。この理は男の子、つまり男性です。

そして、矛盾という女性と、理という男性がまじわって、

2番目のこどもである生がうまれた。

この生は女の子、つまり、女性です。

 

 

 

まとめると、つぎのようになります。

 

矛盾(女性)→理(男性)→生(女性)

黒→白→赤

過去→現在→未来

 

このそれぞれが、対応関係にある、ということです。

 

 

 

そうすると、男性というのは現在を担当していて、

女性というのは、過去と未来を担当していることがわかると思います。

 

 

 

 

 

ここでひるがえって、人間のからだについて、考えてみましょう。

 

人間のからだは、おおきく二分すると、頭部と胴体部にわけることができます。

 

頭部には顔があって、顔には上から順に、目→鼻→口、という順番でならんでいます。

 

胴体部はどうでしょうか。

胴体部には、上から順に、胸(おっぱい)→おへそ→生殖器、という順番

でならんでいますね。

 

 

 

 

では、人間のからだに関して、「時間軸」はどうなっているでしょうか。

 

 

 

ふつうは思うかもしれません。

時間軸?そんなの、現在しかないじゃん。いま、生きてるんだから、と。

 

でも、それについて、もうすこしつっこんでみてみましょう。

 

 

 

人間の頭部には、顔があって、上から順に、目、鼻、口がならんでいます。

 

目は、生きているこの自分がものを見るために使用します。

鼻は、生きているこの自分が匂いをかぐために使用します。

口は、生きているこの自分が食べ物を食べるために使用します。

 

つまり、人間の頭部、その顔にある目、鼻、口は、

いずれも、「現在生きているところのこの自分」のためにある器官であって、

簡単にいえば、「現在」にかかわる器官なのです。

 

 

 

それにたいして、胴体部はどうでしょうか。

 

まず、胸(おっぱい)がありますが、おっぱいは、基本的には、

これから生まれてくる子供が乳を飲むために使用する器官です。

その子供は、いまだ生まれていません。これから、生まれてくるのです。

その意味で、おっぱいは、「未来」にかかわります。

 

つぎに、おへそはどうでしょうか。

誕生した後は、基本的にぼくたちは、おへそを使うことはありません。

それは、「現在」のぼくたちに役立つ器官ではないのです。

しかし、おへそには、ちゃんとした役割がありました。

それは、自分たちがまだ、お母さんのおなかのなかにいたときに、

お母さんから栄養分を受け取る経路になっていたのです。

お母さんのおなかのなかにいたとき、というのは、「過去」です。

つまり、おへそというのは、「過去」にかかわる器官なんです。

 

最後に、生殖器はどうでしょうか。

生殖器というのは、男女の生殖器が絡み合うことで、次代に子孫をのこそう

とするはたらきにかかわります。

次代、というのは、これから、ということです。

そのこどもたちは、いまはまだ、いないんです。

その意味で、生殖器は、「未来」にかかわります。

 

以上をまとめると、人間の胴体部においては、

おっぱいは「未来」に、おへそは「過去」に、生殖器は「未来」に、

それぞれかかわっていることがわかります。

 

つまり、人間のからだにおいては、

頭部は「現在」にかかわっていますが、胴体部は「過去」や「未来」

にかかわっている、といえそうです。

 

 

 

以上の流れをすべて総括すると、

男性というのは、「現在」にかかわっていて、

女性というのは、「過去」や「未来」にかかわっています。

 

そして、人間のからだにおいては、

頭部というのは、「現在」にかかわっていて、

胴体部というのは、「過去」や「未来」にかかわっているのです。

人、魚、鳥の、移動のしかた。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

天機は、日々、いろんなことをぼけーっと考えています。

 

天機が考えるのは、「あたりまえのこと」が多いです。

 

誰もが知っているようなあたりまえのことについて、

「その背後にはどんな原理がかくれているのだろう?」

と、深読みしていくのです。

 

きょうも、そんなあたりまえのことについて、考えてみました。

 

 

 

さて、この世の中には、「方向」というのがありますね。

 

代表的な方向には、6種類あります。

 

前後、左右、上下、の、計6方向です。

 

 

 

そして、この世の中には、陸、海、空の、3つの場所があります。

 

空はわかりますね。陸地もオッケーでしょう。

ただ、水のあるところは、海にはかぎられないので、

川や、湖などもふくめてかんがえると、

陸、水、空、といったほうがいいかもしれませんね。

 

 

 

この、陸、水、空には、それぞれ、

ひとなどの陸上の生物、魚、鳥がいます。

 

 

 

その、それぞれの進み方をみてみましょう。

 

 

 

だいたい、たいていの生物は、口は、体の前のほうをむいてついています。

 

そして、生物が移動するとき、進んでいくときというのは、

口が向いているところの、前のほうへと進んでいきます。

 

 

 

陸上の生物である、ひとは、前のほうへ進んでいこうとするときに、

足を、進行方向に対して「前後」に動かします。

 

陸上の生物には、ほかに、ライオンや鹿、牛や馬といった生き物もいますが、

たいていは、前足と後ろ足がそれぞれ同様に動いたりはするものの、

進んでいくときの足の動かし方、その方向というのは、「前後」なんです。

 

 

 

つぎに、水の中にいる、魚についてみてみましょう。

 

魚は、からだにある「ひれ」を動かして進んでいきます。

 

魚のからだには、いくつかの「ひれ」がありますが、

進んでいくことに使用される「ひれ」は、「尾びれ」です。

そのほかのひれは、移動の方向を決めたりするのに使われます。

 

そして、この、進んでいくときに使用される「尾びれ」なんですが、

その動く方向は、進行方向に対して、「左右」なんですね。

尾びれを左右にふりふりしながら、魚は前のほうにすすんでいくわけです。

 

 

 

最後に、空にいる、鳥について考えてみましょう。

 

鳥は、飛ぶとき、前のほうへ進んでいくときに、翼を使います。

 

その翼の動く方向は、進行方向に対して、「上下」なんですね。

 

 

 

整理しましょう。

 

方向には、前後、左右、上下の6方向があります。

 

ひとなどの陸上の生物が前に進むときには、足を「前後」に動かし、

魚が水の中を前に進むときには、尾びれを「左右」に動かし、

鳥が空を前に進むときには、翼を「上下」に動かします。

 

ひと、魚、鳥、それぞれの、前に進むときに動かす体の部分の、

それぞれの動かす方向というのは、

これらの3種類相互の間では重複することがなく、

3種類がそろってはじめて、前後左右上下の6方向すべてがカバーされるわけです。

 

 

 

はじめは、鳥のかたちをぼんやりと心の中でイメージし、

その後、魚のかたちとかもぼんやりと心の中でイメージしていたのですが、

さらに考えをすすめていくと、うえのようなことを考えつきました。

 

きょうは、そんなお話でした。