読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

【小学校】おいしかったです、という、唱和。

自宅の近所に小学校がある。

先日、その小学校のまえを自転車で通りかかったら、

ちょうど、給食の時間が終わったころだったのだろうか、

児童たちが元気よく唱和する声がきこえてきた。

「ごちそうさまでした!おいしかったです!」

と、みんなが声をそろえて叫んでいたのだ。

 

小学校というところは、

児童がみんなで声をそろえてなにかを叫ぶのが好きなところである。

自分が小学生だったころにも、

授業が終わって下校するときには、

「先生、さようなら!みなさん、さようなら!」などと叫びながら、

先生のほうと、隣の席の子に向けておじぎをするのが通例だったし、

朝の朝礼で校長先生があいさつするときなども、

全校児童がいっせいに、

「おはようございます!」なんて叫んでいたように思う。

 

あいさつは、大切なものだ。

それは、礼儀と道徳を身につけさせてくれる。

給食の時間が終わって、「ごちそうさまでした!」とあいさつするのも、

食べ物をあたえてくれた命とか、食料を生産してくれた農家のかたとか、

調理してくれた給食のおばさんとか、

いろんなひとや生き物への感謝がもとになっているものだろうと思う。

 

ただ、ひとつ気になるのは、

「おいしかったです!」という部分だ。

 

おいしいかどうかというのは、ひとによってちがう。

あるひとは、味噌ラーメンがすごく好きかもしれないが、

べつのひとは、しょうゆラーメンのほうが好きかもしれない。

あるひとは、カキフライに目がないかもしれないが、

べつのひとは、牡蠣は生臭いからいやだ、と思っているかもしれない。

美味しいと感じるかどうかには、そのひとの嗜好が反映される。

そして、さらにいえば、

調理員がどんなに精魂込めて調理したとしても、

それでも児童が美味しいとは思わない、ということは、

ありうることである。

がんばって調理すればかならず児童は美味しいと思うようになる、

というわけでもないのだ。

児童にだって、好き嫌いはある。

食べることは食べるけれども、さほど美味しいとは思っていない、

という児童も、なかにはいるかもしれない。

 

にもかかわらず、全員が一斉に「おいしかったです!」と唱和するのは、

どうなんだろう。

ごちそうさまでした、は、たしかに、全員が言ってなんの問題もない。

が、美味しかったです、という部分は、全員で統一することには、

なじまないような気がする。

 

そんな細かいこと気にするな、空気をよんで、美味しかったです、

って言っておけばいいんだよ、って言うひともいるかもしれない。

むしろ、そちらのほうが、この社会ではふつうのことなんだろう。

でも、理に合わないことを空気をよんで実行するというのなら、

いったい、空気をよむって、なんなんだかなあ、という気もする。

それに、あいさつというのが、相手や他者に対する思い、感謝、礼儀

といったものを、そもそもの基盤としていることを考えれば、

実をともなわない「おいしかったです!」のような掛け声は、

かえって、内実をともなったあいさつというものを形骸化させていく

懸念もあるような気がする。

 

と、かたい話をのべてきたが、一般的にいって、

給食はおいしく、給食の時間は概して待ち遠しく、楽しい時間であることは

相違ない。

ほとんどの児童にとっては、

「おいしかったです!」という発言は、たぶん、

心からのものだろうと思う。

【振り込め詐欺】女性は、だまされやすい。

振り込め詐欺の被害にあうのは、高齢者がおおい。

では、高齢者の中でも、男性と女性では、

どちらのほうが被害にあいやすいのだろうか。

 

振り込め詐欺 被害者 性別」といったようなワードで、

ネットで検索してみると、いろんなデータがでてくる。

それによると、あきらかに女性のほうが被害にあっている。

だいたい、被害者の7割くらいは女性である、とみてよさそうだ。

 

どうして女性のほうが、振り込め詐欺をはじめとした特殊詐欺に

ひっかかることが多いのだろう。

 

詐欺というのは、相手をだますものである。

被害者というのは、それにだまされたということだ。

被害者に女性が多いというのは、簡単に言えば、

女性は簡単にだまされる、ということである。

だますというのは、相手の判断経路、思考回路を、おかしな方向へ

誘導する、ということだ。

女性がだまされやすいということは、つまりは、

女性の判断経路、思考回路は、

容易におかしな方向へといきやすい、ということなのである。

 

その理由として考えられるのは、ひとつには、

女性の理性というものは、はなから弱い、ということがあげられるだろう。

各種のIQテストにおいては、たいてい、

女性のIQは男性のIQにくらべて、低い数字があらわれる。

囲碁や将棋においても、活躍しているのは、ほとんどが男性だ。

自然科学部門におけるノーベル賞受賞者の数も、

男性のほうが圧倒的に多い。

 

男性が女性に体力でまさることは、一目瞭然だ。

一目瞭然であることに反論するのは、むずかしい。

だから、女性が男性と体力で同等である、などといった意見は、

なかなかでてこないのである。

ところが、

女性の知能が男性の知能よりも劣る、ということは、

体力の場合ほどには、あきらかではない。

そこで、女性の知能は男性の知能にくらべて遜色はない、

といった意見が跳梁跋扈することになる。

 

が、実際には、IQテストの例、頭脳ゲームの例、ノーベル賞の例で

みたように、

こと、頭脳を使うことに関しては、あきらかに女性は男性に劣るのである。

この、女性の頭脳が劣っているということが、

振り込め詐欺をはじめとした特殊詐欺にひっかかるうえで、

おおきな原因をなしているであろうことは、容易に想像できる。

 

また、認知症と男女比、というブログ記事でも書いたように、

認知症にかかるのは、一般的に女性が多い。

認知症にかかると、判断力がよわまる。

たとえ認知症には至っていなくても、認知症予備軍になった段階で、

ある程度は判断力が弱まるであろうことは、想像できるところだ。

振り込め詐欺などにひっかかるのは、高齢者が多い。

高齢者は、認知症予備軍になっている可能性も高い。

そして、認知症になるのは、女性が多い。

こういったことがつながって、結果的に、

高齢の女性が振り込め詐欺にひっかかることが多い、という現象となって

あらわれているのではないか。

 

どこかの記事で読んだが、

新車の販売店のディーラーによると、

男性よりも女性のほうが決断力がある、らしい。

男性と女性が、たとえば夫婦でやってきたとしても、

女性のほうが、すぐに購入を決断する率が高いらしいのだ。

 

これをみて、どう思うだろうか。

ああ、女性って素晴らしいね、決断力が男性よりもあるんだね、

と思うだろうか。

 

自分は、そうは思わない。

販売店のディーラーというのは、新車を売ろうとしているのだ。

対して、購入する側のこちらというのは、

値段に見合った品質がなければ、かならずしも購入はしないぞ、

と思っている側なのである。

つまり、両者のあいだには、駆け引きがあるのであって、

相手が表面的に言っているその発言の裏にはどういう真意があるのか、

ということは、

およそ駆け引きであれば、読み解かねばならないことなのだ。

そういった駆け引きの場で、

ただ相手の口車にのせられて、深く思考することもなく簡単に購入を

決める人間というのは、販売する側からいえば、

ようするに、くみしやすい人間なのである。

それがどうして、決断力が優れていることなどになろうか。

 

女性というのは一般的に、

表面的にあらわれているものの裏にはどういうことがかくれているのか、

ということを、

理性や思考、推論によって、頭脳をはたらかせることで読み解くことが、

ひどく苦手である。

これは、男っていうのは可愛い顔した女にコロッとだまされる、

女の本性を知らないからよ、なんていう、

「女の、裏を読む力」などといったものとは、まったくちがうものだ。

相手はつねにエゴイズムにもとづいて行動するのだ、

と、ただそれだけに単純化して、はなからそう決めてかかって考える

女の思考回路には、特段の理性のはたらきはない。

男性のいう裏を読む力というのは、

相手を、エゴイズムに支配された存在というふうに、

ただそれだけに単純化して考えるのではなく、

いろんな可能性を排除することなく頭のなかで思い描きながら、

その可能性のそれぞれの実現可能性を理性にもとづいて論理によって

判断するものであり、

こと、人間関係のドロドロした場面においてのみ適用可能性があるものではなく、

自然現象の背後にある法則性といった対象へも、

おおきく飛翔していく可能性を秘めたものなのだ。

 

女性には、そういった意味での、

物事の表面にあらわれているものとは異なった、裏に存在するものを、

理性と論理によって推論していく力があまりない。

それが、

振り込め詐欺をはじめとした特殊詐欺に直面した時に、

相手の言うことの裏を考えるうえでの障害となってあらわれることになる。

共謀罪に関する、シンプルな考え方。

いわゆる共謀罪法案、テロ等防止法案が成立しようとしている。

 

この法案に関して、

与党は、テロ防止のために必要だ、といい、

野党は、国民の権利が侵害されるからだめだ、という。

 

見たところ、議論があまりかみあっていない。

問題は、シンプルにとらえたらいい。

 

テロなどを防止する、これは必要なことだ。

いっぽうで、国民の権利を侵害する、これはよくないことだ。

それだけのことである。

 

野党は、金田大臣に答弁させてボロを出させることをねらいすぎた。

飾り物の大臣が、官僚ほど賢くはないのは、ある意味当然である。

刑事局長のほうが法案をよく知っているのなら、

刑事局長を相手に具体的な論点に関して質疑をたたかわせたほうが、

すこしは実りある議論になったのではないか。

それにしても、飾り物の大臣が、飾り物であるにもかかわらず、

高額の給料だけは実際に受け取っているのは、

なんとも腹立たしいかぎりではある。

イチローの時代も、終わりだ。

イチローは引退すべき時に来ているのではないか、

と、ヤフーの特集記事。

 

news.yahoo.co.jp

 

自分もまったく同意見だ。

この記事についているフェイスブックコメントをみると、

イチローは偉大だ、まだまだやれる、

などといったコメントが目につくが、

自分は、まったくそうは思わない。

 

イチローが過去に偉大な選手であったことは、だれもが認めるところだ。

しかし、どんな偉大な選手でも、年はとる。

スポーツ選手は基本的に、若いうちが旬である。

年をとり、旬を過ぎた選手が衰えに見舞われるのは、

スポーツというものの性質上、しかたのないことだ。

 

日本人も、日本のマスコミも、

イチローがいつまでも素晴らしいパフォーマンスをしつづけ、

永遠に偉大であり続けるかのようなふうに考えがちだが、

しっかりと現実を見つめる必要がある。

 

あきらかに、イチローは、旬をすぎた選手だ。

過去にイチローがはなばなしく活躍できた時代はたしかに存在したが、

その時代は、いまや過ぎ去った。

 

イチローだけではない。

ここ数年、注意してみていると、おおきく時代がかわろうとする

その息吹を感じとることができる。

1990年ごろからはじまった平成という時代、

その平成という時代が、今上天皇生前退位によって幕をおろそうと

しているいま、

平成という時代とともに活躍した面々もまた、

その活躍が終わりの時をむかえようとしているのだ。

SMAPしかり、将棋の羽生善治しかり、そして、イチローしかりである。

かれらのまわりから、さーっと潮がひくように、

勢いをうしないつつあるのが見て取れるはずだ。

 

時代は新しくなろうとしているのである。

そんなときに、いつまでも過ぎ去った時代のほうに心惹かれ、

それにしがみついていても、なんのいいこともあるまい。

むしろ、あたらしい時代のほうを積極的につかみにいったほうが

いいのではないだろうか。

場合分け。

なにから手をつけてよいかわからないような問題、

雲をつかむような問題、

そういった、人生上、生活上の問題を目の前にしたときには、

まずは場合分けをしてみる、というのは、

ひとつの有効な方法だろうと思う。

 

場合分けをし、場合分けをした先でさらに場合分けをするなどしていくと、

やがて、分岐構造をもった樹形図のような全体構造があらわれてくる

ことがある。

 

これは、とてもいいことだ。

なにやらよくわからない肉のかたまりのようだった問題に、

骨が通ったようなものである。

分岐構造をもった樹形図のような構造、というのは、

理のひとつのかたちだ。

曖昧模糊とした問題に理を適用する、そのひとつの方法が、

場合分けだ。

朝日新聞は言論テロ、という、言論テロ。

朝日新聞は言論テロ、という知人男性の書き込みに、

首相がいいねを押したという。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

朝日新聞は言論テロ、などと書き込むほうが、よほど狂っている。

首相も、みずからの言動には注意したほうがいい。

電車や駅構内にいる基地外。

電車や駅構内には、たまに、基地外がいることがある。

 

車掌のまねをして、ひとりでぶつぶつ言いながら車両のドア付近に

立っているやつ。

 

車両の通路を通ろうとする人がいるのに、まったくのかずに、

頑強に突っ立ってるやつ。

 

不必要に大きな足音をたてながら、階段やエスカレータをのぼるやつ。

 

えんえんと、鼻をすすり続けているやつ。

 

車両の端のほうに立ったまま、時折、奇声を発するやつ。

 

えんえんと、口の中でなにやら音を発しているやつ。

 

まったく視線をはずさないやつ。