この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

【イチロー】真の原因とは?【里見香奈】

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、最近のニュースから、思ったことを書いてみようと思います。

(この記事の字数 約3200字)

 

 

 

ニュースでは、いろんなことが報道されますが、そのなかで、

その原因は〇〇だ、と報じられることがあります。

 

でも、天機は、ほんとにそれが原因なのかな?と、疑問に思うこともあります。

 

 

 

たとえば、野球のイチロー

 

アメリカのMLBでは、野手の大半がキャンプインしましたが、

そこにイチローの姿はありません。

 

2001年に、イチローが渡米してから、

キャンプインの時に所属が決まっていない、という事態は、はじめてのことです。

 

けさの産経ニュースでは、その原因として、

今季のFA市場がひどく停滞している、ということをあげています。

 

 

 

たしかに、それも原因の一つとしては、あるでしょう。

 

しかし、天機が思うに、

FA市場の停滞、という、どの選手にとっても原因となるもの以外に、

イチロー独自の理由もあると思うのです。

 

44歳という高い年齢、最近のパフォーマンスの低下、

そういったことがあいまって、マーリンズからの放出、という事態にも

なったわけです。

 

とするならば、

FA市場の停滞さえなければ、イチローの去就もすんなり決まっていた、

かのような論調は、誤りであろうと思います。

 

たとえ、FA市場の停滞がなかったとしても、

イチローが今季、所属先を決めるのは、困難だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

もうひとつは、将棋の里見香奈です。

 

里見香奈は、女流棋士として、圧倒的な成績をあげていましたが、

男性と同じ場で戦いたい、という希望をだして、奨励会にはいりました。

 

将棋には、あきらかな男女の実力差があります。

男女混合ですべての勝負をやってしまうと、女性は、ほとんど棋士になる

余地がなくなります。

そこで、女流棋士、という制度がもうけられたのです。

 

男性は、将棋の棋士になるのに、まず、奨励会というものにはいります。

奨励会において昇級し、奨励会3段リーグというところで上位2名となる成績を

のこせば、はれてプロ4段となることができます。

 

この奨励会は、男性で棋士になろうとする者がはいる、と書きましたが、

べつに、女性に対して門戸を閉ざしているわけではありません。

ただ、現在までのところ、女性で奨励会3段リーグを突破して、

プロ4段になったひとはいない、というだけのことです。

 

里見香奈は、この奨励会にはいり、奨励会3段リーグまで昇級してたたかって

いましたが、

今期の3段リーグにおいて勝ち越しができないことが決定的になり、

年齢制限のために奨励会を退会することになりました。

 

プロ編入試験などを受験して、女流棋士ではない「棋士」になる道はまだ

のこされていますが、

奨励会を通過してプロ棋士になる、という道は、事実上絶たれたのです。

 

 

 

このニュースについては、

里見香奈奨励会3段リーグにおいて、3期続けて欠場したことが響いている、とか、

奨励会3段リーグというのは極めて厳しいところだ、とかいったことが、

「原因」として報じられることがあります。

 

 

 

しかし、天機は、どうかなあ?と思うのです。

 

たしかに、うえにのべたようなことも、一因としてはあるかもしれません。

 

しかし、里見香奈は、欠場しないで戦っている奨励会3段リーグでも、

基本的に、一度も勝ち越したことがありません。

 

また、奨励会3段リーグは、たしかに、極めて熾烈な競争の場なのですが、

それはべつに、里見香奈にとってだけ特別厳しい場なのではなくて、

そこにいる男性の奨励会員にとっても、女性の奨励会員にとっても、

条件は同じです。

 

 

 

里見香奈は、現在、女流5冠を誇る、押しも押されぬ女流のトッププロです。

実力では、現在の女流棋士のトップであるかもしれません。

そんな里見香奈でも、男性とともに戦う場では、プロにすらなれなかったのです。

 

 

 

自分は、その原因は、

里見香奈奨励会3段リーグを3期連続で欠場したから、とか、

奨励会3段リーグというのが極めて厳しいところだから、とかいったこと

ばかりではなくて、

将棋において男女の実力にあきらかな差があるということ、そして、

おそらくは、その差をつくっているのは、

男女の脳の構造上、機能上の差異であろうということ、

こういったことが原因なのではないだろうか、と考えます。

 

 

 

男女には、その生物学的な差異が当然、存在します。

体のかたちや、身体能力、生殖機能、声の高さ、更年期の症状の度合い、

かかりやすい病気、など、さまざまな点において、違いがあります。

 

であるのに、脳の構造や機能においてだけは、違いがない、とするのは、

かえって不自然な見解であろうと思うのです。

 

 

 

男性の脳にとって得意な分野、不得意な分野があれば、

女性の脳にとって得意な分野、不得意な分野もあるでしょう。

 

そのなかで、将棋という戦略的頭脳ゲームにおいて勝利する、

ということにかんしては、

どちらかというと、男性の脳のほうが得意としているのではないか、

と天機は考えています。

 

 

 

将棋と男女の脳の差、ということについては、これまでも論じられてきたことが

ありました。

 

そのなかで、将棋のトップ棋士のほぼすべてを男性が占めていることについては、

そもそも女性は将棋をしようとおもわない、

将棋人口からいっても、もともとプレイヤーのすそ野が男性のほうが広い、

という意見があります。

 

では、そもそもなぜ、将棋をするひと、将棋を好むひとは、

男性が多いのでしょうか。

 

 

 

ゲームに限らず、どんな趣味でもそうですが、自分が面白い、と思えるような

経験がなければ、それを長く続けていこうとは思わないでしょう。

 

では、将棋において、面白い、と思えるような経験とはなにか、というと、

それはずばり、勝つことです。

勝って、相手を負かすことです。

将棋をやっているけれど、負けてばかり、というのでは、面白いわけがなくて、

だんだん将棋なんかはやらなくなっていくでしょう。

 

自分が思うに、幼少のころから、女性が、将棋をあまり面白いと思えない、

とするならば、その理由の一つは、

幼少期の段階において、すでに、女性は、将棋で勝つことが難しかったから

なのではないでしょうか。

 

 

 

将棋をやるかどうか、ということについては、

まず、①将棋というものにふれるきっかけがあったのかどうか、ということと、

②ふれたとしても、それを面白いと思えたのかどうか、ということの、

2つの側面があると思うのです。

 

女性があまり将棋をやらないとするならば、

まずそもそも①の段階で、あまり将棋に触れる機会がなかったのかもしれません。

 

が、そればかりではなくて、②の段階で、

子供のころからすでに、女性が将棋で勝つのはむずかしい、という事実があって、

それで、将棋というものに面白味を見出すことができなかった、

ということも、十分考えられるわけです。

 

 

 

将棋のトップ棋士のほぼすべてを男性が占めていることに関しては、

将棋人口がそもそも男性のほうがおおい、といったような、

うえにのべたようなことばかりではなくて、べつな理由が語られることもあります。

 

それは、プロ棋士の対局というのは、長時間に及ぶことが多くて、

体力を使うものであるから、体力的に劣る女性には不利なのだ、

とする見解です。

 

しかし、かりにそうであるとするならば、

10分切れ負け早指し将棋のような、基本的にほとんど体力を使わないような

対局の形態においては、

女性の勝率が有意に上昇していないとおかしなことになりますが、

そのへんはどうなのか、という気にもなります。

 

 

 

将棋人口が男性のほうが多いから、将棋のトップ棋士には男性が多いのだ、とか、

将棋は体力を使うから、男性のほうが有利なのだ、とかいった意見は、みな、

 

将棋における男女の成績の差は、脳にその原因があるのではないか?

 

という、シンプルな直観を、なんとかして回避しようとしているように、

天機にはみえるのです。

 

 

 

天機は、いたってシンプルに考えます。

 

将棋で、男女の成績に違いがあるのは、たぶん、脳が違うからだ。

そう考えています。

意外と強力。100均の接着剤。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、天機の日常のおはなしです。

(この記事の字数 約700字)

 

 

 

天機は、パソコンで音楽を聴くときに、

700円ほどで買ってきたヘッドホンをつないで聴いています。

 

 

 

先日、そのヘッドホンの、耳にひっかけるところが、

ぽきっと、折れてしまいました。

 

 

 

天機は悲しんで、セロテープでぐるぐる巻いたりして使いましたが、

やっぱり、ぐらぐらしていました。

 

 

 

ああ、安いから、簡単に折れたりするのかもしれないな。

これは、もういちど、同じものを買わなくちゃいけないかも。

 

なんて、考えていたのです。

 

 

 

しかし、そこで天機はひらめきました。

 

「これは、アロンアルファでくっつければ、うまくいくかもしれない。」と。

 

 

 

とはいうものの、半信半疑でした。

 

天機の頭の中では、接着剤、というものに、あまり信用を置いていなくて、

くっついても、すぐにまたとれてしまう、みたいなイメージが強かった

んですよね。

 

 

 

でも、試してみよう、と思いました。

 

アロンアルファを買いに行こう→いやいや、100均の接着剤でいいやん

→そもそも、家に接着剤なかったっけ?

 

という思考過程をへて、家の中に接着剤を見つけました。

 

 

 

それは、100均のセリアで買った、「ボンド」というやつでした。

ずいぶん、買ってから時間がたって、古くなっているようにもみえました。

 

 

 

でも、それを、ヘッドホンのこわれたところにつけてみたのです。

 

 

 

すると、なんということでしょう。

 

ヘッドホンのこわれたところは、まったくぐらつかなくなりました。

きょうで、修理してから1か月ほどたつと思いますが、

いまだに、折れたり、とれたりしていません。

 

 

 

100均の接着剤、意外と強力です。

外格が、初年運が恵まれている、とは、かぎらない。

こんばんわ。天機です。

 

 

 

きょうは、四柱推命に関するおはなしです。

(この記事の字数 約1800字)

 

 

 

四柱推命についての本やサイトをみていると、

 

「外格という特殊格のひとは、通常、第1運から第2運くらいまでの

 初年運は、幸運に恵まれる。

 裕福な家に生まれたり、セレブに生まれたりして、何不自由ない子供時代

 を過ごす。

 逆に言えば、幼少期をふりかえって、貧しく苦労したなあ、といったことが

 あれば、そのひとは外格ではない。

 ただし、外格のひとも、第3運以降の後天運で、破格運がめぐってきて、

 運勢が急降下することがよくある。」

 

といったことが書かれてあることがあります。

 

 

 

自分は、この記述は、半分くらいは間違った記述ではないか?

と考えています。

その理由は、以下の通りです。

 

 

 

考えてもみてください。

 

四柱推命において、そのひとの運命を決めるのは命式であり、

その命式は、生まれた年、生まれた月、生まれた日、生まれた時間、

この4つの組み合わせによって決定されます。

 

外格になるのかどうか、ということも、この4つが決めるのです。

 

そして、この4つがどのような組み合わせになるのか、

ということは、まったくの偶然に依存しています。

 

 

 

世の中には、生まれたときに両親が裕福だった、とか、

セレブの家に生まれた、とかいったひとが、たしかに存在します。

 

さきに、うえでのべたような四柱推命のサイトや本で、

「外格になる人というのは、かならず、実家が裕福であるとか、セレブに生まれる

 とか、とにかく初年運がめぐまれているのだ。」

と主張していたひとがいましたね。

 

 

 

このひとの主張する論理関係を、命題の形式であらわすと、

 

命題A「外格である、ならば、そのひとは、恵まれた両親のもとにうまれた」

 

ということです。

 

この命題Aの対偶は、

 

「恵まれた両親でない、ならば、生まれる子供は外格にはならない」

 

ということです。

 

 

 

ある命題と、その命題の対偶は、真偽が同じになります。

だから、ある命題がはたして真であるのかどうか、ということを調べたければ、

その命題の対偶が真であるかどうかを確かめればすみます。

 

 

 

では、

 

「恵まれた両親ではない、ならば、生まれる子供は外格にはならない」

 

は、はたして、真である、といえるでしょうか。

 

 

 

これは、考えてみればわかりそうなことですが、おかしなことです。

 

親がたとえば貧乏で苦しい生活をおくっていて、その親が、

さあ、子供をもうけよう、とした場合には、その子供は、

絶対に外格にはならない、と言っているのです。

 

外格というのは、生年月日と生まれた時間の組み合わせだけで決まるものです。

そして、それは、まったくの偶然できまるのです。

なのに、この意見にしたがえば、

貧乏で困窮した両親が子供をつくろうとする場合には、

その子供は、外格を形成するような生年月日と生まれた時間の組み合わせだけは、

「はずして」生まれてくる、と言っているんです。

 

そんなバカげたことがあるでしょうか。

 

 

 

自分は、両親が貧乏であれ、裕福であれ、

自分の生まれた家庭が、恵まれていても、そうでなかったとしても、

まったくの偶然性によって生年月日と生まれた時間の組み合わせが決まる以上、

外格の命式をもつ子供がうまれてくる可能性は、ひとしく存在する、

と考えます。

 

そして、そのように考えてくると、

外格という特殊格をもったひとのあゆむ運命については、

おおまかに言って、次の2通りがあるだろうと、自分は考えるのです。

 

 

 

1つは、

恵まれた家庭に生を享け、初年運がすごく恵まれていたものの、

その後の後天運で破格運がやってきて、

運命が急降下してしまう、というようなひと。

 

もう1つは、

貧しく困窮していたりなど、あまり恵まれてはいない家庭環境にうまれて、

(初年運が破格運であるために)つらいつらい若年時代をおくりながらも、

たとえば、中年にさしかかったときなどに、

後天運で破格運が終わり、喜神運にはいるために、

運命が激変して急上昇する、というようなひとです。

 

 

 

外格というのは、運命のふり幅が大きいタイプだ、ということができます。

運のいい時期には、王侯のような身分にもなるものの、

運の悪い時期には、乞食のような境遇にもなってしまうもの、

それが、外格です。

 

ただ、その運命の変化については、

王侯のような身分 → 乞食のような境遇

という方向での変化もあれば、

乞食のような境遇 → 王侯のような身分

という方向での変化もあるだろうと、自分は考えます。

神と、悪魔と、人間と。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

もし、なんでも願い事がかなうとしたら。

 

 

 

そのときに、

他者の幸せだけを願う存在が神だとするのならば、

自分の幸せだけを願う存在は、さしずめ、悪魔ということになるのかもしれません。

 

 

 

では、もし自分が、なんでも願い事をかなえられる存在になったら、

どうするだろうか。

 

 

 

自分はたぶん、

自分の幸せを半分願い、他者の幸せも半分願うような、

そんな気がします。

 

 

 

それは、神でもなく、悪魔でもなく、

自分が人間だからです。

飲食の楽しみと、セックスの楽しみ。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、この世界の不思議、に関する記事になります。

(この記事の字数 約1000字)

 

 

 

さて、食欲と性欲といえば、人間の二大欲求といってもいいかと思います。

 

天機は、この二大欲求というのは、

たがいに反対方向へとはたらく欲求なのではないか?

と、そんなことを考えました。

 

 

 

食欲というのは、食べる欲求です。

食べるというのは、基本的に、他の生き物を食べる、ということです。

つまりは、生き物の命を絶とう、とするのが、

食欲なのです。

 

 

 

性欲はどうでしょうか。

性欲というのは、セックスしたい、という欲求であって、

セックスというのは、子孫をのこすためにするものです。

つまりは、

命を生み出そう、命を育もう、とするのが、性欲なのです。

 

 

 

このように、食欲は、命を絶とうとし、性欲は、命を生み出そうとし、

たがいに反対方向へとはたらいているなあ、と、天機は考えました。

 

 

 

このように考えてきたときに、天機が思いついたのが、

古事記だったのか、日本書紀だったのか、忘れましたが、

日本神話にでてくるお話です。

 

イザナギイザナミというのは、仲良くイチャイチャしていたときもあったのですが、

最後は喧嘩別れしました。

 

その、別れるときに、2人が言った言葉というのが、

 

イザナミ「これからは1日に1000人を殺してやるから!」

イザナギ「ならば私は、1日に1500人生まれるようにしてやろう!」

 

というものでした。

 

性神であるイザナミは、命を絶つ方向へと、

性神であるイザナギは、命を生み出す方向へと、

宣言し合ったのですね。

 

 

 

女性ー食欲ー命を絶つ

男性ー性欲ー命を生み出す

 

そんな関係があるのか、どうか。なんともわかりませんが。

 

 

 

 

ところで、最近のテレビ番組も、ずいぶんと変わりました。

 

昔は、テレビ番組には、けっこう、お色気を扱ったものが多かったように

覚えているのですが、最近は、めっきり見なくなりましたね。

 

かわって、最近のテレビ番組で、頻繁に目にするようになったのが、

食べること、です。

 

チャンネルをひねるたびに、どこかのチャンネルでは、

鉄板の上でジュウジュウと肉が焼けている映像が流れていたりしますよね。

 

 

 

食欲と、性欲。

命を絶つことと、命を生み出すこと。

 

自分は、このうちのいっぽうの欲求だけに肩入れするのは、

おかしなことだと思います。

 

性欲をいけないことだと言って規制するのならば、

食欲にも、調子に乗らせないような規制が必要だと、天機は考えます。

ラッキーなもの。

こんにちわ。天機です。

きょうは、占い関連のお話です。

(この記事の字数 約500字)

 

 

 

いろんな占いでは、いわゆる、ラッキーなもの、を提示してくることがあります。

 

たとえば、てんびん座のラッキーアイテムは、とか、

かに座の今月のラッキーカラーは、とか。

 

 

 

天機は思うのですが、もちろん、こういった情報を参考にして行動を決めるのも

いいのでしょうが、

ほんとうに自分にとってラッキーなものを知りたければ、

過去の自分の歴史に聞いてみるのが、いいのではないでしょうか。

 

たとえば、自分にとってラッキーな数字やアンラッキーな数字が知りたければ、

自分が合格したときの受験番号や、不合格だったときの受験番号、

自分がなにかと調子が良かった時のケータイ電話の番号や住所の番地、

あるいは、調子が悪かった時のそれら、

思いがけず当たったときの宝くじの当選番号、といったものから、

自分にとって、本当にラッキーな数字、アンラッキーな数字、というのを、

割り出す作業をしてみるのです。

 

やや手間と時間がかかりますが、

もしかしたら、本当の自分にとってのラッキーなものに、

出会えるかもしれません。

紀元節と、ホロスコープ。

こんにちわ。天機です。

(この記事の字数 約700字)

 

 

きょう、2月11日は、日本では、建国記念の日となっていますね。

戦前までは、紀元節という祝日でした。

 

この紀元節というのは、紀元前660年の2月11日に、

神武天皇が即位した日だとされる伝説から、うまれた祝日なのです。

 

 

 

天機は、趣味で西洋占星術という占いをやっているのですが、

ある時の星の配置を知るためには、天文暦というものを必要とします。

 

以前ならば、数千円もする天文暦を買い求めて、自分で、

星の配置を図に表した、ホロスコープというものを作成しなければいけませんでした。

 

それがいまでは、インターネット上に、無料で、天文暦が公開されています。

 

 

 

この、インターネット上の天文暦は、とても便利なもので、

紀元前660年の星の配置も、見ることができたりします。

正確なのかどうかは、わかりませんが。

 

それによると、

紀元前660年2月11日の星の配置では、太陽と冥王星コンジャンクションでした。

この星の配置は、このときに生まれたものに、

極端なパワーや、極端な運命をあたえるとされています。

 

実際、明治以降の日本では、

欧米列強が開国をもとめてきて、植民地支配されかかったのに、

富国強兵やら文明開化やらで乗り切ったり、

最強の陸軍国ロシアと戦って、かろうじて勝ったり、

世界の大多数の国を相手に第二次大戦を戦って敗北し、

国土は焦土となったのに、

みんなで頑張って働いて、経済大国になったりと、

はなはだ極端な運命をあゆんでいるんですよね。

 

これらのことも、もしかしたら、

紀元前660年2月11日の星の配置で、太陽が、

究極、極端をあらわす冥王星と合になっていることが影響しているのかな?

などと、天機は考えたりします。