この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

ソファーで、はかどる。

こんにちわ。天機です。

(約1100字)

 

 

 

最近、ニトリでソファーを買いました。

買ったのは、フィルン2とかいうやつだったと思います。

3万円ほどでした。

 

 

 

これまで自分は、

ソファーというのは、気持ちよさそうだけれど場所をとるなあ、

とか、

お値段も高いよなあ、

とか考えて、買うのに二の足を踏んでいました。

 

自分がふだん、机に向かう時は、学習椅子にすわっています。

が、それはすこしかたいので、

しかたがない、お安い座椅子でも買おうか、なんて、

いつもは思っていました。

 

 

 

ところが最近、なんの気の迷いか、

ソファーを買ってみよう、と思い立ったのです。

 

ひとつには、

ふだん購読しているはてなブログに、ねこのおしごと、

というブログがあるのですが、

そこの猫月さんというかたが、ソファーを買われた、

という記事を書かれたことがあって、

それに触発されました。

 

もうひとつは、

実際にニトリの店舗に行って、座ってみて、

とても気持ちがよかったのと、

お値段もそれほどには高くないな、

と思ったからでした。

 

 

 

実際に家にソファーがとどいて、もう1週間ほど腰かけているのですが、

素晴らしく快適です。

 

ニトリの宣伝になるとあれなので、ニトリのソファーだから素晴らしい、

とは言いませんが、

たぶん、ソファーというものが、一般的に、多かれ少なかれ持っている

快適さなのだろうと思います。

 

 

 

このソファーに座っていると、読書がはかどります。

 

大学受験のときなんかは、浪人したりすると、ふつうは、

予備校にお金を払って通うと思います。

浪人生のコースだと、年間70万円くらいはするでしょうか。

 

 

 

でも、このソファーが届いて思います。

 

自分がもし、浪人時代に戻れるなら、

予備校や通信添削にお金を払うのではなくて、

このソファーを買うのにお金を払って、

このソファーに座って、自分で参考書を読んで勉強したことでしょう。

 

そうすれば、きっと、勉強がすごくはかどったと思います。

それくらい、このソファーは快適です。

 

 

 

ニトリは、とても人気のあるブランドです。

安いものが多いので、品質に疑問をもたれる向きもありますが、

これまで30年間ほど、増収増益をつづけています。

 

もっとも、ソファーに関しても、

ニトリのソファーは腰痛になるとか、中からキクイムシがでてくるとか、

ネットでは、そういった評価を目にします。

 

そういった評価を目にすると、たしかに、多少は心配になります。

もしそうなったら、5年保証で言ってみるか、

おとなしく捨てることになるでしょう。

 

いつまで快適に座れるかはわかりませんが、

いまのところは、快適です。

 

 

 

たまたまニトリのソファーを自分が買ったというだけであって、

メーカーは、別にどこでもいいと思います。

 

ソファーというのは、読書がはかどる可能性をもっています。

3万円出してよかったと思いました。

 

 

陰徳に陽報が返ってくるのは、いつなのか。

こんにちわ。天機です。

11日ぶりの更新になります。

(約2900字)

 

 

 

さて、今回は、「陰徳と陽報」について、

自分の考えたことを書いてみたいと思います。

 

 

 

情けは人のためならず、という言葉を聞いたりすることがあります。

 

ひとに親切にしてあげたり、なにか、人のためになることをやってあげたりすると、

それがまわりまわって、結局は自分に、良い影響となって返ってくる、

といった意味で使われることばですね。

 

 

 

このことを、仏教かなにかでは、

「陰徳陽報」といった言葉であらわすそうです。

 

「陰徳」というのが、

人に知られないで、陰ながら他人のために良いことをしてあげること、

「陽報」というのが、

その、自分がかつてしてあげた良いことが、

まわりまわって、自分に良い影響となって返ってくる、ということです。

 

 

 

また、こんなことが言われたりもします。

 

コメディアンの欽ちゃんが、その著書の中で言っていたことなのですが、

つらいことや、いやなことがある時というのは、

言わば、「運を貯めている」ときなのだ、と。

 

そして、その貯めておいた運を、将来、自分が使う時に、

ハッピーなことがおこるのだ、と。

 

だいたい、そんなことを言っていたような気がします。

 

 

 

自分が考えるに、人間や、世の中のことに関しては、

対(つい)や、セットで考えることができるものがあると思うんですよね。

 

うえの、陰徳陽報という例に関していうならば、

 

① 誰かほかの人のためになるような、良いことをやってあげたり、

  あるいは、自分がつらい目やいやな目に遭って、運を貯めている

 

ということと、

 

② そのことがまわりまわって、自分に良い影響となって返ってくる、

  あるいは、貯めておいた運を、今度は自分が使う番がまわってきて、  

  それでハッピーがやってくる

 

ということがあって、

①と②は、たがいにセットになっている。対になっている。

 

そして、はじめにあった①に対して、②が発生することで、

それで、一応の「清算」となる。

 

世の中のしくみというのは、1つには、そんなふうになっているのではないかな、

と、天機は考えたのですね。

 

 

 

では、その清算が発生する「時期」は、いったい、どうなっているのだろう。

陰徳があったとして、それに、陽報が返ってくるのは、

いったい、いつのことになるのだろう。

 

天機は、そんな、「時期」や「スパン」のことが、気になりました。

 

 

 

それで、これまでのいろいろな事例を見ていく中で、

天機なりに考えてみたのですが、

この「時期」については、大きく分けて、

2通りのタイプがあるように思うのです。

 

 

 

1つ目のタイプは、

 

Ⅰ 陰徳に対する陽報が、「世代を超えて」実現されるもの。

  たとえば、あるひとが陰徳を為したときに、それに対する陽報が、

  そのひとの来世で返ってきたり、あるいは、

  そのひとの子孫が、その陽報の果実にあずかったりする、というタイプ。

 

 

 

そして、2つ目のタイプは、

 

Ⅱ 陰徳に対する陽報が、同一人物における、その一生涯のうちで実現されるもの。

  たとえば、前半生において陰徳を為したひとが、

  後半生において、自分がかつて為した陰徳に対する、陽報の果実を受ける、

  というタイプ。

 

このような、2つのタイプがあるように、天機は思ったのですね。

 

 

 

Ⅰのタイプについて考えてみましょう。

 

 

 

このタイプは、たとえば、仏教でいうならば、

浄土真宗などの、来世での極楽往生を願う思想と親和的です。

 

現世においては、ひたすらに功徳を積んで、

その報いは、自分の来世で受け取ろう、というものですね。

 

 

 

また、陰徳と陽報とが、「世代を超えて」実現されるⅠのタイプには、

陽報を自分の子孫が受け取る、という類型が、たしかに存在します。

 

 

 

たとえば、自己啓発本のロングセラー「道は開ける」をあらわした、

アメリカの著名な作家であるデールカーネギーは、

その両親が敬虔なキリスト教徒で、生前、貧しい人をとても助けた

ひとでした。

 

男子ゴルフ界のスーパースターだった、タイガーウッズは、

たしか、お父さんかお母さんが、熱心な仏教徒でした。

 

報徳仕法」で有名な二宮金次郎は、家は貧しかったのですが、

その両親は生前、貧しい人をよく助けていました。

 

「最後の相場師」といわれて、住友金属鉱山の相場では200億円の

巨利を得たとされる是川銀蔵は、

まずしい漁村の出身でしたが、

その両親は生前、やはり貧しい人たちをとても助けていたのです。

 

 

 

つまり、両親が、貧しい人たちをとても助ける、といった「徳」を積んでいて、

その「徳」が、その両親の存命中には消費しきれずに残った場合、

その恩恵は、その子孫にまで持ち越されることになって、

その結果、その子孫が成功したり、有名になったりすることがある、

というように思うんですよね。

 

 

 

では次に、Ⅱのタイプについて考えてみましょう。

 

 

 

このタイプは、仏教でいうならば、

観音経などの、現世利益を願う信仰と親和的です。

 

観音に帰依することによって、

自分が現在生きているこの現世の中で、その報いを受け取りたい、

というものですね。

 

 

 

また、陰徳と陽報が、同一人物における、

たとえば、前半生と後半生のあいだでバランスされるとする

Ⅱのタイプを体現した人物として思いつくのは、

徳川家康です。

 

 

 

家康は、若いころは人質に取られたり、

また、長じてからも、秀吉のもとで忍従を強いられたりと、

前半生は不運と苦労の連続でした。

 

また、そのなかで、「あの律義者の家康が」と言われるほど、

他人に対しては義理を欠かないで、信頼を集めていったといいます。

 

 

 

ところが家康は、後半生において豹変します。

律儀だった前半生とはうってかわって狡猾になり、

悪謀のかぎりを尽くして豊臣家を追い詰めて、

やがては覇権をにぎるのです。

 

 

 

この家康の生き方をみていると、

前半生においてひたすら忍従の生活をおくるなかで、しっかりと運を蓄積し、

後半生において、それまで貯めこんだ膨大な運を、

一挙に使って成功したのかな、

なんて気が、天機はするんですね。

 

 

 

陰徳と陽報が、世代を超えて清算されるⅠのタイプと、

同一人物の一生涯のなかで清算されるⅡのタイプ。

 

 

 

「家」や「家系」といったものが、だんだんと隆盛に向かうことを目指すのなら、

Ⅰのタイプを目標にしたほうがよさそうです。

 

 

 

が、天機なんかは、

自分が前半生に蓄積した運は、自分自身が後半生においてその果実を味わいたい、

と考える人間なので、

どちらかというと、Ⅱのタイプにあこがれますね。

 

 

 

そして、前半生において、苦労をし、嫌な目にも遭い、

運を蓄積してきたひとが、

後半生において、それまで蓄積した運の果実を味わいたいのなら、

後半生にさしかかるときに、家康のように、

生き方を激変させる必要があると思うのです。

 

つまり、

「これからは、運を貯める生き方をするのではなく、

 貯めた運を使う生き方をするのだ」

ということを、

この世界に対して、明確に意思表示する必要があると、天機は思うのですね。

 

そのあたりのことは、こちらの記事でも書きました↓

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

きょうは、このへんで。

 

 

試練のときをむかえている、青と黄色。

こんばんわ。天機です。

(約2300字)

 

 

 

天機は、いろんなことについて考えていますが、

通常、あまりくっつかないような物事を、

くっつけて考える、思考のクセを持っています。

 

 

 

ひと言でいうと、「連想ゲーム」が、好きなのかもしれません。

 

そしてそれは、

いろんな物事の間に共通してみられる共通点をさぐりだすことで、

世の中の背後にながれている時流のようなものをつかみたい、

という欲求に支えられているのです。

 

 

 

きょうは、「色」のおはなしです。

 

 

 

世の中には、さまざまな企業があって、それぞれの企業にはたいてい、

ロゴやマークというのがあります。

そして、そのロゴやマークというのは、

いくつかの色で構成されています。

 

 

 

たとえば、

マクドナルドであれば、赤と黄色でしょうか。

 

駐車場チェーンのタイムズであれば、黄色と黒でしょうか。

 

みずほ銀行であれば、青と、赤と、白かもしれません。

 

 

 

と、このように、各企業や団体のロゴやマークには、

いろんな色を見てとることができるのですが、

天機が見るところ、最近、そのうちの、

「青と黄色」の組み合わせをもつ企業や団体に、

逆風が吹くことが多くなっている気がするのです。

 

例を見ていきましょう。

 

 

 

① TSUTAYA

 

レンタルDVDやレンタルCDを取り扱っている大手チェーンのTSUTAYA

そのロゴは、青地にTSUTAYAの文字が黄色で書いてあります。

 

ひとびとの娯楽習慣に一大変化をもたらして、90年代以降、

一時代を築いた感のあるTSUTAYAですが、

最近は、アマゾンプライムビデオやhuluなどの、

インターネット動画配信におされるかたちで、

つぎつぎと店舗を閉鎖しています。

 

 

 

② ブックオフ

 

古本販売の雄、ブックオフ

そのロゴは、黄色地にBOOKOFFの文字が青色で書いてあります。

 

新古書というジャンルを確立して、やはり90年代以降に業容を拡大した

ブックオフですが、ここにきて、

出版不況、あるいは、ヤフオクなどのネットオークションの進展もあってか、

やはり、つぎつぎと店舗を閉鎖しています。

 

 

 

③ トイザらス

 

米国発祥で、世界的に事業を展開してきた、おもちゃ販売チェーンの

トイザらス

 

そのロゴには、いろんな色が使われていますが、

特徴的な、反転したRの部分は、それをとりかこむ星形のマークとの

色の組み合わせが、青と黄色になっているものが多いです。

また、店舗の壁は青色が多く、

ベビーザラスという店舗が併設されていることがあるのですが、

こちらのロゴは、完全に青と黄色の組み合わせです。

 

安定した人気を誇ってきた同社ですが、

ネット通販大手のアマゾンの台頭もあって、

2017年、経営破たんしました。

 

 

 

④ 欧州連合EU

 

1990年代初頭に、欧州のさらなる統合をめざして発足した、欧州連合

 

世界各国には、さまざまな国旗がありますが、

欧州連合にも、その旗があります。

それは、青地に12個の星が黄色で描かれています。

 

拡大発展をつづけてきた欧州連合ですが、

増え続ける移民への反発が域内各国で生じるようになって、

2016年、イギリスがEUから離脱することになり、

初の加盟国離脱という事態をむかえるにいたりました。

移民排斥を主張する極右政党が伸長する国もあらわれるようになり、

今後の展開は予断を許しません。

 

 

 

⑤ スウェーデン

 

成功した高福祉高負担型の国家として評価の高かった、北欧の国、スウェーデン

その国旗には、青地に黄色で十字が描かれています。

 

ところが近年、その高福祉が財政を圧迫するようになって、

スウェーデンは、財政危機に陥っていると言われています。

それだけでなく、受け入れた移民による凶悪犯罪が続発していて、

ロシアとの間にも軍事的な緊張が高まっています。

 

 

 

⑥ 例外:IKEA

 

家具販売大手のIKEAも、そのロゴは、青と黄色の組み合わせでたしか

できていたと思いますが、

これまでのところ、経営が悪化しているなどの情報は聞きません。

 

もしかしたら、今後、経営が悪化することがあるのかもしれません。

 

 

 

※ 追記 

IKEAの業績が、日本でも、世界でも、悪化の兆しを見せている、

という情報があります。

 

 

 

⑦ 未来のミライ

 

細田守監督といえば、「時をかける少女」や「サマーウォーズ」など、

数々のアニメのヒット作品を手掛けてきたアニメ監督です。

 

そんな細田監督が、今夏、満を持して送り出したのが、

未来のミライ」というアニメ作品なのですが、

ネット上の評価サイトでは、低評価が目立っています。

 

この、「未来とミライ」という作品のメインポスターの配色も、

抜けるような青空の青をバックに、

映画のタイトルが黄色で描かれています。

 

 

 

思うのですが、この、「青と黄色」という色の組み合わせは、

これまで、けっこうな長期間にわたって、勝利の方程式みたいなところがあって、

この色の組み合わせをもつものに成功をあたえてきたのですが、

最近、なんというか、

この色の組み合わせがもつ「神通力」のようなものが、

だんだんと消えつつあるような気がするんですよね。

 

 

 

東洋には、「五行思想」というのがあって、

「木火土金水」という「五行」が、それぞれ、「青赤黄白黒」という

「五色」に対応するとされています。

 

それでいうと、「青と黄色」の組み合わせというのは、

「木と土」の組み合わせということになりそうですが、

この「木と土」の組み合わせというのは、

「木剋土」と言って、簡単に言うと、「木が土をやっつける」

という組み合わせなんですよね。

 

この組み合わせが、最近、だんだん落ち目になってきたということは、

つまりは、

「木」が「土」をやっつけるだけのパワーをだんだんに失いつつあり、

逆に、「土」のパワーが増しつつある、

ということをあらわしているような気がします。

 

人間の男性には、なぜ、ヒゲが生えるのだろうか。

こんにちわ。天機です。

(この記事 約2500字)

 

 

 

きょうは、この世界の不思議について考える一環として、

人間のからだについて考えてみようと思います。

 

 

 

人間の男性は、大人になってくると、口のまわりにヒゲが生えます。

これはいったい、どうしてなんでしょうか。

 

 

 

男性にヒゲが生えるのには、男性ホルモンがおそらくは関係しているでしょう。

が、それは、ヒゲの生える「しくみ」を解き明かしたことにすぎません。

どうしてヒゲが生えるのか、という、その根本的な「理由」や「意味合い」

を解き明かしたわけではないのです。

 

 

 

頭には頭髪があって、人間の頭を保護しているといわれています。

また、生殖器もたいせつなものだから、毛が守っているのだ、

といわれることもあります。

 

同じように考えて、人間の男性のヒゲも、

保護するために生えているのだ、とする説があります。

 

 

 

が、この説には異論があります。

 

そもそも、人間というのは、幼児期にはまだか弱い存在であって、

保護が必要であるはずなのに、その幼児期には、ヒゲは生えていません。

 

また、男性にはヒゲが生えますが、女性にはヒゲは生えず、

女性には保護の必要がないのか、という疑問も生じます。

 

 

 

こういったことから、ウィキペディア先生は、

その「髭」の項目で、

「なぜ髭が生えるのか、というその理由については、今もって不明である」

とおっしゃっています。

 

 

 

なぜ、人間の男性には、ヒゲが生えるのでしょうか。

 

天機は、例によって、さまざまな学説を無視しながら、

壮大な見地からの独自説をたててみたいと思います。

 

 

 

さて、人間の男女は、セックスをします。

 

ここで、セックスに関連する、一連のプロセスをながめてみると、

 

① 男性器から精子が放出される

② 放出された精子が女性器に到達し、女性器内部に至る

③ 精子卵子と出会い、十月十日ののちに、同じ女性器から子供がでてくる

 

というプロセスになります。

 

 

 

このプロセスは、ふつう、①から③までで完結です。

③でおしまいです。

 

 

 

おしまいのはずなのですが、天機は頭がおかしいので、

 

「このプロセスをここでおしまいにするのではなくて、

 なんとか『循環』させられないかな?」

 

と思ったんですね。

 

そうやって、天機が考えたプロセスというのが、以下のようになります。

 

 

 

① 男性器から精子が放出される

② 放出された精子は女性器に到達し、女性器内部へと至る

③ 精子卵子と出会い、十月十日ののちに、同じ女性器から子供がでてくる

④ 女性が産んだその子供を、男性の口が食べる

⑤ その子供は男性の体内で消化されて、精子へと変化する

⑥ ふたたび①へ

 

 

 

どうですかね。

いくぶん、異様な世界だなあ、というのは、承知しております。

 

が、天機は、普段われわれが慣れ親しんでいるこの世界、

表面的なこの世界の背後には、

かくれた原理、深奥、異様な世界が広がっている、と思うのです。

 

そして天機という人間は、

たとえ異様な世界に足を踏み入れることになっても、

誰も知らないようなこの世界の秘密を自分は知りたい!

と願う人間なのです。

 

 

 

さきの、循環のおはなしに戻りましょう。

 

ふつう、女性が産んだ子供を、男性が食べるなどということは、ありません。

女性が産んだ子供は、2人でなかよく育てていくものです。

 

が、ここで、人間の男女というものからすこしはなれて、

視点をおおきくとってみましょう。

 

大自然の中では、いったい、どのようなことがおこなわれているでしょうか。

 

 

 

たとえば、大地に柿の木が生えています。

 

柿の木は、柿の実をつけます。

 

その柿を、お猿さんが食べます。

 

消化しきれなかった柿の種が、お猿さんのおしりから、大地にまかれます。

 

種は、大地の中で、生長します。

 

それがやがて、柿の木となって地上にあらわれ、柿の実をつけます。

 

それをお猿さんが(以下略

 

 

 

というようなことも、起こっているわけなんですよね。

 

 

 

ここで、人間の男女のあいだで起こっていたことと、

この、大自然の中で起こっていたことを、

対比してみましょう。

 

 

 

① 人間の男性が精子を放出 (お猿さんの肛門から柿の種放出)

② 精子は女性器に到達、女性器内部へ (柿の種は大地にまかれる)

③ 精子卵子と出会い、子供が出産される (柿の種は生長、柿の木が生える)

④ その子供を男性が食べる (柿の木の実をお猿さんが食べる)

⑤ 男性の体内で子供は消化されて精子に (柿の実は消化され、種だけが準備)

 

 

 

こんなふうに対応してると思うんですよね。

 

 

 

ここから、天機は、こんなことを考えました。

 

この自然界では、ふつう、生き物は、同族を食べません。

人間は人間を食べることはないし、猿は猿を食べることはないし、

鮭は鮭を食べることはないのです。

 

ある生き物が、食べ物とする生き物は、

自分たちの一族ではない、自分たちの一族からはすこしずれたところに位置する

生き物です。

 

生き物Aは生き物Bを食べ、生き物Bは生き物Cを食べ、生き物Cは生き物Dを食べ、

というふうに、

すこしずつ、ずれて、ずれて、ずれたものの重なりが、

この複雑な自然界、生態系を構成しているのですよね。

 

 

 

でも、天機は思ったのです。

 

まだ、この世界が、こんにちのように複雑に分化していなかったころ。

まだ、この世界が、はじまったばかりだったころ。

 

そのときに、人間の男女、とか、生き物のオスとメスとか、

そういった、具体的な形をとるまえの、

 

「男性なる原理」

「女性なる原理」

 

があったときに、その両原理の間で、

上で見てきたような、「循環」があったのではないですかね?

 

そして、そのような循環のプロセスの、各「折り返し点」をみてみると、

 

① 精子を放出する「男性器」

② 精子を受け入れる「女性器」

③ 子供を出産する「女性器」

④ その子供を食べる「男性の口」

 

が、それぞれ「折り返し点」になっていて、この「折り返し点」に相当する、

人間の男女の、からだの器官の周囲には、

ことごとく「毛」が生えています。

 

 

 

つまり、人間の男性の口の周りにヒゲが生えるのは、

この「循環」プロセスの一角を占めているからであって、

他方で、女性の口の周りにヒゲが生えないのは、

女性の口というのは、この「循環」プロセスの一角を占めてはいないから

ではないか?

 

 

 

そんなふうに、天機は思いました。

気持ちいいことは、悪なのだろうか。

こんにちわ。天機です。

(この記事 約2600字)

 

 

 

連日暑い日が続いていますね。

熱中症への警戒がさけばれています。

 

 

 

熱中症への対策としては、水分や塩分の補給、ということが

よく言われるのですが、

どういうわけか、

「冷房を使用しましょう」

とは、なかなか言わないような気が、天機はいつもするのです。

 

そして、冷房を使用しましょう、と、かりに言ったとしても、

冷房を「適切に」使用しましょう、などと言ったりするんですね。

 

まるで、冷房を使用することに、なんとかして枷(かせ)をはめたいような、

そんな雰囲気を感じるのです。

 

 

 

天機は、熱中症対策としても、夏の暑さを緩和するためにも、

冷房をかけたほうがいい、と思っています。

 

そして、冷房というのは、

「適切に」使用すれば、暑さという苦痛をとりあえず軽減できますが、

「キンキンに」部屋を冷やせば、すごく気持ちよくなります。

 

 

 

思うのですが、冷房は、「適切に」使用することだけが許されて、

「キンキンに」部屋を冷やすことは、なにか悪いことなのでしょうか。

 

 

 

天機は、どうもそうは思えないのです。

 

この世の中には、

 

①とりあえずの必要性を満たせるという段階

 

と、そこからさらにすすんで、

 

②気持ちよくなる、快楽を得られる段階

 

という、2段階になっているものが、ときどきあります。

 

 

 

たとえば、飲食はどうでしょうか。

 

 

 

人間という生き物は、食べ物を食べたり、飲み物を飲んだりしなければ、

命をたもつことができません。

食べたり、飲んだりすることは、人間の生存にとって、

「必要な」ことなのです。

これが、必要性を満たす、という段階です。

 

 

 

この点、ただ単に必要性を満たす、というだけなら、

ヒエやアワのようなものを主食にして、豆類などの雑穀をたべ、

一汁三菜を基本にして、1日2食にしたとしても、

生存はできるかもしれないのです。

 

 

 

ところが、現実の人間の行動は、どうでしょうか。

飲食に関して、必要性を満たす、という段階で、とどまっているでしょうか。

 

 

 

そうではない、と思います。

 

人間は、飲食に関して、ただ単に生存の必要性を満たすために、

最低限の食事をとる、ということを超えて、

「美味しいものを」「たくさん食べて」

味覚や食欲を満足させようとします。

 

焼き肉やステーキ、寿司やお刺身、メロンやアイスクリームなど、

人間はいろいろと、「美味しい」ものを好んで食べますよね?

テレビの番組などを見ても、

美味しそうな料理が画面に映っていないような日をさがすのは、

とても難しいでしょう。

 

それはなぜかというと、

人間が食事をとることは、生存のために必要な行為なのですが、

食事をとるという行為それ自体は、快楽と結合しているからです。

人間は、その快楽を、積極的に実現しようとするのです。

 

 

 

ということは、どういうことかというと、

人間は、飲食に関して、

「必要性を満たす」という段階にとどまらず、そこからさらにすすんで、

味覚や食欲という、「気持ちよさや快楽を得る」ということも、

自然におこなっているわけであって、

そういった「気持ちよさや快楽を得る」ことは、

べつに悪いことだとは考えてはいない、ということになります。

 

 

 

であるならば、飲食についてそのようであるならば、

そのほかのことについても、

「必要性を満たす」という段階を超えて、

「気持ちよさや快楽を手に入れる」という段階を、人間が目指したとしても、

一概に非難されるものでもないと、天機なんかは思うのです。

 

 

 

その1つの例は、さきの冷房の例です。

 

冷房を「適切に」使用することは「必要性を満たす」という段階の行為で

ありますが、そこからさらにすすんで、

部屋を「キンキンに」冷やすことで、

「気持ちよさや快楽を得た」としても、

それはべつにかまわない、ということになります。

 

 

 

他の例としては、人間の性欲もそうです。

 

 

 

生殖行為というのは、人間が子孫をつくるためにおこなうものですが、

生殖行為それ自体は、快楽と結合しています。

 

 

 

子孫をつくるためには生殖行為が必要だ、というのは、「必要性の段階」です。

 

この必要性を満たすためだけならば、

子供をつくるという明確な目的と計画をもっているときにだけ、

そういった生殖行為をおこない、

それ以外の時には、生殖行為などおこなわなければいいのですが、

人間というのは、そういうふうにはなっていませんよね。

 

べつに、子供をつくろうなどとは考えていないときでも、人間は、

エッチなことを考えて、エッチな行為をおこないます。

 

 

 

そして、先に見たように、

「必要性を満たす」という段階を超えて、

「気持ちよさや快楽を得る」という段階にすすんだとしても、

かならずしも非難されるものではないことからすると、

人間が、子供をつくるという目的や計画とは関係なく、

エッチなことを考えたり、エッチな行為をおこなったとしても、

それはべつにかまわない、ということになります。

 

 

 

なんでわざわざ、こんなことに言及するのかというと、

どうも、

冷房は適切にかけるのはかまわないが、キンキンに冷やすのはよくない、とか、

エッチなことを考えたり、したりするのは、よくないことで、

抑制されなければならないことだ、とかいった空気があるような気が、

天機はするからなんですね。

 

もっとも、これは天機の勝手な思い込みかもしれませんが。

 

 

 

でも、それならば、

冷房を使用することや、エッチなことに、制限を課そうとするのならば、

飲食だけが、なんの制限も課されずに、

まるで、無条件に明るくハッピーなことででもあるかのように、

承認され、称賛されているのは、おかしいことだと思うんですよ。

 

 

 

冷房を過度に使用すれば電力需給が逼迫する、という問題は、たしかにあります。

エッチな欲望が亢進すれば、ときには性犯罪などにつながったりする懸念も、

たしかにあります。

 

しかしいっぽうで、

人間がその食欲を野放図に満たそうとしなければ、

この世界に生きている、他の生命たちは、

人間に捕食されることなく、生き続けられたかもしれないのです。

 

 

 

こういったことを考え合わせると、天機は、

冷房をかけることやエッチなことに対して制限をかけるのであれば、

飲食についても制限をかけなければ、辻褄があわないようにも思うのです。

 

 

 

実際には、飲食については、みんなが楽しんでいて、

テレビなどでも、さかんにハッピーなこととして、とりあげられています。

 

であるならば、

冷房をかけたり、エッチなことを楽しんだりすることにも、

そんなに目くじらをたてないで、

みんなで楽しんだらいいのではないでしょうか。

 

 

 

天機は、そう思います。

西日本豪雨と、米中貿易戦争に思う。

こんにちわ。天機です。

ひさびさの更新になります。

(この記事 約2500字)

 

 

 

最近も、いろいろとニュースが多いですね。

 

国内でいえば、西日本の記録的な豪雨によって、おおきな被害が発生しています。

 

海外に目を転じてみると、

アメリカのトランプ政権が対中国で巨額の制裁を発動したことをきっかけとして、

米中貿易戦争がはじまろうとしています。

 

また、ヨーロッパにおいては、

各国で移民問題が深刻化するようになって、

EUの理念が揺らごうとしています。

 

 

 

天機は、これらさまざまなことの背景に共通してあるのは、

 

「異常の顕在化、例外の顕在化」

 

なのではないだろうか、というふうに思うのです。

 

 

 

この世界は、一見したところ、

どこまでも「普通の日常的な世界」がひろがっているようにも思えます。

 

しかし天機は、

その日常的な世界のはるかかなた、その周縁部、辺境には、

「普通ではない世界」が存在しているように思うのです。

 

 

 

通常があるとすれば、異常もある。

原則があるとすれば、例外もある。

 

この世界というのは、

通常と異常が組み合わさって、原則と例外が組み合わさって、

はじめて成立している。

 

けっして、通常だけでできているとか、原則だけでできているとか、

そういったことはないのだ。

 

通常だけ、原則だけ、という「1つ」ではなくて、

通常と異常、原則と例外、という「2つ」こそが、

この世界を表現するのに正しい数字なんだ。

 

天機は、そう思うのです。

 

 

 

自然災害などおこらない、平穏な日常生活というのが「通常」ならば、

大規模な自然災害が発生しておおきな被害が出るというのは「異常」です。

 

最近は、自然災害もふえてきているように感じます。

今回の西日本豪雨災害でも、死者数が200人に迫ろうとしています。

 

自然災害は「異常」をあらわすものですが、その「異常」は、

この世界から消すことは、できないのです。

 

ふつうは、自然災害は、まれにしか起こりません。

毎日毎日、自然災害が起こるかというと、そういうことは、ないわけです。

自然災害が起こる可能性は、やっぱり、とても小さい。

 

でも、とても小さいものは、すなわちゼロなのか、といえば、

それはちがう。

 

とても小さいものは、とても小さいものながら、それはゼロにならずに、

厳然として存在し続ける。

消せないのです。

 

 

 

国と国とがおたがいに仲良くし、共通の相互利益をめざして貿易などを

発展させていく、というのが「通常」であるのならば、

おたがいに対立しあい、制裁などを課すようになって貿易が縮小し、

はては、戦争状態にまで至ってしまうようなのは、「異常」です。

 

1990年前後から、これまで30年ほどにわたって、

世界を席巻してきた潮流というのは、

いわゆる「グローバリゼーション」という言葉で表現されるような、

世界的に貿易が拡大し、国と国とが密接に関係しあい、

世界が一体化していくという、

上でいうところの、「通常」の拡大局面だったわけです。

 

ところが、

2016年に発生した、

イギリスのEUからの離脱、アメリカにおけるトランプ政権の誕生、

といったイベントをきっかけに、

世界の潮流、風向きがかわりはじめました。

 

ヨーロッパにおいては、

国と国との垣根をなくしていく利益よりも、移民の弊害のほうがクローズアップされる

ようになり、

アメリカでは、これまで自身が率いてきた自由貿易体制による利益よりも、

安価な海外製品が自国産業を破壊する弊害のほうがクローズアップされるように

なってきたのです。

 

いわば、上でいうところの、「異常」が、だんだんと顕在化してきたのです。

 

ふだんの国と国とのやりとりでは、

貿易の振興をつうじてお互いに発展していくことを目指す、というのが、

「通常」です。

ほとんどの局面は、それなのです。

 

でも、その背後には、

国と国とが、自国の利益をかけていがみあい、激しく対立するという、

「異常」が存在しているのです。

 

この「異常」は、日常的な世界には、なかなかあらわれてきません。

なかなかあらわれてきませんから、ひとは、

そんなものはないんだ、と、ともすれば、考えてしまいがちなのです。

 

ところが、その「異常」は、けっしてなくなったわけではない。

「異常」を、この世界から消し去ることは、できないのです。

その「異常」は、この世界にあらわれる機を、じっと待っていて、

それがたとえば、

今般の米中貿易摩擦や、ヨーロッパにおける移民に対する世論の硬化のように、

一挙に噴出してくることがあるのです。

 

 

 

自然災害など起こらない平穏無事な日常生活という「通常」に対して、

大規模な自然災害が発生して甚大な被害が生じるという「異常」。

 

貿易の振興をつうじて相互利益の拡大を目指していくという「通常」に対して、

国と国とがいがみあい、制裁を課し、戦争にまで至るという「異常」。

 

あるいは、

安全快適にまもられた、社会における日常生活という「通常」に対して、

凶悪な犯罪が発生するという「異常」。

 

 

 

こうして見てくると、

「異常」というものは、普通の感覚では、「いやな」ものが多いですね。

 

だからひとは、その「異常」について、

あたかもそんな「異常」はこの世界には「存在しない」かのようにふるまったり、

あるいは、

その「異常」は「邪悪」なものであって、それを「なくす」ことが「正しい」

と考えたりするように、天機には思えるのです。

 

 

 

でも天機は、

この世界というのは、そもそも、

そんな「異常」というのが、ごく日常的な「通常」と組み合わさることで、

はじめて成り立っているものだと、思うんです。

 

たいせつなのは、

「異常」を亡き者にすることではなくて、

その存在を認めて、それと共存していくことです。

 

通常には、通常に対する対処の仕方があり、

異常には、異常に対する対処の仕方がある。

 

異常のもたらす災禍に対しても、それに応じて対応していく必要はあります。

 

ただ、異常というものを、はなから悪と決めてかかって、

それをまったくのゼロにしてしまおうとすると、

かえって、この世界からのおおきな反撃を喰らうような気もします。

 

天機は、そう思います。

 

 

ばかばかしい仮定をおいて考えるクセ。

こんにちわ。天機です。

(この記事 約1300字)

 

 

 

昨晩は、夜中に起きて、サッカーW杯の日本✕ベルギー戦を見ていました。

 

あと一歩のところまで来ていたのに、とても惜しかったなあ、

と思いましたね。

 

 

 

ところで天機は、ときどき、

ばかばかしいような仮定をおいて、空想してみるのが好きなのです。

 

今回のサッカーで、つぎのような空想をしていました。

 

 

 

あるところに、願い事をかなえることのできる、

不思議なパワーをもったひとが誕生したとします。

 

おぎゃあ、と出生した、という意味ではありません。

もともと力を持っていなかったけれども、

そんな不思議な力をあるときから持つようになった、ということです。

 

 

 

そのひとは、

みんなのためにその力を使うことも、

自分自身のためにその力を使うことも、どちらでも選択できます。

 

 

 

いま、そのひとが、みんなのためにその力を使うことを仮に選択すると、

たとえば、

サッカーW杯決勝Tで、日本がベルギーに勝利する結果が得られます。

 

他方で、そのひとが、自分自身のためにその力を使うことを仮に選択すると、

たとえば、

その人自身に、1万円の臨時収入がはいります。

 

 

 

こういうとき、いったい、どうしたらいいでしょうか。

 

 

 

ふつうの一般人なら、こう思うかもしれません。

「サッカーW杯決勝Tで日本が勝利することと、1万円が手に入ることじゃあ、

 全然、重みがちがうやん。

 当然、サッカーでの勝利のほうを選択するだろう。」と。

 

 

 

しかしながら、この結論は、

その、願いをかなえることのできる不思議な力をもったひと本人にとっては、

自明のものではありません。

 

というのも、

サッカーW杯決勝Tで日本が勝利することは、たしかに、

「みんなに」とっては、とてもうれしいことなのですが、

「その人自身に」とっては、それほどうれしいものであるとは、

かぎらないからです。

 

他方で、

その人自身に1万円が入ることは、

「みんなに」とっては、全然うれしくもなんともないことですが、

「その人自身に」とっては、とてもうれしいことになるはずです。

 

 

 

もしかりに、

このひとが、みんなのために、と思って、

サッカーW杯決勝Tで日本が勝利することに、自分の願いを使ってしまったら、

自分自身に1万円入ってくるという、個人的な利益をあきらめなければ

ならないことになります。

 

 

 

このひとは、それはいやだ、と考えるかもしれません。

 

そうすれば、

このひとは結果的に、自分の個人的な願いを実現するためにその願い事を使い、

1万円を手に入れる一方で、

サッカーW杯決勝Tでの日本の勝利は、なくなってしまいます。

 

 

 

でも、考えてみれば、これってすごく、無駄な願い事の使い方ですよね。

 

天機は思うんです。

 

1万円欲しい、という、このひとの個人的な願いは、

だれかほかのひとたちが、

実際にこのひとに1万円渡してあげることで、簡単に実現できる。

 

そのうえで、

願い事をかなえることができるという、このひとの持つ不思議な力は、

サッカーW杯決勝Tで日本が勝つ、ということをかなえるために、

使ってもらう。

 

そうすれば、

みんなも、このひとも、

双方とも簡単にハッピーになれるんじゃないかな、と思います。

 

 

 

天機の、ばかばかしい空想でした。