この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

大腸がん検診には、二の足をふむ…。

こんにちわ!天機です。

 

※今回の記事は、「便」にかかわるお話がでてきますので、

食事中のかたなどは、ご覧になるのにご注意ください。

 

(この記事 約900字)

 

 

 

みなさんは、がん検診などの健康診断を受けられるでしょうか。

 

天機は、あまり受けていません。

 

 

 

天機もことしで40歳になり、また、国民健康保険にはいっていることなどから、

健康診断の案内とかがくると、心が動くことがあります。

 

なかでも、日本では、食生活の変化などから、

大腸がんの増加率がいちじるしい、といわれていますね。

 

 

 

この大腸がんの検査方法なのですが、おおきくわけて、2つあります。

 

1つは、便潜血反応をみるもので、もう1つは、大腸内視鏡によるものです。

 

 

 

簡便で安い検査方法は、便潜血反応をみる方法なのですが、

天機は、この検査方法には、二の足をふんでしまいます。

 

というのも、

便潜血反応をみる方法では、自分の出した便を、

専用の容器にいれるのですが、

そのときに、トイレの個室内で、

自分の出した便を流さずにそのままにしておきながら

その作業をしなければならず、

相当臭いのをがまんしなければいけないのです。

 

だけでなく、その容器に取った自分の便については、

提出するまでのあいだ、「冷暗所」で保管することが推奨されていて、

その冷暗所として想定されているところが、

自宅の「冷蔵庫」なのです。

 

天機は、自分の便を自宅の冷蔵庫に入れるのは、

どうしても抵抗がありますね。

 

 

 

そういうわけで、便潜血反応をみる検査方法には、

こうしたハードルがあります。

 

というわけで、そういったハードルが嫌なのなら、

大腸内視鏡による検査方法をとるしかないのですが、

こっちの方法は、費用がとても高いことが多いです。

 

だけでなく、大腸内視鏡による検査では、

検査前に、特殊な下剤を飲んで排便しきっておく必要があり、

また、

お尻の穴から管を入れられますので、

便潜血反応をみる検査方法とはまたちがった苦痛があります。

 

 

 

いろいろながん検診、健康診断のなかでも、

この、大腸がんの検査についてだけは、

このように、非常にハードルが高いです。

 

これが、もっと簡便に、安楽に検査できるようになればいいなあ、

と、天機は願っています。

食いぶちのある子。

こんにちわ。天機です。

(この記事 約1300字)

 

 

 

天機はよく、母親から、

「あんたは、ほんまに食いぶちのある子やなあ」

と言われて、感心されます。

 

 

 

食いぶちがある。

 

いったい、どういうことなのでしょうか。

 

 

 

この言葉は、あまりなじみのある言葉ではないので、

はじめて聞く人も多いかもしれません。

 

天機自身も、母親がそういうふうに言うので、

はじめてこの言葉を知ったのです。

 

知った、といっても、もしかしたら、

この言葉は、母親しか使わないんじゃないか?

とも思えてきます。

 

というのも、検索しても出てこなかったからです。

 

 

 

食いぶちがある。

 

漢字で書くと、「食い扶持がある」でしょうか。

 

 

 

どういうことかというと、

 

「天機以外の家族が、天機が留守のときに、自宅で食事をとろうとしていて、

 さあ、まさに食べようか、というタイミングで(まだ、箸をつけてはいない)

 天機がグッドタイミングで帰宅して、

 天機もその食事にありつく」

 

というものなのです。

 

 

 

母親が言うには、天機は、そのことが非常に高い頻度で起こるらしくて、

それで天機のことを、

「食いぶちのある子だ」と表現しているのです。

 

 

 

たしかに、天機は小さいころから、

飲食に関する運がとてもよかったような気がします。

 

小さいころから、美味しいものをよく食べていました。

 

友人のうちに遊びに行ったとき、

そのうちのおばさんから、その友人と一緒に食事を提供されることも

何度かありました。

 

さらには、

弁当屋チェーンの「ほっかほっか亭」に、

浪人時代、よく行って弁当を買っていたのですが、

あるとき、

自分が注文した弁当を持って帰って、家で開けてみると、

注文したおかず以外に、サービスで別のおかずがいっぱい入っていたことも

ありました。

 

 

 

まあ、飲食に関する運がいいのは、うれしいことではあるのですが、

運勢全体に多大な影響をもたらすものでもなさそうですよね。

 

 

 

ところが、母親が言うには、世の中には、

「食いぶちのないひと」もいるらしいのです。

 

母親の知り合いには、その、食いぶちのないひとが、1人いたそうです。

 

そのひとは、

外出先から帰ってくると、ほかの家族がすでに食事を終えた直後で、

自分は食事にありつけない、

ということが、頻繁に起こっていたそうです。

 

 

 

だったら、待っていてあげようよ!

と、僕なんかは思うのですが。

どうなんでしょうかね。

 

 

 

みなさんはどうでしょうか。

 

食いぶちはありますか?ないですか?

それとも、そんなこと、あまり考えたこともないですか?

 

「食いぶちがある」という、表現かどうかは、わかりません。

表現はどのようなものかはわかりませんが、

上に述べたような現象が、ご自身にはありますか?

 

つまり、

自分が外出をしていて、帰宅したら、家族がちょうど食事をとる直前だった、

といったことがよくある、とか、

逆に、

自分が外出をしていて、帰宅したら、家族がちょうど食事をとった直後だった、

といったことがよくある、とかです。

 

※ いま、あらためてネットで検索してみると、

  「食いぶちがある」という言葉は、通常は、「稼ぐ力がある」

  という意味で使われることが多いようです。

  なので、うちの母は、かなり特殊な使い方をしているのかもしれません。

将棋をしなくなって。

こんにちわ。天機です。

 

ひさしぶりの更新になります。

(この記事は、約1500字)

 

 

 

天機は、2、3か月ほど前から、あまり、将棋にかかわることを

しなくなりました。

 

まあ、世の中には、

べつに将棋にかかわることなんかしないひとは、たくさんいると思います。

 

しかし、天機は、

これまでの人生で、ほぼ日常的に、将棋にかかわることをしてきたのです。

 

 

 

天機がはじめて将棋にふれたのは、

いまから30年ほどまえの、小学校のとき。

 

それから、

友達と指したり、将棋の本を読んだり、詰将棋を解いたり、

プレステで将棋のソフトを買ってやったり、

ハンゲームでネット対戦をしたり、

将棋会館へいって道場で対戦したり、

パソコンの将棋ソフトを買ったり、

きのあ将棋というサイトでコンピュータと対戦したり、

Youtubeで将棋ウォーズの対戦動画をみたり、

と、まあ、いろいろやってきました。

 

つい、2、3か月ほど前までも、

ほぼ1日に1回は、将棋にふれていたのです。

 

 

 

が、最近になって、将棋からはなれました。

 

 

 

その、おおきな理由の1つは、たぶん、

はてなブログの存在だと思います。

 

 

 

ネットで将棋したりすることの、なにが、他の娯楽とかとちがって

楽しいのか、というと、それは、

 

「相手の反応があること」

 

だったりするのです。

 

ただ単に、音楽をきいたり、漫画をよんだり、といった娯楽では、

この、

 

「相手からの反応」

 

というものが、なかったりするのですね。

 

 

 

天機はふだん、あまりひとと関わらない生活を送っているので、

心のどこかで、無性にこの、

 

「相手からの反応」

 

を求めているのだと思います。

 

そして、パソコン相手に将棋を指していると、

その、パソコンの指し手が、

相手からの反応になってくれるのですね。

 

 

 

しかしながら、はてなブログをやるようになって、

自分もいろんなブログを読みに行ったり、

自分のブログもいろんなひとが読んでくれたりして、

また、

コメントを書いたり、コメントを書かれたりして、

ほかのひとの「反応」というものに、

ふれることができるようになってきました。

 

それで満足するようになったので、

やや、これまですこし依存的でもあった、将棋とのかかわりが、

徐々にフェードアウトしていくことになったんじゃないか、

と思います。

 

 

 

なんだ、それだけのことなら、

べつに将棋をやめなくたって、

はてなブログも、将棋も、どちらもやったらいいんじゃない?

って思うかもしれません。

 

でも、天機は、ここらでひとつ、

人生の路線変更をしてみようかな?とも、思ったんです。

 

 

 

将棋というのは、ゲームですが、

たたかって相手をやっつける、というのが、

その根本にあります。

 

囲碁とかもそうです。

 

こういった、頭脳を使って相手をやっつける、というようなことを、

ここ30年間ほどの天機は、頻繁にやってきたのです。

 

 

 

天機は、小学校高学年でどういうわけか、

書店で六法全書を買い求め、

それ以来、法律家になることを目指して勉強もしてきました。

 

この、法律というのも、

頭脳をつかって相手と戦う、ということと関わっている世界なんです。

 

 

 

天機は思いました。

 

ほかのひとはどうだか知らないけれど、

この、頭脳をつかって相手をやっつける、という世界は、

天機個人の運勢には、マイナスにはたらいてきたんじゃないだろうか、と。

 

 

 

それで天機は、

頭脳をつかって相手をやっつける、というような、

どこか殺伐とした世界ではなくて、

ふつうに会話するような世界へと進出してみようかな、

とも思ったのです。

 

はてなブログで会話するのも、

外国語を学んでみるというのも、

そうしたこころみの一環です。

 

 

 

頭脳をつかって相手をやっつける、という世界を、

全否定するわけではありません。

 

それはそれで、スリリングな面白さのある世界だからです。

 

 

 

でも、まあ、

たまには違うことをしてみてもいいかな?

と思ったのです。

天国と地獄と長い箸、のお話に感じる、違和感。

こんにちわ。天機です。

(今回の記事 約3400字)

 

 

 

ネットで、「天国 地獄 長い箸」で検索すると、

だいたい、つぎのような内容のお話がヒットすることがあります。

 

 

 

あるひとが、天国と地獄の様子を見てみました。

 

天国と地獄には、共通の決まりごとがありました。

 

それは、「長いお箸を使って食事をする」ということでした。

 

まあ、通常のお箸は数十センチですが、

天国と地獄で使われているお箸は、数メートルと考えればいいのでしょうかね。

 

 

 

地獄のひとは、そのお箸を使って食事をするのですが、

思うように食事ができず、いつも飢えていて、いらいらしています。

 

というのも、その長いお箸を使って、自分で食べ物を自分の口に持って来よう

とするからで、

なかなか、食べ物をその長いお箸でうまく口に運ぶことができないからなんですね。

 

 

 

ところが、天国のひとは違います。

 

天国のひとはみな、にこにこと食事を楽しんでいます。

 

それはなぜかというと、天国のひとはみな、その長いお箸を使って、

テーブルの向こう側にいる、ほかのひとに食事をとらせてあげているからなんですね。

 

自分の食事は、だれかほかのひとが、長いお箸を使ってとらせてくれる。

そのかわり、自分もまた、長いお箸を使ってほかのひとに食事をとらせてあげる。

それで、みな、にこにこと、食事をとれている、というわけなのです。

 

 

 

なかなかよくできたお話だなあ。

なるほど、そうだなあ。

 

そういうふうに感じる人も、多いかもしれませんね。

 

 

 

自分のことばかりを考えていると、地獄になる。

相手のことを考えて、お互いに助け合っていると、天国になる。

 

このお話は、そういう教訓がふくまれているようにも、感じられる

かもしれません。

 

 

 

でも、天機は、ちょっとひねくれているんですよね。

いつものことですが。

 

 

 

「なんで、長いお箸を使うということが、この世界でのデフォになっている

 んだろう?

 それって、おかしくない?」

 

天機は、そう思ったんです。

 

 

 

このお話の中で、天国のひとがにこにこしているのに、

地獄のひとが苦しんでいるのは、

天国のひとがおたがいに助け合っているのに、

地獄のひとが自分のことしか考えていないから、

なのでしょうか。

 

 

 

天機は、そうは思いませんでした。

 

 

 

天国のひとがにこにこしていて、地獄のひとが苦しんでいる、

その根本的な原因は、

 

お箸が長いこと

 

なのです。

 

 

 

考えてもみてください。

 

もし、この世界でのデフォが、

 

「短い普通のお箸を使うこと」

 

だったら、どうなっていたでしょうか。

 

 

 

たぶん、そのときには、

天国のひとは、その短い普通のお箸で、ほかのひとの口に食べ物を運んで

あげようとするのでしょうが、

お箸が短いために、ほかのひとの口には届かず、

天国のひとは、いつも飢えて、いらいらすることになったでしょう。

 

他方で、地獄のひととというのは、

お箸が普通の短いものですから、

自分の食べたいものを、自分で自由にとって食べることができて、

いつもにこにことしているでしょう。

 

 

 

こうしてみてくると、やっぱり、

最初のお話で、

天国のひとがにこにこしていて、地獄のひとがいらいらしていた原因は、

助け合い精神の有無などにあるのではなくて、

 

長いお箸を使うことを強要されていた

 

という、その1点にありそうです。

 

 

 

ここで、この世界について、ほんとうはどうなのか、

じっくり考えてみましょう。

 

 

 

長いお箸というのは、

おたがいに助け合うのに適しています。

 

が、もっといえば、長いお箸というのは、

 

「望みや願いというのは、自分自身でそれを叶えてはならず、

 だれか他者の温情によって恩恵的に叶えてもらわなければならない」

 

という原理と、密接に関係しているのです。

 

 

 

短いお箸というのは、

おたがいに助け合うのには、適していません。

 

が、もっといえば、短いお箸というのは、

 

「自分自身の望みや願いを、自分自身の努力や工夫、頭脳によって、

 自分自身でつかみにいくことができるのだ」

 

という原理と、密接に関係しているのです。

 

 

 

望みや願いは他者によってかなえてもらうべきだ、とする「長いお箸」。

望みや願いを、自分自身で叶えることができるのだ、とする「短いお箸」。

 

はてさて、わたしたちの暮らすこの世界というのは、

どちらの原理に拠って立つのでしょうか。

 

 

 

ここで、人類の歴史をふりかえってみましょう。

 

人間というのはもともと、狩猟や採集の生活をおくっていました。

 

そこでは、獲物が獲れるのかどうか、木の実などが見つかるかどうか、

というのは、

基本的には、まったくの偶然に拠っていたのです。

 

つまり、運命や、さらにいえば、神に、気に入られるのかどうか、

ということが、成果に影響していたんですね。

 

 

 

ところが、人類は、それでは満足できませんでした。

それはいやだ、と、人間は宣言したんですね。

 

 

 

そこで、狩猟にかわって牧畜を、採集にかわって農業を、

それぞれ始めることになったのです。

 

そして、そこから文明が生まれてきました。

 

 

 

文明は、時をおうごとに発展していきました。

 

人間は、さまざまな願いや望みを持っていました。

いろんな苦しみから逃れたい、とも思っていました。

 

 

 

そんな人間の、望みや願いを叶えてくれたのは、

はたして、なんだったのでしょうか。

 

神や天地に祈れば、その祈りを聞き届けて、

神や天地が「温情的に」恩恵をもたらしてくれたのでしょうか。

 

 

 

そうではない、と天機は思います。

 

人間は、自分自身の望みや願いを、

頭脳の力を用いて、自分自身でつかみとりにいったのです。

 

自分自身の頭脳をつかって、考えて考えて考え抜き、

たとえば、自然界の背後にある法則性を露顕させて、それを、

自分たちの望みや願いのために使役したのです。

 

 

 

そこには、ある種の「神に対する反逆」という姿勢や、

頭脳の活用にみられたような「理の原理」といったものが、

見え隠れしています。

 

 

 

長いお箸というのは、

望みや願いを、他者の恩情によって恩恵的にかなえてもらうべきだ、

とする原理と密接に関係していて、

そこでは、他者が自分に対して、肯定的な感情、つまりは、好意を、

持っているかどうかということ、

他者の同意があるのかどうかということが、

事の帰趨を決する重要なファクターになっていたのです。

 

 

 

短いお箸というのは、そうではなくて、

自分自身の望みや願いは、自分自身の頭脳や工夫、努力によって、

自分自身の力でみずからつかみとりにいくことができる、

とする原理と密接に関係していて、

いったん、みずからの頭脳によって、かくれた法則性などが発見されたならば、

いかに相手の同意や好意がなかったとしても、

そんなことには関係なく、

自分自身の望みや願いを強制的に実現できる、というものなのです。

 

 

 

天機は、このうちの、

短いお箸が象徴する原理のほうに、力強さや、おおきな魅力を感じる

人間なんですね。

 

そして、この世界というのは、

長いお箸の象徴する原理も、短いお箸の象徴する原理も、

双方ともに存在するのであって、

長いお箸の原理だけしか存在しないとか、

長いお箸の原理だけが素晴らしいものだとか、考えるのは、

間違ったことだろうと、天機は思うのです。

 

 

 

この世界には、月もあれば、太陽もあります。

月は英語でMoon、太陽は英語でSunですね。

それぞれの頭文字は、MとSです。

 

相手に対して好感情を持つ、好意を持つ、といった意味をもつ英単語には、

LoveやLikeがあります。

その頭文字は、Lです。

 

自分の理性で物事を考える、道理に従って判断する、といった意味をもつ

英単語として、Reasonがあります。

また、(同意によることなく、相手を)支配する、といった意味をもつ

英単語として、Ruleがあります。

それらの頭文字は、Rです。

 

 

 

アルファベットをAから順番に言っていくと、

「LM」というならびのところと、「RS」というならびのところに

遭遇します。

「L(Love、Like)→M(Moon)」と、

「R(Reason、Rule)→S(Sun)」というならびですね。

 

 

 

天機は、この世界には、月だけでなく太陽もあるように、

同意や好意が重要な意味をもつLMというラインのあらわす原理だけでなく、

頭脳による支配が重要な意味をもつRSというラインのあらわす原理も、

あると思うのです。

 

そして、繰り返しになりますが、天機が好きなのは、

短いお箸の原理であり、太陽の原理であり、RSのラインなのです。

 

 

 

NHKのラジオ講座で、英語がすこし聞き取れる。

こんにちわ。天機です。

(今回の記事 約600字)

 

 

 

天機は、NHKラジオの「実践ビジネス英語」というのを聴いています。

インターネットの、ストリーミングを使って、好きな時に聴いています。

 

聴きはじめて、いまで1年半くらいになります。

 

 

 

天機の聴き方は、基本的に、聴きっぱなしです。

 

1つの講座の回は、基本的に、1回聴いたらそれで終わり。

何回も聴きなおすなんてことはあまりなくて、

以前に聴いた回の復習をするということも、これまでなくて、

ノートをつくったりするわけでもない。

 

 

 

でも最近、ニュースとかなにかで、

英語を聴く機会がある時に、

以前ではなかったくらい、英語が聞き取れるのです。

 

 

 

実践ビジネス英語は、1回の講座が15分で、

週に3回しかありません。

 

それでも、すごい効果です。

 

 

 

1日15分くらいなら、やってもやらなくても同じじゃないか?

と、ふつうは思うかもしれませんが、

それが、ちがうのです。

 

1日の学習時間が短かったとしても、長期にわたって継続していくことで、

おそらく、力がついてくるようなのです。

 

 

 

媒体はなんでもいいと思うのです。

NHKラジオ講座でも、独学でCDを聴くのでも、オンライン英会話でも、

語学学校でも。

 

なおかつ、1日あたりで、だーっと頑張ろうとしなくてもいい。

ほんの少しの時間を、英語にさくだけでいいのです。

 

それが、長期間たってくると、じわじわ違いがでてきて、

うれしいことがおこります。

やっぱり本業がたいせつ。

こんにちわ。天機です。

(今回の記事 約1600字)

 

 

 

きのうは、イチローが事実上の引退になる、という衝撃的なニュースが

とびこんできました。

 

ひとつの時代の終わりのような感じもしますね。

 

 

 

このニュースに接して、ふと思ったのは、

「やっぱり、本業というのがたいせつなのだな」

ということです。

 

 

 

たとえば、最近メジャーデビューした大谷翔平選手。

 

彼については、さわやかな笑顔や、長身、ひとなつっこいキャラクター、

また、かれのカードが数百万円の高値で取引されていることなど、

話題には事欠きません。

 

 

 

が、基本的には、それらのことすべては、いってみれば、

「余技」なのです。

 

 

 

彼についての最大のポイントは、

「よくヒットやホームランを打つこと、そして、投げてもきちんと

 おさえること」

であって、これが本業なのです。

 

 

 

この本業が、もしかりにグラグラゆらいでいたならば、

いくら長身でも、さわやかな笑顔であっても、

あれほどの人気は、まず、でていないでしょう。

 

 

 

将棋の藤井聡太も、そうではないでしょうか。

 

彼が対局中に昼食に何を食べただとか、

ファンから大量のチョコレートの差し入れがあっただとか、

彼のクリアファイルが即完売しただとか、

年齢に似合わないむずかしい言葉を使うだとか、

いろんなことが話題になっていますよね。

 

 

 

が、やはりこういったことすべては、基本的には、「余技」なのです。

 

 

 

彼についての最大のポイントは、

「将棋が非常に強いこと」

であって、これが本業なのです。

 

 

 

この本業が、もしかりにグラグラゆらいでいたら、

彼が昼食に何を食べたかとか、どういった言葉づかいをするかとかいったことも、

あれほどには注目をあつめることは、ないでしょう。

 

 

 

「本業」がとても優れているひとは、「余技」にも注目があつまることがあります。

 

が、いくら「余技」が話題にのぼったとしても、

ポイントはやはり、「本業」にあるのです。

「本業」があってこその、「余技」なのです。

 

 

 

なので、「本業」がおとろえてきているのに、

それを「余技」でカバーすることは、基本的には、できない、

といわざるをえません。

 

 

 

たとえば、歌手の浜崎あゆみがいますが、

彼女が90年代後半から2000年代前半にかけて「歌姫」とよばれて

非常に脚光をあびていたときというのは、

「高い音域でも伸びのある、張りのある歌声がスムーズにだせること、

 肥満していなくて、スリムで魅力的な外見を持っていること」

という、「本業」がしっかりしていた時期なのです。

 

 

 

この「本業」がおとろえてきているのに、

自宅に靴が何百足もあるとか、

誰と付き合ったとか別れたとかいったニュースとかいったような、

「余技」でカバーしようとするのは、

基本的には不可能です。

 

 

 

イチローもそうです。

 

かれがレジェンドと呼ばれるようになったきっかけをつくることになる、

華々しく活躍していた時期というのは、

「非常にたくさんヒットを打つこと」

という「本業」が盤石だったのです。

 

 

 

その「本業」がおとろえてきているのに、

CMに登場するだとか、

おもしろいイラストの描かれたTシャツを着てメディアの前に登場するとか、

いまが旬のアスリートに対してなにかコメントするとか、

首をふりつつ、言葉を区切りながら大物気取りで記者会見するとかいったような、

「余技」でカバーしようとするのは、

基本的には、不可能なことなのです。

 

 

 

そして、うえにあげたような事例というのは、

いずれも有名人の事例なのですが、

「余技」ではなく「本業」をたいせつにすることは、

一般人にとっても、大事なことだと思います。

 

 

 

とくに、男であれば、

若いうちは「勉強」、社会人になってからは「仕事→お金」という、

「本業」のラインがグラグラしてくると、

そりゃやっぱり、人生もグラグラしてくるのではないでしょうか。

 

 

 

天機は、自身への後悔も込めて、そう思います。

「睡眠負債」を防ぎたければ、寝ればいいだけ。

こんにちわ。天機です。

(今回の記事 約1400字)

 

 

 

きょうは、ヤフーニュースに、こんな記事がありました。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

 

最近は、寝不足のことを「睡眠負債」なんて言うのですね。

仕事がとても忙しかったりして、十分に寝られないひとが増えているようです。

 

そこで、というわけで、この記事では、

質の良い睡眠をもとめて、高級寝具や、睡眠に関するアプリをもとめる

ひとがふえていて、巨大な産業になっている、というのです。

 

 

 

でも、天機は、

なんかそれって違うんじゃないか?と思うのです。

 

 

 

物事は、シンプルに考えたほうがいいです。

 

睡眠負債、なんて、わざわざ難しい言葉に変換する必要もない。

ようするに、寝不足のことですよね。

 

そして、その寝不足の原因は、

高級寝具を使っていないからでも、アプリを導入していないからでもない。

 

ようするに、

睡眠時間が足りないからなのです。

 

 

 

だったら、なんとかして睡眠時間を十分に確保すればよく、

かつ、それで足ります。

 

仕事で忙しいのはどうしようもないでしょうが、

だらだらとスマホをいじりつづけるとか、

おそくまでテレビを見続けるとかいったことを、すっぱりやめて、

とにかく、睡眠時間を確保することです。

 

睡眠「時間」の絶対量の確保、というところが、根本的に大事なことで、

睡眠の「質」というのは、二次的な要因にすぎません。

 

 

 

繰り返しになりますが、天機は、

物事はシンプルに考えたほうがいい、と、強く思っています。

 

 

 

他の例では、ダイエットなんかもそうです。

 

ダイエットをするために、

置き換え型のダイエットクッキーが売られていたりします。

 

また、ライザップなんかにみられるように、

ハードな運動を推奨しているところもあります。

 

 

 

ほんとうに、シンプルに考えたほうがいいです。

 

やせたければ、食事の量を減らせばよく、かつ、それで足ります。

 

ダイエットクッキーをなんで買う必要があるのか、わかりません。

いま食べている食事を、

たとえば、ごはんを2杯食べているなら1杯にするとか、

量を減らせば済む話です。

 

 

 

極端な食事制限はかえって悪影響をもたらす、

とは、よくいわれることです。

 

ならば、極端ではなく、適度な食事制限をすればいい。

 

食事制限は、ダイエットでは、避けては通れないことです。

食事を減らすことで減らせるカロリーを、

運動だけで減らそうとすれば、

とてもしんどいことになります。

食事で減らすほうが、よっぽどラクです。

 

 

 

シンプルに考えればすむことを、

なんで、わざわざ複雑にするのか、というと、

その1つの原因は、

複雑にすることで、商売のきっかけになるからだと、天機は思っています。

 

 

 

睡眠時間が問題なのではなくて、睡眠の質が問題なのだと思えば、

高級寝具を買うひとや、アプリや専門書を買うひとがあらわれます。

 

食事を減らすことで簡単にやせられる、ということから、

ひとびとの目をそらせば、

ダイエットクッキーを買うひとや、トレーニングシューズや

トレーニングウェアを買うひと、

スポーツジムに通うひとなどがうまれて、

一大産業の誕生です。

 

 

 

が、商売の面や、経済の面ではプラスになることでも、

純粋に1個人の観点からは、プラスになるかどうかはわかりません。

 

 

 

自分は、

単純に睡眠時間を増やす、単純に食事の量を減らす、

といった試みのほうが、

シンプルで、手間も費用もかからず、効果も大きくて、

業者さんには何の利益ももたらしませんが、

個人にはおおきな利益をあたえてくれると、思っています。