この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

マイナスが少ないという喜び

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、

マイナスが少ないという喜び

というテーマで書いてみたいと思います。

(この記事の字数は 約1700字)

 

 

 

人間、生きていれば、

うれしいことや楽しいこともあり、また、

つらいことや嫌なこともあります٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

うれしいことや楽しいことは、

人間がそれを求めるもの、好むものであるのに対して、

つらいことや嫌なことは、

人間ができれば遭いたくないと思うもの、嫌うものですよね。

 

 

 

できれば、

うれしいことや楽しいことは多くて、

つらいことや嫌なことは少ないほうが、

人生はきっとよりよくなる。

 

そう考える人も、多いかもしれません。

 

 

 

では、ここで、

こんなことを考えてみましょう。

 

 

 

みなさんは、

①うれしいこともとても多いけれど、嫌なこともとても多い

というパターンと、

②うれしいことは少ないけれど、嫌なことも少ない

というパターンだったら、

どちらのほうを、より好ましく感じますか?(*゚▽゚)ノ

 

 

 

たとえば、こんな例で考えてみましょうか。

 

 

 

まず、

①うれしいことはとても多いが、嫌なこともとても多い例です。

 

 

 

あなたは、ある飲食店に入ります。

 

そこでは、高級なお寿司とか、高級な焼き肉とか、

フランス料理のフルコースとか、

とにかく、普段めったに食べられないような、

高級で美味しそうな料理を食べることができます。

 

値段にすると、数万円でしょうか。

 

これが、うれしいことが多いということです。

 

 

 

ところが、その飲食店の店内には、

ハエがひっきりなしに頭上を飛び交っています。

 

床の上には、わけのわからない虫もうごめいていて、

いたって不潔な印象です。

 

これが、嫌なことも多い、ということです。

 

 

 

以上のように、①の例としては、

料理は高級で非常に美味しそうという点はうれしいことが多いのですが、

店内環境がいたって不衛生ということで、

嫌なことも多い、という事例です。

 

 

 

では、②の例にいきましょう。

②うれしいことは少ないけれど、嫌なことも少ない、というパターンです。

 

 

 

あなたは、ある飲食店に入ります。

 

そこはごく一般的な庶民的な蕎麦屋さんで、

あなたが頼むのは、数百円程度のきざみそば定食です。

 

料理が比較的質素ということで、うれしいことは少ないのです。

 

 

 

ただ、その店内はこざっぱりとした感じで、

豪勢な感じでは全然ないのですが、

素朴ななかにも、清潔で、掃除も行き届いています。

 

これが、嫌なことも少ない、ということです。

 

 

 

このように、②の事例では、

料理は質朴な感じということでうれしいことは少ないのですが、

店内は豪勢でなくても清潔で、不快感を感じるものではない、

ということで、嫌なことも少ないのです。

 

 

 

さて、みなさんは、

①の飲食店のように、

うれしいことも多いけれど嫌なことも多い、というのがいいか、

それとも②の飲食店のように、

うれしいことは少ないが嫌なことも少ない、というのがいいか、

どちらがいいですか?( ゚∀ ゚)

 

 

 

これはひとによりけりだと、天機は思います。

 

 

 

めったに食べられない料理を味わえるということに

非常に高い価値を見出すひとならば、

多少の不潔さには目をつぶって①を選択するでしょう。

 

 

 

いっぽうで、

自分は不潔なのはどうしても我慢ならない、というひとなんかは、

②を迷うことなく選択するかもしれません。

 

 

 

天機ならば。

 

 

 

まちがいなく②を選択します。

 

というのは、天機はこの事例にかぎらず、

 

プラスが存在するということよりも

マイナスが存在しないということのほうに

非常に大きな価値を置くから

 

なのです。

 

 

 

なので、たとえば1000円あるとしますよね?

 

その1000円しか持っていないとして、

殺虫剤を買いますか、CDを買いますか、ってなったときは、

天機は、殺虫剤のほうを買う可能性の高い人間なのです。

 

 

 

CDを買えば、楽しみというプラスが増します。

 

しかし、殺虫剤を買えば、

虫がでてきたときに嫌な思いをするというマイナスを除去できます。

 

 

 

そして天機は、

マイナスを放置したままプラスを喜ぶよりも、

たとえプラスが手に入らなくてもマイナスを除去できるほうを

選択する人間なのです。

 

 

 

この点は、みなさんはどうお考えになるか、

非常に興味深いところです。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ

【紫微斗数】天魁星と天鉞星の分析

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、占星術や運命学にかんするお話になります。

(この記事の字数は 約2000字)

 

 

 

占星術や運命学にかんする記事は、

どうしても読む人を選んでしまう側面があります(つд`)

 

 

 

しかし、

自分のブログには、けっこう、

この占星術や運命学の記事を読みに来てくれるひとが

いるみたいなので、

ときどき、そういった記事もあげていこうかなあ、

という気持ちがあるのですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

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天機がこのブログでときどき取り上げている東洋占術の1つに、

紫微斗数(しびとすう)があります。

 

今回は、その紫微斗数に関連するお話です。

 

 

 

紫微斗数には、いろんな星があります。

 

よい影響をあたえてくれる吉星もあれば、

よくない影響をおよぼしてくる凶星もあります。

 

 

 

代表的な甲級吉星に、

 

天魁星と天鉞星(てんかいせいとてんえつせい)

 

というのがあります٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

2つは双星としてあつかわれています。

 

 

 

この2つの星に共通する性質としては、

 

困った時にも貴人の助けがはいる

(東洋占術では自分の力になってくれる有力者のことを

 一般的に貴人といったりするので、

 かならずしも身分が高いというわけでもない)

 

求職や試験がスムーズにいく

 

運がとてもいい

 

老年期にはいると、周囲からの助けは

あまり期待できなくなる

 

といった性質があり、

これらの天魁星や天鉞星が、

命宮その他の重要な宮にはいった場合には、

こういった性質が顕著に発揮されるものとされています٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

紫微斗数に関する書籍には、いろんなものがあります。

 

 

 

ずいぶん昔ですが、

西村天然というひとの書いた、

 

紫微斗数開運星占術

 

という本がありました。

 

 

 

この本のなかでは、

天魁星と天鉞星の2つについては、

きわめて高く評価されていましたね。

 

 

 

なんでも、この2つのどちらかが命宮にあるひとというのは、

めちゃくちゃ運のいいひとで、幸運にめぐまれ、

僥倖(ぎょうこう=偶然の幸運)にめぐまれる、

なんてことが書いてあったりしました。

 

 

 

ところで、この星に関してすこし気になるのは、

 

老年期に入ると、周囲からの助けは

あまり期待できなくなってしまう

 

という性質です。

 

 

 

ここの部分を考えると、

この、天魁星や天鉞星といった星が、

命宮その他の重要な宮にはいるひとというのは、

若いうちは運がいいけれど、

老年期にはいると、

運が悪くなったり、あまり発展できなくなったり

してしまうのでしょうか・・・・?

 

 

 

天機は、そうではないと思います(*゚▽゚)ノ

 

 

 

というのも、

若いうちに運がいいかどうか、

老年期に入ってから運がいいかどうか、

を決定する要因は、

ほかにもっと重要な要因があるからです。

 

 

 

たとえば、

紫微斗数でも、10年ごとの運勢を見る大運などの

行運というものがあります。

 

 

 

もし、そのひとの行運が、

若い頃の行運がわるくて、老年期の行運がよいならば、

たとえ、天魁星や天鉞星が命宮などにはいっていたとしても、

そのひとは、

老年期に入ってからのほうが、

運がよくなるだろうと予想できます。

 

 

 

同様に、

命宮と身宮をくらべた場合に、

身宮のほうが良い、というようなひとも、

身宮の表わすのが後天運、後半生であることを考えると、

そのひとは、

たとえ天魁星や天鉞星が命宮などにはいっていたとしても、

後半生のほうが運勢がよくなると予想できます。

 

 

 

さらには、一般的にいって、

いわゆる命無正曜格(めいむせいようかく=命宮に甲級主星が1つも

はいらないような特殊な格)のひとは、

若いうちには苦労することになる、と言われていますから、

そのようなひとの場合、

たとえ天魁星や天鉞星が命宮などにはいっていたとしても、

若いうちはつらい目に遭ったりすることのほうが、

多いかもしれません。

 

 

 

つまり、こういうことなのです。

 

 

 

天魁星や天鉞星が命宮などに入った場合には、

たしかに、

目上の人や有力者から引き立てなどを受ける、

という面においては恵まれるかもしれないのですが、

それを超えて、

若い頃の運勢「全般」がよくなる、とか、

老年期にはいったときの運勢「全般」がわるくなる、とか、

そういったことまでを確定させるものではない、

ということなのです。

 

 

 

なので、天魁星や天鉞星が命宮などに入った人の場合には、

若い頃、

なにかと教師や親せきのおじさんから

可愛がられるいっぽうで、

友達との関係はあまりよくなかったり、

なにか悩みをかかえていたり、

貧乏だったり、

といったことは、ふつうにありうることだと思います。

 

 

 

天魁星や天鉞星は、

たしかに、ある一面においての幸運を暗示はしていますが、

運勢全般においての絶対的な幸運を保証してくれるほどの

力はないと考えています。

 

 

 

同様に、天魁星や天鉞星が命宮に入ったばあい、

老年期に入ってからは周囲の助けが得られなくなる、

とはいうものの、

そのことだけで、

老年期や後半生の運勢がわるくなる、

と考えるのも、早計だろうと、天機は思います。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ

不愉快の原因を数えてあげる

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、

不愉快の原因を数えてあげる

について書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約1200字)

 

 

 

人間、生きていれば、

なんだか憂鬱な気分になっていたり、

なんだかうまくいかないなあ、

という落ち込んだ気持ちになることがあると思うんですよね(つд`)

 

 

 

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そういうのが、ずしーんと心にのっかっていると、

あたらしいことを始めるのがおっくうになったり、

なんだか行動も重苦しくなってしまったりします。

 

 

 

そういうとき、どうすればいいかなんですが、

いろんな方法があると思います。

 

 

 

天機は最近、YouTubeでよく、

漫才やコントを見て、ひとりで大笑いします。

 

 

 

むかしは、お笑いを見ようと思ったら、

テレビでお笑い番組を見なければいけなかったのですが、

いつもやってるわけでもないし、

自分の好きな面白い芸人さんばかりがでてくるとも

かぎりませんよね。

 

 

 

YouTubeだと、その点、

自分の好きなお笑い芸人の面白いコントや漫才を

連続的に浴びるように見ることができて、

心ゆくまで大笑いできます。

 

 

 

そうして笑った後は、

気分がいくぶん、軽くなっていることもあるのですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

www.youtube.com

 

 

 

ほかには。

 

 

 

自分の心を落ち込ませている、重苦しくしている

原因となる出来事を、

数え上げていくのも、いいかもしれません。

 

 

 

自分の経験上、

自分の心がすごく重苦しく落ち込んでいるときというのは、

1日のうちに、

なぜだか嫌なことが何個も重なって起きていることが

よくあるんですよねΣ(゚д゚;)

 

 

 

たとえば。

 

 

 

ふらっと入った定食屋さんで出された食事が

すごく美味しくなくて。

 

 

 

どこのだれだかわからない

変な着信が携帯にあって。

 

 

 

はてなブログのアクセス数がのびず。

 

 

 

前回はてな記事を書いてからずいぶん

間が開いていて、

そろそろ書かなくちゃ、とあせっており。

 

 

 

なんだか知らない吹き出物が

ほっぺたにできていて。

 

 

 

自転車の前かごに

よくわからんゴミが投げ込まれていた。

 

 

 

みたいに、

1日のうちに、

何個も何個も嫌なことが知らないうちに重なっていると、

いつの間にか、

心やあたまが、

ずーーーんと重くなっていることがあります。

 

 

 

そういうときは、さっき言ったように、

自分の心を重くしている原因となっているものを、

数え上げて、

意識化してみる、というのも1つの手だと思うんですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

というのも、

人間は、

把握できていない嫌なことには、

より大きなストレスを感じるいっぽうで、

いやなことでも、

それをコントロール下においていると、

ストレスが減る、

といったような傾向があるからです。

 

 

 

これを応用したものに、

横断歩道とかで、

青信号になるまでの待ち時間を秒数表示してくれる

機器のようなものがあります。

 

 

 

どれくらい待てばいいのかわからないときは

すごくイライラしていても、

それを可視化することで、

イライラが減るという原理なのですね(*゚▽゚)ノ

 

 

 

今日は、そんなお話でした。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ

言った言っていないの水掛け論

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、

言った言っていないの水掛け論

について書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約1600字)

 

 

 

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日常生活でぼくたちは、ときどき、

「○○と言ったよ!」

「いや、言ってないよ!」

といった水掛け論に出くわすときがあります。

 

 

 

自分は家族との間でよくこの問題が生じます。

 

注意して見ていると、

水掛け論が頻繁に発生する相手というのは、

案外、決まっていたりします。

 

 

 

言ったよ、言ってないよ、という水掛け論は、

あまり発生しない相手とは、ほんとうに発生しません。

 

そのいっぽうで、

この水かけ論が発生しやすい相手とは、

ほんとうに、なんか因縁でもあるのかと思うくらい、

頻繁に水掛け論が発生するのです((((;゚Д゚))))

 

 

 

この、言った、言っていないの水掛け論のやっかいなところは、

証拠が残っていないことです。

 

 

 

最近では、スマートスピーカーがだんだんと普及しつつあるので、

その機能の1つとして、

会話のすべてをリアルタイムで記録しておいて、

水掛け論が発生した場合に、

その時刻での会話を再生してくれるような、

そんな機能があったら面白いだろうなあ、

とも思うのですが。

 

現実には、むずかしいでしょうね(つд`)

 

 

 

というわけで、証拠が何もないので、

言った言っていないの水掛け論は、

ますますヒートアップします。

 

 

 

おたがいに自分が正しいと思っていますから、

なんとかして当時の会話の状況を思い出そうとし、

相手の立論の矛盾を指摘できるような、

決定打になるようなことを探すのです٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

でも、これがむずかしい。

 

よほど論理性にたけたひとでもないかぎり、

相手がもし言っていないとしたならば生じる矛盾、あるいは、

相手がもし言ったとしたら生じる矛盾を、

正確に思い出して指摘するのは、至難のわざです。

 

 

 

というわけで、

証拠がなにもないまま、おたがいに自分が正しいと思って

論陣を張り、

結果、消耗していやな気分だけが残るのです。

 

 

 

この問題のなにが非生産的なところかというと、

 

証拠を発見することが難しいのにも関わらず、

真実を発見できるとお互いが思っていて、

その真実は自分の側にあり、

相手をぎゃふんと言わせることができる、

 

と思い込んでいるところなのです。

 

 

 

つまり、この論争をしている当事者双方が

フォーカスしているのは、

 

真実発見

 

なのです。

 

 

 

その結果どうなるのかというと、

真実発見ができずに、おたがいが消耗し嫌な気分になるという、

 

 

がのこります。

 

 

 

なので、この、

言った言っていないの水掛け論を退治する作戦として、

たぶん効果的なのは、

 

真実発見にフォーカスするのではなく、

苦の除去にフォーカスする

 

ことです。

 

 

 

具体的にいうと、

この、言った言っていないの水掛け論が頻繁に発生する

相手とのあいだで、

 

今後、水掛け論が発生したら、

言った言っていないで論争するのではなくて、

どちらが正しいわけでもない、

真偽不明だ、

ということにしてしまいましょう

 

と、協定をむすんでおくのです(*゚▽゚)ノ

 

 

 

もちろん、真実は1つですから、

たぶん、どちらかが正しいのでしょう。

 

でも、そのことについてはとりあえず留保しておいて、

真実発見をしようとしてなかなかできないことから生ずる、

非生産的な論争や疲弊、消耗といった

 

 

を除去することに焦点をうつして、

このように協定を結んでしまうといいと思うんですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

こうすると、

もちろん真実は発見できません。

 

おたがいが半分ずつ、譲ったようなかたちです。

 

でもその結果、

生じるはずだった苦が生じなくなります

 

 

 

この世界では、油断していると、

すぐにいろんな苦が発生するようにできています。

 

言った言っていないの水掛け論で生じる苦も、

そんな苦の1つだと思うんですね。

 

 

 

なので、あらかじめ苦を除去するような作戦をとることは、

そんな、

苦をなんとかして与えてこようとするこの世界に対する、

狡猾な対抗策にもなるものと、天機は考えます。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ

 

Bing検索がなんとなく好き

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、Bing検索について書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約1700字)

 

 

 

みなさんは、Bing検索って、ご存知ですか?٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

検索エンジンにはいろいろあります。

 

いろいろありますが、日本では

ヤフー検索とグーグル検索の2つで圧倒的なシェアを占めています。

 

なので、Bing検索は、あまりなじみのないものかもしれません(つд`)

 

 

 

ですが、

天機はこのBing検索が、すこし好きなんです。

 

 

 

というのは。

 

 

 

じつは、天機がこのブログをはじめたのは、

2017年のことなんですが、

当初は、頻繁に記事を書いていたこともあったのか、

書いた記事はほぼ即座にグーグルに登録されることになり、

グーグル検索で自分の記事をさがすと、

けっこう上位に表示されることも多かったのですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

ところが、

最近はあまり記事を書かなくなったことも理由の1つなのか、

自分がはてなで記事を書いても、

グーグルがたぶん、あまり登録してくれなくなったようなのです(つд`)

 

グーグル検索で自分の最近書いたはてな記事をさがしても、

ぜんぜんヒットしない((((;゚Д゚))))

 

 

 

それで、

なんとかグーグルにもう一度載せてもらうために、

一生懸命記事を量産しようという手もあるのですが、

それはそれでしんどいですよね。

 

 

 

そんなときに、自分の注目をひいたのが、

Bing検索だったのです。

 

 

 

じつは、

グーグル検索では自分の最近のはてな記事をさがしても

あまりヒットしなくなりましたが、

Bing検索だと、

自分が最新の記事を書いてからけっこうすぐに、

登録してくれることがおおくて、

上位に表示してくれるのです(*゚▽゚)ノ

 

 

 

自分のはてな記事にどこからどれくらい流入しているのかをみると、

グーグル検索約60%、ヤフー検索約20%で、

やっぱりこの2つは大きいのですが、

Bing検索も6%で、

このBing検索からの流入は、

じわりじわりと増えているような印象があるのですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

と、ここまでが個人的な事情で、

Bing検索が好きだというお話です。

 

 

 

でも、ほかにもBing検索のいいところもあります。

 

それは逆に言うと、グーグル検索のわるいところでもあります。

 

 

 

グーグルというのは、理由はわかりませんが、

 

エッチなことに目くじらをたてる

 

会社なんですよね…(つд`)

 

 

 

まさかそんなことがΣ(゚д゚;)

と思われるかもしれませんが、

そういう兆候がちょくちょく見られるんです。

 

 

 

たとえば、

ブログ記事を書いて広告を貼り付けてお金をもらうシステムの1つに、

グーグルアドセンスというのがありますが、

あれなんかも、

エッチな記事を書いたりすると、

広告を停止されたりする、という話をききます((((;゚Д゚))))

 

 

 

また、下世話な話ですが、

グーグル検索でセクシー女優の名前で検索してみても、

なかなか検索候補というのですか、予測検索候補というのですか、

そういうのを出してくれないのです。

 

 

 

エッチなことを頑強に拒絶する。

 

そんな意味不明な思想が、グーグルにはどうもありそうな気がするんですよね。

 

 

 

その点、Bing検索は、

あまりそんなことがないような気がします。

 

セクシー女優の名前で検索したら、

いっぱい予測検索候補がでてきます٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

以上は、すこし下世話な話で、

エッチなことに関するグーグルとBingの姿勢もちがう、

というお話でした(*゚▽゚)ノ

 

 

 

それから。

 

 

 

これは別にエッチなことに関係ないのですが、

なにか言葉を検索したときに、

グーグル検索とBing検索では、

トップページ以下に検索結果として表示する内容も、

微妙に違っているような気がします。

 

 

 

最近、なんとなく思うのですが、

グーグル検索で検索結果として表示される内容には、

なんというか、

グーグルの思想や主義主張といいますか、

ひとびとをこっちの方向へと導きたい、というような

意図がはいりこんだ検索結果表示になっているような気が、

なんとなくするんですよね((((;゚Д゚))))

 

 

 

以上のようなところから、天機は最近、

Bing検索にすこし注目しています。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ

アウティング禁止条例について考える

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、アウティング禁止条例について

考えてみたいと思います。

(この記事の字数は 約2100字)

 

 

 

先ごろ、こんなニュースがありました。

 

 

 

news.yahoo.co.jp

 

 

 

アウティング?なんだそれ?

 

 

 

ふつうはそういう印象を受けるかもしれません。

 

あまり、なじみのある言葉ではないですよね(つд`)

 

 

 

アウティングというのは、

LGBTなどの性的少数者について、

その性的少数者ではない他人が、

その性的少数者の同意を得ることなしに、

そのひとが性的少数者である、という情報を暴露してしまう

ことをいいます。

 

 

 

最近は、いろんな用語が外来語で表現されることもおおくて、

パッと見た感じでは、

意味がなかなかわからないものも、多々あります。

 

 

 

日本語で表現できるものならば、

できるだけそうすべきだと、個人的には思いますが。

 

 

 

ともあれ、

このアウティングが禁止される条例が三重県でつくられた

背景には、

アウティングによって深刻なダメージをこうむる

性的少数者の権利を保護していこう、

という考え方がありました。

 

 

 

そのきっかけの1つになったのが、

一橋大学ロースクールでの事件です。

 

 

 

一橋大学ロースクールに通っていた性的少数者のAさん(男性)は、

同級生の男性に好意を持ち、その気持ちを告白しました。

 

 

 

同級生の男性は、残念ながらその気持ちは受け入れられないけれど、

今後も友達としてやっていこう、

と、当初は回答したのですね。

 

 

 

ところが、

それからしばらくたって、

ごめん、やっぱ俺隠しておくの無理だ、と言って、

その情報をほかの同級生に公開したのですΣ(゚д゚;)

 

 

 

そのことがきっかけになって、

その情報を公開されたAさんは、自殺してしまいました。

 

 

 

簡単に考えて、

みずからが性的少数者であるという情報は、

そのひとの人格の核心にもかかわる

きわめてセンシティブな情報であって、

真摯な取り扱いを要することは、いうまでもないことだと思います。

 

 

 

それが慎重になされないと、

一橋大学ロースクールでの事件のような悲劇に結びついて

しまう可能性もあって、

そのような危険性にさらされている性的少数者の権利を

保護する必要性は高いでしょう。

 

 

 

しかし、ここでもうひとつ、考えなくてはいけないことは、

性的少数者の権利があれば、

いっぽうで、相手方の権利もある、ということです。

 

 

 

世の中では、

いっぽうだけの権利や必要性を擁護すればそれでかたがつく、

ということは、あまりないと思います。

 

 

 

やはり、問題を真剣に解決しようと思うならば、

なにごともそうですが、

対立する当事者の、その双方の利益や主張を、

公平に勘案していく必要がある、と、天機は思うのですね(*゚▽゚)ノ

 

 

 

一橋大学ロースクールでの事件に話をもどすと、

この、告白を受けた同級生の男性は、

相当おおきな負担になるような事実を告げられたことになります。

 

 

 

考えてみればわかることですが、

この同級生男性は、Aさんから好意を持たれて言い寄られています。

 

 

 

一般的な性的指向の観点からすると、

それはあまり受け入れられないものですから、

同級生の男性は、Aさんを避けるようになるかもしれません。

 

 

 

すると、

ほかの同級生からみれば、

その同級生の男性が、理由もなくAさんに冷たくあたっている

ようにも見えるでしょう。

 

 

 

それがきっかけになって、

その同級生の男性に対する周囲の風当たりが強くなったとしても、

その同級生の男性は、

Aさんから打ち明けられた秘密と心中して、

一生、秘密を守り通さなければならないのでしょうか…?((((;゚Д゚))))

 

 

 

天機が思うに、

他人の秘密を守るというのは、

1つの責任です。

 

 

 

そしてこの社会では、通常、

理由もないのになんらかの責任が課されるということは、

ないはずですし、あってはならないものだと思います。

 

 

 

その、責任が課されることになる理由の1つとして考えられる条件は、

双方の同意です。

 

 

 

つまり、

 

「自分はいまからあなたに、ある秘密を打ち明けようと思っている。

 その秘密はとても重大なものだから、

 もし打ち明けられたら、その秘密を生涯守り通してほしい。

 でなければ、自分は死んでしまうかもしれない。

 でも、あなたは自分にとって大切なひとだから、

 あなたを信頼して、勇気をだして、自分の秘密を打ち明けたい。

 けど、あなたにも、その秘密を受け入れるかどうか、

 聞くかどうかの、選択の自由があることも承知している。

 なので、あなたに問いたい。

 わたしの秘密を打ち明ける前に、あなたに問いたい。

 あなたは、わたしの秘密を打ち明けられることを承知するか?

 秘密を打ち明けても、かまわないか?

 また、秘密を打ち明けたら、それを全力で守ってくれるか?」

 

と、事前に確認しておけば、

一橋大学ロースクールでの事件のような悲劇を防ぐ可能性も、

もしかしたらあったのではないだろうか…?

 

 

 

天機は、そう思うのですね。

 

 

 

なので、アウティングを禁止するということは

たしかに性的少数者の権利を保護するうえで必要かつ重要な

ことだと思いますが、

その秘密を打ち明けられるまえに、

その秘密を受け入れるかどうかの、

選択の自由が相手方に事前に確保されていることも、

当事者の公平性の観点からは、

必要で重要なことだろうと、天機は思います٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ

勉強することの、もう1つの意味

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、

勉強することのもう1つの意味

と題して書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約1900字)

 

 

 

 

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さて、みなさんは、勉強は好きでしょうか。

 

 

 

天機は比較的、これまでの人生で勉強が好きでした。

(運動は苦手でした)

 

本を読んだり、考えたりすることが好きな性質が

うまれつき、あったのかもしれません。

 

 

 

それでも、漫画を読んだり、音楽を聴いたり、

テレビを見たりすることにくらべれば、

勉強は退屈で、

苦痛の多いものだと感じていたものです。

 

 

 

まして、勉強がそれほど好きでないひとにとっては、

非常におおきな苦痛になっただろうな、

と想像します。

 

 

 

こんな、苦痛のおおい勉強ですから、

ひとはみんな、できることなら、勉強なんかしたくない。

 

たとえ、しなければならないとしても、

意味のない勉強はぜったいにしたくないと思います。

 

 

 

そこで、ひとは、

そんなこと本当に勉強して意味あるんかな?

ということが、気になってきます。

 

 

 

たとえば。

 

 

 

お買い物をするときに簡単な計算ができたほうが便利ですが、

二次方程式なんか使わないよね?

 

そんなこと勉強して、意味あるんかな。

 

とか。

 

 

 

人と会話したり、パソコンやスマホで文章を入力したりするのに、

国語の力は必要だけど、

古文単語なんか、現代の日常では使わないよね。

 

そんなこと勉強して、意味あるんかな。

 

とか。

 

 

 

いろいろです。

 

 

 

たしかに、社会生活に意味のある学習内容というのは、

時代時代によって、変化してくるものです。

 

なので、学習指導要領なんかも、頻繁に改訂されていますね。

 

 

 

いいことか、悪いことかは、なんとも言えませんが、

小学校からの英語学習というのも、

導入されてしまいました((((;゚Д゚))))

 

 

 

勉強するのなら、できるだけ意味のある内容を勉強したい、

というのは、

人間の自然な気持ちだろうと思います。

 

 

 

意味のある内容、社会で役立つ内容を勉強していれば、

たしかに、それが知識となって、

世の中をわたっていくのに役だったり、

収入が増えたりすることがあります。

 

 

 

これが、勉強して、

なんらかの知識を得ることにともなう、

勉強の効用の1つです。

 

 

 

ですが、天機が思うに、

勉強にはもう1つ、だいじな効用があるように思うのですね(*゚▽゚)ノ

 

 

 

たとえば、スポーツや、肉体を鍛える場面を考えてみましょう。

 

 

 

100メートルを人間は、

全力で走り抜ける練習を繰り返したり、あるいは、

100キロのバーベルを何回も持ち上げる練習を

人間はしたりします。

 

 

 

この、100メートルとか、100キロとかは、

それ自体では、

とくに意味のないものです。

 

 

 

自動車ならば、もっと速いスピードで

100メートルを走り抜けるでしょうし、

フォークリフトなら、

100キロよりももっと重いものでも、

持ち上げて運ぶことも可能でしょう。

 

 

 

ですが、人間が100メートルを駆け抜ける練習をしたり、

100キロを持ち上げる練習をしたりするのは、

それをすることで、

人間の肉体が変化するからです。

 

 

 

たとえば、そういった運動をするのに適した筋肉が、

人間の肉体に備わることになります。

 

俊敏性や、持久力といったものも、

身につくかもしれません。

 

 

 

つまり、そういった肉体的な鍛錬を繰り返したあとには、

なんらかの能力として、

人間の肉体に「のこる」ものがあるわけです。

 

その鍛錬をおこなう前にはできなかったようなことが、

鍛錬をおこなうことでできるようになった結果、

その人間の「できる」ことは、

あきらかに以前よりも増えているのですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

学習によって、脳を鍛えることにも、

この、「のこる」ということが、

非常に大きな意味をもつのではないか、と、天機は考えます。

 

 

 

学習によって、知識が身につきます。

 

それは、学習のおおきな効用の1つです。

 

 

 

が、たとえその知識じたいは、

その後の人生で役立てるような場面がなかなかやってこなかったとしても、

脳は、学習したことによって、

以前よりも強化されたマシンになっているのです٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

もしかしたら、

その後の人生で、

仕事上、なんらかの内容をあらたに学習しなければいけなくなったとき、

その学習が以前よりもスムーズにおこなえるように

なっているかもしれません。

 

 

 

あるいは、

学習する時につきものの、いやだなあ、という気持ちは、

以前よりも減っているかもしれないのです。

 

 

 

つまり、

人間の肉体が鍛錬によってその筋力を向上させるように、

脳もまた、学習によって、

あたかも「脳の筋力」とでもいえるようなものが

向上していて、

その後の人生で、いろんなことをあらたに学んだり、

考えたりする場面で、

もしかしたら役に立ってくれるかもしれない。

 

 

 

そう、天機は思うのです。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ