この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

アウティング禁止条例について考える

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、アウティング禁止条例について

考えてみたいと思います。

(この記事の字数は 約2100字)

 

 

 

先ごろ、こんなニュースがありました。

 

 

 

news.yahoo.co.jp

 

 

 

アウティング?なんだそれ?

 

 

 

ふつうはそういう印象を受けるかもしれません。

 

あまり、なじみのある言葉ではないですよね(つд`)

 

 

 

アウティングというのは、

LGBTなどの性的少数者について、

その性的少数者ではない他人が、

その性的少数者の同意を得ることなしに、

そのひとが性的少数者である、という情報を暴露してしまう

ことをいいます。

 

 

 

最近は、いろんな用語が外来語で表現されることもおおくて、

パッと見た感じでは、

意味がなかなかわからないものも、多々あります。

 

 

 

日本語で表現できるものならば、

できるだけそうすべきだと、個人的には思いますが。

 

 

 

ともあれ、

このアウティングが禁止される条例が三重県でつくられた

背景には、

アウティングによって深刻なダメージをこうむる

性的少数者の権利を保護していこう、

という考え方がありました。

 

 

 

そのきっかけの1つになったのが、

一橋大学ロースクールでの事件です。

 

 

 

一橋大学ロースクールに通っていた性的少数者のAさん(男性)は、

同級生の男性に好意を持ち、その気持ちを告白しました。

 

 

 

同級生の男性は、残念ながらその気持ちは受け入れられないけれど、

今後も友達としてやっていこう、

と、当初は回答したのですね。

 

 

 

ところが、

それからしばらくたって、

ごめん、やっぱ俺隠しておくの無理だ、と言って、

その情報をほかの同級生に公開したのですΣ(゚д゚;)

 

 

 

そのことがきっかけになって、

その情報を公開されたAさんは、自殺してしまいました。

 

 

 

簡単に考えて、

みずからが性的少数者であるという情報は、

そのひとの人格の核心にもかかわる

きわめてセンシティブな情報であって、

真摯な取り扱いを要することは、いうまでもないことだと思います。

 

 

 

それが慎重になされないと、

一橋大学ロースクールでの事件のような悲劇に結びついて

しまう可能性もあって、

そのような危険性にさらされている性的少数者の権利を

保護する必要性は高いでしょう。

 

 

 

しかし、ここでもうひとつ、考えなくてはいけないことは、

性的少数者の権利があれば、

いっぽうで、相手方の権利もある、ということです。

 

 

 

世の中では、

いっぽうだけの権利や必要性を擁護すればそれでかたがつく、

ということは、あまりないと思います。

 

 

 

やはり、問題を真剣に解決しようと思うならば、

なにごともそうですが、

対立する当事者の、その双方の利益や主張を、

公平に勘案していく必要がある、と、天機は思うのですね(*゚▽゚)ノ

 

 

 

一橋大学ロースクールでの事件に話をもどすと、

この、告白を受けた同級生の男性は、

相当おおきな負担になるような事実を告げられたことになります。

 

 

 

考えてみればわかることですが、

この同級生男性は、Aさんから好意を持たれて言い寄られています。

 

 

 

一般的な性的指向の観点からすると、

それはあまり受け入れられないものですから、

同級生の男性は、Aさんを避けるようになるかもしれません。

 

 

 

すると、

ほかの同級生からみれば、

その同級生の男性が、理由もなくAさんに冷たくあたっている

ようにも見えるでしょう。

 

 

 

それがきっかけになって、

その同級生の男性に対する周囲の風当たりが強くなったとしても、

その同級生の男性は、

Aさんから打ち明けられた秘密と心中して、

一生、秘密を守り通さなければならないのでしょうか…?((((;゚Д゚))))

 

 

 

天機が思うに、

他人の秘密を守るというのは、

1つの責任です。

 

 

 

そしてこの社会では、通常、

理由もないのになんらかの責任が課されるということは、

ないはずですし、あってはならないものだと思います。

 

 

 

その、責任が課されることになる理由の1つとして考えられる条件は、

双方の同意です。

 

 

 

つまり、

 

「自分はいまからあなたに、ある秘密を打ち明けようと思っている。

 その秘密はとても重大なものだから、

 もし打ち明けられたら、その秘密を生涯守り通してほしい。

 でなければ、自分は死んでしまうかもしれない。

 でも、あなたは自分にとって大切なひとだから、

 あなたを信頼して、勇気をだして、自分の秘密を打ち明けたい。

 けど、あなたにも、その秘密を受け入れるかどうか、

 聞くかどうかの、選択の自由があることも承知している。

 なので、あなたに問いたい。

 わたしの秘密を打ち明ける前に、あなたに問いたい。

 あなたは、わたしの秘密を打ち明けられることを承知するか?

 秘密を打ち明けても、かまわないか?

 また、秘密を打ち明けたら、それを全力で守ってくれるか?」

 

と、事前に確認しておけば、

一橋大学ロースクールでの事件のような悲劇を防ぐ可能性も、

もしかしたらあったのではないだろうか…?

 

 

 

天機は、そう思うのですね。

 

 

 

なので、アウティングを禁止するということは

たしかに性的少数者の権利を保護するうえで必要かつ重要な

ことだと思いますが、

その秘密を打ち明けられるまえに、

その秘密を受け入れるかどうかの、

選択の自由が相手方に事前に確保されていることも、

当事者の公平性の観点からは、

必要で重要なことだろうと、天機は思います٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ

勉強することの、もう1つの意味

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は、

勉強することのもう1つの意味

と題して書いてみようと思います。

(この記事の字数は 約1900字)

 

 

 

 

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さて、みなさんは、勉強は好きでしょうか。

 

 

 

天機は比較的、これまでの人生で勉強が好きでした。

(運動は苦手でした)

 

本を読んだり、考えたりすることが好きな性質が

うまれつき、あったのかもしれません。

 

 

 

それでも、漫画を読んだり、音楽を聴いたり、

テレビを見たりすることにくらべれば、

勉強は退屈で、

苦痛の多いものだと感じていたものです。

 

 

 

まして、勉強がそれほど好きでないひとにとっては、

非常におおきな苦痛になっただろうな、

と想像します。

 

 

 

こんな、苦痛のおおい勉強ですから、

ひとはみんな、できることなら、勉強なんかしたくない。

 

たとえ、しなければならないとしても、

意味のない勉強はぜったいにしたくないと思います。

 

 

 

そこで、ひとは、

そんなこと本当に勉強して意味あるんかな?

ということが、気になってきます。

 

 

 

たとえば。

 

 

 

お買い物をするときに簡単な計算ができたほうが便利ですが、

二次方程式なんか使わないよね?

 

そんなこと勉強して、意味あるんかな。

 

とか。

 

 

 

人と会話したり、パソコンやスマホで文章を入力したりするのに、

国語の力は必要だけど、

古文単語なんか、現代の日常では使わないよね。

 

そんなこと勉強して、意味あるんかな。

 

とか。

 

 

 

いろいろです。

 

 

 

たしかに、社会生活に意味のある学習内容というのは、

時代時代によって、変化してくるものです。

 

なので、学習指導要領なんかも、頻繁に改訂されていますね。

 

 

 

いいことか、悪いことかは、なんとも言えませんが、

小学校からの英語学習というのも、

導入されてしまいました((((;゚Д゚))))

 

 

 

勉強するのなら、できるだけ意味のある内容を勉強したい、

というのは、

人間の自然な気持ちだろうと思います。

 

 

 

意味のある内容、社会で役立つ内容を勉強していれば、

たしかに、それが知識となって、

世の中をわたっていくのに役だったり、

収入が増えたりすることがあります。

 

 

 

これが、勉強して、

なんらかの知識を得ることにともなう、

勉強の効用の1つです。

 

 

 

ですが、天機が思うに、

勉強にはもう1つ、だいじな効用があるように思うのですね(*゚▽゚)ノ

 

 

 

たとえば、スポーツや、肉体を鍛える場面を考えてみましょう。

 

 

 

100メートルを人間は、

全力で走り抜ける練習を繰り返したり、あるいは、

100キロのバーベルを何回も持ち上げる練習を

人間はしたりします。

 

 

 

この、100メートルとか、100キロとかは、

それ自体では、

とくに意味のないものです。

 

 

 

自動車ならば、もっと速いスピードで

100メートルを走り抜けるでしょうし、

フォークリフトなら、

100キロよりももっと重いものでも、

持ち上げて運ぶことも可能でしょう。

 

 

 

ですが、人間が100メートルを駆け抜ける練習をしたり、

100キロを持ち上げる練習をしたりするのは、

それをすることで、

人間の肉体が変化するからです。

 

 

 

たとえば、そういった運動をするのに適した筋肉が、

人間の肉体に備わることになります。

 

俊敏性や、持久力といったものも、

身につくかもしれません。

 

 

 

つまり、そういった肉体的な鍛錬を繰り返したあとには、

なんらかの能力として、

人間の肉体に「のこる」ものがあるわけです。

 

その鍛錬をおこなう前にはできなかったようなことが、

鍛錬をおこなうことでできるようになった結果、

その人間の「できる」ことは、

あきらかに以前よりも増えているのですね٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

学習によって、脳を鍛えることにも、

この、「のこる」ということが、

非常に大きな意味をもつのではないか、と、天機は考えます。

 

 

 

学習によって、知識が身につきます。

 

それは、学習のおおきな効用の1つです。

 

 

 

が、たとえその知識じたいは、

その後の人生で役立てるような場面がなかなかやってこなかったとしても、

脳は、学習したことによって、

以前よりも強化されたマシンになっているのです٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

もしかしたら、

その後の人生で、

仕事上、なんらかの内容をあらたに学習しなければいけなくなったとき、

その学習が以前よりもスムーズにおこなえるように

なっているかもしれません。

 

 

 

あるいは、

学習する時につきものの、いやだなあ、という気持ちは、

以前よりも減っているかもしれないのです。

 

 

 

つまり、

人間の肉体が鍛錬によってその筋力を向上させるように、

脳もまた、学習によって、

あたかも「脳の筋力」とでもいえるようなものが

向上していて、

その後の人生で、いろんなことをあらたに学んだり、

考えたりする場面で、

もしかしたら役に立ってくれるかもしれない。

 

 

 

そう、天機は思うのです。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ

【紫微斗数】官禄宮巨門化忌について考える

みなさん天機です。٩(ˊᗜˋ*)و

 

 

 

今回は久しぶりに、占いや運命学についてのお話です。

(この記事の字数は 約1900字)

 

 

 

ひとの運命をみる東洋の占いにはいくつかありますが、

そのなかに、

四柱推命と双璧をなすものとして、

紫微斗数があります。

 

 

 

紫微斗数では、命盤とよばれる盤に星を配置して

そのひとの運命をうらなっていきます。

 

 

 

その盤には、12の部屋があるのですが、

その部屋の中で、

おもに職業運を見る部屋として、官禄宮(かんろくきゅう)

という部屋があります。

 

 

 

この官禄宮。

 

 

 

自分が仕事運に恵まれるのかどうか、

どんな職業につくと発展できるのか、といったことのほかに、

学生時代に学業に集中して取り組めるのかどうか、

といったことも見ることができる、

とする、台湾の占い師もいるようですね٩( ๑╹ ꇴ╹)۶

 

 

 

というのも。

 

学生時代に学業にしっかり取り組むことができれば、

いい大学に進学する可能性が高まり、結果、

いい会社に就職することにもつながったりして、

職業運がいいということと関係してくるからなのです。

 

 

 

さて。

 

 

 

この官禄宮に、巨門化忌(こもんかき)が入った場合、

どのように占断していけばいいのでしょうか。

 

 

 

巨門化忌というのは、

巨門星という星に、そこから転じた化忌星がセットになっている

ものです。

 

 

 

巨門星のあらわす職業運は、声を使う職業。

 

たとえば、アナウンサーや講師、あるいは、

法廷で弁論する弁護士とかですね。

 

あと、巨門星は研究という意味も表しますから、

研究職とかでしょうか。

 

 

 

いっぽう、化忌星のあらわす職業運なのですが、

化忌星というのは、

代表的な凶星のなかの凶星ですので、

この星が官禄宮に入った場合、一般的には、

職業運がよくないとされているのです(つд`)

 

つまり、一般的な商業全般についた場合、

このひとは発展できないであろう、とされてしまうのですね。

 

 

 

では、化忌星が官禄宮にはいった場合には、

まったく救いがないのか、というと、そんなことは必ずしもなくて、

特殊な職業に就いた場合は、

かえって発展することがあるとされているのです。

 

たとえば、小説家。

あるいは、研究職。

そして、弁護士などの司法関係の職業です。

 

 

 

と、このように見てくると、

あることにお気づきになったかたも、いるかもしれませんね。

 

 

 

巨門星の適職の中には、弁護士があります。

 

そして、化忌星の適職の中にも、やはり、弁護士があるのです。

 

 

 

とするならば、それら2つがセットになった

巨門化忌が官禄宮に入った場合、

非常に強く弁護士としての成功が暗示されている…

ということになるのでしょうか。

 

 

 

そのように考えることも、たしかにできるでしょう。

 

 

 

しかし、化忌星は、四化星の1つです。

 

そして、四化星の本質にさかのぼって考えるのならば、

四化星という言葉のなかには、

変化をあらわす「化」という文字がはいっているように、

変化を抜きにして判断すると、

誤ることになる、と自分は考えるのですね(*゚▽゚)ノ

 

 

 

つまり、

巨門化忌のばあい、

巨門星の性質と化忌星の性質が単純に同居している、

と考えるのではなくて、

巨門星が「転じて」化忌星へと「変化」する、

というところに注目するならば。

 

 

 

巨門星のあらわすような職業に就いた場合、

マイナスの影響が及ぶ、

と考えることができるでしょう。

 

 

 

なので、

たしかに、巨門星が官禄宮に入った場合は、

弁護士が適職なのかもしれません。

 

化忌星が官禄宮に入った場合にも、

弁護士が適職なのかもしれません。

 

 

 

しかし。

 

 

 

巨門化忌が官禄宮に入った場合には、逆に、

弁護士になってしまうと、

いろんなトラブルに見舞われたり、訴訟で負けたりして、

マイナスの現象が表面化してくる懸念があると思います。

 

 

 

また、先ほど述べたように、

官禄宮というのは、実際に職業に就いたあとのことだけではなくて、

のちの職業人生に結びつくところの学業生活も

あらわしているところから、

このひとがもし、

法律関係の職業につくことを目指して、

法学部に進んだり、司法試験を受験するようなことになると、

勉強がなかなか進まなかったり、

試験になかなか合格できなかったり、

といったかたちで、種々の妨害を受けることが予想されるのです(つд`)

 

 

 

付言すると、巨門星は北斗の星ですから、

巨門化忌の悪影響はおもに、

そのひとの前半生において、より顕在化することになるでしょう。

 

端的に言えば、

巨門化忌が官禄宮にある人の場合、その人は、

人生の前半において、

法律関係の職につこうとして悪戦苦闘するものの、

なかなか希望通りにならない、

といった姿が目に浮かびます。

 

 

 

なので。

 

 

 

巨門化忌が官禄宮にある人の場合、もしかしたら、

法律関係の職業につくことは、

避けたほうが無難なのかもしれません。

 

 

 

以上、天機でした(*゚▽゚)ノ