この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

覆水盆に返らず、と、フェーズと遷移。

こんにちわ。天機です。

(この記事の字数 約2400字)

 

 

 

きょうは、覆水盆に返らず、について、書いてみようと思います。

 

 

 

覆水盆に返らず、という言葉は、

もしかしたら皆さんも聞いたことのある表現かもしれません。

 

 

 

これは、中国の故事成語の1つで、

一度やってしまったことは二度と取り返しがつかないんだよ、

みたいな意味の言葉なのですね。

 

 

 

じつは、この言葉は、

ある中国の古典から来ています。

 

史実かどうかは多分に怪しいところもあるのですが、

その古典は、「封神演義」といいます。

 

 

 

この封神演義に描かれた物語から、すこし、

この、覆水盆に返らずをみてみましょう。

 

 

 

いまからはるか昔、紀元前11世紀ごろの中国に、

太公望という1人の男がいました。

 

 

 

あるとき、その太公望の知り合いの男性が、

太公望に妻を世話してあげようと思いついたのです。

 

 

 

妻の名は、馬千金と言いました。

すでに、老婆に近いような高齢の女性だったようです。

 

 

 

太公望のところに嫁いできた馬千金は、

太公望が日がな1日、読書ばっかりして暮らしているのを見て、

がっかりしてしまいました。

 

 

 

このままではいつまでも貧乏暮らしだ、

こんなひととはさっさと別れてしまおう、と思った馬千金は、

太公望に離縁を申し出ます。

 

 

 

太公望は、

「いまは自分はこのような生活だけれども、やがて顕位にのぼる。

 いま、離縁してしまえば、きっと後悔することになるぞ。」

と言って諫めたのですが、

馬千金は離縁をいそいで、結局、2人は別れてしまいました。

 

 

 

さて、やがてそののちに、

太公望西周の文王の知遇をえてその軍師となり、

殷を倒す覇業を輔け、その功績によって、

斉の国に封じられました。

 

 

 

すると、かつて太公望のもとを去っていった馬千金が戻ってきて、

よりを戻したい、と言ったのです。

 

 

 

太公望は、静かに、お盆の上に水を張り、

その水を地面にこぼして言いました。

 

「この水を、元通りお盆に戻すことができたら、そうしよう」と。

 

 

 

馬千金は、地面の水をすくってみました。

 

しかし、手の中にすくえたのは、水ではなく、泥でした。

 

馬千金は、必死にすくおうとし、爪の間からは血がにじみました。

 

しかし、ついに水だけをすくうことは、できなかったのです。

 

 

 

太公望は言いました。

 

一度離れてしまった夫婦というのは、ちょうど、

この地面にそそがれた水のようなものなのだ。

 

元に戻そうと思っても、できるものではない、と。

 

 

 

絶望した馬千金は、そののち、

木の枝に縄をくくりつけて、首をくくって死んでしまったのです。

 

 

 

以上が、「覆水盆に返らず」という故事成語の、

もとになったお話が掲載されていた、「封神演義」という作品のなかでの、

物語の概要です。

 

 

 

みなさんは、この物語を読んで、どうお感じになるでしょうか。

 

 

 

ああ、ありがちな話だよね。

 

太公望も、よりを戻してあげたらよかったのに。

 

いやいやいや、そりゃちょっと馬千金さん、都合よすぎでしょ。

 

 

 

いろんな感想があろうかと思います。

 

 

 

でも、なんでこのお話は、こういうバッドエンドになってしまったのか、

というふうに考えてみたときに、

天機は、

 

 

 

この馬千金という女性は、

フェーズしか見ていなくて、

遷移のことを考えなかったからじゃないかな?

 

 

 

と思ったんですよ。

 

 

 

ここで、天機のいう「フェーズ」というのは、

「局面」のことです。

 

いま、どういう状態にあるのか、というのが、

フェーズであり、局面なのです。

 

 

 

それに対して、天機のいう「遷移」というのは、

「変化」の可能性や、「変化」のプロセスのことです。

 

これからどういうふうに変わっていくのか、

というのが、「遷移」なのです。

 

 

 

最初、太公望が読書ばっかりして、全然うだつが上がらなかったときに、

なんで、馬千金が太公望のもとを去っていったか、といえば、

それは、

 

 

 

うだつの上がらない太公望

という、そのときのフェーズだけを見たから

 

 

 

なんですよね。

 

 

 

太公望が、もしかしたらこの先、

出世するかもしれない、という、

遷移の可能性は、見ていなかった

 

 

 

のですよ。

 

 

 

じゃあ、なんで、太公望が出世した後に、

よりを戻そうとして戻ってきたかといえば、

それは、やっぱり、

 

 

 

出世した太公望、というフェーズを、

絶対視しているから

 

 

 

ですよね。

 

 

 

いまは出世しているけれど、この先もしかしたら失脚するかもしれない、

という「遷移」、つまり、

変化の可能性は、

やっぱり馬千金の思考からは、抜け落ちているんです。

 

 

 

なので、もしかりに、ここでよりを戻したとしても、

太公望がこの先、なんらかの原因で失脚して、

地位も名声も財産もうしなえば、

やっぱり馬千金は、簡単に離れていきそうですよね。

 

 

 

つまり、馬千金は、

太公望のもとを離れていったときも、太公望のもとに戻ってきたときも、

いずれのときも、

そのときの太公望の状態しか、見ていないのです。

 

それが、このさき、どういうふうに変わっていくだろうか、とか、

変化する可能性があるんじゃないか、とかは、

まったく考えないのです。

 

 

 

このお話から教訓として得られる知恵はなにか?といえば、

それは、天機が思うに、

 

 

 

フェーズではなく、

遷移の可能性にこそ目を向ける者が、

大きく報われることになる

 

 

 

ということです。

 

 

 

たとえば、この物語で、

ちょうど馬千金とは反対に、

まだうだつの上がらなかった太公望の将来性に目をつけて、

そのころの太公望と結婚するという選択をする女性が、

もしかりにいたとしたら、

その女性は、おおきな幸福を手に入れることができたかもしれないのです。

 

 

 

現代の世の中でいえば、

株式投資とかの投資も、そうではないでしょうか。

 

大儲けをするためには、

その株が「いま安いのか」とか、「いま高いのか」とかいった、

フェーズよりも、

「その株がこの先どのように株価が変化していくのか」という

遷移のほうがはるかに大事で、

その遷移を的確にとらえた人が、結局は大儲けできるのです。

 

 

 

今回は、

フェーズよりも遷移が大事、遷移に注目しよう、

というお話でした。

 

 

 

では。