この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

マを含む漢字について。

こんにちわ。天機です。

(約 2300字)

 

 

 

今回は、漢字のお話です。

 

カタカナの「マ」みたいなものを、その構成部分にもつ漢字に、

共通してみられる性質について、

天機が考えた独自説をのべてみたいと思います。

 

 

 

さて、漢字の中には、

カタカナの「マ」のようなものを含むものがあるのですが、

天機は、それらの漢字は共通して、

 

 

 

未来を見すえている

 

 

 

のではないか、と思いました。

 

 

 

未来を見すえる、というところから、

 

①未来をみすえて準備をする

②未来が想定されているので、

いまは途中経過にすぎない

 

といった意味がでてくるように思うのです。

 

 

 

具体例で見ていきましょう。

 

 

 

まずは、①の法則にあてはまる漢字からです。

 

 

 

 

これは、あらかじめ、ということです。

予習、予算、といった熟語のなかにふくまれる漢字ですが、

こういった熟語には、

未来に備えて準備をする、といった意味がふくまれています。

 

 

 

 

勇気をふりしぼらなければならない場面とは、どういう場面であるか、

というと、

これから先の将来において、

自分の力を上回るような、強力な「敵」と対峙しなければならないような、

そんな場面だと思います。

未来における敵との対峙が見すえられていて、

それに備えて、自分の気持ちを奮い立たせているわけです。

 

 

 

 

この漢字には、いろんな書体がありますが、

マをふくむような書き方があります。

 

この漢字は、一見、未来を見すえることとは関係がないように見えますが、

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

という記事で書いたように、この、「今」という漢字に似た

「令」という漢字には、

まだ知られていないという意味での未来に対峙して、

それを、すでに知ったという意味での過去へと変換していく、

ちょうどそのあいだの分岐点のような、

「知る」ということにかかわる意味があります。

 

 

 

ではつぎに、

②の法則にあてはまる漢字について、見ていきましょう。

 

 

 

 

さなぎというのは、将来、たとえば成虫のちょうちょなどに

なることを見すえて、

幼虫などから変化していく、ちょうどその途中経過にある、

ということです。

 

 

 

 

とおる、というのは、単に「行く」とか「動く」とか

いった言葉とはちがって、

通過する場所、通過点というのがあって、

今現在は、その通過点を通過する最中にすぎず、

通過が終われば、その動作も終わるという意味で、

途中経過、変化するプロセスの最中であることをしめすものです。

 

 

 

 

痛い、というのが途中経過と関係しているのは、

変な感じがします。

 

でもみなさんは、胃痛、頭痛などがあったときに、どうしますか?

 

たいていは、その痛みがひどいものならば、

がまんせずに服薬して、痛みを除去するだろうと思うのです。

 

このことは、末期がんなどの、はなはだしい痛みの場合には、

よりよく妥当することで、

モルヒネなどを使用して痛みを緩和することも、

おこなわれているわけですね。

 

つまり、痛みという生理現象は、

そのまま我慢し続ける、継続してその状態を保つ、

ということが、むずかしいものなのです。

 

痛みというのは、その痛みが除去されたり、緩和されたりすることが、

常に想定されており、

その意味で、一時的な状態である、ということが言えるかもしれません。

 

 

 

桶、樋

 

この漢字は、おけ、と読みましょうか、

それとも、とい、と読みましょうか。

 

いずれの読み方をしてもいいのですが、いずれの読み方でも、

一時的であるということ、と、関わりがあります。

 

桶、というのは、たとえば、花瓶とか、器とか、

そういったものとは、ちがうのです。

 

風呂桶なら、湯が張られているのは、一時的なことですし、

すし飯を入れた桶でも、そのすし飯が入っているのは、一時的なことです。

 

また、屋根には樋が走っていることがありますが、

その中を雨水が通過するのは一時的なものであって、

常時、雨水をたたえている、といったわけではないですね。

 

 

 

 

おどる、ということには、いろんな踊りがあると思います。

 

日本の踊りから、外国のおどり、

そして、昔の踊りから、最近のダンスまで、いろいろです。

 

しかし、そういった踊りに、みな共通することとしては、

手足の角度や方向をつぎつぎに変えていって、

一定していない、ということがあると思います。

 

踊りですから、

いまのある時点で、たとえば、手や足が、

ある方向にある角度でもって向いていたとしても、

次の瞬間には、またすばやく変化していくわけです。

 

踊りというのは、そういった動作の変化が連続することで成り立っており、

その意味で、

ある身体の状態に安住してはいないことから、

やはり、途中経過であったり、一時的であることと関連をもちます。

 

 

 

 

これは、暗誦、といった熟語の中にでてきますが、

そらんずる、ということです。

 

つまり、あらかじめ決められた読み上げ内容があって、

それを記憶を頼りにしながら再現する、ということなのですが、

あらかじめ内容が決まっていることを再現していくのは、

行ってみれば、

1本の決まった通路を通過するようなもので、

「通」との類似性をみることができます。

 

 

 

以上のようなことから、

「マ」をふくむ漢字には、未来を見すえている、

ということとの関連があって、

そこから派生的に、

 

①未来を見すえていて、いまはその準備をする

②未来が想定されているので、いまは、

一時的な途中経過にすぎない

 

といった意味がでてくるように、

天機は考えました。

 

 

 

きょうは、そんなお話でした。

 

 

 

漢字の不思議についての、その他の記事は、こちらから

 

reasongomainstream.hatenablog.com