この世界の不思議

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【紫微斗数】福徳宮化禄と福徳宮化忌。

こんばんわ。天機です。

(約 4800字)

 

 

 

きょうは、占いに関するお話です。

 

 

 

東洋占術において、本場の台湾や中国などでは、

四柱推命と並ぶくらいの人気があるのが、「紫微斗数(しびとすう)」です。

 

 

 

その紫微斗数では、

人の運命を占うために12個の部屋を用意するのですが、

そのなかに、福徳宮(ふくとくきゅう)というのがあります。

 

 

 

きょうは、その福徳宮のなかに、

四化星である化禄星と化忌星が入ったばあいに

どういう現象があらわれるのかについて、

独自の立場から考察記事を書いてみたいと思います。

 

 

 

では、まずその前に、

記事の前提となる知識を整理しておきましょう。

 

 

 

① 

人間には、運というものがあります。

一般的に言えば、嫌なことや辛いこと、苦しいことがあったときには、

運が「貯まって」います。

逆に、楽しいことや嬉しいこと、ハッピーなことがあったときには、

運を「消費して」います。

運が貯まれば貯まるほど、

だんだんと楽しいことが起こりやすくなってきます。

逆に、運を消費しすぎて運が足りなくなってくると、

だんだんと嫌なことが起こるようになってきます。

福徳宮は、運についてあらわすことがある宮位です。

言ってみれば、「運の貯蔵庫」のような役割をもつのが福徳宮だ、

と言ってもいいかもしれません。

 

 

 

四化星には、化禄、化権、化科、化忌の4種類がありますが、

そのなかでも、

ラッキースターの代表格が化禄で、

アンラッキースターの代表格が化忌です。

化禄があれば吉の事象をあらわし、化忌があれば凶の事象をあらわします。

一般的にはそれでいのですが、たぶん、それ以外に、

化禄は「膨張や拡大」、つまり、

大きくなっていくことや広がっていくこと、増えていくことをあらわし、

化忌は「収縮や縮小」、つまり、

小さくなっていくことや減っていくこと、少なくなっていくことを

あらわすように思えます。

西洋占星術には、

ドラゴンヘッドドラゴンテールというのがありますが、ちょうど、

ドラゴンヘッドが化禄に、ドラゴンテールが化忌に、

それぞれ対応しているような感じです。

そのために、

福徳宮に化禄が入っているということは、

運が増えていくということをあらわします。

逆に、福徳宮に化忌が入っているということは、

運が減っていくということをあらわすのです。

 

 

 

福徳宮は、後半生、つまり、

人生の後半がどうなるのか、ということをあらわします。

紫微斗数において、後半生をあらわす宮位といえば身宮が有名ですが、

台湾や中国などの紫微斗数の本場のネットや書籍では、

身宮以外にも、福徳宮や遷移宮が後半生をあらわす、

としているものがちらほらあります。

したがって、

福徳宮に吉星が入っているようなら後半生において恵まれることになり、

福徳宮に凶星が入っているようなら後半生において辛い目にあうことになる、

と、一般的には言えるかもしれません。

 

 

 

④ 

そしてもちろん、福徳宮本来の意味として、

精神的な充足度や、心のありようといった、

一般的によく知られている意味があります。

福徳宮に吉星がある人というのは、やさしく、

他人を思いやることのできるひとかもしれません。

逆に、福徳宮に凶星があるひとというのは、

どちらかといえば、自己中心的な側面をもつひとであるかもしれないのです。

 

 

 

では、これらの前提知識をもとにして、

福徳宮に化禄が入っている場合と、福徳宮に化忌が入っている場合に

ついて、考察していきましょう。

 

 

 

自分の生年月日時をもとにしてつくった命盤において、

福徳宮に化禄が入ると、どうなるのでしょうか。

 

 

 

まず、このひとは、

どちらかというとのんびりしていて、あくせくしたところがなく、

鷹揚で、心優しく、思いやりを持った人なのかもしれません。

 

心の優しさや思いやりといった面は、

精神的な充足度や心のありようをあらわす福徳宮に、

非常に大きなパワーのある吉星である化禄が入ったことに根拠があります。

 

また、このひとがのんびりしているのは、

もしかしたら、

自分に本当の運がめぐってくるのは人生の後半になってからだ、

ということを、本能で知っているからかもしれません。

 

 

 

紫微斗数においては、重要な宮というのがあります。

 

自分自身の根幹にかかわる命宮、財運をあらわす財帛宮、

どれくらい発展する傾向にあるのかをあらわす遷移宮、

結婚運のよしあしを示す夫妻宮、

仕事運はどうなのかを示す官禄宮、などです。

 

 

 

こういった、

「人生における具体的な成功や発展」にかかわる宮にくらべれば、

福徳宮は、そういった観点からすれば、

「重要ではない宮」である、ということも言えてしまうのです。

 

 

 

化禄というのは、とてもいい星ですから、

おそらくは、どこの宮に入っても、プラスの側面がクローズアップされる

ものでしょう。

 

 

 

それはたしかにそうなのですが、

福徳宮の場合は、すこし事情が違っていて、

手放しでは喜べない可能性がなきにしもあらず、なのです。

 

 

 

福徳宮に化禄が入ったということは、

上であげたような、命宮や財帛宮、遷移宮、夫妻宮、官禄宮といった

枢要な宮に化禄が入るチャンスをいわば「犠牲にして」、

福徳宮に化禄が「入ってしまった」ということなのです。

 

したがって、このひとは、とくにその前半生においては、

どちらかといえばうだつのあがらない、

ぱっとしない人生を歩んでしまう懸念もあります。

 

 

 

ところが本人は、それでしょげているのか、といえば、

全然そんなことはなくて、

自分のそんな窮境をどこか俯瞰して眺めていたり、

自分の「悲惨な状況を」笑い話にしてユーモアにかえていたり、

あるいは趣味に走っていたりして、

やはり、どこか鷹揚なのです。脳天気とでもいいましょうか。

 

 

 

このひとは、さきに述べましたように、

他者に対する優しい思いやりの気持ちを持っていて、

ときには自己犠牲的な奉仕的行動をとったりもします。

 

また、とくにその前半生において、

めだった金銭的、あるいは社会的な成功をしません。

 

 

 

そのために、このひとは、その前半生において、

「あまり運を使わない」のです。

 

いや、もっと言うならば、

このひとは人生の中ごろに至るまで、運を使うどころか、

どんどん、どんどんと、

運を貯めこむ人生をおくるのです。

 

このことは、

ドラゴンヘッドのように「拡大や膨張」をあらわす化禄が、

運の貯蔵庫をしめす福徳宮に入っていることと、軌を一にします。

 

運が増える、ということなのです。

 

 

 

そのために、このひとが人生の中盤にさしかかり、

人生の後半がスタートするころには、

かなり大量の運が貯めこまれているのです。

 

そして、このことこそが、

このひとが後半生において運がよくなるということの原因になっており、

この、後半生において運がよくなるということは、

後半生をあらわすことのある福徳宮に

代表的な吉星である化禄が入っていることと符合しています。

 

 

 

では逆に、

自分の生年月日時でだした命盤において、

福徳宮に化忌が入ったひとは、どのようになるのでしょうか。

 

 

 

このひとは、どちらかといえば、

「心根の汚い」ひとであるのかもしれません。

 

心根の汚い、という表現が語弊のあるものかもしれないので、

ほかの表現を借りるならば、

他人の窮境といったものに思いを寄せるというよりは、

自己が競争によって他人に打ち勝つことを重視する、というような、

ある意味で自己中心的な傾向性を持っている可能性があります。

 

 

 

このひとは、心の中で、

まるで渇した者が水を求めるように「具体的な成果」を求めます。

 

その成果を求めることを急ぐあまりに汲々とし、

心がどこかアクセクするのです。

簡単にいうならば、心から余裕が失われるのです。

 

そして、具体的な成果がたとえあがったとしても、

満足感を得られることが少なくて、

次々と、「もっと、もっと!」と求めてしまうことがありそうです。

 

 

 

自己中心的な傾向性を持っているということ、

悪い言い方をすれば「心が汚い」ということは、

精神的な充足度や心のありようといったものをあらわす福徳宮に、

代表的な凶星中の凶星である化忌が入ったことによって示されます。

 

また、

このひとが具体的な成果を非常に急ぐということは、

もしかしたら、

人生の後半になると運勢が暗転する可能性があるということを、

本能のどこかで知っているからかもしれません。

 

 

 

こうしてみてくると、

福徳宮に化忌がはいっているということは、

やはり、よくない事象としてあらわれてくるものなのだな、

と思われるひとも多いかもしれません。

 

 

 

ところが、必ずしもそうとばかりも言いきれないのです。

 

 

 

先に、紫微斗数の命盤においては、

命宮や財帛宮、遷移宮、夫妻宮、官禄宮といった、

「枢要な宮」がある、というお話をしました。

 

このひとの場合は、

福徳宮に化忌が入ったために、結果として、

それらの枢要な宮に化忌が入るということからまぬかれているのです。

 

 

 

男性、女性ともに、命宮や遷移宮に化忌が入ったり、

あるいは、男性の場合なら官禄宮や財帛宮に化忌が入ったり、

あるいは、女性の場合なら夫妻宮に化忌が入ったりすれば、

人生が大ダメージを受けてしまうということが、

決して少なくはないのです。

 

このひとは、福徳宮に化忌が入ったために、

そういった最悪の事態は回避することに成功しているわけです。

 

 

 

だけではありません。

 

化忌をいわば、福徳宮が「引き受けた」おかげで、

このひとは、

財産や社会的な成功といった面で、

おもにその前半生において、具体的な成果をあげる可能性が高くなります。

 

 

 

これは、そのひとの心性が、

どちらかといえば自己中心的で、競争的であることも、

その支えになっています。

 

世間的に、成功したり、有名になったり、財を成したりするひとはいるものですが、

彼らがただ単に、

お人よしで、人の苦しみを感じやすい痛みやすい心の持ち主であったのならば、

そういう成功をはたして勝ち得たかどうかは、

疑わしいものであるかもしれないのです。

 

心の汚さというのは、

ある意味では成功に必要な1つの要素であって、

福徳宮化忌のひとは、その資格を持っている可能性があります。

 

 

 

ところが、時間の経過とともに、状況は変化していきます。

 

 

 

福徳宮化忌のひとは、その前半生において、

あまり他人のことを顧みる思いやりはなく、

どちらかといえば、奉仕的なこともしないで、

自己中心的な、競争的価値観のなかで生きていきます。

 

また、その前半生において、

たとえば、財をなしたり、出世したり、事業が成功したりと、

具体的な成果をあげてしまうのです。

 

 

 

これらの、「自己中心性」と「具体的な成功」というのが、

このひとの前半生においてあらわれる結果、

このひとは、前半生において、すごく運を消費するのです。

 

このひとは、前半生をつうじて、どんどんと運が少なくなっていきます。

 

もともと持っていた運が、

具体的な成功へとかたちを変えるからです。

 

 

 

この、前半生をつうじて運が少なくなっていくということは、

「収縮や縮小」をあらわすドラゴンテールのような化忌が、

運の貯蔵庫とでもいうべき福徳宮に在位していることと符合します。

 

運が減っていく、ということです。

 

 

 

このために、このひとは、

人生が中盤にさしかかり、これからいよいよ人生の後半がはじまるぞ、

というときに、

運が尽きかかってしまう懸念があります。

 

 

 

そして、これこそが、

このひとが後半生においては運勢が暗転する可能性があることを示しており、

そしてそのことは、

後半生をあらわすことのある福徳宮に代表的な凶星である化忌がはいっている

ということと、軌を一にしているのです。

 

 

 

では、

福徳宮化禄のひと、福徳宮化忌のひとは、

それぞれ、

どんなことに注意して、どんなふうに生きていったらいいのか。

 

 

 

また、

たとえば兄弟宮や夫妻宮といった個別の宮の宮干、

あるいは、特定の大限の大限宮の宮干からとばした化禄や化忌が、

福徳宮に入ってくる場合には、

どう考えたらいいのか。

 

 

 

こういったことについて、

続編記事で書いていこうと思います。