この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

ストーカーは、なぜ嫌われるのか。

こんにちわ。天機です。

(約3400字)

 

 

 

きょうは、ストーカーについて、

すこし思ったことを書いてみようと思います。

 

 

 

天機は、ストーカーをしたことも、されたこともありません。

恋愛に無縁である、ということが影響しているのかもしれませんが。

 

 

 

しかし、世の中では、

ときどき、ストーカーについての話を聞くことがあり、

ニュースになったりもしています。

 

 

 

たいていは、1人の相手に対して、

かなわぬ恋愛感情をつのらせたあげく、といった例が多いようで、

男性から女性へ、といったものが多いようですが、

女性から男性へ、といったものもあるようです。

 

 

 

そして、深刻な場合には、

殺人や傷害といった事件にも発展するようですね。

 

 

 

ストーカーに関する規制法がまだ存在しなかったときには、

こういったストーカーについては、

とくに法で規制するものとは、思われていませんでした。

 

 

 

そのため、

こういったストーカーの被害にあったひとは、

本当に困難な状況におかれたことと思います。

 

 

 

この社会では、

ストーカーをする人というのは、

嫌われ、非難されることが多いと思います。

 

 

 

それは、ストーカーに遭っている当事者から嫌われ、非難される

ばかりではなくて、

広く社会の多くの人からも、

嫌われ、非難される可能性が高いものだろうと思うのです。

 

 

 

なぜ、そうなのか、といえば、

それは1つには、

ストーカーという行為の持つ、

その行為態様の薄気味悪さからくるものだろうと思うのですね。

 

 

 

実際に、

自分が思いをよせる相手に対してつきまとったり、

といった、

実際の行為の持つ薄気味悪さばかりでなく、

相手から拒絶されているのにもかかわらず、

しつこく思い続けることをやめない、という、

その心性の持つ薄気味悪さも、ここでいう薄気味悪さの1つです。

 

 

 

しかしながら、

ストーカーの持つそういった行動原理には、

すこし、共感したり、同情したりできる部分がないわけではありません。

 

 

 

ひとから拒絶されるというのは、

誰にとっても、つらく悲しい現実の1つです。

 

 

 

容易にはあきらめきれないという気持ちは、

ストーカーにまでは至らない人の心の中にも、

おそらくは、多かれ少なかれ、存在するでしょう。

 

 

 

また、容姿や能力、収入といった、

そのひとのもつスペックの違いによって、

他人に容易に受け入れられるひともいれば、

なかなか他人には受け入れてはもらえないひともいる、というのも、

恋愛にともなう、

かならずしも「美しい」とはいえないかもしれない、

harshな現実の1つです。

 

 

 

けれども、

そういったことどもを考慮に入れても、なお、

ストーカーをするというのは、

その相手側にとって嫌なことになる、というだけではなくて、

そのストーカーをする本人にとっても、

報われることの少ない行動ではないだろうか、

とも思うのですね。

 

 

 

というのは、

そこには、この世界における、

2つの異なった原理がかかわっていると思うからです。

 

 

 

天機が思うに、この世界には、

 

他者からの好意や同意といったものが

非常に重要な意味をもつ原理

 

と、

 

同意がなくても頭脳などの力により

強制的に物事を実現できる原理

 

という、2つの原理があると思うのです。

 

 

 

この両原理は、

どちらの原理のほうが優れているとか、

どちらの原理のほうが劣っているとか、

そういったものでは、ないのです。

 

 

 

ただ、この世界には、そういった2つの原理があるだけであり、

みずからの原理が「管轄」する世界においては、

あたかも、その世界の「王様」であるかのように、

圧倒的なパワーをもって、

それぞれの原理が君臨しているのです。

 

 

 

このことを理解せずに、たとえば、

同意や好意が重要な意味を持つ世界で、

物事を強制的に実現することを目指したり、

逆に、

同意がなくても強制的に物事が実現されるような世界で、

ただ同意や好意といったものを重視したりするのでは、

無用の反発をくらって、

得られる収穫は少なくなるものだろうと、天機なんかは思うのですね。

 

 

 

具体的には、どういったものがあるでしょうか。

 

 

 

まず、同意や好意といったものが重要な意味を持つ世界としては、

 

恋愛や商売、芸能界

 

といったものがあるだろうと思います。

 

 

 

たとえば、恋愛の世界で、相手に、

自分のことを強制的に好きになれ、といっても、それは無理でしょう。

 

 

 

商売で、自分の商品を強制的に買わせるとか、

芸能界で、視聴者に自分を強制的に好きにならせるとか、

みな、無理な話なのです。

 

 

 

そういった世界では、相手から同意や好意を得る、

ということこそが大きなポイントになるのであって、

また、そういった同意や好意という、「他者からの支持」を

幅広く獲得すればするほど、

自分の人気やパワーといったものが、

大きくひろがっていくのです。

 

 

 

つまり、そこには、

 

面の広がり

 

といったものをイメージできるかもしれません。

 

 

 

一方、

物事を強制的に実現できる世界としては、

 

軍事や科学、学問や学科試験

 

といったものがあるだろうと思います。

 

 

 

戦争に勝利した国は、基本的には、戦争に敗れた国に対して、

自分ののぞむことを強制的に実現できます。

 

 

 

科学的な法則が発見されて、

それに基づいて機械や新薬が発明、発見されたならば、

それらは、

人間が賛成しようとしまいと、

その科学的な法則のみに基づいて作動、作用します。

 

 

 

試験勉強を頑張ったならば、

そのひとが、芸能オーディションなどでは簡単に落とされてしまうような、

まったく魅力的ではない外見の持ち主であったとしても、

点数さえよければ、機械的に合格するのです。

 

 

 

戦争に勝利するためには、

部分的、局地的な戦闘での勝利を積み重ねていく必要があり、

部分的、局地的な戦闘で勝利するには、

「局限された戦域において相手方よりも優勢な兵力」

を結集させる必要があります。

 

 

 

たとえるならそれは、

細い細い針の先が、先がとても細いために、

その針の先にかかる圧力が非常に大きなものとなって、

結果的に紙を破るようなものです。

 

 

 

科学でも、学科試験でも、これと似たようなところがあって、

科学的な発明や発見にいたるためには、

問題となっている状況に対象をしぼって、

繰り返し観察や実験、考察をかさねていく必要がありますし、

学科試験でいい成績をとろうと思うのならば、

自分の苦手としているところなどに、たとえば範囲をしぼって、

繰り返し練習問題などを解くなどして、

試験に合格できるだけの実力を涵養していく必要があるのです。

 

 

 

このように見てくると、

軍事や科学、学問や学科試験といった、

物事を強制的に実現することを目指す世界というのは、

 

一点を深く掘り下げる

 

ということと親和的だ、といえるかもしれません。

 

 

 

では、ここで、ストーカーのお話に戻ってみましょうか。

 

 

 

ストーカーをする人が目指しているのは、おそらくは本来は、

 

恋愛において自分が報われること

 

であったはずなのです。

 

 

 

ただ、その恋愛という世界をつかさどっている原理というのは、

 

同意や好意が重要な意味をもつという原理

 

であって、

 

面の広がり

 

と親和的な世界なのです。

 

 

 

ところが、ストーカーをするひとというのは、

そのような恋愛の原理と世界において、

たった1人の人に絶対にこだわり、そのひとを決してあきらめず、

自分の偏執的な行為によって、

相手を強制的に振り向かせることを目指すのです。

 

 

 

つまり、

同意や好意が重要な意味をもち、

面の広がりと親和的な

恋愛の世界で、

 

一点を深く掘り下げるという、

物事を強制的に実現させる、

軍事や科学といった世界をつかさどるような

原理でもって臨もうとする

 

わけです。

 

 

 

これが天機が、ストーカーという行動原理が、

おそらくは、そもそもが原理的に報われないだろうなあ、

と考える理由です。

 

 

 

そしてこの世界には、ストーカーとは対照的なひとがいます。

 

 

 

数うちゃあたる、で、

何人もの女性につぎつぎと交際を申し込むものの、見事に撃沈をすることを重ねて、

それでも、

「また振られちゃったよ┐(´~`;)┌」

と、あっけらかんとしているひとです。

 

 

 

こちらのタイプの男性は、

比較的、社会から笑顔をもって迎えられることが多いのです。

 

 

 

それはなぜかといえば、

1つには、その行動や心性が「陽性」である、

ということももちろんあるでしょうが、おそらくは、

その「数うちゃあたる」式で、

振られた相手にこだわることなく、つぎつぎとチャレンジして

広げていくということが、

 

面の広がり

 

と親和的な、恋愛の原理に合致しているからだろうと、

天機などは思います。