この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

女性中学教諭が男子中学生とキス、の事件について。

こんにちわ。天機です。

(約1600字)

 

 

 

けさ、ヤフーニュースを見ていたら、

こんな記事があがっていました。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

中学校の女性教諭が、おなじ中学校の男子生徒と、

いろいろな場所でキスをするなど、

不適切な行為をしていたことが発覚したため、

懲戒免職処分になった、というものです。

 

 

 

この事件に関して、おなじ記事についたヤフーコメントでは、

さまざまな意見があがっています。

 

 

 

女性教諭は大人なのだから、その点については自制が必要だった

のではないか、という、教師を非難する意見。

 

男子中学生にも恋愛感情はあったのだろうから、

周囲が騒ぎ立てるほどのことはないのではないか、という、許容する意見。

 

 

 

いろいろです。

 

 

 

天機はといえば、

女性教諭は自制すべきだった、と思うのと、

まあ、恋愛なんだし、と思うのが、半々くらいです。

 

 

 

ただ、天機は、

このブログのほかの記事でも書いているのですが、

理の原理と、それにともなう公平性というのを、

非常に重視する人間です。

 

 

 

天機がだいたい、ニュースとかを読んでいて、

いらだつことのひとつに、

物事が公平ではなかったとき、というのがあります。

 

 

 

今回の事件については、どうでしょうか。

 

 

 

まず、今回のような事件について、

「教師というものは自制すべきであって、未成年である生徒に対して

 ハレンチな行為をすべきではない」

としたとしましょう。

 

 

 

そのときには、天機は、

それは、男性にも女性にも、適用される原理原則だと思うのです。

 

 

 

つまり、

教師が未成年の生徒といちゃこらしたことで非難をうけるのならば、それは、

 

女子生徒と男性教師という組み合わせだけではなくて、

男子生徒と女性教師という組み合わせであっても、

教師が非難を受けないとおかしい

 

と思うのですね。

 

 

 

他方で、

 

「たとえ教師と未成年との関係であったとしても、

 双方のあいだに恋愛感情があったのならば、

 許容してかまわないのではないか?」

 

としたとしましょう。

 

 

 

そのときにも、天機はやはり、それは、

男性にも女性にも、適用される原理原則だと思うのですね。

 

 

 

つまり、教師が未成年の生徒といちゃこらしても、

それはべつにかまわない、と許容するのであれば、それは、

 

女性教師と男子生徒という組み合わせばかりではなく、

男性教師と女子生徒という組み合わせにおいても

許容されなければおかしい

 

と思うのです。

 

 

 

教師が未成年の生徒といちゃこらしたときには、

いろんな意見があると思います。

 

 

 

あるひとは、

そんなことをするなんてけしからん、教師は大人の自覚をもて!

と、教師を非難するでしょうし、

またあるひとは、

まあ、おたがいに恋愛感情があったのなら、べつにいいんじゃね?

と、教師に対して寛容な見方をするでしょう。

 

 

 

天機は、それはべつにどちらでもいいような気がするんです。

 

 

 

ただ、

 

男性教師と女子生徒の不適切な関係においては

厳しく男性教師の側を非難するのにもかかわらず、

それが、

女性教師と男子生徒の組み合わせになったとたん、

女性教師に甘く寛容な見方をするのであれば、

それは理に反し、公平でもない

 

と、天機なんかは思うのですが。

 

 

 

教師が大人としての自覚をもて、

といわれるときには、それが基礎としているのは、

教師が大人である、という事実だけです。

 

けっして、

大人である男性教師は自覚をもたなければいけないが、

大人である女性教師は自覚をもたなくてもいい、

というわけではないはずなんです。

 

 

 

他方で、恋愛感情が成立していたために、

生徒の側も満足していた、というときには、

その生徒が、男子生徒であっても、女子生徒であっても、

恋愛による満足を得ていたことには、かわりがありません。

 

 

 

したがって、

この種の事件が発生したときには、

男性に対しても、女性に対しても、

公平な見方をもつことが大切なんじゃないだろうか、

と、天機なんかは思います。