この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

食事中のトイレについて、思うこと。

こんにちわ。天機です。

(約2200字)

 

 

 

きょうは、食事中のトイレについて、思うことを書いてみようと思います。

 

 

 

食事中にトイレに立つことについては、いろいろな意見があるようです。

 

 

 

「食事中にトイレに立つなんて、マナー違反だ。

 きちんと食事前にトイレをすませておくべきだ。」

 

という意見があるいっぽうで、

 

「食事中にトイレに行きたくなったときに、

 我慢を強いるというのは、一種の虐待にもなるんじゃないか?」

 

といった意見があったりします。

 

 

 

天機は、この問題について、自分の意見をのべてみたいと思います。

 

天機の意見が正しい、というわけではなくて、

世の中にいろんな意見がある、そんななかの1つの意見として、

天機はこんなふうに考えているのだな、

と思っていただければ、さいわいです。

 

 

 

さて、天機はいろんな問題について考える際の、

その思考枠組みの1つに、

 

「物事には、この世界には、通常と異常がある。

 通常だけがこの世界のすべてをおおいつくしているわけではなくて、

 通常と異常、その2つが合わさって、はじめてこの世界はできている。」

 

というような思考枠組みを持っています。

 

 

 

今回の、食事中のトイレの問題も、

この思考枠組みをもとにして、考えてみましょう。

 

 

 

まず、「通常」は、

食事中にトイレに立つというのは、マナー違反であって、

避けるべきことだと思うのです。

 

 

 

1人で食事をしているときなら、さほど問題ではないかもしれないですが、

ほかのひとが同席しているときなどは、やはり、

だれかが食事中にトイレに立つというのは、

気分のよいものではありません。

 

 

 

お里が知れる、という言葉もありますが、

いい大人になって、食事の最中にトイレに立つようなことが度重なると、

「このひとは、小さい時に、そういったマナーをしつけてもらえなかった

 のかな?」

と思われる可能性も、なきにしもあらずでしょう。

 

 

 

そして「通常」は、

食事中にトイレに立つことを防ぐことは、

さほどむずかしいことでもないようにも思うのです。

 

自分がそういった傾向がある、というふうにわかっているのなら、

注意して、

なるべくトイレは食事前にすませておくように、

習慣づけることもできるはずだからです。

 

 

 

以上が、「通常」です。

 

 

 

ただ、この世界には、「通常」だけではなく、

「通常」の外側に、「異常」が存在する、と天機は思うのです。

 

 

 

では、食事中のトイレの問題に関しての、

「異常」とは、いったい、なんなのでしょうか?

 

 

 

天機が思うに、その「異常」というのは、

 

「食事前にあらかじめトイレに行っておく、などの予防策を講じて

 おいたのにもかかわらず、

 その点における不注意はなかったにもかかわらず、

 急な、突発的な腹痛などによって、どうしてもトイレに立つ必要に

 迫られた場合」

 

のような場合だと思うのです。

 

 

 

これが、「通常」に対する、「異常」の場合です。

 

 

 

そして、通常には通常を管轄する論理があって、

通常の場合は、その通常を管轄する論理に従えばいいのですが、

他方で、

異常には異常を管轄する論理があって、

異常の場合は、通常を管轄する論理で対応すべきではなく、

異常を管轄する論理で対応しなければいけない、

というのが、天機の考え方です。

 

 

 

あらかじめ、食事前にトイレを済ませておく、

などの予防策をとったのに、

それでも、急な突発的な腹痛で、どうしてもトイレに行く必要に

迫られた、というのは、「異常」の論理が適用されるべき場面です。

 

 

 

ここでもかりに、

「通常」の論理を適用したとなると、

 

「どんなに急で突発的な腹痛が起こったとしても、

 食事中にトイレに立つのは、

 いついかなるときでも絶対的にマナー違反だから、

 どんなに苦しくても、絶対に食事中にトイレに立ってはダメだよ?」

 

ということになりかねません。

 

 

 

ですが、天機は、これはおかしなことだと思うのです。

 

 

 

そもそも、マナーや礼儀といったものは、

人と人とが、健やかに幸福に社会生活をおくっていくために、

人間社会において醸成されてきたものであるはずです。

 

つまり、人間の幸福というものが優先すべきものであって、

その意味からすれば、マナーは、

人間の幸福との関係では、劣後するものなのです。

 

 

 

いま、急で突発的な腹痛によって、どうしてもトイレに行きたくて、

苦痛を感じている人に、

それでもマナーだからトイレに行くな、

というのは、

人間に不必要な苦痛を強いるものであって、

本来、人間の幸福には劣後するはずのマナーが、

人間の幸福に対する優位を主張する、おかしなことになっている、

といえそうです。

 

 

 

ですから、天機は思うのです。

 

 

 

食事中のトイレの問題に関しても、

「通常」と「異常」が存在するのです。

 

「通常」は、食事中にはトイレに立たないように、

食事前にトイレを済ませておくのがマナーであって、

それは、特段むずかしいことでもありません。

 

また、小用など、我慢するのがさしてむずかしくないような

便意に関しても、我慢するのがベターだといえそうです。

 

 

 

しかし、あらかじめ注意をしていた(つまり、本人に「帰責性」がない)

にもかかわらず、

急で突発的な腹痛などによって、どうしてもトイレに立ちたくなった

(つまり、トイレに立つ「必要性」が大きい)ときに、

それでもマナーを理由として、本人に無用の苦痛を強制するのは、

不適当だと思うのです。

 

このような「異常」の場合には、

マナーは劣後し、トイレに行かせてあげるのが穏当であろう、

と、天機は思います。