こんにちわ。天機です。
(約2800字)
今回は、昔話を題材にもしつつ、人間の意識と、時間の関係について、
考えてみたいと思います。
まず、ここでちょっと、皆さんの日常的なことを思い出してほしいのですが、
たとえば、
おんなじ8時間と言っても、
朝出勤してから夕方退勤するまでの8時間と、
夜就寝してから朝起床するまでの8時間とでは、
あー、8時間たった、というときの、その時間経過の感覚が、
すこし違うような感じがしませんか?
自分なんかは、
朝から夕方までの8時間の場合には、
それこそいろんなことがあって、いろんな人にも会って、
飯も食って、移動もして、それでようやく夕方になって、
ああ、やっと今日も一日お疲れさんだ、という感じで、
すごく、8時間が長く感じるんですよ。
それに対して、
夜布団に入ってから、ぐーぐー、ぐーぐー、寝て、
まあ、夢とかは見ることがあるかもしれませんが、
朝になって起きたとき、ああ、朝が来たなあ、また1日のはじまりだ、
というときって、
なんだか、布団に入ったのは、ついさっきのような感じがしませんか?
つまり、8時間がすごく短く感じるんですよ。
この、時間経過に対する感覚の違いは、
いったいどこからやってくるんだろう?と考えたときに、
そういえば、
朝から夕方までの8時間というのは、起きている、つまり、意識がある。
それに対して、
夜から朝までの8時間というのは、眠っている、つまり、意識がない。
ということに、思い至りました。
言葉を変えると、
起きている、というのは、顕在意識の状態であり、
眠っている、というのは、潜在意識あるいは無意識の状態なのですが、
この、意識状態の差異が、時間経過に対する感覚に違いをあたえている
のではないだろうか。
具体的に言うと、
無意識状態のもとでは、
時間があまりたっていないかのように感じてしまうような、
そんな現象がおこるのではないか。
そんなことを思ったのです。
無意識ということでいいますと、
人間の意識、無意識について、深く研究したひとたちです。
創始された心理学を、深層心理学というのですが、
この深層心理学を日本に導入した泰斗が、河合隼雄という先生で、
かつて、文化庁長官をつとめられました。
この河合先生は、その深層心理学の研究に役立つという観点から、
世界各地の神話や伝説のほかに、
日本のもふくめた民話や昔話といったものにも、
熱心に目を通されていたといいます。
自分も、たとえば、昔話のなかにも、
この世界のかくれた真理や秘密の「かけら」のようなものが、
隠れているのではないだろうか?と考える人間なのです。
では、今回の記事のテーマでもある、
人間の意識と時間の関係について、ヒントになるような昔話は、
あるのでしょうか。
自分が思いついた昔話は、以下の2つです。
① 浦島太郎
浦島太郎は、亀を助けたために、海の底にある竜宮城へといざなわれ、
乙姫たちと楽しい日々をおくって、やがてもとの漁村へ帰ってきたのですが、
あたりは、もう何十年もたったかのように様変わりしていました。
そこで浦島太郎が玉手箱をあけると、白い煙がふきだして、
自分も白髪のおじいさんになってしまった、というのが、あらましです。
なんで、この物語は、最後はバッドエンドで終わるんでしょうか。
竜宮城で楽しみ過ぎたことの、罰が、年寄りになってしまうということだった
のでしょうか。
自分は、じつは、この浦島太郎という物語のなかにかくれている、
この世界の真理や秘密に関するひとつの「かけら」が、
人間の意識と時間の関係に関するものだろうと思うのです。
じつは、「海」というのは、無意識ととてもつよい結びつきがあります。
西洋占星術では、海をあらわす海王星は、無意識を管轄する星ですし、
人間の意識(顕在意識)というのは、無意識の大海に浮かんだ、
島のようなものだ、という説明がされています。
つまり、です。
浦島太郎のお話においては、じつは、
〇海の底の竜宮城にいるとき→無意識下にあるという状態
〇もとの漁村に帰ってきたら時間がすごくたっていた
→無意識下と意識下では、時間の進行速度が異なる
ということが、描かれていたのではないでしょうか?
② 養老の滝伝説
自分が、人間の意識と時間とのかかわりについて、
示唆をあたえてくれるだろう、と考えた、もうひとつの昔話が、
いわゆる、養老の滝伝説です。
これは、日本各地にさまざまなバージョンがあるのですが、
だいたいのあらましをいうと、
〇 おじいさんと息子が暮らしていて、あるとき、息子が山奥で、
かぐわしい香りをはなっている滝の水を見つけて、家に持ち帰り、
おじいさんに飲ませると、おじいさんが元気になって若返った、
というもの。
〇 老夫婦が暮らしていて、あるとき、おじいさんが山奥で、
かぐわしい香りをはなっている滝の水を見つけ、飲んでみたところ、
若返ったかのように元気になった。
その話を、家に帰ったおじいさんがおばあさんにしたところ、
おばあさんも出かけて行った。
ところが、おばあさんがなかなか帰ってこないので、
おじいさんが様子を見に行ったところ、
若返りの水を飲み過ぎたおばあさんは、なんと、赤ちゃんになっていた、
というもの。
といったパターンがあります。
そして、だいたいにおいては、この話に出てくる若返りの水というのが、
じつは、ある種のお酒であった、とされているようです。
ここで、お酒というのは、アルコールであり、
飲めば気分がよくなるように、
人間の意識状態に影響する飲み物です。
通常は、お酒を飲めば、顕在意識は退行して、ぼんやりとした意識になります。
そして、人間の成長と老化に関して言えば、通常は、
赤ちゃん→子供→青年→壮年→老人
というのが、通常の時間経過のありかたのはずなのですが、
この、養老の滝伝説の昔話においては、
人間の意識をぼんやりさせるところの、若返りの水、つまりはお酒を飲むと、
若返る、つまり、時間経過の流れが反転する、とされているのです。
以上の2つの昔話から、
人間の意識と時間経過について考えてみて、
自分は、つぎのようなことを思いました。
つまり、
顕在意識のもとでの、通常の時間経過が、
たとえば、左から右へと流れる矢印のようなものであらわされるとしたら、
眠ったり、お酒をのんだりして、
意識状態が無意識や潜在意識にはいってくると、
逆に、右から左へ流れるような、
反転した時間経過があらわれてくるのではないだろうか。
通常は左から右への矢印なのに、そこに、右から左への矢印が追加されることで、
たとえば、
通常の時間経過が、すこしおそくなるような、
そんな現象もあらわれてくるんじゃないだろうか。
そんなことを考えていました。