この世界の不思議

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ばかばかしい仮定をおいて考えるクセ。

こんにちわ。天機です。

(この記事 約1300字)

 

 

 

昨晩は、夜中に起きて、サッカーW杯の日本✕ベルギー戦を見ていました。

 

あと一歩のところまで来ていたのに、とても惜しかったなあ、

と思いましたね。

 

 

 

ところで天機は、ときどき、

ばかばかしいような仮定をおいて、空想してみるのが好きなのです。

 

今回のサッカーで、つぎのような空想をしていました。

 

 

 

あるところに、願い事をかなえることのできる、

不思議なパワーをもったひとが誕生したとします。

 

おぎゃあ、と出生した、という意味ではありません。

もともと力を持っていなかったけれども、

そんな不思議な力をあるときから持つようになった、ということです。

 

 

 

そのひとは、

みんなのためにその力を使うことも、

自分自身のためにその力を使うことも、どちらでも選択できます。

 

 

 

いま、そのひとが、みんなのためにその力を使うことを仮に選択すると、

たとえば、

サッカーW杯決勝Tで、日本がベルギーに勝利する結果が得られます。

 

他方で、そのひとが、自分自身のためにその力を使うことを仮に選択すると、

たとえば、

その人自身に、1万円の臨時収入がはいります。

 

 

 

こういうとき、いったい、どうしたらいいでしょうか。

 

 

 

ふつうの一般人なら、こう思うかもしれません。

「サッカーW杯決勝Tで日本が勝利することと、1万円が手に入ることじゃあ、

 全然、重みがちがうやん。

 当然、サッカーでの勝利のほうを選択するだろう。」と。

 

 

 

しかしながら、この結論は、

その、願いをかなえることのできる不思議な力をもったひと本人にとっては、

自明のものではありません。

 

というのも、

サッカーW杯決勝Tで日本が勝利することは、たしかに、

「みんなに」とっては、とてもうれしいことなのですが、

「その人自身に」とっては、それほどうれしいものであるとは、

かぎらないからです。

 

他方で、

その人自身に1万円が入ることは、

「みんなに」とっては、全然うれしくもなんともないことですが、

「その人自身に」とっては、とてもうれしいことになるはずです。

 

 

 

もしかりに、

このひとが、みんなのために、と思って、

サッカーW杯決勝Tで日本が勝利することに、自分の願いを使ってしまったら、

自分自身に1万円入ってくるという、個人的な利益をあきらめなければ

ならないことになります。

 

 

 

このひとは、それはいやだ、と考えるかもしれません。

 

そうすれば、

このひとは結果的に、自分の個人的な願いを実現するためにその願い事を使い、

1万円を手に入れる一方で、

サッカーW杯決勝Tでの日本の勝利は、なくなってしまいます。

 

 

 

でも、考えてみれば、これってすごく、無駄な願い事の使い方ですよね。

 

天機は思うんです。

 

1万円欲しい、という、このひとの個人的な願いは、

だれかほかのひとたちが、

実際にこのひとに1万円渡してあげることで、簡単に実現できる。

 

そのうえで、

願い事をかなえることができるという、このひとの持つ不思議な力は、

サッカーW杯決勝Tで日本が勝つ、ということをかなえるために、

使ってもらう。

 

そうすれば、

みんなも、このひとも、

双方とも簡単にハッピーになれるんじゃないかな、と思います。

 

 

 

天機の、ばかばかしい空想でした。