この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

目黒虐待死の事件について思うこと。

こんにちわ。天機です。

(この記事 約1500字)

 

 

 

東京の目黒で、5歳の女の子が、両親から虐待されたあげく、

死んでしまうという事件がありました。

 

女の子のご冥福をお祈りします。

 

 

 

報道で伝えられているところでは、その女の子は、

両親に向けて、

「ゆるして」と紙につづっていたそうです。

 

自分の親に向けて許しを乞わなければならない、

その女の子のおかれた状況を考えると、

悲しくて、泣けてきます。

 

と同時に、両親への怒りがわいてきます。

 

 

 

その女の子は、その母親の連れ子で、

その女の子とその父親には、血のつながりはありませんでした。

 

母親が再婚して、その連れ子がいる場合に、

新しい父親が、自分とは血のつながりがなくて、

たぶん、可愛いと思えないために、虐待して死なせてしまう、

という事件があとを絶たなくて、

やるせない思いでいっぱいになります。

 

 

 

母親が継母である、という場合にも、子供にとっては、

冷たく、つらい環境に置かれることがままあるでしょうが、

父親がその子供と血のつながりがない、という場合には、

容易に、凄惨な暴力につながりやすいような気もするのです。

 

今回の事件でも、

子供を虐待して死なせてしまったことについては、

両親双方に重い責任があるでしょう。

 

が、伝えられているように、

父親が主として暴力をふるい、母親がそれを見て見ぬふりをしていた、

という事情がもしかりにあるのならば、

その両親の責任については、

やや、父親のほうに、虐待死の原因を直接的に構成した、

重い責任があるといっていいような気もします。

 

 

 

どうして、このような事件が起きてしまうのでしょうか。

 

それについて天機が考えるに、

 

「ひとは、どういうものに魅力を感じるのか」

 

ということについての、なかなか難しい問題が、

背景にあるような気もするのです。

 

 

 

たとえば、ぜんぜん関係のない話のように思えるかもしれませんが、

食べ物を食べる時を考えてみてください。

 

食べ物については、

① それがおいしいかどうか。つまり、舌や味覚を満足させる力があるのかどうか

というポイントと、

② 体にとってどうか。健康に対しては、どういう影響をあたえるのか

というポイントがある、と思うんです。

 

脂のしたたるような美味しいステーキというのは、

①の、舌や味覚にとっては、非常に魅力的であって、

ひとは、それを喜ぶものなのですが、

②の、健康という観点からすれば、それを食べ続けていれば、おそらく、

からだには悪影響をおよぼすでしょう。

 

他方で、豆や菜っ葉を煮ただけの精進料理のようなものは、

②の、健康という観点からすれば、非常に好ましい影響をあたえてくれる

はずなのですが、

いかんせん、①の舌や味覚にあたえる影響、という観点でいうならば、

ひとは、あまりそういったものには、食指が動かないのです。

 

 

 

男女のまじわりについても、おなじような構図があると思うんです。

 

すごくワイルドで、どきどきさせてくれるような刺激的な恋愛を提供してくれる

男性というのは、

平凡で暖かな家庭生活を継続的につづけていく、という性質には、

若干、欠けている可能性があるかもしれません。

 

他方で、

地味でありながらも、優しくて、家庭において良きパパになってくれるだろうなあ、

と思えるような男性というのは、

恋愛市場においては、いまひとつ頼りなくて、あまり魅力的には映らない

かもしれないのです。

 

 

 

今回の、目黒虐待死の事件でも、その父親の風貌を写真などからみていると、

おそらく、

恋愛においてはそれなりに魅力的だったかもしれないけれど、

家庭的な性質には、欠けていたような気がするのです。

 

これは、バランスの問題もあるのかもしれませんが、

あまりにも家庭的な性質を欠いている場合には、やはり、

その家庭生活には、暗い影が差すような気がします。